電子版PDF - 日本華人教授会議

(第十二号)
特
集
21 世紀における中国のイノベーションと
中国経済の行方
日本華人教授会議・NPO 中日学術交流センター
目
日本華人教授会議
次
◆
巻頭語
13 年間の成長
◆
特集:21 世紀における中国のイノベーションと中国経済の行方 ・・・・・・・・・・
・皆様の多大なご協力に感謝
・・・・・・ ・・・・ 李春利
1
3
第 12 回国際シンポジウム開会挨拶
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 李春利
5
・科学技術の基本理念と政策
吉川弘之先生の基調講演について・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 巨東英
・基礎研究とイノベーション
◆
・・・・・・・・・・・・・・・・
7
吉川弘之
8
・世界の工場の過去と現実 ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・
厳善平
27
・初めて開催された科学技術セッション
程子学
28
・シンポジウム報道記事紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 人民網
2
・・・・・・・・・・・・
中文導報
31
東方新報
32
学術活動
・中国・ASEAN の経済発展と「東アジアトライアングル」の新基軸
―
国際アジア共同体学会国際シンポジウム
・・・・・・・・・・・・ 唱新
34
戦後 70 年記念国際学術シンポジウム・・・・・・・・・・・・・・・趙軍
39
・戦争・対立から平和へ」
―
・世界的局面から見た東アジアと日中関係
―
◆
呉建民氏講演会記録 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・凌星光
活動報告
・第 11 回「全中国選抜日本語スピーチコンテスト」成功裏に開催!・・・・・
45
・日中青年友好交流訪中団の派遣・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
・等身大の中国を見て
47
‐青年訪中 C 団と共に‐ ・・・・・・・・・・・・・・・
・第 10 回帰国訪問団の報告
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
49
・悪循環から好循環に変わった新疆の治安 ・・・・・・・・・・・・・・・・
52
・
“中巴経済走廊”意義何在?
54
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・人民外交学会記事
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
56
・米国大統領観戦記
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
57
◆
2014 年 11 月~2015 年 9 月
◆
表紙写真
活動記録・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
2016 年日本華人教授会議帰国訪問団
中国新疆ウイグル自治区カシュガル古城にて
◆
42
裏表紙写真
新疆西部にそびえる
コングール(公格爾)山
64
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆巻頭語
日本華人教授会議
13 年間の成長
日本華人教授会議代表・愛知大学教授
日本華人教授会議は 2003 年 1 月に創立さ
れ、これまで会報『東アジア論壇』
(東亜論
壇)11 号を発行してきました。これまで華
人教授会議が主催してきた年次国際シンポ
ジウム(過去 12 回)や各種の学術講演会、
研究会の報告記録および講演録などが収録
され、さらに時宜にかなった様々な時事問題
や世界情勢に関する論文や評論も掲載され
てきました。
また、華人教授会議が行ってきた各種のイ
ベント、例えば、日本経済新聞および中国教
育国際交流協会と共同主催してきた「全中国
選抜 日本語スピーチコンテスト」
(中華全国
日語演講比賽、
2006 年から累計で 11 回開催)
の記録や「日本華人教授会議帰国訪問団」
(2007 年から累計で 10 回実施)の報告や関
連の提案書、感想文なども掲載されてきまし
た。そのほかにも各種行事の記録が数多く収
録されております。
以上のような概要の紹介からもわかるよ
うに、『東アジア論壇』はまさに華人教授会
議の成長記録にほかなりません。多くの会員
や招聘されたゲスト講演者、そしてわれわれ
の協力団体や友人たちがそこに登場し、数多
くのメッセージや足跡を残してきました。こ
れらの活動記録は会報巻末の「日本華人教授
会議活動記録」などに記載されております。
おかげさまで日本華人教授会議は現在約
110 名の会員を擁するようになり、日本全国
の約 60 の大学や研究機関、専門機関に所属
しており、会員たちは様々な形で日中交流の
架け橋として第一線で活躍しております。ま
た、行動する学者・専門家集団として積極的
に日本社会に対して情報発信を行い、学術書
や論文、またはテレビや新聞、学術会議など
様々な場やメディアを通して意見表明を行
李春利
ってきました。
2015 年は戦
後 70 周年とい
う節目の年にあ
たり、日本華人
教授会議はまず
10 月 12 日に、
東京大学山上会
館にて「戦争・対立から平和へ―歴史から汲
み取るべきものは何か―」と題した戦後 70
年特別講演会を開催しました。さらに、11
月 21 日に千葉商科大学国際会議場にて中国
社会科学院近代史研究所『抗日戦争研究』編
集部と台湾中央研究院近代史研究所蒋介石
研究群の協賛のもとで「戦争・対立から平和
へ ―歴史研究の現場からのメッセー
ジ ―」をテーマとした戦後 70 周年記念国
際シンポジウムを開催しました。
そのほかにも、2015 年 12 月 17 日に、東
京如水会館にて元駐フランス中国大使で中
国外交学院元院長の呉建民氏をお招きし、
「世界的な局面から見た東アジアと日中関
係 ―日中関係を如何にしてさらに前進さ
せるか ―」と題した講演会を、日中科学技
術文化センター・日中関係研究所との共催
で開催しました。2016 年 6 月 18 日に急逝し
た呉氏の訃報に接し、教授会議メンバーたち
はあ然として言葉を失い、この著名な外交家
を偲びました。
また、今年 8 月 14 日に逝去した中国社会
科学院近代史研究所元所長の歩平教授も華
人教授会議の古き友人であり、何度もわれわ
れのシンポジウムに出席され、すばらしい研
究成果を発表されました。彼は 2006 年から
始まった日中歴史共同研究の中国側座長を
務められ、また、日中韓歴史教科書の編集と
1
東アジア論壇/第 11 号/2015
いう大変難しいプロジェクトも精力的にこ
なされました。ここに謹んで卓越した見識を
持っておられた両氏の冥福をお祈り申し上
げます。
今回は会報第 12 号を発行するにあたり、
ひとつの大きな変化があります。長年紙媒体
を中心に発行してきた『東アジア論壇』は、
今号からは電子ジャーナルに変身し、電子バ
ージョン中心に変わりました。これは時代の
流れに乗った措置であり、今後は華人教授会
議のホームページでの掲載と公開が中心に
なりますが、引き続きご愛読、ご支援を賜れ
ば幸いに存じます。
中国にも日本にも 12 年はひと回りという
言い方がありますが、13 年間成長してきた
華人教授会議は、会報の電子化により、読者
層がさらに広がることでしょう。会員一同気
持ちを入れ替えて、次なるひと回りを目指し
て一層努力する所存ですので、引き続きご高
配のほどよろしくお願い申し上げます。
***********************************************************
◆特集:シンポジウム・報道
日本华人教授会在东京召开第 12 届年度国际论坛
人民網
記者
第 12 届日本华人教授会年度国际论坛 2015
年 10 月 12 日在日本东京召开,包括在日华人
教授在内的 100 多名中日两国专家学者参加
本次论坛,并就中国当前的技术创新、经济发
展动态等话题展开了讨论。
本届论坛主题为“21 世纪中国的技术革新
和经济走向”,中国驻日本大使馆参赞沈建
国、日本前农林水产大臣林芳正、日本华人教
授会代表李春利在论坛开幕式上致辞,前东京
大学校长吉川弘之作了题为“基础研究和技
术革新”的基调演讲。
本届论坛的主题设定以世界各经济大国围
绕制造业新标准的制定展开竞争为背景。中国
今年公布了“中国制造 2025”这一中国版的
“工业 4.0”规划,以期从制造业大国向制造
业强国发展,而与此同时,美国、德国、日本
等制造业强国也相继制定了各自的制造业发
展规划。围绕未来制造业标准制定的国际竞争
越来越激烈,与会专家学者就中国在这一波竞
争中面临的课题进行了讨论。
赵松
论坛分为经济议程和科技议程两个环节,北
京大学教授周建波、东京大学教授丸川知雄、
日本同志社大学教授严善平等人在经济议程
上围绕中国制造业的发展历史和本世纪的中
国创新发表演讲并展开讨论。科技议程的主题
为如何从学校理工科教育的角度推动科技创
新,重庆交通大学副校长易志坚、埼玉工业大
学副校长巨东英、早稻田大学教授金群等在该
议程上发言并参与讨论。
本届论坛还举行了以中日关系为主题的特
别演讲,早稻田大学教授刘杰、日本中央大学
名誉教授姬田光义等围绕战争期间的中日关
系以及日本战争责任问题发表了演讲。
据李春利介绍,日本华人教授会于 2003 年
成立,目前有 100 多名成员,成员主要是在日
本全国约 60 多个大学、研究机构从事教育和
研究活动的华人教授和研究者。该团体自成立
以来开展了多项中日教育、科研、文化交流活
动。
2
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆特集:シンポジウム・プログラム
日本華人教授会議主催第 12 回国際シンポジウム
21 世紀における中国のイノベーションと
中国経済の行方
開催の趣旨
近来、中国では「製造大国」から「製造強国」への変貌を狙う長期ビジョン「中国製造 2025」
、
ドイツでは「第 4 次産業革命」を狙う「インダストリー4.0」、米国では「インダストリアル・
インターネット」などのグラウンドビジョンが相次いで打ち出されました。日本でも今年 6
月に、
「ロボット革命」やビッグデータの活用強化などをコアとする「日本再興戦略」が発表
されました。世界の製造業大国の間では、製造業の次なる世界標準を狙う国際競争がすでに
始まっております。
日本華人教授会議は 2003 年に創立して以来、今年で 12 周年を迎え、ちょうどひと回りに
なります。今年で 12 回目を迎える国際シンポジウムにおいて、経済セッションでは中国にお
けるイノベーションのパターンと「中国製造 2025」の内容、および産業高度化の課題を討論
します。続いて、科学技術セッションではイノベーション能力の形成とイノベーターの育成
という観点から、理工系教育の新しい課題とイノベーション創出型教育に焦点を合わせ、第
一線級の専門家による講演とパネルディスカッションを行います。時代の先端を行く話題を
取り上げますので、ふるってのご参加を期待しております。
【主催】日本華人教授会議
【日時】2015 年 10 月 12 日(月・祝日)13:00~17:30
【会場】東京大学本郷キャンパス山上会館
2階 大会議室
プログラム
【総合司会】宋 立水(日本華人教授会議事務局長・明治学院大学教授)
オープンニングセッション
【司会】
廖 赤陽(日本華人教授会議副代表・武蔵野美術大学教授)
【開会の挨拶】李 春利(日本華人教授会議代表・愛知大学教授)
【来賓挨拶】沈
建国(駐日本中華人民共和国大使館参事官)
【来賓挨拶】林
芳正(参議院議員・前農林水産大臣)
3
東アジア論壇/第 12 号/2016
基調講演
【司会】 巨 東英(埼玉工業大学副学長)
【講演者】吉川弘之氏(東京大学元総長、独立行政法人産業技術総合研究所最高顧問)
「基礎研究とイノベーション」
経済セッション
「共通論題:21 世紀における中国のイノベーションと“中国製造 2025”
―“世界の工場”の過去と現実」
【司会】 杜 進
(拓殖大学教授)
【講演1】丸川知雄(東京大学教授) 「中国の大衆資本主義と草の根イノベーション」
【講演2】周 建波(北京大学教授)(日本語通訳あり)
「経済史の視点からみた中国製造業の高度化問題に対する考察」
【討論】 厳 善平(同志社大学教授)
金
堅敏(富士通総研経済研究所主席研究員)
馬
駿 (富山大学教授)
科学技術セッション
「共通論題:21 世紀における理工系教育の新しい課題
―イノベーション創出型教育、知的製造への挑戦」
【司会】程 子学(会津大学副理事長・副学長)
【講演】易 志堅(重慶交通大学副学長)
(日本語通訳あり)
「イノベーション能力の育成および“インターネット+”に向けた挑戦と対策」
【パネルディスカッション:情報系・製造業のイノベーションとイノベーターの育成】
【パネリスト】巨 東英(埼玉工業大学副学長)
、金
陳
迎(東北大学教授)
、陳
群(早稲田大学教授)、
昱(東京大学准教授)
総括セッション
【司会】朱 炎(拓殖大学教授)
【総括】朱 建榮(東洋学園大学教授)
閉 会
4
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆特集:シンポジウム
皆様の多大なご協力に感謝
第 12 回国際シンポジウムの開会挨拶
日本華人教授会議代表
月に、日本経済新聞社と中国教育国際交流協
会との共同主催により、
「第 10 回全中国選抜
日本語スピーチコンテスト」を東京の日経ホ
ールで開催いたしました。華人教授会議の会
員たちが中国全国 8 大ブロックの予選会場
に出向いて、審査員などを務めてまいりまし
た。今年は約 8000 人の中国人大学生が予選
と決勝戦に参加されました。その後、日本経
済新聞は丸一面を使って大きく報道されま
した。
また、去る 8 月下旬から第 9 回帰国訪問団
を実施いたしました。中国人民外交学会の招
聘を受けて、北京では外交部、国務院僑務弁
公室、外交学会、中国社会科学院を訪問した
後、さらに、内モンゴル自治区フルンボイル
市、ノモンハン戦争の跡地、大興安嶺や中ロ
国境の街・満洲里市などを訪問し、各地の地
方政府と交流を行ってまいりました。
さらに、単独もしくは共催の形で各種研究
会やシンポジウムを開催し、研究交流を行っ
てまいりました。例えば、今年 1 月に清華大
学国情研究センター長の胡鞍鋼教授を迎え、
「新春中国経済セミナー」を開催いたしまし
た。2 月には愛知大学、アジア連合大学院機
李春利
本日は体育の日、国民の祝日であるにもか
かわらず、大勢の友人たちにお集まりいただ
き、われわれの第 12 回年次国際シンポジウ
ムを応援していただき、心より厚く御礼を申
し上げます。
おかげさまで、日本華人教授会議は 2003
年に設立されてから今年で創立 12 年を迎え
ました。日本流で言うとちょうどひと回りに
なります。華人教授会議は日本在住の中国出
身、あるいはグレーター・チャイナ出身の大
学教授たちを中心に、現在会員数は 100 人を
超えており、日本全国の約 60 の大学や研究
機関、専門機関などに所属しております。
昨年 11 月に、まさにこの会場で日本華人
教授会議の年次大会において代表の交替が
行われました。初代代表の朱建榮教授、二代
目代表の杜進教授の後を継ぐ形で、私は三代
目の代表に就任させていただきました。私の
本職は名古屋にある愛知大学経済学部の教
員でございます。
この 1 年間、日本華人教授会議は多様な活
動を展開してまいりました。例えば、去る 7
5
東アジア論壇/第 12 号/2016
構との共催で、
「霞が関アジア中国塾」開塾
記念国際シンポジウムを日本記者倶楽部で
開催いたしました。その後、日比谷公園の松
本楼で開催された交流会において福田康夫
元首相にご臨席いただき、激励のご挨拶を賜
りました。
そのほかにも、例えば、日本経済研究セン
ターと協力して、東京と大阪で「シリーズ
現代中国を知る」と題した中国セミナーを合
計 9 回開催いたしました。10 数名の講師は
全員日本華人教授会議の会員でした。
このような活動が展開できたのも、われわ
れのパートナーと各協力団体の多大なご協
力の賜物です。今日は東京大学元総長の吉川
弘之先生を基調講演者にお迎えでき、わたく
しはこの上なき喜びを感じる次第です。とい
いますのは、いまから約 20 年前に私がこの
大学の大学院を卒業した際に、学位記には現
役時代の吉川総長のお名前が記されている
からです。また、古い友人である東京大学の
丸川知雄教授をお迎えし、経済セッションで
基調講演をしていただくことになっており
ます。
特に、今週の朗報として東京大学の梶田隆
章教授がノーベル物理学賞を受賞されたと
お聞きしましたので、吉川総長に対して一言
「おめでとうございます!」と心から申し上
げたいと思います。
今日の科学技術セッションでは、重慶交通
大学の易志堅副学長を迎え、「イノベーショ
ン能力の育成および“インターネット+”に
向けた挑戦と対策」と題して基調講演をして
いただくことになっております。易副学長を
はじめとする重慶交通大学代表団 6 人のご
来訪を心から歓迎いたします。
また、午前中の特別講演会でご講演いただ
いた中央大学の姫田光義名誉教授に対し、厚
く御礼を申し上げます。
今日の経済セッションでは北京大学の周
建波教授を迎え、基調講演をいただくことに
なっております。同教授及び同僚である杜麗
群教授、張亜光教授も心から歓迎いたします。
今年は北京大学の卒業生である屠呦呦教授
もノーベル医学・生理学賞を受賞されました。
中国では自然科学系初のノーベル賞受賞と
いうことで、北京大学もめでたい雰囲気に包
まれているそうです。改めて「おめでとうご
ざいます!」
最後に、先週まで農林水産大臣を務めてお
られた林芳正先生がご多忙の中にもかかわ
らず、応援にお越しいただき、深く感銘いた
しました。日中関係の改善に多大な貢献をな
された林先生の力強いご支持に対し、心より
厚く御礼を申し上げます。
後ほど説明があると思いますが、程永華駐
日大使が現在公務で一時帰国され、沈建国参
事官が代理でご挨拶いただくことになって
おります。ご多忙の中時間を割いて下さり、
心から感謝申し上げます。
林芳正・元農林水産大臣
めでたいことの多い、この秋晴れのよい日
に、改めてシンポジウムへのご臨席、そして
皆様の力強いご支援に対し、深く感謝を申し
上げて私の挨拶とさせていただきます。
みなさん、本日は本当にありがとうござい
ました。
沈建国・中国大使館参事官
6
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆特集:シンポジウム・基調講演
科学技術の基本理念と政策
吉川弘之先生の基調講演について
この度、日本華人教授会の第 12 回国際シ
ンポジウムで基調講演者として吉川先生を
お迎えできたことは、華人教授会議として大
変光栄に存じます。先生のご講演は「基礎研
究とイノベーション」をテーマとし、科学技
術の基本理念と科学技術イノベーション政
策の基本方針をはじめとして、エネルギー供
給の低炭素化、持続性を持つ循環社会の構築、
製造技術・サービス業界のイノベーションな
どについて、大変示唆に富むお話をして頂き
ました。改めて、会場の出席者と会員一同を
代表して、吉川先生に心から厚く御礼を申し
上げます。
なお、今日の年次大会では、中国重慶交通
大学の易志堅副学長に基調講演をして頂き、
中国の大学で実施しているものづくり教育
の現状を報告して下さいました。
また,パネルディスカッションによる科学
技術セッションが企画され、日本の学術有識
者と在日華人学術有識者を中心とした文理
融合の、大変有意義な学術交流が行われまし
た。多様な専門分野の研究者と専門家が集ま
った国際シンポジウムで大成功を収めまし
た。このような企画は、華人教授会が設立さ
れて以来、はじめてのことです。これからも
引き続きこのような学術交流を実施して頂
きたいと思います。これからもみなさんのご
指導とご支援を賜れば幸いに存じます。どう
ぞよろしくお願いいたします。
講演者履歴:
吉川 弘之(よしかわ ひろゆき、1933 年 8
月 5 日 生 )は、日本の工学者(設計学・ロ
ボット工学・信頼性工学)
。勲等は瑞宝大綬章。
学位は工学博士(東京大学)。東京大学総長、
日本学術会議会長、総合科学技術会議議員、産
業技術総合研究所最高顧問、国際科学技術財団
理事長、日本学術振興会学術最高顧問などを歴
任、1997 年日本国際賞受賞、2000 年レジオ
ン・ドヌール勲章オフィシェ受賞。工学、産業、
教育、学術行政に関する分野で要職を歴任。
2005 年に皇室典範に関する有識者会議の座長
を務め、女系天皇を容認する報告書をまとめる。
吉川先生の専門分野は設計工学で、特に、工
学の領域依存性の問題に取り組み、工学の一般
的問題として設計に注目し、一般設計学を提唱。
その後、設計と同じく領域横断型の問題である
保全についても研究し、その一環としてロボッ
ト研究に従事。
(文責:埼玉工業大学副学長 巨東英)
7
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆特集:シンポジウム・経済セッション
世界の工場の過去と現実
同志社大学教授
2015 年 5 月に、中国政府は「中国製造 2025」
を発布し国内外から大きな関心を集めた。それ
を踏まえ、2015 年度年次大会では「21 世紀に
おける中国のイノベーションと“世界の工場”
の過去と現実」を共通論題に設定し、東京大学
の丸川知雄教授「中国の大衆資本主義と草の根
イノベーション」と、北京大学の周建波教授「基
于経済史視覚的中国製造業的昇級換代考察」を
招いて研究報告して頂いた。ここでは、丸川報
告の概要を紹介する。
厳善平
それを中国の大衆資本主義と命名した。深圳
「華強北」のゲリラ携帯電話産業を大衆資本主
義の典型事例に挙げ、電子商取引大手のアリバ
バや華為技術といった中国を代表する企業も
大衆の中から立ち上がったものだと指摘する。
普通、イノベーションが必要な理由として以
下の 3 点が挙げられると丸川氏は考える。第 1
に、発展途上国の人々の所得が少なくて先進国
と同じモノ・サービスが手に入れられない時、
低所得者のためのイノベーションを行う余地
が生まれる。第 2 に、各国には固有の嗜好・需
要があり、それに合ったモノが欲しいとき、途
上国でイノベーションを行う余地がある。第 3
に、途上国の社会的制約、政策などの要因によ
って先進国のモノ・サービスが使えないときに
代替品を開発する余地が生まれる。
丸川氏によれば、中国の製造業は以下のよう
な力をもっている。①先進国企業が作っている
製品と類似したものを何割も安い値段で製造
し、世界の低所得層が現代文明の果実を享受で
きるようにする力、②先進国企業の技術を中国
の社会事情や需要に合うように変化させる力、
③ドローンやウェアラブルなど新しいジャン
ルの製品の新たな応用分野を開拓する力、など
である。具体的な例として、中国から他の途上
国へ広がる格安スマホ、大都市における電動自
動車の開発、クレジットカードに代わる銀聯カ
ードの普及が列挙される。
そこで、いまだ途上国である中国は先進国の
企業と伍して、キャッチアップ目的の最新の製
品・サービスを開発する必要性が低く、むしろ、
技術を先進国とは別の方向に発展させたり、簡
略化したりする「キャッチダウン型イノベーシ
ョン」も目指すべきだ。こうした潜在力を存分
に発揮することこそ、中国製造業を繁栄させ、
人類の福祉を向上させる道であると丸川氏は
強く主張する。
丸川報告では、まず世界最大の製造業大国と
なった中国の現状(付加価値額において日本の
3.23 倍、
アメリカの 1.5 倍[2013 年])を指摘し、
「製造業は大きいが強くなく、自主イノベーシ
ョン能力は弱く、核心技術とハイエンド装備の
対外依存度は高い」つまり「大而不強」という
中国の自己認識を否定的に捉える。その上で、
「国民の福祉の向上のための製造業、国民が豊
かな生活を送るための製造業」こそが重要な意
義を持つとする考えを豊富な現地調査の一次
情報に基づいて力説し、自らの提起した「大衆
資本主義」と「キャッチダウン」を中心に論理
を展開した。
丸川氏は、温州市や深圳市における経済成長
の過程で、資金、技術、人的資本に乏しいよう
な人でも金を貯めたら積極的に起業し、その中
で様々な産業が集積し成長する状況を発見し、
27
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆特集:シンポジウム・科学セッション
初めて開催された科学技術セッション
会津大学副学長
第 12 回の国際シンポジウムの中で、科学技
術セッションが初めて開催された。
教授
程子学
科学技術セッションは、第一部と第二部から
構成された。
第一部では 重慶交通大学副学長 易志坚
教授を招聘し、「创新能力培养的路径及面向
‘互联网+’的新挑战与对策」(訳:イノベーシ
ョン能力の育成および“インターネット+”に
向けた新挑戦と対策)というタイトルで、中国
国内の最新動向や“大众创业、万众创新”の実
態に触れながら、重慶交通大学の様々な理工系
教育の取組を紹介した。
開催の背景については、「今までの理工系教
授の方々の期待に応じた形で開催された」と真
面目に書きたいが、残念ながらそのような要望
はあまり聞こえなかった。華人教授会の幹事会
は、経済・政治・文化のみならず、理工系をも
重視する姿勢を打ち出したいという気持ちを
反映した。といったほうがより正確かもしれな
い。なぜそのような姿勢かと言うと、中国から
日本に留学したり大学や研究機関で研究開発
したりする研究者は、実に多く占めており、科
学の発見・技術の発明の研究に励んでいる方々
に情報提供と交流のきっかけを作りたいと思
ったからだ。
2015 年 5 月 16 日の幹事会で、科学技術セ
ッションの開催が決定して間もなく、科学技術
委員会の主査、副主査等の打ち合わせにより、
開催の趣旨、タイトル、及びセッションの構成
と時間配分を決定した。
第二部では、活躍している華人教授会の理工
系メンバーが登場し、パネリストとなった。各
人の学習・教育の経験を踏まえ、司会者の以下
の質問について、パネリストが自分の意見を述
べるという形式をとった。
(1) あなたは、なぜ理工系を選択したか?
(夢や思い、あるいはエピソードを一つ、また
は、簡単に経歴、自己紹介をしても良い。)
(2-1) 易学長の講演に関して、特に重要と思う
ポイントは何か?
(自分自身の体験、取組、立場、または、研究
分野に関連づけて、コメントして頂きたい。
)
(2-2) 理工系のイノベーション創出型人材を
育成するために重要と思うポイントは何か?
(一つに絞ってほしい、発信したいメッセージ
を述べて頂きたい。
)
開催の趣旨は、以下のようにまとめられた。
「科学技術セッションではイノベーション
能力の形成とイノベーターの育成という観点
から、理工系教育の新しい課題とイノベーショ
ン創出型教育に焦点を合わせ、第一線級の専門
家による講演とパネルディスカッションを行
う。時代の先端を行く話題を取り上げる。大勢
の人々のご参加を期待する。
」
セッションのタイトルは、その趣旨を反映す
るように、以下のようにした。
「21 世紀における理工系教育の新しい課題
~イノベーション創出型教育、
知的製造への挑
戦~」
28
東アジア論壇/第 12 号/2016
最後のセッシ
ョンとして、程
子学(科学技術委
員会主査)の司会
の下で開催され
た。講演者とパネ
リストは、イノベ
ーション創出型
教育について、熱意を込めてヒントと刺激に満
ち溢れている提言を述べた。会場の聴衆とも質
問応答が行われ、真剣でフレンドリーな雰囲気
の中で意見を交わし議論された。セッションは、
以下の特徴があった。
第一部では、講演者は、中国の教育の第一線
で教育プロジェクトを推進し、実績・実力をも
っている方であり、実例が多くあげられ、充実
した中味のある講演であった。講演の中で、特
にエンジニアとしての科学的な世界観を確立
する重要性が強調された。
① 主な内容は次のとおりである。
1) 創新能力(創造力、イノベーション力)育
成の道
2) イノベーション人材を育成する多様なモデ
ル
3) 理論+実践+リベラルアーツのカリキュラ
ムの構築
4) 実践の環境を提供するプラットフォームの
構築
5) 実践教育の改革を強化し、プロセス管理を
強化する
6) リベラルアーツカリキュラムの改革を実施
する
② 講演は中国語で行われ、富士通総研主席研
究員金堅敏氏が通訳した。また、事前にボラン
ティアの翻訳により、中国語の資料に加えて日
本語の訳文も準備された。参加者に国際シンポ
ジウムに相応しいサービスを提供した。
③ 多様な取り組みを例にし、中国の大学の関
心事、最新動向について理解するために有用な
情報が提供された。
④ 講演後会場から質問があり、講演への関心
の高さが示された。
で、また、男性と女性の教授両方を含んでいた。
なお、このセッションは、日本の国立、公立、
私立大学からの代表が揃った。
(司会も含めて)
。
② 教育の多様性:日本と中国の大学の教育内
容、風格、教育の目標などの比較が行われた。
また、日本の有名大学を歩き渡った教授は、自
分の経験を踏まえて、日本のトップ大学でも、
風格が異なることを強調した。
③ 質問の多さと議論の楽しさ:
パネリスト発言のみならず、会場からも様々な
質問があった。なお、中国の重慶大学の一行か
らも質問があり、日本と中国の人材育成のモデ
ルの違いについて議論された。真剣な議論が行
われた一方、ユーモアなやり取りがあり、笑い
を誘った場面もあった。
④ パネリストのメッセージ
パネリストは、自分の観点を力説した後にまと
めとして以下のメッセージを述べた。
(ア) 巨 東英(埼玉工業大学副学長、教授)
:
「21世紀の今、
環境問題とエネ
ルギー問題、さら
に製造(ものづく
り)技術などの分
野に対して、重大
な変革期を迎え
ている。経済発展
の活路を切り拓
くには、持続可能なイノベーション創出能力強
化と、それを支える人材育成が不可欠である。
このため、理工系大学生の実践教育が必要であ
り,ものづくりを通して学生の創造性と「夢」
を広げる教育プログラムの企画・実施が重要で
ある。
」
(イ) 金
群(早稲田大学教授):
「イノベーショ
ンは探険でもあ
り、勇気が必要で
ある。そして、人
並みでない発想
と旺盛な好奇心
をもつことは何
よりも大切であ
る。また、領域を
横断する学際的視野をもちながら総合力を有
第二部では
① パネリストの多様性: 大学の副学長を勤
めている著名な教授から頭角を現す準教授ま
29
東アジア論壇/第 12 号/2016
する人材を育成できる教育システムの改革と
意識の改革が不可欠である」。
(ウ) 陳 迎(東北大学教授)
:
「理工系のノベー
ション創出型人材
の育成には、時代の
流れをつかみなが
ら、科学者として原
点となる素質:「真
理への愛、未知への
好奇心、研究への情
熱」を忘れずに育て
ることは大事である。
」
(エ) 陳
昱(東京大学准教授):
「情報社会にお
けるイノベーシ
ョン創出に必要
なのは、専門知識
の深さだけでな
く、文理の境界を
超えて物事を「繋
げる」ことである。
このような能力を身に付けさせるためには、シ
ステム・シンキングを強化するような教育と研
究実践が必要である。
」
30
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆特集:シンポジウム・報道
论坛 | 日本华人教授会议:共话中国经济未来
中文导报
記者
日本华人教授会第 12 届年会 10 月 12 日在东京
大学山上会馆举行,与会专家学者就中国当前的技
术创新、经济发展动态等话题展开了讨论。约 200
人参加此次大会,超出了主办方预想人数近 30%,
十余家日本及在日华文媒体的记者采访了本次年
会。
中国驻日大使馆沈建国参赞代表程永华大使做
了精彩的开幕式贺辞。他指出,中日关系是特别的
两国关系,肯定中日邦交正常化以来的两国和平发
展的历史,进一步加深和扩大两国人民间的交流非
常重要。沈建国参赞介绍,在日本居住有 80 万华
侨华人,同时也有 10 万以上的日本人居住在中国,
再加上去年造访日本的中国人达到 240 万人次,今
年的人数还会增加。他还表示,在中日之间存在着
历史认识、东海等问题,因此更需要通过努力来减
少不利因素,增加有利因素,追求两国的共同利益。
日中友好议员联盟秘书长、前防卫大臣和农林水
产大臣林芳正先生百忙中特意赶来参会,就日中关
系的发展和强化人材交流的必要性做了深入浅出
的致词。林芳正指出,今天的日中关系应该是位于
亚太地区的成年大国关系,为了让其它各国感到安
心,处于领导地位的日中两国应负担起自己的责
任。
年会首先在华人教授会员、埼玉工业大学巨东英
副校长主持下,由东京大学老校长、日本学术会议
前会长吉川弘之教授以"基础研究与创新"为题
对日本及发达国家的创新体系及面临的问题做了
系统而全面的阐述。
接下来经济分科会聚焦中国创新模式和产业升
级所面临的困境问题,由东京大学丸川知雄教授和
北京大学周建波教授分别代表中日双方学界代表
做了主题演讲。丸川知雄教授的演讲题目是《中国
的大众资本主义与草根创新》,他对中国的“草根
式创新模式”与他原创的“大众资本主义”的概念
及其内涵,尤其对中国总理李克強在今年“两会”
中所作的《政府工作报告》中提出的“大众创新,
万众创业”等问题,做了深入的评判与通俗易懂的
解读;周建波教授的演讲题目是《基于经济史视角
的中国制造业的升级换代考察》
。
孙辉
随后,中国经济经营学会会长、同志社大学严善
平教授,富士通总研金坚敏主席研究员和富山大学
马骏教授三人做了生动讲评。
接下来的科技分科会由重庆交通大学副校长、博
士生导师易志坚教授就创新型人才培养路径及其
问题做了主题报告,,他的报告题目是《21 世纪理
工科教育的新课题:创新能力培养的路径及面向
“互联网+”的新挑战与对策》
。随后在会津大学程
子学副理事长的主持下,来自早稻田大学的金群教
授、东北大学陈迎教授、东京大学陈昱副教授和巨
东英副校长就理工科创新人才培养问题进行了热
烈的讨论。
本届论坛还举行了以中日关系为主题的特别演
讲:
中国武汉大学教授冯天瑜做了“日本对外战争的
文化渊源”的演讲;日本中央大学名誉教授、“抚
顺奇迹继承会”代表姬田光义,通过介绍“中国归
还者联络会”的信念、活动及其后继运动,全面阐
述了“侵略、殖民地化,与加害者的责任”;早稻
田大学教授刘杰,就“战争与外交——1930 年代的
日中关系”做了专题分析。
最后在华人教授会老局长、拓殖大学朱炎教授的
主持下,由亚洲共同体学会会长、筑波大学进藤荣
一名誉教授就 TPP 对亚洲经济的影响做了讲评,东
洋学园大学朱建荣教授对年会做了全面的总结与
讲评。
据日本华人教授会代表李春利介绍,日本华人教
授会于 2003 年成立,目前有 100 多名成员,成员
主要是在日本全国约 60 多个大学、研究机构从事
教育和研究活动的华人教授和研究者。该团体自成
立以来开展了多项中日教育、科研、文化交流活动。
31
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆特集:シンポジウム・報道
日本华人教授会第 12 届年会 热议
中国创新模式
东方新报 記者 朱耀忠
十月东京,秋风送爽。日本华人教授会议第 12
届年会,10 月 12 日在东京大学本乡校园三四郎池
畔的山上会馆召开,今年的年会分上、下午两场,
上午是“特别演讲会”,主题是《从战争·对立走
向和平:我们应该从历史中汲取什么?》;下午的
研讨会,主题是《21 世纪中国的创新模式与中国
经济的趋势》。
在日华人教授会会员、日中特邀嘉宾、日本的中
国问题研究专家及有关人士,以及来自重庆交通大
学、北京大学的教授学者等近 200 人参加了会议,
各位有识之士就中国经济的发展方向、日中关系等
发表高见并展开热烈讨论。
记者看到,山上会馆二楼大会议厅座无虚席,稍
后赶来的人只能站着旁听,十余家日本及在日华文
媒体的记者采访了本次年会。
争与外交——1930 年代的日中关系”做了专题分
析。
与上午的历史与政治主题有所不同,下午的国际
研讨会集中为“中国经济”这一论题。
在日本华人教授会代表李春利致开幕词后,中国
驻日本大使馆参赞沈建国,代表程永华大使做了精
彩的致辞,他指出,中日关系是特别的两国关系,
肯定中日邦交正常化以来的两国和平发展的历史,
进一步加深和扩大两国人民间的交流非常重要。沈
建国参赞介绍说:在日本居住有 80 万华侨华人,
同时也有 10 万以上的日本人居住在中国,再加上
去年造访日本的中国人达到 240 万人次,今年的人
数还会增加。他表示:在中日之间存在着历史认识、
东海等问题,因此更需要通过努力来减少不利因
素,增加有利因素,追求两国的共同利益。
日中友好议员联盟事务局长、前农林水产大臣林
芳正,也应邀参会,他就日中关系的发展和强化人
材交流的必要性为研讨会致辞,林芳正明确指出,
今天的日中关系应该是位于亚太地区的成年大国
关系,他为此呼吁,为了让其它各国感到安心,处
于领导地位的日中两国应负担起自己的责任。
专家聚焦:创新模式与产业升级
在特邀嘉宾致辞后,研讨会首先在华人教授会
员、埼玉工业大学副校长巨东英主持下,由东京大
学原校长、日本学术会议前议长吉川弘之教授,以
《基础研究与创新》为题做了精彩的基调讲演,堪
称日本学术界泰斗和重镇吉川弘之教授,对日本及
发达国家的创新体系及面临的问题,进行了系统而
全面的阐述,并谈及日本的基础研究与科技创新的
内在关系,以及科技立国的蕴奥之所在。
接下来经济分科会,则聚焦了中国创新模式和产
业升级所面临的困境问题。东京大学丸川知雄教
授、北京大学周建波教授,分别作为中日双方学界
代表,做了主题演讲,丸川知雄教授的演讲主题是
《中国的大众资本主义与草根创新》,他对中国的
“草根式创新模式”与他原创的“大众资本主
中国参赞:追求两国的共同利益
上午的“战后 70 周年特别讲演会”,特邀请中
日顶尖学者深度解读了中日关系,日本学者就“加
害者责任”,中国学者就日本对外战争的文化渊源
为主题,做了精彩演讲。中国武汉大学教授冯天瑜
做了“日本对外战争的文化渊源”的演讲;日本中
央大学名誉教授、“抚顺奇迹继承会”代表姬田光
义,通过介绍“中国归还者联络会”的信念、活动
及其后继运动,全面阐述了“侵略、殖民地化,与
加害者的责任”;早稻田大学教授刘杰,就“战
32
東アジア論壇/第 12 号/2016
充满激情。
李教授还告诉记者:尽管登台发言人超过了 20
名,但在各位的积极配合下,研讨会按计划准时圆
满结束,我们在秋色怡人的东大校园里留下了美好
的回味。
(本文照片均为记者朱耀忠摄)
义”的概念及其内涵,尤其对中国总理李克強在今
年“两会”中所作的《政府工作报告》中提出的
“大众创新,万众创业”等问题,做了深入的评
判与通俗易懂的解读;周建波教授的演讲题目是
《基于经济史视角的中国制造 业的升级换代考
察》
。
两位演讲结束后,3 名在日华人教授做了富于挑
战性的讲评,他们分别是:中国经济经营学会会长、
同志社大学严善平教授,富士通总研金坚敏主席研
究员和富山大学马骏教授。
在经济分科会之后进行了科技分科会,重庆交通
大学副校长、博士生导师易志坚教授,就创新型人
才培养路径及其问题做了主题报告,他的报告题目
是《21 世纪理工科教育的新课题:创新能力培养
的路径及面向“互联网+”的新挑战与对策》。在易
志坚教授报告之后,在会津大学程子学副理事长的
主持下,来自早稻田大学的金群教授、东北大学的
陈迎教授、东京大学的陈昱副教授,以及巨东英副
校长,就理工科创新人才培养问题展开了热烈讨
论。
下午的研讨会最后,在拓殖大学朱炎教授的主持
下,亚洲共同体学会会长、筑波大学进藤荣一名誉
教授就 TPP 对亚洲经济的影响做了讲评,东洋学园
大学朱建荣教授对年会做了全面总结与讲评。
教授会代表:成果丰硕 留下回味
在完成了一天的活动之后,日本华人教授会代
表、爱知大学教授李春利先生接受了记者的采访,
他高兴地说:感谢各位朋友的鼎力支持,在中日双
方合作伙伴和各方朋友们的大力支持下,今天的年
会非常成功,会场座无虚席,参会人超员 30%。
各分科会的主持人和讨论人,基本上都是我们日本
华人教授会的会员,他们来自日本各地,今天汇聚
在东大美丽的三四郎池畔,共议中国的创新困境以
及如何突破产业升级的瓶颈问题。上午的特别讲演
会和下午的国际研讨会,都紧扣主题,讨论热烈,
33
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆学術活動
中国・ASEAN の経済発展と
「東アジアトライアングル」の新基軸
―国際アジア共同体学会国際シンポジウムー
福井県立大学教授
はじめに
現在のアジアに関しては、「生産するアジ
ア」、
「消費するアジア」
、
「老いてゆくアジア」、
「疲弊するアジア」など、多様な側面から議
論されているが、本稿は東アジアを「新興ア
ジア」或いは「分業するアジア」として捉え、
中国、ASEAN などの新興経済の台頭により、
この地域の国際分業関係がどのように変化
しているかを明らかにしたい。
EU や NAFTA と比べ、東アジア国際分業は
各国の比較優位に基づいて形成された国際
生産ネットワークである。このような国際生
産ネットワークの中で、各国の異なる経済発
展段階を利用して、生産要素集約度の異なる
生産工程を最適地に分散することにより、地
域全体の労働生産性が向上し、東アジアは世
界で最も効率の高い産業集積地域となって
いる。
従来の東アジア国際分業は先進国として
の日本およびアジア新興工業経済地域
(NIES)としての韓国、台湾、香港、シンガ
ポールに主導されていたが、2000 年以降、
中国、ASEAN などの新興経済は、その経済発
展により、比較優位も変化し、東アジア国際
生産ネットワークの構造変化を引き起こし
ている。
ちなみに本稿は、東アジアにおける部品貿
易を中心に、経済産業研究所(RIETI)のデ
ータベース、
「RIETI-TID2014」を用いて、マ
ーケットシェアと貿易特化係数という二つ
の指標に基づいて、2000 年以降、中国や
ASEAN などの新興経済の台頭に伴う東アジア
国際生産ネットワークの構造変化を考察し
たい。
1.東アジアトライアングルの形成
東アジアの産業内国際分業を反映して、部
34
唱新
品貿易は東アジア域内貿易において非常に
高いシェアを占めているが、従来の東アジア
国際生産ネットワークでは日本、韓国、台湾
から部品を輸出し、中国や ASEAN で組立生産
を行って、その製品を欧米に輸出する、いわ
ゆる「アジア太平洋トライアングル」を特徴
としていた。しかし、2000 年以降、中国と
ASEAN の経済成長にともなう比較優位の変化
により、国際生産ネットワークも大きく変貌
し、「東アジアトライアングル」も急浮上し
てきた。1980 年から 2014 年にかけて、東ア
ジアの部品貿易における国別の構造変化は
その変貌を端的に反映している。
図 1 のとおり、東アジア国際生産ネットワ
ークの拡大を反映して、域内向けの部品輸出
は 1980 年の 56.8 億ドルから 2014 年の
7,397.7 億ドルへと、24 年間で 130 倍増加し
た。その国・地域別の輸出構造についてみる
と、1980 年の時点では日本は 67.1%という
圧倒的なシェアを占めていたが、その後、日
系部品メーカーの現地生産にともなって、日
本のシェアが低下し続けて、2000 年には
東アジア論壇/第 12 号/2016
ASEAN(31.6%)に、2011 年には中国(22.1%)
に、2014 年には韓国(16.6%)に抜かれて、
16.2%となった。一方、ASEAN のシェアは
2000 年をピークとして、それ以降、横ばい
を続けていたが、中国のシェアは 1980 年の
2.4%から 2014 年の 24.7%へと急上昇した。
その上、中国と ASEAN の輸出シェアは合計で
51.7%となり、むしろ、中国と ASEAN などの
新興国・地域はアジア最大の部品サプライヤ
ーとなって、中国と ASEAN を基軸とする「東
アジアトライアングル」が形成されるように
なったといえよう。
に、2010 年には中国に、2011 年には韓国に
抜かれて、2013 年のマーケットシェアは
13.6%に低下した。こうした中で、中国のマ
ー ケ ッ ト シ ェ ア は 同 期 間 の 1.6 % か ら
22.3%に上昇し、東アジアでのシェア拡大が
顕著であり、中国と ASEAN の合計は 51.5%
となり、東アジア最大の部品サプライヤーと
なっている。
2.東アジア各国・地域の比較優位構造の
変化
国際経済学では常にマーケットシェアと
貿易特化係数という二つの側面から各国の
比較優位構造を評価するが、以下、この二つ
の側面から主要産業における各国・地域の比
較優位構造の変化を考察したい。
東アジア国際生産ネットワークは基本的に
電気機械、一般機械、輸送機械などのアセン
ブリ産業に集中している1。この三大産業の
域内向け部品輸出は地域全体の 95.7%を占
めている。その中で、各国・地域の比較優位
構造の変化は以下のとおりである。
(1)電気機械産業
東アジアの電気機械産業の発展は 1960 年代
に日本から始まり、1980 年代にアジア NIES
に、1990 年後半に ASEAN 先発 6 ヵ国、中国
に、2010 年以降にベトナムに広がっており、
キャッチ・アップ型工業化の代表産業である。
その域内向けの部品輸出額についてみると、
1980 年の 29 億ドルから 2013 年の 5,208 億
ドルへと、23 年間で約 180 倍増加し、年平
均成長率が 25.3%に達する高成長産業であ
る2。
この電気機械産業にお ける域内向けの
国・地域別の輸出シェアは図 2 のとおりであ
るが、1980 年代には日本は 50%以上のシェ
アを持ち、ピークの 1985 年には 54.5%に達
した。しかし、その後、2000 年には ASEAN
1 その詳細に関しては、唱
3
貿易特化係数は(輸出-輸入)/(輸出+輸入)という式で計
算されているが、その意味は 1 に近付く程、国際競争力が強
く、-1 に近付く程、国際競争力が弱く、0 に近付くほど、産
業内国際分業が発達するということである。
新「アジア新興経済と国際生産
ネットワークの変貌」(福井県立大学『経済経営研究』第 35
号所収)を参照されたい。
2
また、貿易特化係数についてみると、図 3
のとおり、1980 年には日本は圧倒的な競争
優位を持っており、ピークとなった 1985 年
には 0.81 に達した。しかし、それ以降、日
本以外の国での生産拡大や日本の電気機械
部品の輸入増加にともなって、日本の貿易特
化係数は低下しつづけ、2013 年には韓国に
抜かれた。また、ASEAN と中国の貿易特化係
数についてみると、そのいずれも 0 に近いの
で、産業内国際分業が発達しているといえる
が、ASEAN では 2000 年以降、マイナスから
プラスに転じたので、国際競争上の優位を持
つようになるといえよう。これに対し、中国
は依然として、マイナスの状態が続いている
ので、比較劣位の段階にあるといわざるを得
ない3 。即ち、中国はアジア最大の電気機械
部品のサプライヤーであるものの、半導体を
中心とする高度な電子部品は外国からの輸
入に依存しているアジア最大の輸入国でも
あるため、電機機械部品産業では比較優位を
同上。
35
東アジア論壇/第 12 号/2016
持っているわけではない4 。このような貿易
特化係数からみた国際競争力の格差は域内
各国の産業内垂直的国際分業構造を反映し
て、電気機械部品産業では、産業発展の雁行
型形態が存在すると考えられる。
る。
(資料:図1に同じ)
また、貿易特化係数についてみると、図 5
のとおり、1990 年の時点では中国、韓国、
ASEAN のいずれも、マイナスであり、比較優
位を持たなかったのに対し、日本は 0.73 と
いう非常に強い国際競争力を持っていたが、
それ以降、低下し続けてきた。一方、中国と
韓国の貿易特化係数が上昇し、2013 年には
日本は 0.39 で、第1位ではあるが、中国は
0.25 に、韓国は 0.13 に上昇し、日本に迫っ
ている。このことは一般機械部品産業におい
て、中国は単にシェアが拡大しているだけで
なく、国際競争力も強まりつつあり、先発国
としての日本に急速に追いかけていること
を物語っている。
(2)一般機械産業
産業の性質から見て、一般機械産業は資
本・技術集約型産業に属し、そのコア技術は
部品産業にあるとされている。一般機械産業
における域内向けの部品輸出額は図 4 のと
おり、1980 年の 15 億ドルから 2013 年の
1,217 億ドルへと 33 年間で 80 倍増を果たし、
国際生産ネットワークが割合に発達してい
る産業だといえよう。しかし、近年、各国に
おける部品の現地生産拡大にともなって、東
アジアの部品輸出に占める比率も 1980 年の
26.3%から、1990 年の 24.8%、2000 年の
22.8%、2010 年の 18.8%、2014 年の 16.4%
に低下し続けてきたが5、各国・地域におけ
る比較優位構造の変化が激しいことを表し
ている。
まず、各国・地域のシェアについてみると、
図 4 のとおり、1980 年代には日本は 83.4%
という圧倒的なシェアを占めていたのに対
し、1990 年には 52.9%、2000 年には 28.6%、
2013 年には 25.1%へと、大幅に落ち込んだ。
ASEAN のシェアも 2000 年の 34.4%をピーク
に、2013 年には 22.4%低下した。これに対
し、中国のシェアは 1980 年の 3.8%から 2013
年の 35.2%へと上昇し、日本を抜いて、東
アジア最大の部品サプライヤーとなってい
(3)輸送機械
東アジアでは、輸送機械産業は生産の国際
化が急速に進んでいる分野はあり、その輸出
規模も急拡大しているが、各国での部品現地
調達の進展にともなって、域内向け部品輸出
4
中国の電気機械産業の国際競争力に関しては、唱新〔2011〕
を参照されたい。
5
注1に同じ。
36
東アジア論壇/第 12 号/2016
総額に占めるシェアが低下し、2013 年には
輸出額は 403.8 億ドルで、域内向け輸出総額
に占める比率は 5.3%に過ぎない。
各国・地域のシェアは図 6 のとおり、日本
は 1980 年の 87.0%から 2013 年の 43.2%に
低下したにもかかわらず、依然として、第1
位のシェアを維持している。また、貿易特化
係数についてみると、図 7 のとおり、日本の
貿易特化係数が低下しているものの、2013
年には 0.51 という割合に強い国際競争力を
持っている。しかし、国別の比較優位の構造
変化としては韓国の貿易特化係数は 0.40 と
なり、日本に追いかけているが、マーケット
シェアと貿易特化係数の両方から見て、日本
は輸送機械産業では依然として顕著な比較
優位を有しているといえよう。
生産規模の拡大にともなって、その後方関連
効果として、生産は資本集約的部品・中間財
の生産にシフトするという傾向が見られて
いる。
東アジアでは日本、アジア NIES を先進経
済とし、中国、ASEAN を新興経済とすれば、
従来の東アジア国際生産ネットワークでは、
先進経済から部品と資本財を供給して、新興
経済で最終財に加工・組立をして、欧米に輸
出する。これはいわゆる「アジア太平洋トラ
イアングル」といわれていた。
しかし、2000 年以降、中国や ASEAN など
の新興経済の発展にともなって、それらの
国・地域は単なる「世界の工場」ではなく、
巨大な「世界の市場」となっていた。それに
より、東アジアでは欧米への輸出依存度が急
速に低下すると共に、域内、とくに中国への
輸出依存度が高まってきた。このことは「ア
ジア太平洋トライアングル」から「東アジア
トライアングル」へとシフトする新しい時代
の到来を示している。将来、インドの経済発
展にともなって、この「東アジアトライアン
グル」はさらにインドまでに広がっていくで
あろう(図 8)
。
また、以上の考察でわかるように、中国と
ASEAN の部品輸出は東アジア全体の 50%以
上となり、東アジア部品サプライチェーンの
ハブとなっている。その中で、各国・地域の
比較優位構造についてみると、電気機械、一
般機械、輸送機械など、部品貿易の三大産業
の中で、ASEAN は電気機械部品産業で、中国
は一般機械部品産業で、日本は輸送機械部品
産業で、それぞれのハブとなっており、東ア
ジア国際生産ネットワークにおいて、中国、
ASEAN、日本の「三足鼎立」の構造が形成さ
れている。
部品の生産と供給をトライアングルを支
える基軸だとすれば、従来の「アジアトライ
アングル」を支えていたのは日本、アジア
NIES などの先進経済であったが、現在の部
品貿易における各国・地域の市場シェアと貿
易特化係数からみて、この「東アジアトライ
アングル」を支えているのは紛れもなく、中
国と ASEAN となっている。このことは中国と
ASEAN の東アジアにおける経済的パワーを強
めており、最近、ASEAN をハブとする RCEP
の提起及び AIIB の設立、
「一帯一路」という
3.東アジアトライアングルの新基軸
生産要素集約度からみて、一般的には最終
財を生産している組立産業は労働集約度が
高く、中間財としての部品産業は資本・技術
集約度が高いとされている。東アジア後発国
の工業化プロセスについてみれば、基本的に
は労働集約的組立生産からスタートし、その
37
東アジア論壇/第 12 号/2016
中国独自の地域ビジョンの提起などはその
経済力の増大にともなって、新たな国際経済
秩序への模索を反映するといえよう。
将来、東アジア経済成長のダイナミズムは
インド、バングラデシュなどの南アジアに広
がっていくならば、
「アジアトライアングル」
の形成も見込まれており、この「アジアトラ
イアングル」はアジアの経済成長を促進する
原動力となり、中国と ASEAN はそれを支える
新基軸となるであろう。
図8東アジアトライアングル
中国
インド
ASEAN
***************************************************************
38
日本
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆学術活動
戦争・対立から平和へ
戦後 70 年記念国際学術シンポジウム
千葉商科大学教授
2015 年 11 月 21 日、日本華人教授会議主
催、中国社会科学院近代史研究所『抗日戦争
研究』編集部と台湾中央研究院近代史研究所
蒋介石研究群協賛のもと「戦後 70 周年記念
国際シンポジウム」が開催された。 「戦争・
対立から平和へー歴史研究の現場からのメ
ッセージー」をテーマとし、千葉商科大学(千
葉県市川市)国際会議場において行われた。
千葉商科大学、法政大学、駿河台大学、大東
文化大学、岡山大学、横浜国立大学、福井県
立大学、武蔵美術大学、早稲田大学、信州大
学、日本中央大学など日本各地の大学や研究
機関の研究者、さらには北京大学、南京師範
大学、中国社会科学院近代史研究所、台湾中
央研究院近代史研究所、華東師範大学などの
中国大陸、台湾の研究者、また歴史愛好者及
びマスコミの関係者など 70 余名が参加した。
開会式において、日本華人教授会議代表、
愛知大学李春利教授はまず、開会の辞を述べ
た。李代表は、日本華人教授会議の近年来の
活動を紹介した上で、今回の国際シンポジウ
ムは先日 10 月 12 日東京大学山上会館で行わ
れた特別講演会と同様に、いずれも日本華人
教授会議が戦後 70 周という重要な節目に当
る年に企画した学術活動の重要な一環であ
ることを説明した。千葉商科大学島田晴雄学
長は海外出張のため日本にいなかったが、今
回の国際シンポジウムにビデオメッセージ
で参加した。
39
趙軍
島田学長は、今回のシンポジウムの主旨を
高く評価し、健全的・平和的な日中関係の構
築は、目下と将来にわたる日本外交の最も重
要な課題の一つであると強調した。
開会式の後半では、笠原十九司都留文科大
学名誉教授が「戦後 70 年にして問う海軍の
日中戦争責任」をテーマとして、基調報告を
行い、これまで学会にあまり重要視されてい
なかった旧日本海軍の日中戦争における戦
争責任問題を提起し、その実態を検討した。
その後のシンポジウムは、第一部から第三
部まで、15 名の研究者が「歴史研究の現場
から見た戦争と平和」
「“抗戦”時代の中国経
済と外交・辺疆問題」「歴史研究と“歴史認
識問題”:戦争をどう乗り越えるべきか」と
いう三つのテーマに分かれて、多角的、多方
面から日中戦争及び第二次世界大戦の史実、
資料そして研究現状とその問題点などをめ
ぐって、活発な研究発表と建設的な議論を繰
り広げた。
第四部のパネルディスカッションでは歴
史研究と現実社会の結びつけに重点を置き、
「新しい時代の日中関係の構築に向けて」を
メイン・テーマとした。パネリストの天児慧
(早稲田大学教授、現代中国研究所所長)、
高士華(中国社会科学院近代史研究所研究
員)、久保亨(信州大学教授)、姫田光義(中
央大学名誉教授)、王智新(本会会員、星槎
東アジア論壇/第 12 号/2016
大学兼職教授、早稲田大学教師教育研究所招
聘研究員、華東師範大学中日職業教育研究セ
ンター副主任)など 5 名の研究者は、歴史問
題を背景とした現段階の日中関係の諸問題
及び今後の展望をめぐって、それぞれの見解
を披露し、鋭い問題提起も行った。
天児慧教授は、現代の日中関係はある程度
の改善が実現されたが、まだ楽観的に見るこ
とができず、実力面での対力比関係が大きく
変わってしまった現在、互いの長所と短所を
見極め、互いの協力していくことが今後の日
中関係にとって最も重要なことではないか
と指摘した。久保亨教授は、戦後 70 年関連
の安倍談話は内容の面において隣国の反応
を配慮した形を取ったが、日露戦争のアジア
に対する影響や対中国戦争の中国民衆に対
する危害などに触れておらず、やはり多くの
問題を残している。歴史研究者として、これ
らの問題の解釈を政治家に任せることはで
きない。また、大学入試の際、世界史を選ぶ
受験生がますます減っており、青少年に対す
る歴史教育も強化しなければならない仕事
であるなどと述べた。
シンポジウムの主要招集者の一人である
本会会員、趙軍千葉商科大学教授は閉会式に
総括発言を行った際、今回の国際シンポジウ
ムは日中戦争史、抗日戦争史の研究において、
新しい進展があったとコメントした。具体的
には、旧日本海軍の戦争責任問題、当時中国
の「解放区」
・
「淪陥区」及び辺疆地区の経済
実情・社会的変化状況、
「偽政権」
・「偽軍」
の存在状況に関する研究、日中双方が欧米諸
国との間の多国間関係、当時の中国とソ連と
の関係など各方面において、新しい資料を運
用して、新しい視点と新しい見解を提起した
学術報告が多数あったことに現れていると
述べた。さらに、日中戦争中における加害者
としての日本側の戦争責任問題や一般日本
人民衆の歴史記憶と歴史認識問題について
も、日本人研究者による新しい研究業績が披
露され、日本でこのような国際シンポジウム
を開催する意義は、まさにこのような学術的
な貢献がなされるところにあると強調した。
今回のシンポジウムに先立ち、日本華人教
授会議は 2015 年 10 月 12 日午前に東京大学
山上会館の大講堂を借りて、
「特別講演会:
戦争・対立から平和へ―歴史から汲み取るべ
40
きものは何か―」を開催した。前半では中央
大学名誉教授姫田光義によつて、「“侵略・
植民地化・加害の責任”をどのように果たす
のか――中国帰還者連絡会の信念と活動、お
よびその継承運動から」をテーマとする講演
が行われ、
「中国帰還者連絡会(中帰連)」と
いう特別な組織の戦争反対運動と日中友好
運動への関わり及び彼等の活動の次世代へ
の受け継ぎの現状が紹介された。
後半では本会会員、早稲田大学劉傑教授が
「戦争と外交――一九三〇年代の日中関係」
をテーマとして講演を行い、知識人、文化人、
大学関係者などの言動を通して、1930 年代
の日中関係の諸方面の実態と特徴を紹介し
た。両講師の講演の後、本会会員、大東文化
大学鹿錫俊教授と同じく会員の桜美林大学
李恩民教授はコメンテーターとして、講演の
内容を高く評価し、一部の問題点などに対し
て質疑を行った。なおこの日の特別講演会の
司会は趙軍教授が務めた。
(敬称略)
『中文導報』と国内マスコミに掲載された
中国語版紹介記事:
日本华人教授会议主办纪念战后 70 周年
国际学术研讨会
2015 年 11 月 21 日,由日本华人教授会议
主办,中国社会科学院近代史研究所《抗日战
争研究》编辑部和台湾中央研究院近代史研究
所蒋介石研究群协办的纪念战后 70 周年国际
学术研讨会“从战争、对立走向和平――来自
历史研究现场的寄言”,在千叶商科大学(千叶
县市川市)国际会议中心隆重召开。来自千叶
商科大学、法政大学、北京大学、骏河台大学、
大东文化大学、南京师范大学、中国社会科学
院近代史研究所、台湾中央研究院近代史研究
所、冈山大学、横滨国立大学、福井县立大学、
東アジア論壇/第 12 号/2016
武藏美术大学、早稻田大学、信州大学、日本
中央大学、华东师范大学等等中国大陆、台湾
和日本各地研究机关的学者以及历史研究者、
学术界、传媒界等 70 余人参加了本次研讨会。
开幕式上,日本华人教授会议代表、爱知大
学教授李春利致开幕辞,祝贺大会开幕,并介
绍了日本华人教授会议近年来的活动,并说明
本次会议同今年 10 月 12 日在东京大学山上会
馆举办的特别讲演会一样,都是日本华人教授
会议为纪念战后 70 周年而举办的学术活动的
重要一环。千叶商科大学岛田晴雄校长当天虽
然在海外考察,也为这次会议送来了视频致辞,
高度评价了此次会议的主题,并认为构建健
康、和平的日中关系,是当前和今后日本外交
的最重要的课题之一。
本次研讨会开幕式上,都留文科大学名誉教
授、著名历史学家笠原十九司做了题为《战后
70 周年之际追问日本海军在日中战争中的责
任》的主题报告。接下来的四场分会,分别讨
论了以下主题:“从历史研究的现场看战争与
和平”;“抗战时期的中国经济与外交、边疆
问题”;“历史研究和历史认识问题:我们应该
如何跨越战争”等。15 位学者在会上以学术
报告的形式,阐述了自己在上述领域和课题方
面的最新研究成果。最后一场公开讨论会以
“如何构建新时代的日中关系”为题,邀请天
儿慧(早稻田大学)、高士华(中国社会科学院
近代史研究所)、久保亨(信州大学)、姬田光
义(中央大学)和王智新(华东师范大学)等五
位学者,就当前和今后中日关系的敏感问题和
重要课题畅所欲言。天儿慧教授认为:当前的
日中关系虽然有所改善,但不容乐观;在力量
对比发生了变化之后的现在,互相认清对方的
长处和短处,相互扶助,是今后最重要的事情。
久保亨教授则指出:安倍谈话虽然在内容上顾
及到了邻国的反应,但是没有涉及到日俄战争
对亚洲的影响、对华战争以及对中国民众的危
害,仍然存在着很多问题。历史学者决不能听
凭政治家来解释这些问题。大学入学考试中选
择世界史的考生越来越少,今后应当加强青少
年之间的交流。
本次会议的主要召集人之一、千叶商科大学
教授赵军最后的闭幕式上做总结发言。他指出:
本次学术研讨会首先在中日战争史、抗日战争
史的研究上取得了新的进展。如日本海军的
战争责任,解放区、沦陷区以及边疆地区在抗
战时期的经济状况、社会变化,关于伪政权、
伪军的研究,关于中日双方同欧美各国之间的
关系以及中国同苏联之间的关系等方面,都有
学者提出了新的材料和新的观点。对于中日战
争加害方日本的战争责任和日本民众的历史
记忆与历史意识问题,本次会议也有几位日本
学者提出了新的研究成果。这也是在日本举办
这样的学术会议的一个重要意义所在。
本次学术会议的有关论文,今后将由《抗日
战争研究》编辑部择选发表。
(于瑶、赵军)
41
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆学術活動
呉建民氏講演会記録
世界的局面から見た東アジアと日中関係
――日中関係を如何にして更に前進させるか――
2015 年 12 月 17 日、
元駐フランス大使呉
建民氏を招いて、日
中科学技術文化セン
ター、日本華人教授
会議、日中関係研究
所三者主催の講演会
を催した。氏は 2016
年 6 月 18 日、武漢
で交通事故に遭い死
去された。本講演記録を掲載することで、氏
への心からの哀悼の意を表したい。講演会は
センター理事長凌星光氏が司会した。
いない。民族矛盾、教派衝突、IS 問題が錯
綜しテロ爆破事件が絶えない。難民問題が発
生し、欧州を悩ませている。根本的原因はど
こにあるかと言えば、アメリカが起こした三
つの戦争にある。即ちイラク戦争、アフガニ
スタン戦争、リビア戦争である。更にシリア
に火が付いた。「小ブッシュ」大統領(任期
2001 年―2009 年)がイラクを攻めるとき私
はフランス大使をしていたが、シラク大統領
は反対していた。イギリスのブレア首相は支
持したが、後に間違った情報を信じたと自己
批判しており、評価できる。「大ブッシュ」
大統領(任期 1989 年–1993 年)は自著の中
で、タカ派のチェニーは三つの悪の枢軸を説
き、小ブッシュを誤らせたと批判している。
IS が発生し、300 万人の難民が欧州に流れる
とは誰も想像していなかった。
二つ目はヨーロッパで三重の危機に直面
している。北のウクライナ問題で、冷戦の陰
影が残っている。南の難民問題ではイスラム
教とキリスト教の文明衝突の様相を呈して
いる。また、欧州内部のメカニズムが危機に
直面し、右翼が台頭している。
三つ目の焦点は東アジアで経済発展が著
しい。日本が高度成長を遂げ、アジア NIES
がそれに続き、更に ASEAN、中国が続き、経
済効率の良い東アジア経済を形成していっ
た。
ここで三つの結論を引き出せる。1)第一
の焦点は動乱によって大資源を浪費した。
2)第二の焦点である欧州は短期的には問題
が解決されない。3)アジアの経済成長は世
界が必要としているものである。
まず、谷口誠氏が日中関係研究所を代表し
て、歓迎の挨拶をし、1)日本は早期に AIIB
に参加すべきだ、2)TPP は AIIB・一帯一路
と結びつけるべきだ、3)日中韓 FTA を早期
に締結すべきだ、と強調した。
その後、呉建民氏は次のような講演を行っ
た。
谷口先生の三つの深い見解に敬服する。今
日は次の三点について話したい。
1
大きな視野に立つこと。
1959 年に大学を卒業し、外交分野に身を
置き、50 年にわたって世界情勢を観察して
きたが、二国間関係を世界的視野で見ること
の重要性を感じる。とりわけグローバル化の
時代においては、局部的問題を全局的問題の
中に位置づけて見るべきだ。今、アジアは問
題が多いと言われるが、世界的に見た場合、
アジアの情勢は決して悪くはない。
現在、世界は三つの焦点が存在する。一つ
は中東・北アフリカの衝突である。2001 年
以来、動乱が始まり今になっても解決されて
2
前途に自信を持つこと。
日中関係は今困難に直面しているが、次の
三つの視点で見るべきだ。1)2000 年の歴
42
東アジア論壇/第 12 号/2016
史の中で、対立は 50 年に過ぎない。2000 年
にわたる友好の歴史は、世界の歴史の中でも
稀なことである。日中間の紆余曲折はひとく
だりに過ぎない。2)世界の視点から見て、
アメリカの発動した三つの戦争の教訓に学
ぶべきだ。戦争は問題の解決にならず、日本
が中国に戦争をしかけた結果も教訓となる。
戦後日本は平和発展を遂げ、日本、中国及び
周辺諸国にメリットをもたらした。
「和すれ
ば相互メリット、戦えば双方に損失」である。
3)2008 年に胡錦濤・福田康夫の両首脳間
で戦略的互恵関係の共同声明を発表した(第
四の政治文書)
。日中両国は平和的発展を唯
一の選択とした。以上の三つの視点を結び付
けて見れば、日中関係は希望の持てるもので
あり、前途に自信を持つべきである。
問1 いま日本は集団的自衛権を認めるよ
うになったが、戦後の日本の経済発展ばかり
でなく、平和の歩みを評価する必要があるの
ではないか。
呉 日本軍国主義の中国にもたらした被害
は甚大なものであるが、軍国主義と日本人民
を区別しており、戦後日本の歩みを周恩来も
習近平も前向きに積極的な評価をしている。
だが、集団的自衛権については敏感なもので
あり懸念している。日本が引き続き平和の道
を歩むことを願っている。
3
大いに促進すること。
二点指摘したい。一つは両国の共通利益は
沢山あり、各分野で大いに協力を促進するこ
とだ。ここ数年、日中関係が緊張し、経済協
力も影響を受けたが、本来、多くの分野で協
力できるものだ。例えば中国のスモッグ問題、
大気汚染問題は日本にとって商機である。こ
の問題解決には膨大な予算を必要とし、中国
ばかりでなくドイツも研究している。経験豊
かな日本も参入すべきだ。今、中国の観光客
が日本を訪れ、日本への理解を深めている。
私の妹が日本を観光した反応は、1)清潔、
2)礼儀正しい、3)効率的、4)真面目、
5)食の安全、というものであった。安全問
題、養老問題など協力できる分野は極めて多
い。
もう一つは相違点をうまく処理することだ。
歴史認識問題、領土問題をどうしたらよいか。
1)先ず、相違点の悪化を防ぐこと。誰もが
一触即発を望んでおらず、相違点を管理コン
トロールすべきだ。2)次に相違点を全面的
に分析し、対話を通して解決することだ。3)
第三に当面解決できない問題は一時的に棚
上げにすることだ。相違点があるからと言っ
て、両国関係の全体に影響を及ぼしてはなら
ない。日中双方は関係改善にマイナスになる
ようなことはしないことだ。
講演の後、質疑応答に入り、呉大使は8人
の質問に答えた。
43
問2 70年前の歴史認識問題、南京問題や
慰安婦問題などが二国間に横たわっている。
安倍政権をどう見るか。
呉 8月 14 日の談話を注目している。いろ
いろ言を尽くしているが、直接な謝罪はなく、
中途半端なものであった。
問 3 東アジア共同体に賛成だが、日本は欧
米志向が強く、余り進んでいない。その実現
には歴史認識問題の解決が不可欠と思うが
どうか。
呉 私は欧州で 15 年間、任についていたが、
独仏は何百年にわたって戦争してきたが、今
は過去のものとなった。偉大なる成果だ。な
ぜ可能となったか。利益共同体を作ったから
である。日中両国は国交正常化後、経済協力
は目覚ましい発展を遂げた。が今、歴史問題
が障害となっている。それは日本が靖国神社
参拝などで挑発したからで、中国が挑発した
ものではない。お互いに相手を刺激しないよ
う注意しなければならない。習近平は人類運
命共同体論を提起している。現在、両国間に
はまだ障害があるが、共通の利益を発展させ
ることによってそれを克服することができ
る。
問4 日本と中国は漢字が通じ、歴史的にも
文化的にも、独仏よりも近い関係にある。に
もかかわらず、どうしてうまくいかないのか。
両国の国民性に合理性がないためか、或いは
政治家のレベルが問題なのか。
呉 時代が英雄を生み出す。アジアは今、数
百年来の勃興期にあり、人類に大きく貢献す
る時代にある。戦後、アジアは五つの成長の
波を経てきた。1)日本、2)四つのドラゴ
東アジア論壇/第 12 号/2016
ン、3)ASEAN、4)中国、5)インドの五つ
の波だ。日中両国は東アジア共同体のために
闘い、協力しなければならない。それが英雄、
偉大な政治家を生み出すであろう。
問 8 高い水準の FTA を目指す TPP について、
タイ、インドネシアなどが加入する意思を示
している。竜永図氏は積極的姿勢を示してい
ると聞くが、中国はどう対応するか。
呉 当初、TPP は矛先を中国に向けていると
いう見方が強かったが、竜永図氏が「高い水
準は中国も目指すべき目標だ」と提案し姿勢
が変わってきた。中国は WTO 加盟によって、
大量の国内法律を改正し、貿易額は 2001 年
の 5000 億ドルから 2014 年には 3 兆ドルに急
増した。これを例にとって、改革と開放は相
互促進の関係にあると説明した。李克強総理
は、ボアオ会議で TPP の成立を歓迎するよう
な発言をしている。TPP と RCEP を対立させ
てはならない。米国は AIIB に参加し、中国
は TPP に参加することが望ましい。米中日が
参加するアジア太平洋 TPP を目指すべきで
ある。
問5 一帯一路を推進するに当たっては、安
定が前提条件となる。中東・北アフリカも一
帯一路に含まれるが、中国は安全問題にどう
取り組むか。IS を撲滅するのか、それとも
建国を許すのか。
呉 一帯一路は宏大な構想で、一代で成し遂
げられるものではない。
「共に協議し、共に
建設し、共に享受する」というものだ。東ア
ジアは経済発展が目覚ましいが、アジア・ヨ
ーロッパの結合地帯は発展が思わしくない。
そこで平和、安定、繁栄を目指してこの構想
が実施される。中東・北アフリカが混乱して
いるのは、均衡が崩れ貧困であるからだ。こ
の構想実施は均衡を回復し、貧困をなくすた
めである。中国の原則は二つで、一つは、テ
ロリズムは人類の敵であり、断固反対するこ
と、二つ目は、紛争問題は武力ではなく、話
し合いによる政治的解決を図るということ
だ。
最後に華人教授会議を代表して、朱建栄元
代表が閉会の挨拶を行い、感謝の意を述べる
と同時に、呉氏の講演の重点を次の三点に要
約した。1)世界的視野に立って、米国が起
こした三つの戦争が均衡を破り、今日の世界
の混乱を招く根本的な原因を作ったという
本質を突いたこと。2)日中関係については
個々の問題ではなく、大局的見地に立って両
国の共通利益を追求すべきだと説いたこと。
3)アジアは数百年ぶりの大発展のチャンス
に恵まれており、巨視的な視点で日中関係、
アジア全体の行方を見るべきだと強調した
こと。
(付記:2009 年 9 月 3 日、日本華人教授会
議と世界平和研究所共同主催で呉建民氏を
団長とする訪日団一行 5 名と座談会を催し
たことがある。)
(文責:一般社団法人日中科学技術
文化センター理事長 凌星光)
問 6 世界的視野で日中関係を見るべきだと
いうが、日本全体の雰囲気は対中国けん制で
ある。この雰囲気が変わらない限り、真の日
中友好関係は望めないと思うがどうか。
呉 今、世界各国のマスメディアに問題があ
る。ナショナリズムを煽っている。確かに日
本に問題があるが、中国も同じである。数日
前の環球時報はよくない社説を載せた。
問 7 今年はもう終わろうとしているが、日
中関係の来年の見通しはどうか。
呉 今年 2015 年は戦後 70 周年という敏感な
年であったが、平穏に切り抜けることができ
た。それは日中双方が日中関係の重要さを意
識していたからであり、関係改善が双方にメ
リットをもたらすと認識していたからだ。こ
の共通認識は来年も変わらないであろう。た
だ、日中双方が関係改善を妨害するようなこ
とをしないよう注意する必要がある。関係改
善の勢いを妨げられないことを条件として、
「慎重な楽観論」を抱いている。
44
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆活動報告
第 11 回「全中国選抜日本語スピーチコンテスト」
成功裏に開催!
ど早かった。
本戦では、華人教授会メンバー3 名が審査委
トがさる7月19日(火)、東京日経ホールにて
員を務めた。中国の若者の考え方や視点を知る
成功裏に開催された。
ための貴重な機会と捉え、多くの日本の方々が
全中国選抜日本語スピーチコンテストは、数
駆けつけてくれた。
ある日本語コンテストの中でも最大規模を誇
優勝したのは、吉林大学の権誠実(23)さん
るスピーチコンテストであり、中国の若者に日
であった。権さんは共通テーマから「日中交流
本語学習の意欲を高め、日本への理解を深めて
から見る文化の多様性」を選び、中国を訪れた
もらおうという日本華人教授会議の提案に、日
東北大学の学生たちと東北の郷土料理などを
本経済新聞社、中国教育国際交流協会が呼応し
楽しんだ体験を語った。「グローバル化の中で
人の行き来が増えるのは、地域文化の多様性を
た形で2006年に第1回スピーチコンテストが行
認識するチャンス」と呼びかけた。
われ、現在では、日本華人教授会議のメインイ
また、今年から来場の聴講者に投票していた
ベントになっている。
だく「会場特別賞」が設けられた。最も印象に
中国では現在、約68万人の大学生が日本語を
残った「スピーチ」に華東政法大学の孫夢影さ
学んでいると言われ、日中の政治・外交関係が
ん、最も印象に残った「質疑応答」に吉林大学
厳しい中でも、その数は増えていると言われる。
の権成実さんが選ばれた。
本スピーチコンテストは、まず中国の8会場で
スピーチコンテストの翌日、選手代表団の皆
予選を行い、各会場の優勝者が2名ずつ、計16
さんは中国大使館を表敬訪問し、また、日本前
名、東京に集まり、本選に挑むという形になっ
首相の福田康夫さんとそのご子息の福田達夫
ている。日本で行われる本選まで勝ち進んだ選
日本衆議院議員を訪ね、激励の言葉を受けた。
東京での日程終了後、代表団は、古都京都を
手は、1週間ほど日本に滞在し、実際の日本を
訪問し、八日間の、全日程を終え帰国した。
自分の目で確かめることができる。
第 11 回全中国選抜日本語スピーチコンテス
第 11 回の全中国選抜日本語スピーチコンテ
トは、協賛各社、関係者の皆様のご支援、ご協
ストに関しては、まず 2016 年 1 月 18〜19 日の
力のもと、成功裏に終了した。2017 年の大会
両日、広州外国語外国貿易大学にて準備委員会
が開催され、日本華人教授会議より担当幹事、 に向けて、華人教授会議は、さらなる改善を図
唐亜明氏が会議に出席した。準備委員会の席上、 って日中両国の関係発展に貢献するよう、決意
を新たにするところである。
今回のスピーチのテーマを「日中交流から見る
(文責:関西大学教授 沈国威)
文化の多様性」「環境改善策・私のイチ押し」
と決定した。
2016 年のスピーチコンテストは、5 月 14 日
の東北、華中、西北ブロック一斉スタートを皮
切りに、全国の 8 会場にて順次行われ、6 月 4
日、全ブロックの予選が終了した。第 11 回の
スピーチコンテストには延べ 9682 名の大学生
が参加した。そのうち、16 名の選手が予選を
勝ち抜き、東京での本戦に臨むことになった。
なお、今年度の予選終了は、例年より 10 日ほ
第11回全中国選抜日本語スピーチコンテス
45
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆活動報告
日中青年友好交流訪中団の派遣
2015 年 11 月下旬、華人教授会議は中国大使
館から年度内に日本の大学生を中心に訪中団
を組織できないかという相談を受けた。華人教
授会議だけでは、このような緊急任務は担えな
いため、早速、日中科学技術文化センターに連
絡し、共同でこの任務を達成することとなった。
巨東英教授が総団長、凌星光教授を顧問とす
る組織が形成され、センタースタッフの協力の
下、総動員で準備態勢に取り組んだ。まずテー
マを「等身大の中国を見る」と決め、訪中期間
を 12 月 23 日から 29 日と定めた。江蘇省、浙
江省、福建省の三コース、各コース約 30 名と
した。中国国内の受け入れ態勢を整えると共に、
華人教授会議メンバーを推薦者として参加者
を募った。12 月 4 日に募集案内を出し、申込
期限は 12 月 12 日とした。応募期間は僅か一
週間である。年末で忙しい中、華人教授会議メ
ンバーは緊張感をもって対応し、周りの日本人
大学生に積極的に働きかけた。その結果、短期
間で多くの応募者が集まり、140 名でストップ
をかけることとなった。
12 月 20 日、学士会館で説明会兼壮行会を開
き、大使館の公使参事官薛剣氏が励ましのスピ
ーチを行った。
Aコース江蘇省、Bコース浙江省、Cコース
福建省は、それぞれ分団長、副分団長が統帥し
た。各コースは何れも問題なく無事に、友好交
流の旅を全うした。
ここで特記すべきは、巨東英教授が総団長と
46
して傑出した総指揮ぶりを発揮したことであ
る。また華人教授会議のメンバーでもある上海
交通大学教授季衛東氏が献身的に協力してく
れ,すべての団の接待に応じてスピーチし、日
本人大学生に深い感銘を与えたことである。
1 月 22 日、各コースの代表約 50 名が中国大
使館に赴き、今回の訪中成果報告を行った。劉
少賓公使と薛剣公使参事官が参加され、今回の
訪中成果を高く評価して下さった。
参加者のアンケートには次のような感想が
語られた。
A団では「中国に対する印象が 180 度変わ
った。中国のことがもっと好きになった」、
「旅
行か留学でまた中国へ行きたい。もっと中国を
知りたくなった」、
「この旅でできた中国人の友
達と連絡を保ち、また中国で会いたい」、
「少数
民族の文化に触れて、中国が多民族国家である
ことにすごく感銘した」
。
B団では、「中国人は反日感情を持ち、日本
人を目の敵にしていると思っていたが、みんな
親切だったので嬉しかった。中国人に対する印
象が変わったし、イメージで決めつけてはいけ
ないと思った」、
「大気汚染はひどいと感じたが、
日本をはじめ世界各国が生産ラインを中国に
設けているのだから、解決には世界的な協力が
必要だ、日本も経験を共有すべきだ」など建設
的な意見も聞かれた。
C団では、「中国経済発展のバイタリティー
を目にした」、
「歴史文化の深さを体験した、と
りわけ「張芸謀氏の『印象シリーズ』第五作目
『印象大紅袍』のチャレンジ精神に圧倒され
た」、
「中国の多様性、多民族国家への理解が深
まった」などの声が多かった。他方、「表はき
れいだがちょっと裏側に回ると汚い、身体障碍
者の物乞いもあり、やはりまだ発展途上国だ」
という率直な見方も示された。なお、2016 年
2 月 2 日には、中国をもっと理解するための有
志参加の学習会が催された。
(文責:一般社団法人日中科学技術
文化センター理事長 凌星光)
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆活動報告
等身大の中国を見て
——
青年訪中 C 団と共に ——
人はなぜ旅に出かけたくなるのでしょう
か。
一般的にいえば、固定したところに長く住
み込むと新鮮感がなくなり、人間の脳が疲労
気味になってしまい、情熱と活力が失われる
からである。自分が住み慣れた町以外のとこ
ろに旅をすると、期待が高まり、新鮮感が溢
れ、脳に有益な刺激を与え、疲れ果てた脳を
活性化させる。好奇心を持ち、自分の目で見
て、耳で聴き、心で感じれば、今まで見えな
かったことが見えるようになり、聞いたこと
のないことが聞こえてくるし、感じなかった
ことを深く感じるようになる。心身ともにリ
フレッシュされ、新しい世界が開けるように
なる。
日本華人教授会、一般社団法人日中科学技
術文化センターが主催、日本在駐の中華人民
共和国日本駐在大使館後援の 2015 年度日中
青年友好交流訪中団が、年末に組織され中国
に旅立った。12 月 23 日から 29 日まで、緊
張感に満ちた一週間を体験した。私は日中青
年友好交流訪中団の C 団の団長として、日本
の若者と一緒に、厦門、福州、武夷山、上海
を訪問した。
さいという依頼が届いた。期限が迫っていた
ため、明治大学、中央大学、拓殖大学などで
自分の教え子にこの情報を伝えた。嬉しいこ
とにそれぞれの大学が一名ずつ C 団のメン
バーに選ばれた。今回の日中青年友好交流訪
中団は A 団、B 団と C 団という三つの分団に
分けられ、A 団と B 団は長江三角州一帯訪問
し、C 団は福建省という南国のコースを回っ
た。
C 団は、まず厦門で二日間、南普陀寺、厦
門大学、魯迅博物館、鼓浪屿、日光岩を見学
し、鄭成功の石像を眺めた。有名な仏教文化、
現代的大学、綺麗な小島、名勝古跡などを目
にし、紅い三角梅に包まれた美しい風景に魅
了され、町の発展の物語に心を打たれながら、
美味しい中華料理を味わった。
続いて、三日目は福州へ移動した。長いバ
ス乗りの中、窓外の風景を鑑賞しながら、各
自が年末訪中団の抱負と厦門訪問の印象を
語り合った。また三日間で短い期間だったが、
ありのままの中国を自分の目でみて、日中友
好交流のために貢献しなくては、という共通
の目標をもつようになった。
福州市で木の根を彫る「根彫」の会社創之
源を見学し、すべてが世界唯一の作品に目を
見張り、職人さんの想像力と創造力に感服さ
せられた。福州大学機械学院で、教員と学生
の研究成果の展示館でロボット鯉を興味津
津に見学した。長崎大学へ留学し、そこでの
9 年間の勤務経験を持つ陳硕教授の話を聞き、
学生諸君との意見交換が行われた。福大の新
しいキャンパスは極めて広く、新しい図書館
などが斬新なデザインでつくられ強い印象
が残された。夕方、中国の歴史上有名人が住
んだことのある伝統な町三坊九巷を訪ね、文
化の奥深さを深く感じた。
その翌日、憧れの武夷山へ移動した。青空
の下で聳え立つ大王峰を見ながら、天下第一
2015 年 12 月中旬ごろ、華人教授会事務局
長宋立水教授から、
「日中青年友好交流訪中
団」の募集があり、学生さんを推薦してくだ
47
東アジア論壇/第 12 号/2016
清流という九曲渓流をくだり、
「舟在水上行、
如在画中游」を楽しんだ。
ユーモアに富み、独自の視点での感想と感激
をバス移動中や空港での総括の中で語り合
い共有した。旅先での新鮮な感覚で書いた感
想文や作品を活字化にし、さらに多くの方々
に伝えたい。これは大変有意義なことで、一
冊の文集が出ることを楽しみにしている。
日中関係は政治面ではまだ難題があるが、
C 団の若い諸君は年末に中国で人々の暖かい
気持ちを感じとった。中国の個々の人々の優
しさに感動し感激していた。また、両国には
それぞれの優れた文化を学び合うところが
多いと感じた。多くのメンバーは「現代の遣
唐使」という自覚を持ち、日中関係の懸け橋
になりたいという目標を持つようになった。
その後お茶を販売する茶農の家で「大紅
C 団諸君が書いた年末中国への旅の感想の文
袍」を試飲し、夕方「印象シリーズ武夷山」
集が、日中関係をいい方向へ向かわせるため
というスケールの大きい劇を鑑賞した。翌日、 に、一石を投じることになるよう心から願っ
武夷山の天遊峰へ向かい、訪中団総顧問の凌
ている。
星光先生は先頭に立った。頂上まで登り絶景
最後に下記の「顺口溜」をまとめ、C 団の年
を眺望した後、烏龍茶の栽培地を見学、岩茶
末訪中を記念する。
「大紅袍」の古樹を観賞した。その後、武夷
記
山北駅から中国の新幹線−−−−高鉄に乗り上
[访福州]
[访厦门]
海へ移動した。
福州根雕创之源,
C 团年末访中国,
6日目、上海交通大学を訪問し、日中交流
巧夺天工意趣添,
厦大比邻南普陀,
のために活躍する留日学者季衛東法学部教
三坊九巷忆名人,
鼓浪屿上日光岩,
授の素晴らしい講演を聞き、その後ノーベル
福大引领搞科研。
追忆郑公伟业卓。
賞受賞者の李政道博物館を見学した。李教授
は米国の大学へ留学する優秀な人材を推薦
したが、数多くの推薦書が展示されたコーナ
ーで深く感激した。人材育成のために、尽力
した教授の優れた人格に敬服し感動された。
旅先で多くの新鮮なことに刺激された。綺
麗な風景、悠久の歴史、奥底深い文化、美味
しい料理、そして人々の優しさに対し、いろ
いろな感動と感激が生まれた。そしてより重
要なことは、感動と感激が共有することであ
る。我々C 団はメンバーの自治を実施した。
中央大学大学院の辻君が総長になり、明治大
学の堀君と拓殖大学の丸井君は副総長にし
た。さらにその下に数チームに分け、各チー
ムは、それぞれチームリーダーを選出し学習、
総務、安全などの担当者を決め、役割分担を
明確にした。短い時間で立派な組織作りがで
きた。メンバー諸君は各自の専攻があり、多
彩の才能をもつ人材が揃っていた。こうした
人達によって構成された C 団は、組織能力が
高く、感性が豊かで観察力も鋭かった。話が
48
[访武夷山]
慕名胜地武夷山,
溪流如画九曲湾,
乌龙茶乡大红袍,
天游峰顶赏奇观。
[访上海]
交大育才有气魄,
政道功绩不可没,
日中交流促双赢,
留日学者为楷模。
(文責:明治大学教授
郝燕書)
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆活動報告
第 10 回帰国訪問団の報告
2016 年 8 月 24 日から 30 日、日本華人教授
会議の帰国訪問団一行十数人は中国の北京市
と新疆自治区を訪問した。
帰国訪問は十年前から始まった。一回目は
2007 年、北京を訪問した。その後、北京のほ
か、中国の一地方も訪問することが慣例となっ
た。いままで、以下の地方を訪問した。2008
年の二回目は湖南省、2009 年の三回目は貴州
省、2010 年の四回目はチベット自治区、2011
年の五回目は雲南省、2012 年の六回目は吉林
省、2013 年の 7 回目は甘粛省、2014 年の 8
回目は黒竜江省、2015 年の九回目は内モンゴ
ル自治区の呼倫貝爾(フルンボイル)市である。
いずれの訪問もテーマを予め決めて、北京で
政府機関や研究機関と交流し、地方では当該地
域の経済発展、文化と歴史、教育、観光などを
視察する。今回の訪問は「一帯一路」の進展を
視察することをメインテーマとした。
めている権威者で、仲裁案の越権行為、不公平
な判決、そしてその無効を指摘し、中国が主張
する「九段線(断続線)」に関する問題につい
ても意見を述べた。王教授はフィリピンが提出
した仲裁案は、実質、米中間のパワーゲームで
あるとの認識を示した。
夕方には、国務院華僑事務弁公室(国僑弁)
の裘援平主任が訪問団と会見した。裘主任はま
ず、訪問団一行に華人・華僑政策に関する意見
を聞いた。その後、国僑弁が現在進めている重
要な事業として、①海外の華僑華人の権益の保
護、②海外の華人社会と華人団体の建設、③中
国語教育の推進、などを紹介した。夜には、国
僑弁が訪問団を歓迎する晩餐会を催して下さ
った。
ウルムチでの訪問活動
北京での交流活動を終え、8 月 25 日、訪問
団は空路にて新疆自治区の区都であるウルム
チに向かった。国内便ではあるが、4 時間以上
もかかった。
当日午後、新疆自治区の外事・僑務弁公室は
訪問団のため座談会を開いた。参加者は外僑弁
副主任劉俊、対外開放領導小組弁公室主任毛輝、
新聞弁公室副主任艾力提・沙力也夫、教育庁副
庁長王莉莉である。座談会を通じて、訪問団は
以下の問題への理解を深めた。
第一に、新疆における一帯一路の進展。新疆
は西に開放し、一帯一路を推進する前線基地で
ある。新疆はシルクロード経済帯の核心地域に
なることを目指して、昨年 2020 年までの行動
計画を昨年に策定した。新疆は 5 つのセンター
(交通、物流、金融、文化教育科学、医療)、3
つの基地(石油・ガス、石炭、風力発電)、1
つの通路(国家エネルギーの陸上大通路)を建
設する。新疆自治区は核心地域建設の委員会
(領導小組)を設立し、分野別に 8 つの小委員
会(工作小組)を設け、総合、交通、エネルギ
ー、貿易・外資・物流、金融、社会発展、産業
発展、特区、地域経済協力などの分野をカバー
北京での交流活動
8 月 24 日、
訪問団の活動は北京で始まった。
まず、中国外交部を訪問し、アジア司参事官楊
宇氏が訪問団と懇談し、日中関係の現状、東シ
ナ海と南シナ海に関する問題点を紹介した。訪
問団のメンバーもこうした問題について意見
を述べた。
その後、我々の訪問を招へい、アレンジして
くだされた中国人民外交学会の劉玉和副会長
が、歓迎の昼食会を催してくださった。劉副会
長は、まず訪問団の帰国訪問を歓迎する意思を
表明し、また、外交学会の歴史、担っている民
間外交の特徴、中国外交に果たした役割を紹介
した。訪問団一行も、日本の政治経済の実態を
紹介し、日中関係の打開策、日中民間外交の在
り方について意見交換した。
午後、訪問団一行は中国社会科学院法学研究
所を訪問し、海洋法と海洋事務研究センターの
劉楠来教授、王翰霊教授と南シナ海の仲裁案、
断続線などを巡って懇談した。劉教授もオラン
ダ・ハーグの仲裁裁判所(PCA)の仲裁員を務
49
東アジア論壇/第 12 号/2016
する。
新疆は阿拉山口、カシュガル(喀什)、ウル
ムチに 3 つの特区・保税区を設けた。また、新
疆の企業は隣接する中央アジア諸国に 6 つの
工業団地を設立した。
物流については、新疆経由の中欧間コンテナ
鉄道輸送が定期便となり、現在は中欧間貿易の
3%しか占めていないが、今後 10%に拡大する。
鉄道輸送は海運より一カ月の時間節約となる。
中国から欧州へのコンテナはウルムチで集結
して車両編成するが、欧州から中国へのコンテ
ナの集結地と列車編成センターは今後ベラル
ーシのミンスクに建設する予定である。
新疆から周辺国に 2 つの交通ルートの建設
を計画している。その 1 つは、中パ経済回廊で
あり、パキスタンのグワダル港から新疆のカシ
ュガル間に、鉄道、道路とパイプラインを建設
する。また、西方向の中国-キルギス-ウズベキ
スタンの鉄道建設がある。ほかにも、カザフス
タン国境で「中・カザフ国境合作」として、双
方が開発区を設ける。また、東北部のロシア、
モンゴルとも「中俄蒙経済回廊」の建設に関し
て協定に調印した。
第二に、文化教育と一帯一路。新疆はシルク
ロード沿線国である中央アジア諸国と文化、言
語、宗教などの分野でのつながりが多いため、
文化、教育の協力も多い。新疆は外国留学生
7000 人を受け入れているが、中央アジア諸国
からの留学生が 70%を占める。新疆は留学生
に様々な奨学金を提供している。また、新疆は
周辺諸国に 10 カ所の孔子学院を設立し、新疆
側は孔子学院建設の初期投資を負担し、教師と
教材を提供するが、所在国は場所を提供する。
運転資金はそれぞれが半分負担する。
第三に、社会安定を図る努力。幾つかの事業
を進めた。その 1、政府は「訪恵聚(訪民情、
恵民生、聚民心)
」活動を 2014 年から始めた。
毎年 7 万人の幹部を 1 万以上の村に派遣し、1
年間滞在し、村民の生活改善、地元幹部の仕事
態度の改善、社会安定を図る。その 2、全国 19
の省・市が新疆の各地域に「対口(タイアップ)
支援」を 2010 年から実施した。各省・市は財
政収入の 1~3%を新疆に投入し、指定地域の
民生改善、雇用拡大、インフラ整備、産業振興
など、全面的に支援する。その 3、少数民族が
集中し、発展が遅れた南部 4 州・地区では、14
年間(幼稚園 2 年を加える)の義務教育を実施
50
し、今後新疆全域に拡大する。その 4、各地域
に適した産業を発展させる。観光資源を活用し、
観光業を主要産業に育成した。今年 1~8 月、
来疆した観光客はすでに延べ 8000 万人に達し、
通年では 1 億人を上回る見通しである。観光収
入はすでに GDP の 15%を占めるようになって
いる。また、新疆の綿花資源を生かして、紡績
業の規模は 2000 万錠を上回り、全国で最大規
模である。紡績工場は県レベルに立地し、地元
の雇用安定に貢献している。
ウルムチでは、訪問団はウィグル族が集中す
る地域に設けられたウィグル風の「国際大巴札
(市場)」を見学した。また、ウルムチ市を展
望できる紅山公園も見学した。
カシュガル(喀什)での訪問と見学
8 月 27 日、ウルムチから空路で 1 時間半の
飛行を経て、訪問団は新疆南部の最大都市、カ
シュガルに到着した。
カシュガル地区の麦麦提明・白克力副専員、
地区外事弁公室徐継明主任、地区華僑連合会王
傑副主席が訪問団と会見し、カシュガルの状況
を紹介した。
カシュガル地区は面積 16.2 万平方キロ、1
市と 11 県を管轄する。人口は 460 万人、漢民
族は 10%しか占めていない。カシュガル市は
人口 70 万を超え、ウィグル族は人口の 80~
82%を占め、漢民族は 10%である。
カシュガルは一帯一路において、重要な地位
を占めている。中パ経済回廊の起点はカシュガ
ルである。パキスタン国境に至る高速道路はす
でに着工した。鉄道については、駅の立地選択
作業を進めている。カシュガル空港はパキスタ
ンのイスラムバート、UAE のシャールジャへの
国際便が開通している。ほかにも 2 カ所の空港
が建設中、1 カ所の空港が認可待ちである。
カシュガル経済特区は 2010 年に設立され、
保税区の機能を果たしている。中パ経済回廊の
関連事業として、カシュガル市とタシクルガン
(塔什庫爾干)県で物流センターを現在建設中
である。
また、カシュガルは「対口支援」の重点地域
でもあり、山東省、広東省、上海市と深圳市が
カシュガル地区に毎年 60~70 億元の資金を投
入し、各分野において、発展を支援している。
カシュガル市では、再開発した旧市街区と艾
提尕爾清真寺(エイティガル・モスク)を見学
東アジア論壇/第 12 号/2016
した。
カシュガル市旧市街区は千年以上の歴史を
持ち、ウィグル族の人々が居住する地域であり、
建物が老朽化し、生活不便の問題が顕在化した
ため、2008 年から再開発事業が始まり、2015
年には 22 万人が居住する中心区の再開発が完
成した。旧市街区内に、分野別で鉄器、陶器、
楽器、生活用品の職人街が設けられている。旧
市街区はすでに 5A 級の観光地と認定され、カ
シュガル随一の観光名所となった。また、世界
で最も成功した旧市街区の開発と国連からも
評価されている。
エイティガル・モスクは約 600 年の歴史を持
ち、新疆のみならず、中国全国でも最大規模の
モスクである。一度で数千人の礼拝ができる。
タシクルガンとパキスタン国境
8 月 28 日、訪問団はカシュガルからタシク
ルガン(塔什庫爾干)を経由して、パキスタン
国境のクンジェラブ峠(紅其拉甫山口)に向か
った。目的は中パ経済回廊の中国側の地域を視
察することである。
訪問団を乗せたマイクロバスは 314 号国道
に沿って、西に行ってから南下する。国道は川
の峡谷に沿って、パミール(帕米爾)高原に向
かって登る。中パ経済回廊建設の一部である道
路の新築と拡張工事の現場を見た。地形からみ
ても難工事になると分かる。今後鉄道を建設す
るとなるとさらに難しいと感じた。道路を走る
のは観光客を乗せたバスや SUV 車が多い。大型
トラックもあるが、一部はタジキスタンのナン
バープレートを付けていた。
沿線の景色も美しい。標高 7719 メートルの
コングール(公格爾)山と 7546 メートルのム
スターグ・アタ(幕士塔格)山が聳えて、夏で
も山頂の雪が溶けず、たくさんの氷河が近くに
見える。
タシクルガンの県境に入り、幕士塔格氷河公
園のそばに、タジキスタンの国境に設けたカラ
ス税関事務所(卡拉蘇口岸)がある。この税関
事務所は国境まで 14 キロ、標高 4000 メートル
を超える。事務所の職員によると、5 月から 11
月末までの運行期間中、毎日数十台のトラック
が通関する。
夕方には、タシクルガン県の県庁所在地、標
高 3200 メートルのタシクルガン鎮に到着した。
同県副県長の紹介によると、タシクルガン・タ
51
ジキ族自治県は、面積 2.4 万平方キロ、タジキ
スタン、アフカニスタン、パキスタンの三カ国
と隣接し、人口 3.3 万人である。タジキ族は中
国唯一のヨーロッパ人種と言われている。訪問
団はタシクルガン博物館でタジキ民俗館を見
学した。また、現地の観光名所、古代蝎盤陀国
のお城である石頭城、高原湿地の金草灘を見学
した。
8 月 29 日、訪問団一行は今回視察の最終目
的地、パキスタン国境のクンジェラブ峠(紅其
拉甫山口)に向けて出発した。途中で、アフカ
ニスタンにつなぐ「瓦罕走廊」への交差点で下
車し写真をとった。沿線には、タジキ族の村が
点在し、多くの家屋は政府の補助金で建てた新
築家屋であるとすぐ分かる。
タシクルガンから 180 キロ、
3 時間をかけて、
標高 5100 メートルのクンジェラブ峠に到着し
た。国境の中国側に、大きなゲートがあり、そ
の先はパキスタン領である。現在、中国・パキ
スタン国際道路はこの国境を通過するが、将来、
高速道路、鉄道、パイプラインもこの峠を通過
する。見学する際、中国各地から来る多くの観
光客と出会ったが、通関する人とトラックはな
かった。
8 月 30 日、訪問団の新疆訪問は終わり、ウ
ルムチで解散した。
訪問の収穫
この一週間の訪問を通じて、訪問団の一行は、
以下のような収穫があった。
第 1 に、日中関係、東シナ海と南シナ海問題
などの外交政策、華僑華人政策などについて、
中国の政府部門や研究機関と意見交換ができ
た。
第 2 に、新疆訪問を通じて、新疆の経済発展
や社会安定を体験し、異なる文化に触れ、新疆
に対する理解を深めた。
第 3 に、新疆での現地視察を通じて、一帯一
路の意義、中国及び周辺諸国にもたらす利益、
そして現在の進展と直面する問題と困難につ
いても、認識を深めた。
(文責:拓殖大学教授 朱炎)
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆活動報告
悪循環から好循環に変わった新疆の治安
一般社団法人日中科学技術文化センター理事長
“日本華人教授会議”は毎年夏休みを利用して
帰国視察団を派遣していて、数年前から新疆視
察を希望したが叶えられなかった。今年はOK
ということで、治安はかなり改善を見ているな
と判断した。ここ数年、イスラム国(IS)の
出現により、国際テロが猛威を振るっている。
ところがここ 2 年余り、中国全土においてテロ
行為が起きておらず、安全性が保たれるように
なった。その原因はどこにあるのか。今回の新
疆視察で答えを得ることができた。
2009 年 7 月 5 日、新疆ウイグル自治区の区
都ウルムチで「七・五新疆事件」が起きた。新
疆の漢民族とウイグル族とが衝突し、197 人が
死亡するという大事件で、胡錦濤国家主席はフ
ランスでのサミットに参加せず、急遽帰国し暴
動の鎮静化に努めた。当時、漢民族とウイグル
族との矛盾、政府とウイグル族との矛盾は、相
互不信が増幅する悪循環に陥っていたと思わ
れる。
その原因は二つ考えられる。一つは改革開放
政策によって門戸が開かれ、国外にいる東トル
キスタン系分離独立分子に新疆へ浸透するチ
ャンスを与えたことである。二つ目は社会主義
市場経済を進める中で、市場主義が優勢を占め、
貧富の格差が拡大していった。それは自治区政
府の責任者が少数民族政策をしっかり実行し
なかったことにもよる。このような矛盾が 20
年累積され、2009 年に爆発したのである。
相互不信の悪循環を如何に断ち切るか、如何
にして好循環に転換させるか、が政府に課せら
れた大きな課題となった。2010 年初め、張春
賢書記が赴任して、2010 年 5 月に第一回新疆
工作座談会が開かれ対策が練られた。当局は
「治標治本」
(当面の問題を解決すると同時に、
根本的解決も図る)、即ち安全確保のためのテ
ロ・暴力対策を強化するとともに、根治のため
の貧困消滅、少数民族政策の貫徹を図った。内
地の経済的に裕福な省市に新疆支援のカウン
52
凌星光
ターパートナーを統一的に組ませた。例えば、
カシュガル地区は深圳、広東省、上海、山東省
が、伊犁地区は江蘇省が、和田地区は浙江省が
カウンターパートナーとなって支援するとい
うわけだ。
新疆を支援する各省市は財政予算の 1-3%
を拠出して支援することになっており、一般に
は 1.5%くらいを拠出しているとのことであ
った。これらの省市はかなり高い成長率を遂げ
てきたため、毎年の支援額はかなりの額で増え
ていった。財政的支援ばかりでなく、人材の養
成、幹部派遣などソフト面での支援も行われる。
こうして経済発展面での改善は図られたが、根
治には繋がらなかった。それは雲南省で起きた
無差別テロに表れている。
2014 年 3 月 1 日、中国雲南省昆明市の昆明
駅で、刃物を持ったグループが無差別に通行人
を切りつける事件が起きた。29 人が死亡、130
人以上が負傷する無差別殺傷事件である。当局
は「現場の証拠」から、新疆ウイグル自治区の
分離を目指す勢力による「組織的なテロ」と断
定した。新疆自治区の張春賢書記は新疆の治安
を抜本的に改善するには、南新疆の末端組織を
立て直さなくてはならないと決断し、2014 年 2
月 14 日、
「訪民情、恵民生、聚民心」活動を展
開する動員報告を行った。
これは略して「訪恵聚」活動とも言うが、
「訪
民情」とは訪問を通じて民情を把握する、「恵
民生」は住民の生活改善を図って恩恵をもたら
す、「聚民心」は民心を党と政府の周りに結集
する、という意味である。新疆自治区 20 万人
の幹部が、順番に 1 万の村に工作隊として一年
間駐屯し、村の面目を一新させ、長期にわたっ
て良き治安が維持される新疆にしようという
のだ。一工作隊は 4-7人からなり、ウイグル
族の幹部と漢民族の幹部で構成される。市場経
済が発展した今日、庁長、局長クラスの高級幹
部も、生活レベルの低い農村に 1 年間駐屯して、
牧農民の生活改善を図る。これは大変な決断で
東アジア論壇/第 12 号/2016
あるが、張書記は新疆の「特殊な情勢に対処す
るためにとった重大措置」として断固貫徹した
のである。
われわれ視察団を案内してくれた王傑氏は
漢民族だがウイグル語もとても達者で、カシュ
ガル市のウイグル族から親しまれていた。彼も
昨年、第二陣としてある村に赴き工作隊長とし
て一年間駐屯した。主要な任務は、社会の安定、
貧困脱皮、党支部づくりの三つで、世帯ごとに
対話し、教育し、裕福になる道を探るという経
験を紹介してくれた。生活向上プランの作成を
手伝い、それに必要な資金援助を政府に申請す
ることも手伝った。
新疆では、行く先々で、
「私は一年目だ」、
「二
年目だった」
、
「彼は三年目で今年は職場にいな
い」といった言葉を耳にした。「訪恵聚」はか
なり徹底して行われていることが感じられた。
三年目に入った今年、順番で農村に行っている
カシュガル地区外事弁公室主任は、数時間も費
やしてわざわざ市内に戻って来て、我々と会見
を果たした後すぐに村へ帰って行った。カシュ
ガル地区の幹部は大体、この地区の村に派遣さ
れるが、ウルムチとか北新疆の幹部は、遠い南
新疆に派遣されることがあると言う。南新疆は
ウイグル族が集中しており、貧困な村が多いか
らだ。
。
この「訪恵聚」活動は大衆路線教育実践活動
の一環として行われたものだが、中国共産党の
革命時代の「訪貧問苦」(貧農を訪問し、なぜ
生活が苦しいかを悟らせ、革命のために奮起さ
せる)や 1960 年代の経済困難期の農村工作隊
派遣を彷彿させる。中国共産党の良き伝統の復
活である。交通の便が良くなった内地では一年
駐屯は必要なくなったが、土地が広く交通の便
が悪い新疆では必要な措置だったのである。習
近平は 2014 年4月末に新疆を視察したが、村
に入って間もない第一陣工作隊から事情を聞
き、「強固な末端政権」を建設しなくてはなら
ないと激励した。
この工作隊の派遣が、新疆の治安と経済の改
善に大きく貢献したことを実感した。単にお金
を注ぎ込んでも、消費に回ってしまい、貧困か
らは脱皮できない。北新疆の他の少数民族から
は、怠惰な人間を支援しても無駄だ、困らせて
自分で立ち上がるようにしなければ駄目だ、と
いう意見も聞かれたとのことだ。工作隊が住民
に如何に生活し、仕事をするかを教え、貧困者
が希望を持つようになると、生活への姿勢も変
わっていった。その結果、外部からの過激思想
が浸透する余地はなくなり、治安は改善され、
社会生活に活気が出て来た。悪循環から好循環
に転換したきっかけは、この「訪恵聚」にあっ
たのだ。
国際的テロが横行する中、新疆では分離独立
分子のテロへの警戒を怠ってはいない。蟻一匹
も見逃さないという厳戒態勢が敷かれている。
公共施設ばかりでなく、どのホテルも安全検査
設備が置かれ、ホテルに入る都度持ち物の検査
を受ける。空港ではエリア入り口で車内検査、
空港入り口で荷物検査、搭乗前の身体検査の三
重検査が行われている。一般には搭乗検査だけ
だから、余分の検査が二回あるわけだ。
今回、パキスタン、タジキスタン、カザフス
タンに通じる国境玄関口(「口岸」と呼ぶ)三
ヶ所に足を運んだ。パキスタンはテロ組織が活
動しているとろで大変厳しかった。撮影禁止で、
メモをとることも注意された。カザフスタンと
は経済交流が盛んで国境の町は建設ラッシュ
で沸いていた。それでも、国境に向かう場合、
車の安全検査を何回か受けなくてはならない。
ウルムチではところどころに武装警官隊が駐
屯していた。(中国国内ではテロに対する措置
が厳重であるため、今年 8 月 30 日、テロ勢力
はキルギスの中国大使館を狙った。
)
日本から行くと余りにも物々しく感じ少し
緊張感を覚えるが、土地の人や中国人観光客は、
これだから安心できると却って歓迎する姿勢
を示す。因みに新疆への観光客は 8 月末時点で
8000 万人に達し、年末までに 1 億人を超すと
見込まれている。主要な客は全国からくる中国
人観光客だが、中央アジアやヨーロッパの観光
客も増えているようだ。日本人観光客はほとん
どなく寂しいという声が聞かれた。
悪循環から好循環に転換しつつある新疆を
見て、ユーラシア大陸の今後の繁栄を確信する
に至った。中央アジアや中近東で起きているイ
スラム過激派の国際テロはそのうちに収束す
るであろう。それには、中国のテロ対策成功の
経験を周辺諸国に如何に生かすかが問われる。
今後の課題だ。
53
東アジア論壇/第 12 号/2016
◆活動報告
“中巴经济走廊”意义何在?
杏林大学教授
8 月底,自新疆喀什出发前往红其拉甫口岸。
近年,这一带成为中国“一带一路”构想的重
要地带,备受瞩目。汽车沿喀喇昆仑公路经塔
什库尔干县前往红其拉甫口岸。这条公路正在
翻修,很多路段车辆要在辅道行驶,十分颠簸。
道路两侧多是崇山峻岭,刮风下雪,都可能造
成石头滚落。道路狭窄,稍有不慎,车也可能
滑落到深谷。司机是当地少数民族,非常熟悉
地形,这让人安心。这条公路 1966 年通车,
被称为“世界第八大奇迹”
,路长 1032 公里,
其中中方境内 416 公里,巴方境内 616 公里。
为建这条公路,中巴双方有 700 余人牺牲。
这一带,自古是东西交通要道,留有玄奘、
高仙芝、马可波罗等人足迹。喀喇昆仑公路两
侧山势险峻,标高 3、4000 米以上,空气稀薄。
今天以车代步尚觉劳顿,完全依双足或马匹旅
行的时代,其困难可想而知。
因“一带一路”构想,让中亚地区重新受到
瞩目。这个概念源于习近平 2013 年在哈萨克
斯坦及印尼的两次讲话。此后,这个概念日益
占据中国外交中心。
“一带一路”被译作 One
Belt And One Road,但具体到底说什么,很
多外国人并不清楚。这究竟是一项外交政策
呢,抑或是一个国际组织构想,许多人感到无
法触摸。但另一方面,这个概念绝非“大而无
当”,其中有许多实实在在的实体、项目支撑,
我们知道,AIIB、丝路基金、
“中巴经济走廊”
等各种新机构,新计划,都在这大构想下次第
展开。
“一带一路”概念最早源于北京大学国际关
系学院院长王辑思 2012 年秋提出的“西进”
战略构想。这个构想提出,中国在维持东面与
美、日“竞争”同时,大力“西进”,进入这
个中国外交传统上的非重点区域。同时他还提
出,这个外交战略符合国内的“西部大开发”
战略。2012 年林毅夫向中央政府建议,可以
吸收美国“马歇尔计划”
,向中亚资本输出,
投资国外基础设施,购买资源。他认为这个战
劉廸
略可解决产能过剩、资源浪费、房价高企、地
方债务等问题。新加坡学者郑永年提出类似观
点,他主张中国应向中亚不发达地区投资,以
促进该地区发展。据说,上述观点均得到中央
财经领导小组办公室主任刘鹤的高度关注。
的确,以传统外交思维,很难理解“一带一
路”。日前在东京开会,有一日本教授问中国
专家。中国专家解释,“一带一路”有 3 层意
思。第一,意味着古老丝绸之路历史的复兴。
从沟通东西贸易来讲,
“一带一路”沿线 65 国
互联互通,这个复兴可谓壮观。第二,“一带
一路”是一个开放体系,不是会员制,对象不
限于上述 65 国,不存在排他性。以 AIIB 成员
看,其实也不限于亚洲,欧洲、非洲都有参加。
第三,这个概念,还强调域内国家与域外国家
的交流。如上述官员解释,这个概念可谓无所
不包。依西人观点,一个概念太大,就难理解。
但对中国人来说,并无违和感。中国人更重“实
践理性”。在行动中确认概念,充实概念,做
实概念。这就是东西观念之差异。
红其拉甫标高 4693 米,8 月底已秋意袭人。
武警身着棉衣,非常紧张地执行任务。因曾上
过“春晚”,红其拉甫口岸在中国很有名。在
这里戍边,相当艰苦。尤其冬天,如下大雪,
补给往往困难。但是,今后,这里作为中巴经
济走廊的重要通道,可能发挥日益重要作用。
2015 年,习近平访问巴基斯坦,承诺援巴 460
54
東アジア論壇/第 12 号/2016
亿美元,这相当于巴基斯坦每年 GDP 的 1/4。
据说,援助将用于铁路、输油管线、输电设施、
因特网等建设。
如何看待上述这笔重大援助?文革之后,中
国基本停止了对外大包大揽地援助方式,这次
援助是否会重蹈覆辙?关于这点,国内民间、
甚至政府内部也有人担心。但是,
“一带一路”
依中国官方解释,是“共商”
、
“共建”
、
“共享”,
从理论上不会重复以往那种失败。尤其在习近
平的大力推动下,这个构想正在日益成为中国
主要对外政策、经济合作政策。如何避免重蹈
毛泽东时代对外援助的覆辙?有人指出,如今
后所有工程,均如 AIIB 一样,引进各种国际
监管标准,如此,可避免因缺乏经验导致的失
败。
有人说,“一带一路”目的是对抗 TPP。其
实,从目前来看,这个构想的目的,远非对抗。
一带一路不是一个组织,既无组织机构,更无
组织纲领,当然也就没有什么会员。
“一带一
路”用中国政府的话说,这是一个“愿景”,
同时也是一种“行动”
。
“一带一路”不要求取
代任何现行组织,反而希望与现有国际组织协
调,沟通。今天亚洲与世界,已有很多组织了。
如上合组织、中国东盟 10+1、APEC、亚欧会
议(ASEM)、亚洲合作对话会议(ACD)、亚信
会议(CICA)
、中阿合作论坛、中国-海湾合
作委员会、大湄公河次区域(GMS)经济合作、
中亚区域经济合作(CAREC)等等。这些组织,
各司其职,而“一带一路”构想,用中方的话
说,就是要在考虑上述地域性组织功能的基础
上,发挥补充功能。
“一带一路”不是国际机构、不是国际标准,
而是一种理念。
“一带一路”没有敌人,它为
理念而整合,而包容。这是“一带一路”非常
厉害之处。与近代或战后兴起的各种国际组织
截然不同。中国外交已然发生了一个重大革
命,即“一带一路”外交,是全方位、内外结
合的开放。实施机构,不仅限于外交部,可以
说这是一场全民外交、整体外交。
近代后,世界财富、权力中心向海洋国家积
聚,大陆国家则渐失原有地位,广大欧亚大陆
被排除在世界中心舞台外,主要原因还是互联
互通成本昂贵。今天,
“一带一路”提出,既
有恢复古老东西贸易的思考,也是 500 年来
“陆权”的一次复兴。从现实看,被近代世界
疏远了的欧亚大陆中心地带,最缺乏的,不是
“更高层的自由贸易区”
,而是互通道路、好
的道路、安全的道路,以及好的运输工具。即
使在今天,欧亚大陆多数地区,都渴望道路、
渴望电力、渴望快捷的运输工具。
500 年以来,
世界秩序基本由海洋国家规定。
今天,欧亚大陆众多内陆国家,开始重新思考
自己在世界中的地位。世界史,翻开新的一页。
这个历史,以大陆国家互联互通开始。“一带
一路”构想,正在行动。到本世纪中叶,甚至
本世界末,欧亚大陆都需要更多的机场,更快
的铁路,更多的发电站。届时,中亚草原、高
山峻岭,将不会阻断欧亚大陆各人民的彼此联
系。大量空港、高铁、高速公路将把欧亚大陆
连成一体。那时,欧亚大陆人民,彼此将不再
陌生。
在扩展欧亚大陆人民彼此联系的过程中,也
不要忽略两者的结合。有人指出,“中巴经济
走廊”,作为一个连接新疆与印度洋的战略要
道,从本质上应该属于海上丝绸之路的组成部
分。这个分析很有道理。这条经济带,与中印
缅经济走廊,具有把“陆权”“海权”联系起
来的功用。
“一带一路”,用中国智库的话说,不是“一
朝一夕”可以建成的。今后 2、30 年甚至更长
的一段时期,中国外交都将围绕这个主题作文
章。其实,对中国目前来说,更重要的是,如
何观念创新。在这个意义上说,“一带一路”
的提出,意味着一种新的外交范式登场。
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東アジア論壇/第 12 号/2016
◆活動報告
在日华人教授会代表团访华
中国人民外交学会による紹介記事
应外交学会邀请,在日华人教授会代表团一行 16 人于 2016 年 8 月 24 日至 8 月 30 日访问北京、
新疆。在京期间,国务院侨务办公室主任裘援平、外交学会副会长刘玉和和外交部亚洲司参赞杨宇
分别会见或宴请。代表团还在中国社会科学院海洋法与海洋事务研究中心与中方专家学者进行了座
谈。
在新疆期间,自治区外事侨务办公室副主任刘俊、喀什地区行署副专员买买提明·白力克分别
会见或宴请。代表团还实地考察了乌鲁木齐、喀什等地经济社会发展情况。
国侨办主任裘援平在香格里拉酒店会见在日华人教授会代表团
2016 年 8 月 24 日外交学会副会长刘玉和在京伦饭店会见在日华人教授会代表团
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東アジア論壇/第 12 号/2016
◆活動報告
米国大統領選観戦記
― オバマ当選からみた大統領選挙の戦略と戦術 ―
愛知大学教授
【前書き】 2016 年の米国大統領選挙は白熱
化しつつあり、次期米国大統領はヒラリー・
クリントンかロナルド・トランプなのか、今
や世界中の関心を集めている。不確実性が強
まるなかで、過去の大統領選挙はなにかの示
唆を与えてくれるかもしれない。
「温故知新」
という意味で、筆者が直接体験した米国大統
領選挙の観察から現職のオバマ大統領が当
選できた当時の選挙戦略と戦術を振り返り、
今後事態の展開を見るうえで多少でも参考
になれば幸いである。
李春利
第 42 代大統領、ビル・クリントン(1993
~2001 年)、南部アーカンソー州選出
それにケネディの前任者である第 33 代大
統領ハリー・トルーマン(1945~53 年、南
部ミズーリ州選出)を加えれば、第二次世界
大戦後民主党選出のアメリカ大統領はいか
に南部出身者が多いかがわかる。
一方、2004 年大統領選では、北部マサチ
ューセッツ州 選出の民主党上院議員 ジョ
ン・ケリーが現職大統領のジョージ・W・ブ
ッシュに挑戦したが、失敗。
1988 年大統領選では、マサチューセッツ
州知事マイケル・デュカキスが現職副大統領
のジョージ・H・ブッシュに大差で敗北。
1984 年大統領選では、北部ミネソタ州選
出のカーター政権の民主党副大統領であっ
たフリッツ・モンデールは、現職大統領のロ
ナルド・レーガンと競ったが、歴史的大敗を
喫する。
アメリカ大統領選のジンクス
50 年近い間、
アメリカ大統領選挙の際に、
民主党にはジンクスがあった。民主党大統領
候補者はアメリカ南部出身でなければ本選
挙に勝てないというジンクスである。第 35
代大統領ジョン・F・ケネディ(1961~63 年)
以来、それが立証されてきた(表参照)
。
(現存のアメリカ大統領たち 中華網
http://news.china.com/zh_cn/international/1000/2009010
9/15275181.html
(反ブッシュ 50 万人大デモ@New York, 2004 年 8 月 29 日)
1972 年大統領選では、北部サウスダコタ
州選出の民主党上院議員、ジョージ・マクガ
バンは現職大統領のリチャード・ニクソンに
史上 2 番目の大差で敗北を喫した。
1968 年大統領選では、ミネソタ州選出の
第 36 代大統領、リンドン・ジョンソン
(1963~69 年)
、南部テキサス州選出
第 39 代大統領、ジミー・カーター(1977
~81 年)
、南部ジョージア州選出
57
東アジア論壇/第 12 号/2016
ジョンソン政権の副大統領ヒューバート・ハ
ンフリーは民主党の大統領候補に指名され
たが、本選挙で共和党のリチャード・ニクソ
ンに惜敗。
1952 年と 56 年の大統領選では、イリノイ
州知事であったアドレー・スティーブンソン
は 2 度にわたり、共和党候補のドワイト・ア
イゼンハワー(アイク)に挑んだが、いずれ
も大差で敗北。
かくして、第二次世界大戦後のアメリカ大
統領選挙の中で、ケネディを除き、北部出身
の民主党候補のほとんどが敗北を喫したの
である。
南部出身者で敗北した例外はただ 1 つ。テ
ネシー州選出のクリントン政権の現職副大
統領アル・ゴアである。2000 年大統領選で
は、ゴアは共和党のジョージ・W・ブッシュ
候補と激戦を繰り広げ、大接戦の末、一般投
票ではブッシュを 54 万 3895 票も上回ったも
のの、大統領選挙人投票ではフロリダ州にお
いて、わずか 537 票差でブッシュに逆転され、
表
年
最終的には全国で 266 対 271 の僅差で敗北し
ている。
保守勢力が根強いとされるアメリカ南部
で、どのぐらい支持票を集められるかが、民
主党大統領候補にとってはいつも最大の試
練なのである。
2004 年アメリカ大統領選@ボストン
2004 年大統領選では、一部にゴアを推す
動きがあったものの結局は出馬せず、有力候
補とされるハワード・ディーンの支持にまわ
った。2007 年、講演や「不都合な真実」で
の環境啓蒙活動が評価され、ゴアは IPCC と
共にノーベル平和賞を受賞したことが記憶
に新しい。
2004 年 7 月、ボストン市で大統領候補を
決める民主党全国大会(Democratic
National Convention, DNC)が行なわれた。
ちょうどその年の4月から私はサバティカ
ルで、1年間ハーバード大学で在外研究をす
第二次世界大戦後のアメリカ大統領選挙の概要
大統領当選者
その他の主な立候補者
1948 ハリー・トルーマン(民主党、南部ミズーリ州)
トーマス・デューイ(共和党)
1952 ドワイト・アイゼンハワー(共和党)
アドレー・スティーブンソン (民主党、北部イリノイ州)
1956 ドワイト・アイゼンハワー(共和党)
アドレー・スティーブンソン (民主党、北部イリノイ州)
1960 ジョン・F・ケネディ(民主党、北部マサチューセッツ州) リチャード・ニクソン(共和党)
1964 リンドン・ジョンソン(民主党、南部テキサス州)
バリー・ゴールドウォーター(共和党)
1968 リチャード・ニクソン(共和党)
ヒューバート・ハンフリー (民主党、北部ミネソタ州)
1972 リチャード・ニクソン(共和党)
ジョージ・マクガバン (民主党、北部サウスダコタ州)
1976 ジミー・カーター(民主党、南部ジョージア州)
ジェラルド・R・フォード(共和党)
1980 ロナルド・レーガン(共和党)
ジミー・カーター (民主党、南部ジョージア州)
1984 ロナルド・レーガン(共和党)
フリッツ・モンデール (民主党、北部)
1988 ジョージ・H・ブッシュ(共和党)
マイケル・デュカキス (民主党、北部マサチューセッツ州)
1992 ビル・クリントン(民主党、南部アーカンソー州)
ジョージ・H・ブッシュ(共和党)
1996 ビル・クリントン(民主党、南部アーカンソー州)
ボブ・ドール(共和党)
2000 ジョージ・W・ブッシュ(共和党)
アル・ゴア(民主党、南部テネシー州)
2004 ジョージ・W・ブッシュ(共和党)
ジョン・ケリー(民主党、北部マサチューセッツ州)
2008 バラック・オバマ(民主党、北部イリノイ州)
ジョン・マケイン(共和党)
出所:ウィキペディア「アメリカ合衆国大統領選挙」http://ja.wikipedia.org/wiki
58
東アジア論壇/第 12 号/2016
ることになり、ボストンの隣町であるマサチ
ューセッツ州ケンブリッチ市(Cambridge)
に住んでいた。
7 月下旬から、約 3 万 5 千人が全米からボ
ストンに集まり、民主党代議員たちが続々と
この地にやってきた。各種選挙キャンペ-ン
が行われ、私もいわゆるアメリカ型民主主義
に対する好奇心から各種イベントに参加し
た。
最初に参加したのはハワード・ディーン候
補の演説会だった。彼はヴァーモント州知事
6 期 12 年にわたり務め、04 年民主党大統領
予備選の序盤では、多くの世論調査で良い結
果を出し、特に資金調達の面でもリードし、
フロント・ランナーとして先行した有力候補
と目されていた。
“In the United States, money talks!”
ー・オルガナイザーなどとよばれる 1300 万
人のボランティア部隊は「オバマの近衛隊」
ともよばれ、オバマ旋風の原動力であり、集
金マシーンでもあった。
ディーンはその分野の先駆者である。彼は
その後の民主党大統領予備選では、本命のマ
サチューセッツ州選出の上院議員ジョン・ケ
リーとノースカロライナ州選出のジョン・エ
ドワーズに負けてしまった。彼は 2008 年の
大統領選には出馬せず、現在は合衆国国務長
官である。
マイケル・ムーアの執念と 50 万人反ブッシ
ュ大デモ@NY
ボストンで聞いたもう一つの講演は、有名
な ド キ ュ メ ン タ リ ー 映 画 『 華 氏 911 』
(Fahrenheit 9/11)の監督として名を馳せ
たマイケル・ムーア(Michael Moore)であ
った。2000 年大統領選でゴアの支持者だっ
たムーアは、打倒ブッシュに執念を燃やして
いた。会場で接した彼の勇猛な風貌と豪快な
笑い声は『三国志』の中で曹操を憎み続けた
猛将・張飛を思い出させる。
(@民主党大会, Boston, 04 年 7 月 27 日、筆者撮影)
かなり前から米国人先生から聞いたこの
名言を思い出した。大統領選もその例外では
なく、集金力の差が勝負を決する決定的な要
因の一つである。ディーンの資金調達が好調
なのはインターネットを選挙運動に用いる
革新的な手法によるところが大きかった。彼
は特にブログを活用し、労働組合や企業など
の大口の献金に頼らず、様々な個人から選挙
資金を調達した。インターネットを利用した
選挙運動は、彼を強く支持する草の根有権者
を生み出した。
草の根中心の資金調達とインターネット
活用という手法は、2008 年大統領選におけ
るオバマの選挙戦に受け継がれた。大統領の
座を射止めたオバマの歴史的な勝利は、彼の
カリスマ性と卓越した演説力のみならず、そ
の選挙資金の調達手法の革新と草の根の支
持に依存するところも大きい。コミュニティ
(マイケル・ムーア@民主党大会, Boston, 2004 年 7 月 27
日, 筆者撮影)
『華氏 911』は、ムーアが 2004 年に発表
した、アメリカ同時多発テロ事件へのブッシ
ュ政権の対応を批判するドキュメンタリー
映画であり、2004 年大統領選ではブッシュ
の大統領再選を阻止する目的で公開された。
いわゆるネガティブ・キャンペーンの一環で
もある。この映画は 01 年 9 月 11 日の同時多
発テロ事件をめぐり、ブッシュとビンラディ
ン家を含むサウジアラビア王族との密接な
関係を描き、ブッシュ政権を批判する内容と
59
東アジア論壇/第 12 号/2016
なっている。04 年、カンヌ国際映画祭で最
高賞パルム・ドールを受賞し、各国でヒット
となる。日本でも全国で公開された。
呼びかけたところ、さっそく多くの若者たち
が集まってきた。草の根民主主義の凄さを感
じた瞬間だった。
バラク・オバマの初舞台@ボストン
民主党全国大会 2 日目の 7 月 27 日、一人
の若い政治家が全米の注目を集めた。大統領
選と同時に行われる上院議員選挙に出馬予
定のイリノイ州からのバラク・オバマだった。
聞きなれないこの若者の登場に会場はざわ
めいていた。彼は当時まだ43歳だった。
大会のメイン会場であるフリートセンタ
ーには入場できないものの、ボストンにおけ
る民主党支持派の総本山であるハーバード
大学ケネディ行政大学院の大ホールで大会
の様子が一部始終ビッグスクリーンで生中
継されていた。
だが、そこにも大きな看板を掲げた共和党
支持者がいた。看板には「ケリーは最高司令
官 に ふ さ わ し く な い 」( Kerry is not a
commander)と書かれており、まわりの民主党
支持者からの罵声を浴びながら看板をしっ
かりと持ち続けている。単騎、敵地に突入し
たこの勇者には、思わず脱帽した。軍の指揮
ができないという意味の、民主党大統領候補
に付きまとうこの耳痛い言葉は、共和党陣営
の作戦であると同時に、実は民主党のアキレ
ス腱でもあったのだ。
ハーバード大学では、私は経済学部とビジ
ネススクール両方の授業を聞いていたので、
家からビジネススクールに行く途中、必ずケ
ネディスクールの正門前を通る。そこに選挙
期間中にこの看板を掲げて一人突っ立って
いるお年寄りをしばしば見かけた。通りかか
る人は、彼に罵声を浴びせる。それをまった
く気にせず、まるで托鉢の高僧のようにただ
そこに突っ立ったまま。アメリカ型民主主義
に秘められた情熱と社会的公正の一面を垣
間見たような気がした。
ジョン・ケネディの名前が冠されているだ
けに、重要なイベントにはその弟であるエド
ワーズ・ケネディ上院議員がよく出席してい
た。また、ジョン・F・ケネディ・ジュニア・
フォーラムと名づけられた公開講演会では、
外国の元首や大臣など世界中の著名人がよ
く講演していた。
(反ブッシュ 50 万人大デモ@New York, 2004 年 8 月 29 日,
筆者撮影)
その後、ムーアはブッシュ批判のボルテー
ジを上げていく。そのピークは 04 年 8 月 29
日にニューヨークで行われた反ブッシュ 50
万人大デモ(Dump Bush’s demonstration)
である。5 番街でスタートした 50 万人大行
進の先頭に、ムーアはイラク反戦のために柩
を担いだ行列の前頭に立ち、1960 年代のベ
トナム反戦運動を呼び起こすほど迫力満点
だった。
その日、私はちょうどワシントンからニュ
ーヨーク経由でボストンに戻る途中だった。
偶然ながら、ニューヨークでこの世紀の大行
進に遭遇した。昼食後、日曜日なのに繁華街
の 5 番街が通行止めになったことに気がつ
いたものの、まさか 50 万人の大デモとは想
像もつかなかった。後で知ったのだが、今回
のデモは情報化時代にふさわしく、インター
ネットや携帯メールを通じて呼びかけた結
果、数百の NPO や NGO、各種政治団体、市民
団体がいわゆる反ブッシュ・イラク反戦の連
合体が作りあげられ、雪だるま式にデモ隊が
膨れあがっていった。
なかでも特に印象的なのは、若者の参加が
多いことだった。日本とは違って、若者たち
の政治への参加意識が強く、進んで選挙ボラ
ンティアをする人が多い。ボストン民主党大
会の現場で実際目撃したことだが、ある地方
からの参加者が「フィラデルフィアで選挙キ
ャンペ-ンを行うので、往復交通費だけ提供
するから、ボランティアを募集している」と
60
東アジア論壇/第 12 号/2016
ラク・オバマ・シニアと白人の母アンの物語
である。
ストーリー性と民族融和、国民融和はオ
バマの一貫した政治戦略である。彼はこの初
舞台の時から自分のユニークさとアイデン
ティティを十分に意識していた。1995 年出
版の自伝“Dreams from My Father”(和訳
『マイ・ドリーム』)の中でオバマは次のよ
うに書いている。
「(当時)白人と黒人の結婚はアメリカの半
数以上の州ではまだ重罪だった。南部だった
ら、母をじっと見つめていたというだけで、
父は縛り首になっていただろう。」
時代背景はそのとおりである。1960 年代の
公民権運動は、20 万人の参加者を集めた
1963 年 8 月に行われたワシントン大行進で
最高潮に達した。この時、マーティン・ルー
サー・キング牧師がリンカーン記念堂の前で
“I Have a Dream” という歴史に残る名演
説を行い、人種差別の撤廃を訴え、幅広い共
感を呼んだ。公民権運動の結果、1964 年 7
月に民主党のジョンソン大統領が公民権法
(Civil Rights Act)に署名した。これによ
り、建国以来 200 年近い間、アメリカで施行
されてきた法の上における人種差別が終わ
りを告げることになった。
オバマが 3 歳の時だった。彼は語り続ける。
「私の人生はアメリカの壮大な物語の一部
であり、私は先人たちに借りがあります。ほ
かの国だったら、私はここまで来ることがで
きません。
」
「全ての人は生まれながらにして平等で
あり、自由、そして幸福の追求する権利を持
つ」という独立宣言を行った国、アメリカ合
衆国だからこそ、自分のような人生があり得
たのだ、と彼は述べた。
ざわめいた会場は静まり返った。
「私はここで言いたい。リベラルなアメリ
カも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ
合衆国”があるだけだ。黒人のアメリカも白
人のアメリカも、ラテン系のアメリカもアジ
ア系のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆
国”があるだけだ。」
(I say to them tonight,
there is not a liberal America and a
conservative America — There is the United
States of America. There is not a black
America and a white America and Latino
(ケネディ家の支持を取り付けたオバマとエドワーズ・ケネ
ディ上院議員、ウィキペディア)
例えば、現台湾“総統”である馬英九の演
説をそこで聞いたことがある。馬英九もオバ
マ夫妻と同じくハーバード大学ロースクー
ルの出身である。ロースクールは自分の家か
ら歩いて 5 分もかからないところにあった
ので、そこの広々とした図書館を愛用してい
た。
オバマに運命の転機が訪れたのは民主党
大会の一ヶ月前だった。イリノイ州を遊説中
に、民主党大統領候補ケリーの選対本部長か
ら電話がかかってきた。彼らはカリスマ性が
あって感動的な演説ができる人物を探して
いた。電話を切った後、オバマは興奮気味に
言った。
「自分のこれまでの人生を壮大なアメリ
カの物語の一部として話したいんだ。
」
かくして、7 月 27 日の夜、政界では無名に
近いオバマは、民主党全国大会のメインの基
調演説者になった。文字通りのダークホース
だった。
「この舞台に立てたことは名誉です。普通で
はありえないことです。
私の父は、ケニアの小さな村から来た留学
生でした。母はカンサスの町で生まれまし
た。」
母親は中西部で育った。彼女にとってオバ
マの父は予想外の世界から現れてきた人物
だった。彼女はハワイ大学のロシア語のクラ
スでアフリカから来た留学生と出会った。
「両親は困難の多い愛を貫き、この国から与
える可能性を信じました。
」
二人はすぐに結婚した。8 月にオバマが生
まれた。1961 年のことである。黒人の父バ
61
東アジア論壇/第 12 号/2016
America and Asian America — there's the
United States of America.)
喝采を送り続けた。その模様が全米に広く中
継されるとともに、オバマ人気が一夜にして
一気に高まった。
「彼は出世する。タイガー・ウッズのように
…」「約束も分断も超越する人物」
「彼は初の黒人大統領になれる人物」
全米のマスコミはこの希望の新星の誕生に
祝福を送り続けた。
「イラク戦争に反対した愛国者も、支持し
た愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う
“アメリカ人”なのだ。
」
「私たちは皆、星条
旗に忠誠を誓い、ともにアメリカ合衆国を守
っているのです。
」(We are one people, all
of us pledging allegiance to the stars and
stripes, all of us defending the United
States of America.)
会場は沸き返っていた。拍手喝采が鳴りや
まなかった。泣いていた人もいた。妻のミシ
ェルも涙を流していた。歴史が作られる瞬間
だった。
オバマは国民にメッセージを投げかけた。
われわれは共和党や民主党の一歩先を行こ
う。私はイデオロギーだけでなく、従来あっ
た人種的な分断を乗り越えてみせる。そして
自らのメッセージを体現してみせるのだ。
エピローグ: オバマ、その後の物語
7 月 28 日、ケリーとエドワーズは正式に
民主党正副大統領候補としての指名を受け
た。両候補は現職の共和党大統領ジョージ・
W・ブッシュと本選挙を戦い、僅差ながら敗
北した。
2004 年大統領選挙によって米国民が二派
に分裂されてしまった。ケリーの落選により
落胆する国民が多く、抗議デモも起こるなど
世論の沈静化を図ることが最大の国内問題
となった。国内世論はイラク戦争により失墜
した米国の信頼回復に向けた政策転換が求
められていた。
2007 年 2 月、オバマ上院議員は地元であ
るイリノイ州の州都のスプリングフィール
ドにて 2008 年アメリカ大統領選に向けて正
式な立候補宣言を行った。スプリングフィー
ルドはかつてイリノイ州議会議員を 4 期務
め、さらに第 16 代アメリカ大統領に選出さ
れたエイブラハム・リンカーン大統領ゆかり
の地であり、彼の政治家としての人生の出発
点であった。
だが、大統領に就任した 1861 年に、奴隷
制廃止に異を唱えて独立宣言をした南部連
合と合衆国の間で南北戦争が勃発し、国家分
裂の危機を迎えた。これを受けて翌年、リン
カーン大統領によって有名な奴隷解放宣言
が発表され、アメリカにおける奴隷制は順次
廃止され、黒人は奴隷のくびきからは脱して
いた。オバマ誕生からちょうど 100 年前の出
来事である。
周知のとおり、1865 年に南北戦争は合衆
国の勝利で終結し、南部連合は解体された。
だが、法の上での黒人や先住民などに対する
人種差別はその後も 100 年以上に渡って続
くことになり、奴隷解放の父とよばれたリン
カーン自身も戦争終結直後に暗殺されてし
(写真:2004 年 11 月 2 日、妻ミシェル、娘のマリア、サシ
ャと一緒に上院選の結果を待つ オバマ候補@シカゴ【AFP=
時事】
黒人政治家として初の民主党大統領候補
になったジェシー・ジャクソンは立ち上がっ
て拍手した。彼は公民権法施行後に代表的な
黒人活動家となり、キング牧師らと親交を持
った。
ヒラリー・クリントンも立ち上がって拍手
した。この時、彼女は 4 年後の民主党大統領
候補選でオバマと死闘を繰り広げることを
予想したのだろうか。この大会では、ヒラリ
ーは公式な演説者としてではなく、夫のビ
ル・クリントン前大統領を紹介する役柄とし
て登壇した。
会場にいるみんなが立ち上がって拍手と
62
東アジア論壇/第 12 号/2016
まう。
2009 年はリンカーン生誕 200 年にあたる
節目の年である。1776 年に独立宣言が発表
され、アメリカ合衆国が誕生して以来、233
年目にして初のアフリカ系アメリカ人大統
領バラク・オバマが誕生する。
1 月 17 日には、奴隷解放を宣言したリン
カーン大統領の 1861 年の就任時の故事に倣
い、オバマはフィラデルフィアから列車で首
都ワシントン入りする。
そして、大統領就任式前日の 19 日はキン
グ牧師の生誕を記念する国民的祝日 Martin
Luther King, Jr. Day である。その前日に、
オバマはかつてアメリカの人種差別撤廃へ
の 第 一 歩 と な っ た キ ン グ 牧 師 に よ る “I
Have a Dream”の歴史的な演説が行われた場
所、リンカーン記念堂前で「私たちは1つ」
をテーマに 50 万人が参加するコンサートを
開く。故キング牧師の息子も参加。
明日達成しなければならないことへの希望を与え
る。
この選挙は初物づくしだった。何世代にも渡り
語り継がれるだろう。でも、今夜私の心にあるのは
アトランタで 1 票を投じた女性のことだ。彼女は今
日投票した何百万人もの人と同様に、列に並び、
意見を表明した。ただ 1 つ違うのは、アン・ニクソ
ン・クーパーが 106 歳だということだ。
彼女が生まれたのは奴隷制度があった時代の
すぐ後だ。道路に車はなく、空に飛行機はなかっ
た時代だ。彼女のような人は 2 つの理由で選挙に
参加できなかった。1 つは女性であること。もう 1 つ
は肌の色によってだ。今夜、私は彼女が見てきた
今世紀のすべての出来事に思いをはせる。心痛
と希望、苦悩と前進、“できない”と言われた時代と、
それでも信念を貫いた人。Yes, we can.
大草原地帯が砂嵐の被害を受け失望が広がっ
た時も、不況が国土を駆け巡った時も、彼女は国
がニューディール政策と新規雇用と公の精神で
恐怖を克服するのを目撃した。Yes, we can.」
そして、2009 年 1 月 20 日、オバマは大統領就
任式でこう語った。
「アメリカよ。危機に直面した今、この困難の冬
に、我々はこの永遠の言葉を思い出そうではない
か。希望と善によって、氷のように冷たい流れにも
う一度勇敢に立ち向かい、いかなる嵐が訪れよう
とも耐えようではないか。」
大寒波と百年に一度ともいわれる金融危機に
襲われた 2009 年のアメリカ、バラク・オバマは果
たしてアメリカ合衆国の国民融和の象徴になるの
だろうか。
(リンカーンが 1861 年の就任式に使った聖書で就任の宣誓が行
われた〔AP Photo〕。 日経ネット写真ニュース
http://www.nikkei.co.jp/senkyo/us2008/photonews/)
(*東方ネット日本語版、2016 年 5 月 23 日掲載
の同名寄稿文より許可を得て転載。)
大統領就任式の 1 月 20 日は、暦のうえでは大
寒の日、その直後に旧正月の元日を迎える。丑
年生まれの 47 歳のオバマ大統領は 2009 年、東
洋流にいえば、4 回目の厄年を迎えることになる。
大統領選開票の日、44 代目のアメリカ合衆国
大統領に選ばれたオバマは、勝利宣言でこう語
った。
「米国はすべてが可能なところだということをま
だ疑い、我々の建国者の夢が現在でも生き続け
ていることをまだいぶかしく思い、民主主義の力に
まだ疑問を抱いている人がいるとしたら、今夜が
答えだ。」
「米国の本当の才能は変化できることだ。合
衆国は完ぺきになれる。これまで達成したことは、
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東アジア論壇/第 12 号/2016
日本華人教授会議活動記録
(2015 年 10 月~2016 年 9 月)
1.学術活動・社会教育活動
◆ 2015 年 10 月 12 日午前 東京大学山上会
館で「戦争・対立から平和へ―歴史から汲み
取るべきものは何か―」と題した戦後 70 年
特別講演会を開催。
第 11 回「全中国選抜日本語スピーチコンテ
スト」を日本経済新聞社・中国教育国際交流
協会と共同主催で開催。吉林大学学生の権成
実氏が最優秀賞を獲得。中国国内八大ブロッ
クで開催された予選に本会会員を派遣、勝ち
抜いた 16 名が本選に出場。
◆ 10 月 12 日午後 日本華人教授会議第 12
回年次国際シンポジウムを東京大学山上会
館で開催。テーマは「21 世紀における中国
のイノベーションと中国経済の行方」
。
◆ 9月 19 日 東京華僑会館にて日本華人政
経フォーラム「米中関係の発展方向とグローバ
ルガバナンスの変貌」を開催。両岸関係研究セ
ンターが共催、全日本華僑華人連合会が後援。
◆ 11 月 21 日 千葉商科大学国際会議場に
て「戦争・対立から平和へ―歴史研究の現場
からのメッセージ―」をテーマとした戦後
70 周年記念国際シンポジウムを開催。
2.対外交流活動
◆ 8 月 23 日~30 日 日本華人教授会議第
10 回帰国訪問団を実施。北京にて外交部、
中国人民外交学会、中国社会科学院法学研究
所を訪問した後、国務院僑務弁公室裘援平主
任と会見、夕食会に招待される。その後、新
疆ウイグル族自治区ウルムチ市及び新疆南
部のカシュガル地区を中心に視察訪問。
◆ 12 月 12 日 専修大学神田校舎にて 2015
年度国際アジア共同体学会と共催で「東アジ
ア地域統合の未来をどう拓くのか」をテーマ
としたシンポジウムを開催。
◆12 月 17 日 如水会館オリオンルームに元
駐フランス中国大使で中国外交学院元院長
の呉建民氏を招き、
「世界的局面から見た東
アジアと日中関係―日中関係を如何にして
さらに前進させるか―」をテーマに、日中科
学技術文化センター・日中関係研究所との共
催で講演会を開催。
3. 組織運営
◆ 2015 年 10 月 11 日 2015 年度第 2 回幹事
会及び拡大幹事会を開催。会員総会議事承認。
◆ 2016 年1月9日 一橋大学経済研究所に
て「2016 年新春中国経済座談会」を開催。
◆ 2016 年 5 月 7 日 2016 年度第 1 回幹事会
及び拡大幹事会を開催。年次シンポジウム案、
新入会者審査、会計報告などを審議。
◆ 10 月 12 日 東京大学山上会館にて第 13
回会員総会を開催。会則の改訂版、活動報告、
会計報告等を承認。
◆ 6 月 4 日 専修大学神田校舎にて「米中
対峙時代の東アジア地域協力を構築する」と
題した国際シンポジウムを開催。日中友好協
会・国際アジア共同体学会と共催。
◆ 7 月 19 日
◆ 9 月 第 7 回幹事会選挙を実施
東京大手町日経ホールにて、
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日本華人教授会議 会則 (抜粋)
(2003年1月26日採択,2008年11月22日改正、2015年10月12日改正)
(名称)
第一条 本会は、日本華人教授会議(The Society
of Chinese Professors in Japan)と称す。略称
SCPJ。
(目的)
第二条 本会は、平和と人権を重んじ、自由・平
等科学・公正を以って基本精神とする。
第三条 本会は次項に定める目的の実現を目指
すものとする。
1 日本華僑・華人教授、学者の学際的交流と相
互間の親睦をはかるとともに、学術研究レベルの
向上に努める。
2 日本における華僑・華人の名誉を守り、信頼
を高め、その社会的地位の向上および正当な権利
の擁護を図る。
3 広範な学術交流を通じて、中国の発展に貢献
するとともに、海峡両岸の相互理解促進と最終統
一の実現に寄与する。
4 日本の各界と広く交流し、中日間の友好、相互
理解と信頼関係を促進し、華僑華人ネットワーク
を通して日本とアジア・世界とのかけ橋になる。
5 各地域・各国の学術・文化界との対話と交流
を広範且つ積極的に行い、グローバルな視点で学
術文化の創造に寄与する。
(活動)
第四条 前条の目的を達成するための活動。
1 会員間の交流活動。
2 各研究委員会による共同研究活動。
3 日本の各界との交流活動。
4 国境を超えた多文化、多領域での学術交流活
動。
5 その他、本会の目的に合致し、幹事会が承認
した活動。
(入会)
第五条 本会の入会資格及び手続き。
1 会員は、本会の目的に賛同し、本会の活動に
貢献する意思を持ち、社会的にもしくは専門分野
で評価される業績を有する日本在住及び在住経
験のある華僑・華人または帰国者・第三国移住者
の専任教授、研究者及びそれに準ずる者とする。
2 上記の資格を有する者は、所定の手続きを経
て入会する(実施細則第1条を参照)。
(第六条 会員の権利及び義務。掲載略。)
(幹事会)
第七条
1 本会は、代表、副代表、幹事(15名)、及び
監査(2名)を置き、以って幹事会を構成する。
2 本会は、監査2名を置く。監査は幹事会に参
加することができる。
3 本会は必要に応じて学術顧問を設けること
ができる。学術顧問は幹事と同様の責務を有する
(実施細則第5条を参照)。
(第八条:幹事の選任、第九条:幹事の任務、第
十条:事務局、第十一条:各種委員会、第十二条:
総会、第十三条:経費と会計、第十四条:会則の
改正、第十五条:会則の改正、附則。掲載略。)
実施細則
第1条 入会希望者は、分野が近い会員3名の推薦
を受け、次の手続きを経て入会する。
①3名の推薦人は連名で事務局長にメールか書面
で入会申請書を請求し、それを受け取ってから申
請者に渡す(メール送信可)。
②申請者は申請書のフォーマットを変えず、必要
項目にすべて記入して推薦人に渡す。
③推薦人はその申請書を事務局経由で総務委員
会に提出し、総務委は書類審査を行ったうえで、
速やかに幹事会に提出する。
④幹事会は審査を行い、会員にするには3分の2
以上の賛成を必要とする。
⑤審査結果は事務局経由で推薦人に通知し、入会
が許可された場合、申請人は速やかに入会の手続
き(会費の納入など)を済ませる。
第2条 会費は、入会金10,000円、年会費2,000
円とし、入会が承認された年度から納付する。
第3条 三年間(総会終了の翌日より3年後の総
会終了日まで)にわたって会費を滞納した会員は、
幹事会の議を経て退会扱いとする。
第4条 幹事会の会議を欠席する幹事は、定める
書面により、他の出席幹事にその議決権を委任す
ることができる。また、総会および臨時総会を欠
席する会員は、幹事会の定める書面により、他の
出席会員にその議決権を委任することができる。
第5条 本会は、必要に応じて、学術の造詣及び
徳望などの面においていずれも優れており、かつ
本会に対し著しい貢献を行った会員を学術顧問
として選出することができる。
第6条 必要に応じて、代表は議題関連の会員を
幹事会に招き、幹事会拡大会議を開くことができ
る。
第7条 必要に応じて、代表は幹事または会員の
中から事務局副局長を指名することができるが、
2名を限度とする。
写真
2016 年 10 月発行
日本華人教授会議・NPO 中日学術交流センター会報
第 12 号
★
日本華人教授会議・NPO 中日学術交流センター 事務局
〒101-0052 東京都千代田区神田小川町 3-6 日本分譲住宅会館 4 階
TEL/FAX: 0 0 81 - 3 - 35 1 8 - 9 7 7 1
Email:[email protected]
URL:http://cpj-cpjac.jp/