長野大学紀要

長野大学紀要
第33巻第2・3号合併号(通巻第124号)
長
野
大
2012年2月
学
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号(通巻第1
2
4号)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
目
<論
次
文>
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
―2
0
0
0年代中葉の学校査察改革を中心に―
…………………………………………………………………………久保木 匡 介………1
「生活保護開始仮の義務付け認容決定」の社会福祉学的考察
!
…………………………………………………………………………
木 博 史………1
9
上田自由大学受講者群像(1)
―宮下周、堀込義雄の軌跡―
…………………………………………………………………………長 島 伸 一………2
7
流行語から見る中国社会の表現の変化
………………………………………………ビラール イリヤス・姜
雪 寧………4
3
価値次元の見えないイノベーションの継続的創出に向けて
…………………………………………………………………………森
俊 也………5
5
老年期に達したダウン症候群
…………………………………………………………………………上 平 忠 一………6
7
<研 究 ノ ー ト>
関係性に支えられた〈地域の交流分析教室〉からの取り組みについて
〜もっと 生きやすい あたらしい自分へ〜
…………………………………………………………………………大 江 亜紀子………7
9
<2010年度長野大学研究助成金による研究報告>
(準備研究)
起業家のコンピテンシー論から見た曖昧な業務に
対応する職務能力の解明 ……………………………………………河 野 良 治………8
5
3次元光反射モデルと画像計測に基づいた
人間の肌の表面状態推定 ……………………………………………田 中 法 博………8
7
明代後半期におけるマンチュリアの
社会変動と統治機構の検討 …………………………………………塚 瀬
進………8
9
長野県上田小県地方の青年団運動と信濃黎明会・
上田自由大学との関係 ………………………………………………長 島 伸 一………9
1
社会事業理論史の構築のための基礎的研究Ⅱ …………………………野 口 友紀子………9
5
インターネットをベースにする中国語教育システムの
より一層の効果的な実用化を目指して ………………………ビラール イリヤス………9
7
(基礎研究)
小規模水域が里山生態系の再生にもたらす効果の検証 ………………高 橋 大 輔………9
9
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第3
3巻第2・3号合併号
1―1
7頁(5
3―6
9頁)2
0
1
2
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
―2000年代中葉の学校査察改革を中心に―
School Inspections by OFSTED and the Professionalism of School Education Part 3:
Reform of School Inspection in mid-2000s
久保木
匡
介*
Kyousuke KUBOKI
中盤のブレア政権第二期〜第三期に進められた教
はじめに
育水準局の査察改革を考察する。そこで中心的に
1997年に政権交代を果たしたブレア労働党政権
検討されるのは、2005年教育法によって確立され
は、保守党政権が創設した教育水準局査察につい
た新たな査察システムである。2
005年教育法で
て、その大枠を継承すると同時にいくつかの修正
は、第一期労働党政権よりもさらに踏み込んだ形
を施した。その最初の一つが、教育水準局の査察
で、査察プロセスへの学校自己評価の導入がなさ
プロセスに学校自己評価(School Self-evaluation)
れたが、このことは教育水準局査察を中心とする
を導入することであった。
イギリスの学校評価システムのどのような変化を
筆者は、前稿で労働党政権第一期に導入された
意味するものであったのか。これを、筆者のイギ
自己評価について検討を行い、次のことを確認し
リス学校評価の分析に対するこれまでの問題意識
た。自己評価の導入は、1997年以降の労働党政権
を踏まえて敷衍すれ ば、次 の よ う に な ろ う3。
下では教育水準局査察に学校自己評価が加えられ
2000年代中盤の査察システムの改革は、自己評価
る形で行われたが、自己評価の評価指標は外部評
という「職能改善モデル」に親和的な評価手法を
価=査察の指標を基礎に設定されたこと、した
本格的に採用することに よ り、
「競争と外部評
がって教員や生徒、保護者らによる評価プロセス
価」を軸とした「説明責任モデル」に基づく教育
の「領有」は企図されなかったことである。すな
改革とその柱としての学校評価に修正を迫るもの
わち、ブレア政権第一期における学校自己評価の
であった、と捉えることができるのか。あるい
導入は、学校改善や教員の専門性開発とその支援
は、労働党政権第一期の自己評価導入について筆
に重点を置く「職能改善モデル」ではなく、外部
者が行った評価のように、
「自己評価システムの
評価者へのパフォーマンスの証明に力点を置く
形式を通じて国の品質保証システムを内在化さ
「説明責任モデル」を構成するものであったとい
4
るという、
「精緻化された説明責任モデル」
せ」
うことである1。それは、「自己評価システムの形
として捉えるべきものなのか。
式を通じて国の品質保証システムを内在化させた
「自己査察」のシステムへの道を予感させるもの
本稿では、これらの論点を次の手順で検討して
いく。
2
。
であった」
まず、2000年代の教育水準局査察に最大の変化
本稿ではこの認識を出発点に、おもに2000年代
をもたらした2004年「子ども法(Children Act)」
*環境ツーリズム学部准教授
― 1 ―
5
4
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2
お よ び2005年「教 育 法(Education Act)」成 立 に
指すものであり、それを通じて子どもに関わる全
いたる査察改革の展開を概観する。この展開のプ
ての公共サービスを改革することが企図されてい
ロセスは大きく2つに分けられる。一つは、
「査
る5。
察指標の多様化」と呼ぶべきプロセスであり、査
このような改革がめざされた直接のきっかけ
察で評価される指標の種類を従来より拡大し、査
は、2000年、8歳 の 女 児 Victoria Climbie が 虐 待
察を通じて学校や地方自治体に要請する内容を多
によって死亡した事件が社会的に大きな衝撃を
様化させていくものである。具体的には、2003年
もって受け止められたことである。この事件に対
の政府 緑 書『す べ て の 子 ど も が 大 切 だ(Every
して設けられた政府の機関 Loard
Child Matters)』によって提起された、子どもの健
は、事件を未然に防ぐことは可能であったにもか
康、福祉、安全などを教育の責任において守って
かわらず、それを防げなかった現状の子ども向け
いく政策の一環として、これらの事項に関わる評
サービスには、システム上の問題があることを指
価指標が学校評価に導入されたことを指してい
摘した。具体的には、専門職による実践の水準の
る。
低さ、責任を持つ人間(集団)の欠如、第一線職
もう一つは、従来の教育水準局査察の批判の上
に立った査察の「軽量化」と呼ぶべきプロセスで
Laming 委員会
員に対する運営上のサポートの弱さ、諸機関の間
で情報の共有ができていないこと、である6。
ある。この「軽量化」には、先述の学校自己評価
これを受けて、政府は2003年に緑書『すべての
の「強化」をはじめ、査察期間の短縮化、高パフ
子どもが大切だ(Every Child Matters)』を発表し
ォーマンスの学校への査察の「割引」といった諸
た7。これは、子どもの健全な成長に向けた先の
政策が含まれる。
5つの項目における成果を得るために、関係諸機
次に、これらを柱として導入された2005年の査
関に早期の適切な介入を行うことを求めたもので
察改革が、教育現場にどのような影響をもたら
ある。ここで子どもサービスのシステム改革とし
し、それに対してどのような評価が行われたのか
て提起されたのは以下の政策であった。
について、いくつかの調査報告と議会文書により
・子ども向けサービスの計画と実施は5つのアウ
トカムに焦点化すること
ながら概観する。これらを踏まえ、上記で述べた
論点につき、2000年代半ばに行われた教育水準局
・第一線サービスを統合して提供すること
の査察改革をどのように評価することができるの
・子どものためのサービスを横断的に利用できる
ようなプロセスの構築
か、簡単に考察する。
・自治体は「子どもトラスト(Children’s Trust)」
1 2
0
0
0年代の学校査察改革
の展開を導くこと
(1)査察指標の「多様化」と子ども・学校の社
・教育水準局が主導機関として査察を統合し、諸
会経済的背景の「包摂」
サービスが各地域において、ECM アウトカム
2000年代中葉における査察改革の柱の一つは、
を改善するために共同して機能しているかどう
従来の学校査察における評価指標に加え、
「Every
かを評価すること
Child Matters アウトカム」(以後、ECM アウトカ
ム)と呼ばれる新たな評価項目とそれを評価する
この最後の部分を実行すべく、教育水準局によ
ための指標が導入されたことである。ECM アウ
る学校査察の中で5つの ECM アウトカムの評価
トカムとは、すべての子ども・若者について、
が行われることとなった。5つの ECM アウトカ
「健康であること(be healthy)」「安全であるこ
ムはそれぞれ5つのねらいを持ち、そのねらいに
と(stay safe)」「楽しみながら達成すること(en-
対応した指標が設定されている。そのうえで判断
joy and achieve)」「積 極 的 に 社 会 貢 献 す る こ と
すべき項目が一つのアウトカムにつき5〜6つ設
(make a positive contribution)」「経済的に満たさ
定されている。
れていること(achieve economic well-being)」の
例えば、「健康であること」のねらいとそれに
5つの項目について、良好な状態であることを目
対応する指標として、次の5つが挙げられてい
― 2 ―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
る8。
5
5
(2)査察の「軽量化」
・子ども・若者が肉体的に健康であること
このような動きと平行して、教育水準局は2004
・子ども・若者が精神的、情緒的に健康であるこ
年2月にコンサルテーション・ペーパー『査察の
未来(The Future of Inspection)』を発表した10。こ
と
・子ども・若者が性的に健康であること
れは ECM アウトカムの導入などの新たな動きを
・子ども・若者が健康的なライフスタイルで過ご
ふまえつつ、10年目を迎えた教育水準局査察のあ
り方を総合的に見直そうとするものであった。
していること
この見直しについて、政府としては、
「細かな
・子ども・若者が違法なドラッグを手にしないこ
マネジメントや官僚制による統制を排し、学校管
と
理者たちのエネルギーを解放して改革のギアを挙
さらに、査察において行われる子どもサービス
げるために、学校との新たな関係の構築へ進んで
の評価については、以下の点を判断するものとさ
11
ことを企図していた。それは次のような項
いく」
れている。
目について、従来の査察の反省と改革を行うこと
を意味していた。
第一に、査察が行われるサイクルである12。教
・親や養育者が、子どもを健康に育てるための支
育水準局の認識では、より頻繁な査察により査察
援を受けているか。
・健康的なライフスタイルが、子ども・若者に
官が恒常的に学校現場と接触していることが学校
改善を促すとされる。その観点からすれば、現在
よって推進されているか。
・子ども・若者の肉体的な健康を促進する活動が
の6年に1回という査察頻度は少なすぎるのであ
り、この頻度を最低でも倍以上にしなければなら
行われているか。
・子ども・若者の精神的な健康を促進する活動が
ない。また ECM アウトカムについての評価とい
う新たな課題との関係でも、従来の査察サイクル
行われているか。
・子どもの健康を世話するニーズが認識されてい
は見直される必要があるとされた。
第二に、学校の負担の軽減の問題である13。査
るか
・子ども・若者の健康に対するニーズが困難や障
察を告知されてからの準備にかかる学校の負担
は、極めて重いものであった。これを軽減するた
害と共に認識されているか。
めにいくつかの方策が提起された。一つには、労
労働党政権は、1997年の発足以来、社会的包摂
働党政権発足後に導入された学校自己評価が各学
を主要政策の一つに掲げ、社会から排除されてき
校で習熟してきたことを受けて、学校査察におけ
た子どもや若者に対しても積極的な対策を講じて
る学校自己評価の位置づけを強めることである。
きた。たとえばシュア・スタート・プログラム、
今や「より多くの信頼を学校に置き、教員らの専
教育アクションゾーンの設置、ニューディールと
門性に頼るときである」。
呼ばれる就労支援政策などである。この事件はそ
いまひとつの方策は、査察の事前告知を縮減す
うした労働党政権の子ども・若者政策にも大きな
ることである。教育水準局によれば、査察に関わ
インパクトを与えることとなった。そのインパク
る弊害は、教育水準局の要請ではなく、査察に対
トとは、第一に、子どもサービスに関わる関係諸
して何週間も前から過度な準備をしようとしてし
機関が、共通のアウトカムの達成に向けた協力を
まう教員の心象から生まれるものである。それな
求められるようになったことである。これはブレ
らば、すでにチャイルドケアの査察で行われてい
ア 政権 の「連 携 政 府(joined-up government)」と
るように、告知無しの査察にした方が、査察への
いわれる政策路線に符合する9。第二には、それ
負担は減らせるのではないかと考えられた。
らの達成が教育水準局査察による事後評価によっ
て管理されるようになったことである。
さらに、査察期間そのものを短くすること、査
察チームを小規模にすることなどの提起もなされ
た。総じて、ここで描かれた新しい査察システム
― 3 ―
5
6
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
のイメージは、従来よりも頻繁に行われるが、自
ステムや学校にかかわるアクターにおいて、以下
己評価の徹底や告知の廃止等により「軽量化」さ
の改革が着手されていることが 報 告 さ れ て い
れたものであるといえよう。
る17。
4ヵ月後の2004年6月、教育水準局と教育雇用
省(DfES)は、『査察の未来』の提起を受けて行
・各学校の3年間の予算と計画の編成。
われたいくつかの学校におけるパイロット査察の
・より短く鋭い査察により、各学校が生徒の到達
結果を踏まえ、『学校との新たな関係(New Rela-
を向上させるための優先順位を正しく追求して
tionship with Schools)』を発表し、査察改革の内
いるかどうかについて、明確な表象を与える。
14
容をさらに具体化した 。
・学校のプロフィールを通じて、そしてより頻繁
この文書の狙いは教育雇用大臣と教育水準局長
な査察によって保護者によりよい情報を提供す
官の序言により、以下のように記されている。
る。
「われわれの狙いは、学校が到達水準の向上を図
・校長経験者など高度な専門性を持つ者を「学校
るのを手助けすることである。それは、明確な優
改善パートナー(school improvement partner)」
先順位、散漫でないインテリジェントな説明責
として国が委任し、それらが学校長に意見具申
任、およびシステム全体の改革や保護者への良質
な情報提供に対する学校リーダーの役割の重視に
し、支援する。
・さまざまなステークホルダーへの説明責任では
15
。
よってもたらされる」
なく、各学校と学校改善パートナーが学校の改
では、文書のタイトルにもなっている「学校と
善の優先順位について「個別対話(single con-
の新たな関係」とは何か。上述の狙いに表現され
ているように、学校と中央政府、自治体の関係を
versation)」を行う。
・計画や査察、および「個別対話」のスタートポ
変え、より高い到達水準の向上を促すべく学校の
イントとして学校自己評価を重視する。
イニシアチブとエネルギーを「開放」することで
・よりよいデータと情報システムにより個々の生
ある。そのために、次のような改革の基本方向が
徒の進歩の最新の情報が利用できるようにす
打ち出された16。
る。
・学校が何をいつ記述するかを選択できるような
・厳格な自己評価とより強力な協働、および改革
コミュニケーションの簡易化。
に向けた効果的な計画によって、学校の改善能
力を確立する。
いくつかの点を補足しよう。
・有能な学校リーダーがシステム全体の改革に大
きな役割を果たせるようにする。
この提案により、学校査察のスタート時点で、
すべての学校に学校自己評価を行うことが義務付
・厳格でなおかつより負担のない、親や子どもに
けられた。学校自己評価については、前稿で指摘
必要な情報を提供する、インテリジェントな説
したように、労働党政権第一期においてすでに導
明責任の枠組みを作動させる。
入されていたが、査察システム全体における位置
・不必要な官僚主義を縮減し、同じような応募や
づけは明確にされておらず、すべての学校におい
要請、計画を何度もせずとも、学校が求める支
て実施されていたわけではなかった。また、学校
援に容易にかかわれるようにする。
自己評価における評価基準は、基本的に教育水準
・データシステムを改革し、学校や協働者の手元
局が用いる査察の基準がほぼそのまま適用されて
に、生徒の成長にかかわる有益なデータを提供
いた。したがって教育水準局自身が現在のシステ
できるようにする。
ムを「中央 が 学 校 に 神 経 を 尖 ら せ る シ ス テ ム
・学校の優先順位と自治体や中央政府の優先順位
18
と表現し
(central nervous system of the school)」
ている。
を調整する。
『学校との新たな関係』が提起した学校自己評
これらを達成するために、教育水準局の査察シ
価においては、自己評価のプロセス自体が各学校
― 4 ―
久保木匡介
表1
重点項目
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
5
7
『学校との新たな関係』に基づく改革
従来
新規
査察
・査察の6−1
0週間前に告知
・2−5日前に告知
・次の査察まで最大6年の間隔
・最大で3年の間隔
・相対的に大規模な査察チームが一週間訪 ・小規模なチームが2日以内の訪問:現在の
問
査察の4分の1のウエイト
公的説明責任
・学校理事による年次報告書
・毎年の保護者会
・学校プロフィール
学校への支出
・支出年度に沿った単年度支出
・2
0以上の支出単位(グラント)
・学校の年度に沿った3年間の支出
・5以下の支出単位
外部からの支援
・リンク・アドバイザー
国が信任した学校改善パートナーが自治体に
働きかける
学校自己評価と計画
・ほとんどの学校が評価のフォームを有し ・査察、計画、外部とのやり取りのスタート
ているが、計画や査察と関連づけられて
としての自己評価
いない
・個別対話
・複雑な説明責任と支援プログラム
データ
・複合的な調査
・学校センサス:一度集められたデータは何
・査察やモニタリング、計画と整合しない
度も活用される
学校パフォーマンスのデータ
・整合が図られたデータ
コミュニケーション
・月ごとに全学校に発行されるペーパー
・オンライン注文方式
出所:DfES and OFSTED(2
0
0
4)
,New Relationships with Schools : Next Steps, P.
7.
によって各々の独自の環境に基づいてデザインさ
こで強調されたのは、このような基準を設定する
れるべきであること、各々の独自のニーズに基づ
目的は、査察によって行われた判断をすべての
いて展開されるべきであることが唱えられてい
人々が知ることができるようにするためであり、
る19。
判断基準は「プロセス」に対してではなく「結
他方では、学校改善にとって、外部への説明責
任と学校内部における質の保証のバランスを適切
果」に対して適用されるものである、ということ
である。
に図るシステムの構築が、重要であることが強調
以上のような査察を通じた学校改善を、より
される。自己評価は、学校やステークホルダーの
「学校主導」で行うために新たに設けられたの
参加を組織しつつ、学びや教育指導およびアウト
が、「学校改善パートナー(School
カムの改革に結びついてこそ有効なものであると
Partner)」の 制 度 で あ っ た。「学 校 改 善 パ ー ト
される。そして、学校自己評価においては、各学
ナー」は、各学校のリーダーである校長が、学校
校に対して、次のことを具体的に評価することが
の改善の実務とそこで求められるリーダーシップ
求められている。生徒が達成した水準(異なる集
の実際について熟知している人間からの支援を受
団ごとの達成水準)/ステージからステージの間
けるしくみである。同パートナーには、校長経験
の生徒たちの学習の進歩の度合/ECM アウトカ
者のような、人々からの信頼が厚く経験豊富な実
ムを含む人間的な成長/生徒に提供された教育、
践家が国の基準にもとづき任命される。彼・彼女
カリキュラム、ケア等のサービス/学校のリー
は、各学校の自立性に配慮しながら、児童生徒の
ダーシップや管理。
到達度に焦点を当て、証拠に基づき学校の指導や
Improvement
教育水準局は、これらの自己評価を受けて、こ
学びのパフォーマンスを評価し、専門的な見地か
れまで7段階だった査察の判断基準(criteria)に
ら指摘と支援をすることが要請 さ れ た の で あ
もとづく格付けを4段階で行うこととなった。こ
る20。
― 5 ―
5
8
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
していることが報告されている。また同報告書で
2 査察改革提案のうけとめ
は、さらに43校が、学校改善に失敗したとして特
次に、これまで見てきた2000年代半ばの学校査
別措置の下に置かれる見込みである、とされてい
察改革の提案がどのように受け止められてきたの
る。教育水準局が査察によって重大な弱点がある
かを概観する。ここで取り上げるのは、教育水準
と判定したにもかかわらず、これらの学校では改
局の学校査察を総合的に検証してきた議会下院教
善のための有効な介入が行われず、むしろその判
育・技術委員会(HC. Education and Skills Commit-
定により優秀な職員や経験豊富な教員を集めるこ
tee)の見解と、学校自己評価を中心にオルタナ
とが困難となり、それが生徒の募集にも悪影響を
ティブな学校評価システムを提起してきた全国教
及ぼすという「凋落のスパイラル」が生じてい
員組合(NUT)の見解である。これらの見解に
る。また、中等学校卒業時に全生徒に課される
共通する特徴は、単に教育水準局や教育雇用省が
GCSE 試験の結果について、教育水準局査察は成
提起した査察改革への意見を述べるだけでなく、
績の改善には貢献していない、という調査報告も
教育水準局による学校査察の1
0年間の検証を行
紹介されている22。
次に報告書で指摘される教育水準局査察の課題
い、その認識の上に意見を述べていることであ
は、査察を受ける各学校の負担問題、特に査察を
る。
予告された学校が準備に過剰なエネルギーを注い
(1)下院教育・技術委員会の査察改革への評価
でしまう問題である。この問題については、多く
2004年に発表された議会下院の教育・技術委員
の学校が不必要な準備のために、学校本来の仕事
会の報告『教育水準局の機能(The Work of OF-
である教育や学習指導以外に多大なエネルギーを
STED : Sixth Report of Session2003‐04)』では、教
振り分けてしまい、それが却ってパフォーマンス
育水準局査察の現状に対する問題意識が以下のよ
の低下を生んでいる現実が指摘されている。また
うに述べられている。
教育水準局の側も、このような状況が学校側に意
「学校の到達水準については過去十年で著しい改
図せざる負の影響を及ぼしているという認識を有
善が見られたが、われわれは、教育水準局による
している、とされる。
ネガティブな判定から失敗校の烙印を押されるこ
以上のような教育水準局査察によってもたらさ
とにより、優秀な学生や質の高いスタッフを集め
れる「負の効果」は、同査察が外部への説明責任
られなくなり、改善がさらに困難になる学校が出
の確保を主要な狙いとしており、学校現場、特に
ることを懸念している。査察の価値は、それが助
教員の専門性向上を直接に導くシステムを有して
言に結びつけられなければ減じられる。教育水準
いないことに起因する。学校側からすれば、外部
局が不適切な教育を行っている学校を認識するこ
への説明責任を果たすことが「凋落のスパイラ
とは重要だが、政府は教育水準局のネガティブな
ル」に陥ることを避けるために不可欠となるため
判定を受けた学校が、地方教育当局(LEA)や地
に、査察の受け入れ準備には多くのエネルギーを
方の学習・技術習得カウンシル(LSC)などの機
割かざるをえない。したがって、報告書が教育水
関から支援を受け、失敗校が改善する具体的な機
準局査察に対して学校への助言機能を持つこと
21
会を保障する必要がある」。
や、地域の諸機関による学校改善のための支援体
この内容について、報告書からさらに詳しく見
てみよう。
制を制度化することを求めたことは、その限りに
おいて、説明責任中心の学校評価システムを、職
まず、約10年の学校査察の結果、一定の学校に
対しては、査察とそれに基づく判定が学校の改善
能改善中心の評価システムへシフトすることを求
めたものと評することができる。
に結びつかず、むしろ査察結果が学校に大きな困
他方で、下院教育・技術委員会報告による査察
難をもたらしてしまっている。たとえば教育水準
改革に対する見解のいまひとつの特徴は、以上の
局の2002‐03年次報告書では、特別措置におかれ
ような問題意識と懸念を踏まえつつ、教育水準局
る学校の数が、前年の129校に対して160校に増加
や教育雇用省の査察改革の提案の大枠を受け入れ
― 6 ―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
ていることである。
5
9
外部評価との接合が図られていること、などであ
報告では、教育水準局と教育雇用省が提案した
る。NUT は、『査察の未来』から『学校との新た
『学校との新たな関係』が提起した新たな査察シ
な関係』にいたる査察改革の提案に対しても、こ
ステムに対して、
「現在のシステムに対してわれ
のような立場から根本的な批判 を 提 示 し て い
われが指摘してきた多くの欠陥へ対応しており、
る26。
23
好意的に歓迎できるものである」と述べられてい
NUT によれば、教育水準局査察とは、説明責
る。特に、同報告や委員会での証言でも複数の証
任追求を目的とし、スナップショットの外部評価
言のあった査察への過剰準備とその負担の問題に
に基づく懲罰的なシステムであり、すべての学校
対して、『学校との新たな関係』の提案を査察へ
に学校改善をもたらすシステムではない。この査
の学校負担を軽減するものとして評価している点
察の構造は、現場の教職員を評価プロセスから疎
が特徴的である。
外し、「教員の熟練や経験および関与を評価プロ
また、
『学校との新たな関係』が提起した学校
セスに橋渡しすることに失敗」してきたのであ
自己評価の位置づけの強化については、中学校長
る27。このような本質が根本的に変革されない限
会が、学校が自らの弱点を明らかにして公表する
り、部分的に自己評価を導入したとしても、それ
ことで査察において不利に扱われることへの懸念
が現在の学校査察にかかわる諸問題を解決するこ
を示したことを受け止めつつ24、次のような肯定
とはできない、というのが NUT の見解である。
的評価を述べる。
したがって、先の委員会報告で指摘された、
「失
「規則的で誠実な自己評価は、良好に機能してい
敗」認定を受けた学校における、懲罰的な結果と
る制度の証明である。それゆえ、すべての学校が
学校改善の困難の増大という「凋落のスパイラ
これらを日常的なルーティン業務とすることを奨
ル」は、教育水準局査察の構造的欠陥の表れなの
励する教育水準局提案は歓迎される。
(略)改善
である。
するエリアを検知するために自己評価の構造は厳
格でなければならないが、学校は、これらの諸問
ここから、新たな査察改革提案への批判が導か
れる。
題に対処する計画を発展させる際に、弱点を認識
まず、より短期間に頻繁な査察を行うという提
したことによって罰せられるべきではない。われ
案について。
『査察の未来』によれば、これによ
われは自己評価について教育水準局のさらに詳細
り学校の支援をより直接的に行うことができると
25
な提案を期待している」。
されているが、この認識の前提には、教育水準局
このような2004年下院教育・技術委員会報告の
の査察が学校に対して支援的な役割を果たしてい
認識は、次に見る NUT の教育水準局査察評価と
るということがある。しかし現実の査察では、教
比したとき、多くの問題意識、あるいは改革の方
育水準局は学校の長所と短所を認識するだけであ
向性で一致しているにもかかわらず、現状認識と
り、学校改善のための支援や専門性を高める能力
教育水準局提案の評価において明確な分岐をなし
開発については、役割を果たしていない。このよ
ていると思われるのである。
うな査察の本質的な構造を転換させることなしに
は、査察の頻度を増やしても、学校を取り巻く問
題状況は容易に改善されないだろう28。
(2)全国教員組合(NUT)による批判
前稿でも明らかにしたように、NUT は、説明
また、教育水準局査察プロセスの中心は、査察
責任を重視する外部評価である教育水準局査察に
官による授業観察であるが、前述のようにそのあ
対し、オルタナティブな学校評価制度を提案して
りようは「スナップショット」と揶揄されるがご
きた。その特徴は、評価の目的が学校の改善と教
とく、教室の一場面を学校や児童生徒のおかれた
職員の能力開発におかれていること、学校自身が
社会的文脈から切り離して評価し判定するという
評価のプロセスを支配していること、生徒・保護
性格が強い。このように、各学校の教育の質に対
者・ガバナーなどのステークホルダーによる幅広
する「一発勝負(high-staking)」の評価と判定が
い参加が保障されていること、自己評価を中心に
続く以上、査察の日数の削減による「軽量化」は
― 7 ―
6
0
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
授業や学校生活に対する「観察量の削減」を意味
評価(学校自己評価―筆者)と外部評価のバラン
する29。
スを是正しないのではないかという懸念」が表明
し た が っ て NUT は、「現 在 の「一 発 勝 負」の
されるのである35。
モデルの下での頻繁な査察の訪問は、教師の直面
SSFT 報告 の 著 者 で あ る マ ク ベ ス(Macbeath,
するストレスを増やし学校の到達水準に悪影響を
J.)は、『査察の未来』への意見の中で次のよう
及ぼす」という理由から、査察の3年サイクル化
に述べる。「教師や児童生徒にとって有益な評価
の提案に反対を表明する。また、授業査察や査察
基準、指標、および成果データは、それらについ
日数の削減に対しても、「「一発勝負」の性質を強
て討論可能で解釈や別の見方が許容されているこ
め」、「校長や教員が査察官と専門的な対話を行う
とが必要である。さもなければ、それらは学校の
機会は削減され、査察官の判定を補助する証拠と
日常の学びに深く横たわる本質を把握することが
しての文書の要請が強められる」という強い批判
できない。学校が自らの物語を語ることができる
がなされるのである30。
のは、このような形成的(formative)な基礎から
次に、査察改革の柱の一つである自己評価につ
36
。
なのである」
いて。NUT は、学校評価システムにおいて自己
評価の比重が高まることについては「歓迎される
以上のように、2000年代の学校査察改革、特に
べき進歩」と評価する31。しかし同時に、教育水
学校評価システムへの自己評価の本格導入に対し
準局査察における学校自己評価の現状には強い懸
ては、二つの立場が存在した。一つは、下院教育
念を表明する。
・技術委員会報告のように、大枠でこれまでの教
NUT が想定する「自己評価を内包した学校評
育水準局査察を肯定しつつ、そこに生じる様々な
価システム」のあるべき姿は、前稿で紹介した
問題を克服するために、査察の軽量化や自己評価
『学校は自らのために語る(Schools
for
の導入を支持する立場である。ここでは、SSFT
themselves=SSFT)』報告が提出した学校評価シス
報告が問題としたような、学校評価システム全体
speak
32
テムに集約される 。そのようなモデルを前提と
における目的、主体とそこでの自己評価の役割を
した場合、教育水準局査察についても、学校改善
厳密に問う視点はない。もう一つには、NUT の
を査察の主要な目的とし、ボトムアップの評価シ
ように、学校査察が抱える様々な問題を克服する
ステムを内包していること、評価のプロセスは地
ために、説明責任モデルの外部評価に自己評価を
域ごとに制御されていること、および同プロセス
「継ぎ足す」のではなく、学校評価システム全体
が学校に関わるすべてのステークホルダーによっ
の目的や主体を「職能改善モデル型」に転換する
33
て領有されていること、が求められる 。
こと、自己評価の導入をその契機とすること、を
しかし NUT にとって、それまでの教育水準局
求める立場である。
査察における自己評価は、自己評価のプロセスよ
りも「結果」
、すなわち学校のパフォーマンスに
(3)教育現場は学校自己評価に何を求めるか
焦点を当てており、自己評価を通じて教員や児童
ここでは、新査察体制に向けた改革のさなかに
生徒にとっての問題を記述し、学校を改善するプ
NUT が行ったもうひとつの調査結果と、それに
ロセスについての認識を深めることには「失敗し
対する分析を紹介しよう。
34
と評される。特に、これまでの教育水準
てきた」
これは、学校査察と学校自己評価のあり方を検
局査察において、自己評価の対象が児童生徒の成
討するために、NUT が2004年にイングランド7
績に集中していることが、各学校における評価者
地域・1
92人の教員から回収した意識調査の結果
の視点や問題意識を無視する結果となってきたと
とその分析である。この調査において、進行中の
いう。したがって、『査察の未来』および『学校
教育水準局査察の改革については、6割近くの回
との新たな関係』が提起した、教育水準局査察に
答者が「正しい方向に進んでいる」という肯定的
おける学校自己評価の更なる「強化」という提案
な認識を示している37。しかし、学校自己評価の
に対しても、「新たな学校査察の枠組みは、内部
「あるべき姿」については、前節で紹介した調査
― 8 ―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
では見られない、教員たちの踏み込んだ認識が紹
6
1
誰が評価指標を作るべきか
介されている。
自己評価の指標はどこから与えられるべきかを
問われ、半数以上(5
5.
2%)の教員が、指標は学
学校自己評価の目的と対象要素
校そのものと「批判的な友人(a critical friend)」
まず、「学校自己評価の目的としてどのような
とによって共同的に開発されるべき、と回答し
ものが重視されるべきか」についての教員たちの
た。ついで2
0.
8%が、指標は一定のソースから学
認識である。あらかじめ提示された6つの選択肢
校によって改変されるべき、と回答し、1
3%は教
から3つを選ぶ方式の質問に対し、
「到達水準の
育水準局が設定すべきと回答した。
向上(to raise standards of attainment)」が最も多く
最初の回答を選択した理由について、「批判的
48.
4%、「教員に児童生徒の学びを評価するツー
な友人」は38、学校が判断を下すのを支援する際
ルを提供すること(to provide teachers with tools
のアプローチにおいてより客観的でより理解が深
which help them evaluate pupils learning)」が
く、非脅威的であることが証言されている。ま
29.
7%、「学校の改革能力の向上」が10.
4%と続
た、多くの教員が「批判的な友人」から利益を得
き、「教育水準局に学校の質と有効性の証拠を提
ていることが証言されている。ある小学校教員
供する」は、わずか2.
1%であった。
は、「批判的な友人なら、子どもについても教員
注目すべきは、ここで重視された「到達水準の
についても彼(女)らが自分たちをよりよく理解
向上」には、それまで労働党政権が学力向上のス
することを支援できるし、学校が自己評価を有効
ローガンとして掲げてきたそれにとどまらない含
に活用することも手助けできる」と述べる39。
ここまでの紹介から、この調査結果に基づく限
意があることである。
「学びにおける到達水準の
向上とは、教育水準局査察に向けて私たちがやっ
り以下のことが言えるだろう。
ていることに限定されるものではなく、われわれ
第一に、多くの教員らが学校自己評価に求めて
はリーグテーブルについて語っているのではな
いるのは、教育水準局査察の一部として従来のよ
い」「自己評価における到達水準は、テストのよ
うにテスト結果などの業績を「評価」することで
うに狭く理解されるべきではない」という声に象
はなく、子どもの学びにおける総合的な成長を評
徴されるように、自己評価の目的としての「到達
価し、それを支援する教育上の手がかりを得るこ
水準の向上」にこめられているのは、テスト結果
とである。学校自己評価の目的、対象要素におい
や業績測定を超えた、子どもの成長を総合的に包
て、これまでの支配的な学校評価が重視してきた
摂する視座である。
業績に対する説明責任ではなく、総合的な子ども
次に、
「何を自己評価の(対象)要素とすべき
か?」という問いにつき、あらかじめ提示された
の学びとそれを支援する学校の改善が重視されて
いるのが、それを示している。
8つの要素の中から重要なものを3つ選ぶように
第二に、上記を踏まえ、学校自己評価は学校を
指示された結果、教員たちは次のように回答し
軸に展開されるボトムアップ型の学校評価システ
た。最も多かったのが、
「児童生徒のモチベーシ
ムの出発点を担うことを求められている、という
ョンと興味関心」で3
4.
4%、次に多かったのが
ことである。学校自己評価における評価指標の作
「学びを促進する学校の条件と諸要因」で22.
9%
成者として、学校自身と「批判的な友人」が挙げ
であった。次いで「キーステージの間の進歩やテ
られたのは、この端的な現れであろう。
ストで の 進 歩 を 確証 さ せ る 付 加 価 値 や 手 段」
20.
3%、「教員と児童生徒の関係の質」10.
4%と
学校自己評価を促進する要因と妨害する要因
なっており、
「KS4と KS5のテスト成績」など
マクベスらは、このような認識にたちつつ、
テスト成績にかかわるものはいずれも数%であっ
「学校自己評価を促進する要因と妨害する要因」
た。
を分類している(表2)。
この調査において、学校自己評価を促進する要
因として最も多く指摘されたのは、「信頼、友
― 9 ―
6
2
長野大学紀要
表2
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
学校自己評価を促進する要因と阻害する要因
<学校外部の要因>
学校自己評価を促進する条件
・自己評価の結果が学校改善という目的のみに利用さ
れること
・職員が査察官と専門的な対話の機会を得ること
・積極的なフィードバック
・教員の専門性が尊重されること
・友好的で、威圧的でない査察アプローチ
学校自己評価を阻害する条件
・査察官が説明責任に過度な力点をおくこと
・全国学力テストのプレッシャー
・学校に対する自己評価指標の押しつけ
・査察官の不遜な態度
・査察の結果を業績給に活用すること
・査察ポリシーについて教員から聞き取りを行わない
こと
・厳格な外部指標による規定
・教育水準局の過度なチェック
・不正確な査察報告書
<学校内部の要因>
学校自己評価を促進する条件
・学校自己評価の目的への気づき
・自己評価に学校が関与すること
・知識やスキルを同僚と共有するための相互信頼と意
欲
・自己評価データへ教員がアクセスできること
・自己評価が学校改善計画に組み込まれること
・良質な実践を共有すること
学校自己評価を阻害する条件
・自己評価の目的に対する不安
・学校のリーダーシップによる支援が無いこと
・同僚に自分の弱点を失敗と見られること
・非難しあう文化
・職員が改革をためらうこと
・時間の浪費と過重負担
出所:Macbeath, J. et al.(2
0
0
5)
,Inspection and Self-Evaluation A New Relationship, p.
3
2から主な項目を抜粋して作
成。
好、および支援による非判定的なアプローチ」で
に求め、従来説明責任モデルを構成してきた要素
あった。そして第二には、
「説明責任ではなく教
の多くについて、それを阻害するものと認識した
員の専門性の開発に力点をおくこと」であった。
のである。
逆に自己評価を阻害する要因としては、一方で
「説明責任の過度な強調」や「テストのプレッシ
ャー」、「外部からの評価指標の押し付け」など学
3 2
0
0
5年教育法施行後の新査察体制への
評価と新たな論点
校外部からの評価圧力に関わるもの、他方で自己
これまで見てきた2000年代前半の学校査察改革
評価を行う学校内部の目的意識や関係性の「弱
をめぐる提案は、2005年教育法によって実現する
さ」に関わるものが数多く挙げられている。
こととなった。より頻繁な査察、より短い告知期
これは一般論としてではなく、教員たちからの
間、より小さな査察チーム、そして学校自己評価
聞き取りに基づき、現実に行われている学校自己
の新たな重点化などを特徴とする新学校査察は、
評価に内在する対抗的な要素を表現したものであ
法の第5セクションに規定されていたことから
る。すでに明らかなように、その対抗とは、マク
「セクション5査察(Section5Inspection)」と呼
ベスらが SSFT 報告で提起した学校自己評価シス
ばれることとなった。2005年9月からスタートし
テムに象徴される「職能改善モデル」と、従来の
た新しい学校査察は、同年の秋に早くも2000あま
教育水準局査察の延長線上に展開される学校自己
りの学校で行われた40。
評価が表現する「新たな」
「説明責任モデル」と
の対抗に他ならない。NUT の調査に答えた教員
(1)各調査における査察改革の受け止め
の多くは、学校自己評価の「あるべき姿」を、教
新しい学校査察が各学校現場でどのように受け
員および学校の専門性向上を促す職能改善モデル
止められたのかについては、査察改革の翌年2006
―1
0―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
年以降、いくつかの調査が行われている。
6
3
・74%という多数は、学校自己評価フォームを査
まず教育水準局自身は、2006年7月に学校評価
察の重要証拠として提供し活用することを支持
に対する意識調査の報告を発表している。これは
している。
教育水準局の委託を受けて NFER が行った調査
・44%は教育水準局査察が自分たちの学校の助け
に基づくものであり、ランダムに選ばれた1
34校
になってきたと感じている。しかし30%はどち
のアンケート調査と3
6校のケーススタディから
らともいえない、26%以上は助けになっていな
なっている。ここでは、2005年教育法に基づく新
査察に対する各学校の受け止めとして、おおよそ
いとの認識である。
・回答者のうち59%は教育水準局の査察が学校へ
以下のような特徴が見られたという41。
の外部機関からの支援をもたらさなかったと認
・セクション5査察に対して、半数以上の回答者
識している。
は「非常に満足している」
、3分の1の回答者
が「だいたい満足している」と回答した。
総じて、2005年教育法に基づく学校査察改革に
・圧倒的多数の学校は、自己評価フォームの作成
作業を肯定的に受け止め、自己評価全体は新た
対する受け止めについて、次のことが言えるだろ
う。
な査察プロセスにうまく組み込まれた、と感じ
第一に、新たな査察システムに対しては、多く
ている。さらに自己評価は、学校改善の一部と
の学校現場において肯定的に受け止められたとい
して認められてきた。
うことである。第二に、その肯定感の根拠となっ
・学校にとっては、査察プロセスにおける査察官
ているのは、一連の査察「軽量化」策による学校
との対話、すなわち口頭で査察官からのフィー
現場の負担感の減少によるところが大きいと考え
ドバックが行われることに決定的な意味があ
られることである。第三に、学校自己評価につい
る。
ては、その位置づけの強化を肯定的に受け止める
・多くの回答者は、査察官によって書かれた報告
ものが多い一方、自己評価の結果を学校改善に活
書はおおむね妥当なものと認識しているが、勧
かすことを期待する者も多いということである。
告が一般的に過ぎる、あるいは査察での発見が
学校改善については、学校自己評価のみならず、
承服できないと感じる学校もある。
査察官からのフィードバックの要望に見られるよ
・回答者の3分の2は、以前の査察システムより
も新システムにおいて、負担が少ないと感じて
うに、教育水準局査察全体に対する要望としても
根強いものがあると見られる。
いる。
(2)新査察体制下の学校自己評価
これに対して NUT も、1000校もの小中学校お
では、上記のような学校自己評価に対する受け
よび幼稚園と特別支援学校の新査察に対する受け
とめを、教育水準局査察が「説明責任モデル」か
止めの意識調査を、2006年秋に行っている42。そ
ら「職能改善モデル」に向かう転換を始めた証左
の結果の中から特徴的なもののみ紹介する。
として捉えることができるだろうか?
教育水準局による学校査察に対して、労働党や
・76%の回答者は、査察の告知期間の短期間化を
支持している。
NUT から学校自己評価を軸とする学校評価シス
テムが提起された背景には、次のような認識が
・49%の回答者は、査察と査察の期間を最大で6
あった43。
一つには、教育水準局査察による学校評価は学
年から3年に短縮したことを支持している。こ
校外部から学校に対し種々の説明責任を要求する
れについての反対は6%である。
・81%という多数が、査察の日数の短縮(多くの
る諸アクターが学校改善のために協働する視点を
学校は2日間)を支持している。
・83%という多数は、査察における授業観察の時
間の削減を支持している。
システムであり、
「学校コミュニティ」を構成す
有しないことである。つまり、学校の抱える諸問
題の社会経済的な文脈を理解し、教職員をはじめ
―1
1―
6
4
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
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2
とする学校内部の諸アクターが問題解決を図る能
いる。しかしその一方で、マクベスが指摘するよ
力を向上させる、あるいはそれを支援するという
うに、現実の学校自己評価のプロセスは、教育水
目的と機能を評価システムが有していないという
準局を頂点とするトップダウンの学校評価プロセ
問題である。
スの一部であるとの認識が広く共有されているの
二つには、教育水準局査察という外部評価が、
である46。つまりここでは、教育水準局の査察改
従来から行われてきた学校による様々な内部評価
革が、学校改善という点から見て「よりよい」方
=自己評価との調和を欠いてしまっており、外部
向に向かっているとの認識が広がる一方で、トッ
評価の結果が学校改善に活かされていないことで
プダウンと説明責任重視の流れが変わらないこと
ある。
への懐疑的な見方も根強いという、分裂した見方
これらの問題点が、2005年教育法に基づく査察
が行われていることが示されている。
したがって、2
005年教育法に基づく査察改革
改革によってどの程度克服されたのか。
まず、学校自己評価が教育水準局査察を受ける
は、「説明責任モデル」から「職能改善モデル」
すべての学校に義務付けられ、学校査察が各学校
への移行という図式で描かれるものではなかっ
による自己評価からスタートすることになったこ
た。学校評価システム全体の第一義的な目的はあ
とは、各学校に対して、教育水準局が査察に際し
くまで説明責任の確保であり、学校の教育活動を
て従来よりも各学校に特有な事情や文脈を汲む姿
最終的に評価する主体が教育水準局という外部評
勢を持つようになったとの印象を強く与えること
価機関であるという点も変化は無い。2005年教育
になった。また、教育水準局の査察結果が従来よ
法における改革では、そのようなシステム全体の
りも各学校の改善に資するものになる、という期
中で、学校評価における「説明責任モデル」と
待が強まったことも確かであろう。
「職能改善モデル」の対抗が、前者が主導する学
しかし他方では、学校改善と教員の専門性開発
を重視する学校評価への転換の期待の高まりとは
校自己評価の設計と運用において限定的に現出し
たと見ることができるのである。
裏腹に、2005年教育法に結実した査察体制論議に
際しても、「説明責任がすべて を 動 か し て い る
(3)新たに生じた懸念
(Accountability drives everything)」と評されるよ
次に、2005年教育法体制下で行われた学校査察
うな状況が厳然として存在していたのである44。
改革に対して、新体制の始動後に指摘されたいく
例えば、査察改革が進行するさなかに、政府高官
つかの問題を検討することにしよう。
のミリバンドは次のように喝破した。
「外部評価
下院教育・技術委員会報告『教育水準局の機能
と結びつけられたすべての学校における自己評価
2006−07』では、新たな査察体制に対してひとま
を重視する説明責任の枠組みは、学校の改善サイ
ず肯定的な評価が行われている。先に紹介したよ
クルと密接に結びついている」
「説明責任がなけ
うに、2000年代の査察改革の課題として、学校現
れば正統性はない。正統性がなければ支援はでき
場の査察に対する負担をいかに減らすかというこ
ない。(政 府 の)支 援 が な け れ ば 資 源 は な く な
とがあった。この課題について、まず査察を行う
り、資源がなければサービスは提供できなくなる
教育水準局は、査察への負担軽減が着実に進行し
45
だろう」。
ていることを強調している。これは、査察改革後
また、実際の学校自己評価のプロセスにおいて
の学校査察への認識を調査した NFER の報告書
も、査察の指標を作るのは教育水準局である。そ
において、回答者のうち8割以上が、
「セクショ
して学校が埋める学校自己評価のフォーマットも
ン5査察」に「非常に満足」か「大体満足」と答
また、教育水準局が作成するものである。先に紹
え、95パーセントの学校は、学校自己評価につい
介した NUT による調査に見られるように、自己
て「非常に役立つ」
「ある程度役立つ」と回答し
評価の指標づくりを各学校に担わせ、自己評価か
たことに基づいている。査察改革に総じて批判的
ら始まる学校評価プロセス全体を「ボトムアップ
であった NUT による調査でさえ、査察改革に対
型」にすべきとの考えは多くの教員に共有されて
する評価では、改革を肯定的に捉える回答が相対
―1
2―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
多数を占めていたのである47。
6
5
また、自己評価をめぐっても、先に紹介した
他方で、2006‐2007下院教育・技術委員会報告
NFER 報告では、8割以上の学校が自己評価への
は、査察改革後の学校査察に関わって、いくつか
関わりを肯定的に捉えていたものの、他方で自己
の重大な懸念事項が新たに登場していることを指
評価が学校の正確な像を描き出しているのか、あ
摘した。それは第一に、自己評価を含む新たな査
るいは学校ごとに自己評価のあり方が不均質では
察の質に対する懸念であり、第二に、高いパフ
ないのか、といった懸念も表明されている。
ォーマンスの学校に対する査察の「割引」問題で
第2の、査察の「割引(reduced-tariff)」問題と
あり、第三に、ECM 指標に基づく学校評価と従
は、2006年より開始された、これまでの学校査察
来の査察との整合性の問題である。
において高いパフォーマンスを示した学校に対す
第一の学校査察の質について。委員会報告で
る今後の査察を軽くする、あるいは間引くという
は、教育界にも大きな影響力を有するタイムズ教
措置についてである。この措置については、ある
育版(TES)が、新たな査察はパフォーマンスの
一時期に高い評価を得た学校に対するその後のモ
データとより短い授業観察を根拠として、教育の
ニタリングがおろそかになる恐れがある点に加
質よりもテスト結果に基づく格付け(gradings)
え、高い評価を得た学校がその後の査察において
を行っている、と批判したことが紹介されてい
優遇され不公平感を生み出す点が、批判の対象と
る。これに対しては、教育水準局の長官が、各学
なった。すなわち、テストなど可視的なデータ上
校のパフォーマンスは CVA という各学校の置か
のパフォーマンスの高い学校が、査察に対する負
れている社会的文脈に応じた重み付けをしている
担という点からもそれ以外の学校に比して優遇さ
の で、TES の 指 摘 は 一 面 的 で あ る 旨 の 反 論 を
れるという批判である50。この点もまた、学校に
行っている。いずれにせよ、新たな査察をめぐっ
おける教育の質の改善を課題に掲げつつ、現実に
ても、査察の本質がパフォーマンス重視の「説明
はさらにパフォーマンス重視の査察改革が同時に
責任モデル」か、教育の質の改善に重点を置く
進行するという、査察改革の分裂状況を示すもの
「職能改善モデル」かをめぐって認識の違いが生
といえよう。
じていることがうかがわれる48。
第3に、教育水準局査察に新たに導入された、
こ の 点 に つ い て は、NUT が 学 校 改 善 パ ー ト
ECM 指標に基づく各学校の評価の問題である。
ナー(SIP)のあり方について呈した疑義につい
この問題は、これまでの教育水準局査察のあり方
ても、同様の論点が内在している。先に紹介した
と今後の発展方向に関わる根本的な問題を提起す
ように、SIP は各学校の教育改善に支援を行 う
ることとなった。下院教育・技術委員会報告は、
「批判的な友人」と位置づけられ導入された。し
教育水準局の学校査察に5つの ECM 指標の評価
かし、現実には SIP がその責任を自治体や国家に
が含まれたことの意義を重視しつつ、現行の査察
対して負っており、査察に際しては教育水準局の
では、
「学校がどのように5つのアウトカムを推
「準査察官」のようなふるまいを見せる傾向が現
進しているのかについて、深い報告はできそうも
れてきたという。
ない」として、「教育水準局に対し、5つの ECM
前稿で示したように、NUT が提起した、参加
型自己評価を軸とした学校評価システムでは、学
問題のモニタリングを強化する方法の開発を」勧
告している51。
校との信頼関係を有する「批判的な友人(a criti-
なぜ、教育水準局の査察では ECM 問題につい
cal friend)」が、学校を支援しつつ協働で改善に
て十分な報告ができない、と判断されたのか。こ
取り組むパートナーとして位置づけられていた。
れについては、委員会報告も重視する NUT の証
しかし、NUT には、導入された SIP がこのよう
言を見よう。
な存在とは映らなかった。したがって、「SIP は
「ECM 指標の追加は、教育水準局がその報告
教育水準局の先遣隊、あるいは追加された査察官
で依拠してきたものと、保護者らが学校について
ではないのか?」という痛烈な疑義が呈されたの
知りたいと考えてきたものとの間の、長い間存在
49
である 。
してきた緊張関係に光を当てた。判定を導くパフ
―1
3―
6
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長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
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2
ォーマンスデータへの信頼を通じ、教育水準局は
改革は、査察の「軽量化」
、査察システムにおけ
容易に計測できるものへ集中してきた。幸福感や
る自己評価の比重の増加、学校査察への社会的包
福祉(well-being)、関与(engagement)という 根
摂政策の接続などを大きな特徴としていた。それ
本的な問いは、スナップショット的なアプローチ
らの改革は、現場の意識調査レベルでは、おおむ
によって容易に答えられるものではなく、継続的
ね肯定的な評価を持って受け止められたと言えよ
な(on-going)モニタリングと評価、特に学校自
う。これは、特に査察の「軽量化」が現場の負担
己評価の活動を通じて行われるそれによって決定
感を縮減したことに加え、従来教育水準局という
52
。
されるものであろう」
強大な中央政府の機関によって一方的に行われて
ECM アウトカムは、各学校のおかれた社会経
きた査察が、学校自己評価というより「現場に即
済的な環境に規定されている。したがって ECM
した」スタイルから出発するようになったことが
問題への学校の対応を評価する際には、児童生徒
大きいと思われる。学校査察が学校改善に役立
の現状だけでなく、子どもの現状を規定する地域
つ、という認識も共有されてきている。
や家庭、自治体の子どもサービスの現状について
他方で、この査察改革によっても、説明責任の
のデータ収集と、それを前提とした上での学校対
確保を目的とする外部評価を軸にして機能すると
応の評価が求められることになる。実はこのこと
いう、イギリスの学校評価システムの核心は揺ら
は、教育水準局査察が重視してきたテストをはじ
ぐことは無かった。そしてこのことは、2005年教
めとする学校パフォーマンスの評価についても
育法に基づく新査察システムに対する、新たな評
まったく同様のことが指摘できる。
価の分裂と懸念をもたらすこととなった。特にそ
し か し 現 実 に は、NUT が 指 摘 し て き た よ う
れは学校自己評価の「評価」をめぐる分裂に顕著
に、スナップショット的な学校観察と画一的な評
であった。下院教育・技術委員会は、新たに導入
価指標に基づく各学校の「格付け」が、教育水準
された学校自己評価について、従来の教育水準局
局査察の中核をなしてきた。そして筆者が別稿で
査察の弱点に対応するものと歓迎したのに対し、
も指摘したように、教育水準局査察はナショナル
NUT は「説明責任モデル」批判の立場からこれ
カリキュラム、ナショナルテスト、学校選択制な
に懸念を表し続けている。
どとセットで導入された「競争と外部評価」改革
2005年教育法導入後の意識調査に見られるよう
の柱の一つでもあった。それらの改革は、個別学
に、学校現場では学校自己評価の導入を歓迎する
校のパフォーマンスを各々の社会経済的文脈から
声が圧倒的多数であることを踏まえれば、この査
切り離し、パフォーマンスの説明責任を学校のみ
察改革を「学校評価を通じた学校改善」に結び付
53
に負わせる構造を有して い た と い え る 。し た
けようとする機運を高めたと評価することは可能
がって、ECM 指標とそのアウトカムの評価を教
だろう。しかし他方で、この改革が「職能改善モ
育水準局査察の中に組み入れようとすれば、従来
デル」への移行、つまり SSFT 報告で提案さ れ
の教育水準局査察のアプローチや個別の手続きが
た、「自己評価と外部評価の前者を軸とした接続」
不十分とみなされるのは当然であった。ECM 問
の実現ではなかったことも事実である。評価指標
題への対応と ECM 指標の査察への組み入れは、
の作成とそれに基づく評価および学校のパフォー
「社会的包摂」を重視する労働党政権の政策的文
マンスの「格付け」は、相変わらず教育水準局が
脈の中で理解することが可能であるが、それは同
行う。査察の「軽量化」が負担を少なくしている
時に保守党政権時代の NPM 型の公共サービス改
反面、スナップショット型の査察はその頻度を増
革、あるいは公共サービスの評価手法を継承する
して繰り返される。したがって、学校自己評価に
こととの整合性の問題へと発展する必然性をはら
よって生み出された評価情報は、学校評価システ
んでいたのである。
ム全体の中では最終的に教育水準局を主体とする
外部評価に回収され、その評価の材料を提供する
4 小括
役割を果たすのである。
本稿で検討した2000年代半ばにおける学校査察
―1
4―
この「新たな」学校評価システムにおいても、
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
6
7
評価目的は説明責任の確保であり、最終的な評価
事項は以下の通りである。参照、Department of Edu-
主体は学校外部の教育水準局である。ここには、
cation, Every Child Matters Outcomes Framework : Set of
SSFT 報告が求めた教員、学校、児童生徒、保護
5 Posters
者らによる査察プロセスの「領有」は存在しな
standard/publicationDetail/Page 1/ECMoutcomes/kit).
い。逆に NUT やマクベスらは、この学校自己評
価が、従来教育水準局が担っていた評価の一部を
学校が代行する「自己査察」に転じる危険性を、
一貫して指摘している。本稿では、多くの学校自
己評価がこの自己査察に転じていると断定する材
料は得られていないが、教育水準局が設定した評
「安全であること(Stay Safe)
」
<ねらい>
・子ども・若者が、虐待、ネグレクト、暴力および売
春から守られていること。
・子ども・若者が事故によるけがや死から守られてい
ること。
・子ども・若者がいじめや差別から守られている こ
価指標を学校が無批判に受容し、自己評価を行う
ことが続けば、その危険性が現実化する可能性は
(https : //www.education.gov.uk/publications/
と。
・子ども・若者が犯罪や反社会的なふるまいおよび学
少なくないだろう。
校からのドロップアウトから守られていること。
学校評価システムに対する、学校改善や教員の
・子ども・若者が安全で落ち着いた状態で世話をされ
ていること。
専門性開発への支援と助言についての要請は相変
わらず大きい。さらに、ECM アウトカムの導入
<判断>
に見られるように、社会的包摂政策に関わって学
・子ども・若者とその保護者は彼・彼女らの安全に対
校の社会経済的文脈の評価に対する要請も強まっ
する重大なリスクについて、またそれらにどのよう
ている。教育水準局査察を中心とする学校評価シ
ステムは、これらの要請との間に種々のギャップ
を抱えながら、まもなく20年目を迎えようとして
いる。
に対処するかについて情報提供されているか
・子ども・若者は安全な環境に置かれているか
・子どもの虐待やネグレクトといった事件は最小化さ
れているか
・諸機関は、現在の政府のガイダンスの要請に基づい
て子どもたちを守るために協力しているか
・すべての子どもと若者のアイデンティティと居場所
注
1
を確立するためにサービスは効果的に機能している
二つのモデルについては、久保木匡介(2
0
0
9)
「イ
か
ギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(1)−
1
9
9
0年代保守党政権期を中心に−」
『長野大学紀要』
(以下省略)
第3
1巻第1号を参照されたい。
「楽しみながら達成すること(enjoy and achieve)
」
2
3
久保木匡介(2
0
1
0)
「イギリスにおける教育水準局
<ねらい>
の学校査察と教育の専門性(2)―学校評価における
・子ども・若者が学校に行く準備ができていること
自己評価および地方教育当局の位置づけの変化―」
・子ども・若者が学校に通い楽しんでいること
『長野大学紀要』第3
2巻第2号、1
3ページ。
・子ども・若者が小学校における国の教育到達水準を
達成していること
参照、久保木(2
0
0
9)前掲論文。
・子ども・若者が個人的および社会的に成長し、余暇
4
久保木(2
0
1
0)前掲論文、1
2
9ページ。
5
OFSTED (2005), Every Child Matters : summary of the
arrangement. (http : //www.ofsted.gov.uk/resources/every-
を楽しんでいること
・子ども・若者が中学校における国の教育到達水準を
達成していること
child-matters-summary-of-arrangements)
6
House of Commons Education and Skills Committee
(2004), Every Child Matters : Ninth Report of Session
<判断>
・子どもが楽しみ、目標を達成するのを支援する際に
保護者や養育者が支援を受けているか
2004-05 , pp.7-8.
7
CM 5860 (2003), Every Child Matters ; Presented to
・幼少期のサービス提供が子どもの発達や福祉を促進
し、早期学習の目標を満たしているか
Parliament by the Chief Secretary to the Treasury by Com-
・良質の5‐
1
6歳教育を提供するためのアクションが行
mand of Her Majesty September 2003 .
8
ほかの4つのアウトカムについてのねらいと判断
―1
5―
われているか
6
8
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
・子ども・若者が学校に進んで楽しめるように、また
・1
4
‐
1
9歳の教育や訓練計画されて季節に実行されるこ
高い水準に到達できるようになっているか、あるい
とを担保する活動が、また1
6
‐
1
9の教育と訓練の質を
はそのように励まされているか
担保する活動がなされているか
・学校に通っていない子どもに教育が提供されている
・地域再生イニシアチブが子ども・若者のニーズを認
識しているか
か
・すべての子ども・若者が、遊びや自発的な学習を含
・若者がまともな家に住めるようなアクションが取ら
れているか(以下省略)
む一定の余暇活動に参加できるようになっているか
(以下省略)
9
ブレア政権における連携政府の取り組みについて
は、新谷浩史(2
0
0
7)
「第1章
「積極的に社会貢献すること(make a positive contribu-
ガバナンスと連携政
府」縣・藤井編『コレーク行政学』
(成文堂)1
4
‐
1
8
tion)
」
ページを参照されたい。
<ねらい>
・子ども・若者が意思決定に参加しコミュニティや環
1
0 OFSTED (2004), The Future of Inspection : A Consulta-
境を支えていること
tion Paper.
・子ども・若者が法律を守り、学校の内外で積極的に
行動すること
1
1 ibid., para 23.
1
2 ibid., para.25.
・子ども・若者が積極的な関係を築きいじめや差別を
1
3 ibid., para.26.
1
4 DfES and OFSTED (2004), A New Relationship with
行わないこと
・子ども・若者が自己肯定感を持ち、重要な人生の変
化や挑戦にうまく対応すること
Schools : Next Steps. DfES.
1
5 ibid., p.2.
・子ども・若者が進取の気性に満ちた行動を取ること
1
6 ibid., p.4.
<判断>
1
7 ibid., p.6.
・子ども・若者が社会的、情緒的に成長することが支
1
8 ibid., p.20.
援されているか
1
9 ibid., p.19.
・子ども・若者、特に傷つきやすい集団が人生の中で
2
0 ibid., pp.21-22.「個 別 対 話」と は、こ の 学 校 改 善
変化に対応し挑戦をする支援が行われているか
パートナーと校長が、学校改善の優先順位につ い
・子ども・若者が意思決定や地域の支援活動に参加す
て、短く集中的な対話を行うために提起された新た
ることが奨励されているか
な試みである。ibid., p.24.
・子ども・若者による反社会的な行動を減らすための
2
1 Education and Skills Committee (2004), The Work of
OFSTED : Sixth Report of Session 2003-04 , p.3.
アクションが取られているか
・子ども・若者による犯罪や再犯を防ぐアクションが
取られているか(以下省略)
2
2 ibid., para.54, 53, 55, 61.
2
3 ibid., para.82.
2
4 Memorandum of Second Headteacher Association in
「経済的に満たされていること(achieve economic wellbeing)
」
The Work of OFSTED : 2003-04.
2
5 ibid., para.87.
・子ども・若者が卒業後に継続教育、就業あるいは職
2
6 NUT (2003), The Response of The National Union of
業訓練に入っていくこと
Teachers to The OFSTED Consultation : ‘The Future of
・子ども・若者が就職の準備ができていること
Inspection’.
・子ども・若者が交通手段や必要なものへアクセスで
きること
2
7 ibid., para.13.
2
8 ibid., para.45, 46, 47.
・子ども・若者が貧困から自由な家庭で暮らすこと
2
9 ibid., para.15.
<判断>
3
0 ibid., para.51, 52.
・家庭が経済的に良好な状態を細田に限作るために
3
1 NUT (2004), Memorandum submitted by the National
パートナーによるアクションが取られているか
Union of Teachers, in Education and Skills Committee
・1
1
‐
1
9歳の若者が職業生活のための準備をする支援が
なされているか
(2004), The Work of OFSTED : Sixth Report of Session
2003-04 , Ev 46.
―1
6―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
3
2 MacBeath, J., et al. (1995), Schools Speak for them-
6
9
tained schools in England (http : //www.ofsted.gov.uk/
selves. NUT のホームページより入手可能。
resources/impact-of-section-5-inspections-maintained-
3
3 NUT (2004), op., cit. Ev 46.
schools-england).
4
1 OFSTED (2006), School Inspection : an evaluation,
3
4 ibid.
3
5 ibid., Ev 46, 47.
pp.2-3, NFER (2006) op., cit.
3
6 Macbeath, J. (2003), Self-Evaluation and Inspection : a
4
2 NUT (2007), National Union of Teachers OFSTED Inspection Survey 2007 in Education and Skills Committee
consultation response.
3
7 Macbeath et a.l. (2005), Inspection and Self-Evaluation-
(2007), The Work of OFSTED : The Sixth Report of Ses-
A New Relationship? p.15.
sion 2006-2007, Ev 66-67.
3
8 ここで登場する「批判的な友人」を誰が務めるべ
4
3 注2の久保木(2
0
1
0)
、2
‐
3ページを参照。
きかについても、重要な 議 論 の 分 岐 が あ る。政 府
4
4 Macbeath, J. (2006), op., cit, pp.15-16.
は、前述のとおり地方教育当局から中学校校長経験
4
5 ibid .
者を「学校改善パートナー=批判的な友人」と位置
4
6 ibid., p.24.
づけて各学校に置こうとしたのに対し、マクベスら
4
7 Education and Skills Committee (2007), op. cit.,
の調査によれば、「批判的な友人」を置くべきと考え
para.35, 36.
る教員の中でも、①当該者が学校のことを熟知し、
4
8 ibid., para.39.
学校も当該者を良く知っているという強い信頼関係
4
9 NUT (2007), Memorandum submitted by the National
の中で選ぶのが良いとする意見、②外部機関が各学
Union of Teachers in Education and Skills Committee
(2007), op. cit., Ev 59.
校の「批判的な友人」を選ぶ べ き だ と す る 意 見 が
あったという。前者は「批判的な友人」を「職能改
5
0 Education and Skills Committee (2007), op. cit.,
para.44, NUT (2007), op. cit., para.3, 4, 5.
善モデル」の担い手として捉え、後者は「説明責任
モデル」の担い手として捉えている。ibid., pp 21-22.
5
1 Education and Skills Committee (2007), op. cit.,
3
9 Macbeath, J. (2006), School Inspection and Self-
para.59.
evaluation : working with the New Relationship, Rout-
5
2 NUT (2007), op. cit., para.12.
ledge, p.22.
5
3 注1の久保木(2
0
0
9)を参照されたい。
4
0 NFER (2006), Impact of Section 5 inspections : main-
―1
7―
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 1
9―2
6頁(7
1―7
8頁)2
0
1
2
「生活保護開始仮の義務付け認容決定」の社会福祉学的考察
A Preliminary Ruling for the Commencement of Public Assistance
from a View of the Study of Social Welfare
!
木
博
史*
Hiroshi TAKAGI
はじめに
2009年12月22日、わが国の司法 制 度 に お い て
「仮の義務付け」制度が創設されて以来、生活保
1 「生活保護開始仮の義務付け認容決定」
の社会福祉学的考察の必要性
1)生活保護開始仮の義務付け認容決定へのプロ
護分野で全国で初めてこの制度が適用された認容
セス
決定が那覇地方裁判所によって出されている。
まず、生活保護の開始を求める「仮の義務付
「仮の義務付け」は「本訴」に付随する申立て
け」が認容されるまでのプロセスについて言及し
で、「本訴」の訴訟が長期化する間、申立人の生
ておきたい。なぜならば、このプロセスこそが本
活や権利を「仮に」救済する制度であり、とくに
稿の社会福祉学的考察の必要性を提起しているか
緊急性が認められる場合に有効な手段となりうる
らである。
本決定は2009年8月に筆者を含む社会福祉士2
ものである。
本決定は、新制度の活用という法律的な観点か
名によって沖縄県那覇市に設立された独立型社会
らも画期的な成果であったが、そこに至るプロセ
福祉士事務所「いっぽいっぽ」への相談事例に始
スにおいて社会福祉士による生活分析・生活支援
まる。
がかなり大きな影響を与えたという意味で、生存
70歳代の高齢女性(以下 A さん)がその場し
権を擁護する社会福祉・社会保障といった観点か
のぎの借金を繰り返していたために生活保護を廃
らも大きな意味を持つことになった。一方で、前
止され生活に困窮してしまっていた事例である。
例がなかったということや生活保護分野というき
A さんはそれまでにも何度も生活保護申請を行っ
わめて緊急性を要する事項でもあることから、今
ていたが、その度に却下処分となり、設立間もな
後の動向も大いに注目される決定となったが、法
い「いっぽいっぽ」に相談があった8月上旬には
律的な観点以外からの検証は数少ない。
すでに電気・ガスなどのライフラインが停止して
本稿は、本決定に対して法律的観点のみなら
いた。日々の食糧は他の生活保護受給者の友人よ
ず、社会福祉学的考察を進めることで、今後の生
り提供を受けるなど生活状況は困窮をきわめてい
活保護支援のあり方、あるいは、生活保護訴訟を
た。こうしたなか、6月に行っていた申請も却下
含む社会福祉・社会保障訴訟における社会福祉専
処分となっていたが、わずかに不服審査請求が可
門職(社会福祉士)の関わりのあり方を示唆する
能な期間が残っていたために、この6月の申請に
ことを目的としている。
ついて、「いっぽいっぽ」が A さんをサポートす
*社会福祉学部助教
―1
9―
7
2
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
る形で沖縄県知事に対し不服審査請求を行った。
「仮の義務付け」とは何かということについて言
不服審査請求が受理されると処分行政庁(那覇
及しておかなければならない。
市)より弁明書が送付されてきた。そして、それ
に反論を行い県知事による裁決が行われた。
実は、この「仮の義務付け」は2007年に改正さ
れた「社会福祉士及び介護福祉士法」によって社
結果は「棄却」であった。A さんの生活実態は
会福祉士養成のカリキュラムも大きく変化した
困窮をきわめ、健康状況も高齢で糖尿病を患って
が、その中で、新しく創設された科目である「権
おり、芳しくないなかでの棄却裁決に「いっぽ
利擁護と成年後見制度」という科目のテキスト
いっぽ」の社会福祉士は驚きを隠せなかった。な
(中央法規刊)にも記載がある。「権利擁護と成
ぜならば、提出した反論は、社会福祉士として面
年後見制度」は、養成カリキュラム改正前の「法
談を重ね、借金を繰り返すという A さんの金銭
学」に相当する科目であると考えられるが、より
管理能力や申請に係る手続き的な違法性、そし
「権利擁護」や「成年後見制度」を理解する上で
て、医療も十分に受けられていない現在の困窮を
必要な知識として周辺領域の法律等について学習
きわめている生活実態について詳細な分析を行っ
する科目となったと位置付けられるであろう。
たものであったからである。
社会福祉士の養成カリキュラムは、この「権利
このような状況になり、司法(弁護士)の手を
擁護と成年後見制度」のみならず、ほぼすべての
借りなければ A さんの生活を再生する手段が他
科目が名称を変え、より具体的な制度や理念につ
になくなっていた。幸い、「いっぽいっぽ」も加
いて学習する体系となった。
入していた弁護士や司法書士が中心となって生活
こうしたところからも資格創設から20年余りを
保護支援を行っている団体のメーリングリストで
迎え、社会福祉士の実践や研究の蓄積が国家資格
協力の呼びかけを行ったところ、一人の弁護士に
として必要な知識の水準を押し上げてきたといえ
呼びかけに応じてもらうことができ、その弁護士
る。すなわち、社会福祉士養成カリキュラムの変
より「仮の義務付け」を申立てることを提案され
化は社会福祉学の発展の一端を示したものである
ることと な っ た。し か し、「仮 の 義 務 付 け」は
ともいえる。そして、
「仮の義務付け」は社会福
2005年より施行された比較的、新しい制度でもあ
祉士が身につけておくべき周辺領域としての法律
り適用例も少なく、申立てに係る要件もかなり
知識の一つとなったともいえる。
ハードルの高いものであった。しかし、A さんの
当該のテキストによれば、「仮の義務付け」
状況を改善するために他に手段もない。ここから
は、2004年に改正された行政事件訴訟法(2005年
「いっぽいっぽ」の社会福祉士と弁護士の連携が
4月1日施行)によって追加されることになった
始まったのである。
「義務付け訴訟」の一つとして位置づけられてい
社会福祉士が困窮している A さんの日々の生
る。この中で「義務付け訴訟」とは「①許可の申
活を直接的に支援し、弁護士に生活実態を伝え、
請などに対して、行政庁が処分すべきであるのに
弁護士がそれを訴状や反論書に反映させるといっ
しない場合(行政事件訴訟法第3条第6項第1
た作業が繰り返された。
号)、②例えば隣地の建物が違法建築で、極めて
その結果、2009年12月22日、全国で初めてとな
危険な状態にあるのに、行政庁が建築基準法など
る生活保護開始仮の義務付け認容決定が行われる
に基づき改善命令、取壊し命令をしない場合(同
こととなった。本決定について、那覇市は即時抗
1)
と解説
条同項第2号)に提起できる類型である」
告を行っていたが、福岡高等裁判所那覇支部がこ
している。さらに『②の場合、義務付け訴訟は重
れを棄却し既に確定している。
大な損害が生ずるおそれがあり、その損害を避け
以上が、本決定が行われるまでのプロセスの概
るために適当な方法がない時に限って提起でき
る』とされ、償うことのできない損害を避けるた
略である。
め緊急の必要があれば、裁判所は行政庁に対し
2)「仮の義務付け」とは何か
『仮の義務付け』を命じる決定を行うことができ
まず、まだ一般的には、あまり浸透していない
2)
と述べられ
るようになっている(第37条の5)。」
―2
0―
!木博史
「生活保護開始仮の義務付け認容決定」の社会福祉学的考察
ている。
7
3
うことはイコールではないという議論も存在する
しかしながら、このままでは本事例が具体的に
かもしれないが、
「社会福祉学部」の目標の一つ
どのような状況であったのかということが分かり
として組み込まれている以上、これを否定できな
にくいことから当時の A さんの状況をあてはめ
いことは事実である。そして、試験に合格した者
てみることとする。
は「社会福祉士」として現場や地域の実践を担っ
すでに述べたように、A さんは、8月に相談に
ていくのである。
訪れた時には電気・ガスなどのライフラインが停
つまり、「専門職である社会福祉士の実践から
まり、日々の食糧も生活保護受給者の友人に提供
考察を深めていくことは、それ自体が『社会福祉
を受けており、さらに、持病の糖尿病の悪化も疑
学的考察』にあたる」といえる。もし、このこと
われている状況であった。そもそも生活保護は
を否定するならば「社会福祉学部」における社会
「最低限度の生活」が営める程度の給付がかなり
福祉士養成をも否定してしまわざるを得ないとい
厳密に適用されてくる中で、生活保護受給者の友
えるのではないだろうか。
人からの食糧提供を受けながら生活している状況
一方で、本事例の中に登場する地域に事務所を
は、当事者である A さんのみならず、その友人
構える「独立型社会福祉士事務所」の実践研究や
の生活さえも脅かしている状況である。こうした
活動の分析・考察は、それほど多くはない。それ
状況が継続的に続けば、当然、生命に危険が及ぶ
は、「独立型社会福祉士事務所」が、まだあまり
状況となる。A さんの生活実態は「急迫状況」に
普及していないこと、さらに、その中でも生活困
あたり、放置すれば確実に死にいたる危険性がひ
窮者支援を主な事業内容としている場合が少ない
じょうに高い状況にあった。つまり、A さんが死
ということがある。そうした意味では、生活困窮
に至ってしまうという状況=「償うことのできな
者支援を行う独立型社会福祉士事務所の活動を分
い損害」である。また、この「仮の義務付け」の
析し、考察を行っていくことが社会福祉士の実践
申立ては訴訟の本案に付随してできる申立てであ
の質の向上に寄与できるのではないかという観点
り、通常、訴訟は長期化する傾向にあるので、係
からその必要性が示唆されている。
争中に「償うことのできない損害」が起こりうる
また、単に社会福祉士の実践を通しての分析・
事態が発生しないとも限らないので、緊急の必要
考察のみにとどまらず、わが国の社会福祉・社会
性があれば「仮に」救済ができるという制度が
保障制度の最も基本的な理念としての日本国憲法
「仮の義務付け」という制度である。
第25条に規定される生存権を擁護するという立場
とは何かという点についても問われるべき課題で
3)社会福祉学的考察とは何か
あるといえる。
「社会福祉学的考察」といっても何をもって
このように、社会福祉士の実践と日本国憲法第
「社会福祉学的考察」というのかということは難
25条に規定される生存権の理念をどのように具体
しいテーマである。しかしながら、本稿のテーマ
化していくのか、あるいはどのように当事者の権
としていることから、筆者なりに定義をしておか
利擁護を行っていくのかという視角から考察を行
なければならない。
うことによって「社会福祉学的考察」を試みるこ
今日、「社会福祉学部」あるいは「福祉系」と
いわれる多くの大学では「社会福祉士」の養成を
行っている。社会福祉士は国家資格であり、福祉
系といわれる各種資格の中でも約1カ月にわたる
実習と広範な国家試験の科目数などそれなりに
ととしたい。
2 本事例における「生活保護開始仮の義
務付け認容決定」の概要と意義
1)「生活保護開始仮の義務付け認容決定」の概
要
ハードルが高い。国家試験に合格することはある
意味で4年間の学習の成果の集大成であるという
この「仮の義務付け」の申立ての係争では、処
ことができるであろう。確かに、国家試験に合格
分の形式的な違法性もあったが、それよりも当事
することが必ずしも「社会福祉学」を修めたとい
者の生活実態を詳細に検討した決定となったもの
―2
1―
7
4
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
として大きく評価できるものであり、画期的とも
保貸付制度について説明しておきたい。年金担保
3)
を基
いえるものであった。以下、この「決定書」
貸付制度とは独立行政法人福祉医療機構が行って
に本事例における「仮の義務付け」の概要につい
いる事業6)で将来の年金の受給権を担保に貸付を
て言及する。
受ける制度である。しかし、将来の年金受給権を
この申立ては主に生活の「急迫性」と「生活保
担保にすることから問題点も多く2010年2月に日
護受給前の年金担保貸付を利用した者への扱い」
本弁護士連合会が当該事業の廃止を要望する意見
について争われた。A さんの生活がいかに急迫状
書7)を出している。その問題点として、年金を生
況にあるかを証明しなければならなかった。つま
活の原資とする高齢者や障害者が一時的に生活苦
り、「仮の義務付け」が出される要件である「償
を凌げたとしても借入金返済のための生活に陥っ
うことのできない損害」に至る危険性をどれだけ
てしまう危険性を指摘している。そして、この制
表現し、正確に伝えることができたのかというこ
度を利用しているものは生活保護を受給すること
とが問われることになる。ここで、決定書に記さ
が制限されている。A さんは、この制度の利用が
れた A さん=申立人の主張をたどることで申立
2回目であったことが判明している。そこで、こ
て当時の生活状況を明らかにしていきたい。
の2回目の利用について相手方は次のように主張
まず、申立人の生活の「急迫状況」について
している。
は、次のように記載されている。
「『生活保護行政を適正に運営するための手引
「申立人は、70歳を超える高齢であり、糖尿病
き に つ い て』
(平 成18年3月30日 社 援 保 発 第
等の疾患を有しており、継続的に医師の診療を受
03330001号厚生労働省社会・援護局保護課長通
けなければ生命を失う危険があるところ、平成20
知。(以下『本件手引き』という。)によれば、過
年12月1日に処分行政庁から生活保護を廃止(以
去に年金担保貸付を利用するとともに生活を受給
下「本件廃止処分」という。)されて以降、月額
していたことがある者が、再度借り入れをし、保
2万8000円余りの年金生活することを余儀なくさ
護申請を行う場合には、資産活用の要件を満たさ
れ、病死や飢死等による生命の危機に日々さらさ
ないものと解し、それを理由とし、原則として生
れている。したがって、生活保護開始決定がされ
活保護を活用せず、①急迫状況にあるかどうか、
ないことにより生じる償うことのできない損害を
②生活保護受給前に年金担保貸付を利用したこと
避けるため緊急の必要があり、かつ本案について
について社会通念上、真にやむを得ない状況に
理由があるとみえるとき(行政事件訴訟法37条の
あったかどうかを勘案した上で生活保護の適用を
4)
5第1項)に該当する。」
8)
判断すべきとされる。)」
とされている。これに対し、相手方=処分行政庁
としている。ここでの争点は、この制度の2度目
(那覇市)の主張は
の利用が「社会通念上、真にやむを得ない状況に
あったか」ということである。
「本件廃止処分後も、申立人の近隣に居住する子
以上のように双方の主張を整理してみたが、
二人及び友人等から金銭や食料の援助を受けてい
「急迫状況」と年金担保貸付制度の2度目の利用
ること、糖尿病治療のために定期通院を行うこと
が「社会通念上、真にやむを得ない状況」であっ
ができていること、異母弟から当座の支援を求め
たことを証明することができれば、生活保護開始
ることが可能であることなどからすれば、急迫状
への道筋が見えてくるということであり、ここに
5)
況にあるとは認められず」
次章において詳述する社会福祉士による生活アセ
スメントの重要性を見出すことができる。しか
としている。
し、生活保護分野での仮の義務付けの適用例はな
次に、「生活保護受給前に年金担保貸付を利用
くハードルが高かったのは言うまでもない。
した者の扱い」についてであるが、まず、年金担
―2
2―
!木博史
「生活保護開始仮の義務付け認容決定」の社会福祉学的考察
2)「生活保護開始仮の義務付け決定」の意義
次に、「生活保護開始仮の義務付け認容決定」
の意義について言及するが、大きく次の2点を挙
7
5
3 「生活保護開始仮の義務付け認容決定」
の社会福祉学的考察
ここでは、前章の「生活保護開始仮の義務付け
げたい。
まず第一に、この生活保護訴訟において仮の義
認容決定」の意義を踏まえたうえで、社会福祉学
務付けが適用されることは、生存の危機にさらさ
的考察を行っていくことにする。社会福祉学的考
れているきわめて緊急性の高い市民を救済すると
察の定義についてはすでに述べたように専門職と
いう意味において、最も効果的な手段の一つにな
しての社会福祉士の実践をもとに考察を深めてい
り得るということである。この仮の義務付け決定
くという手法を用いるものとする。本決定のプロ
が出された後、地元紙である沖縄タイムスは、
セスを通して「法的」な解釈論などを論じる立場
「貧困者救済に意義」という見出しをつけた記事
ではない社会福祉学的観点ともいうべき4つの視
を掲載した9)。その中で反貧困ネットワーク事務
角から考察を行ってみたい。
局長の湯浅誠氏は「裁判所がきちんと生活実態を
見て判断した」とし、
「仮の義務付けが一般化す
1)「申請主義」と生活保護支援における権利擁
れば早期に生活再建の筋道が見え、不当な対応に
護
埋もれずに裁判の形で声を上げるインセンティブ
1つ目は、
「申請主義」の課題である。わが国
10)
(誘因)になる」 とのコメントをしているが、
の社会福祉・社会保障制度は原則として「申請主
このことこそが生活保護領域における「仮の義務
義」がとられているが、その弊害も多い。この事
付け決定」がなされた意義であるといえるであろ
例の A さんは、独立型社会福祉士事務所への相
う。
談をしたという行為から社会福祉士による支援が
第二に何よりも本決定は次のように日本国憲法
始まっている。つまり、この女性は「専門職」と
第25条の生存権の理念に立脚する形でなされてい
つながる機会があったという意味では、そうでな
ることは大きな意義であったといえる。
い者よりも生活を維持できる可能性を持っていた
といえる。この女性の場合は、最終的には訴訟に
「生活保護法は、日本国憲法25条に規定する理念
まで発展してしまったが、もっと早い段階で社会
に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対
福祉や法律の専門職とつながるチャンスがあれば
し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、
違った解決の道もありえたともいえる。
その最低限度の生活を保障するとともに、その自
一方で、専門職とつながるチャンスそのものに
立を助長することを目的とする(同法1条)もの
恵まれない人々も少なからず存在することも事実
であり、すべて国民は、同法の定める要件を満た
である。また、福祉事務所の窓口で自分の状況に
す限り、同法による保護を、無差別平等に受ける
ついて適切に伝えられないことによって申請が受
11)
ことができる(同法2条)。
」
理されないケースも多い。
生活保護は日本国憲法第25条に規定される生存
本決定は、上記のように生存権の理念や原点に
権を具現化するためのものである。こうした観点
立ち返った上で、訴訟終了まで A さんへ生活保
から「いっぽいっぽ」で取り組んでいる支援の一
護を仮支給することを命じたものであり、生活実
つに「申請同行支援」がある。生活保護の申請は
態をきちんと受け止めた判断であったことが裏付
本人の申請でなければならないが、
「申請権」の
けられる。
侵害を防ぐためにも同行が大きな効果を発揮する
つまり、当事者の生活実態をつまびらかにする
ことができる。また、必要に応じ当事者に助言、
ことができれば、法の理念や原点を明確にせざる
時には当事者の主張を代弁しなければならない
を得ず、今後の生活保護訴訟にも良い意味で影響
ケースもあり、そうした意味では、権利擁護活動
を与える可能性が拓けてきたといっても良いので
の一環ととらえることができる。
はないだろうか。
また、本事例の A さんのように7
0歳を超える
―2
3―
7
6
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
者が独力で不服審査請求など煩雑な手続きを行っ
連携によって成し遂げられたことにある。「訴
ていくことも困難であろう。専門職である社会福
訟」という性格上、当事者の代理人として法廷に
祉士がいかに当事者の主張に寄り添いながら、適
立てるのは弁護士であり社会福祉士は「代理人」
切に制度とつなげていく支援ができるのかという
となることはできない。一方、社会福祉士は生活
視点を持ち続ける必要があるのではないだろう
分析・生活支援の専門家であり、当事者の生活を
か。
直接的に支援し、一番近くで見守ってきた存在で
ある。現在の生活における「急迫状況」をいかに
2)「社会福祉士」による地域生活支援
訴訟に反映させていくのかということが訴訟の行
2つ目は、社会福祉士が専門職であるというこ
方を左右することになる。
とである。そして、その職務内容の柱として「生
本事例では、社会福祉士が当事者の生活分析・
活支援」があげられる。従来、社会福祉士は施設
生活支援を担当し、法廷闘争を弁護士が担当する
や機関での勤務が多かった。もちろん、施設や機
ことにより、生活実態のリアリティーを訴訟全体
関に所属していたとしても当事者の地域生活支援
に反映させていくことができたのではないかとい
は行っている場合も多いが、より地域住民に身近
える。具体的には通院支援や病状の把握のために
であるということであれば「独立型社会福祉士」
医師の情報収集などである。また、刻々と変化す
あるいは「独立型福祉士事務所」に所属する社会
る生活実態を随時、弁護士に伝えていくことで現
福祉士の職務そのものが当事者の地域生活支援で
時点における「急迫性」を訴え続けることができ
あるということができる。
たことも「仮の義務付け決定」がなされた大きな
「いっぽいっぽ」は沖縄県内において初めての
要因の一つとなったであろう。
独立型社会福祉士事務所として開設されたが、そ
ソーシャルワークで重視されるものの一つに多
のミッションは「地域の駆け込み寺」としての機
職種 連 携 が あ る が、社 会 福 祉 士 が A さ ん に 関
能を担っていくことにあった。年齢や性別、障害
わっている様々な職種の者と接触し情報収集を行
の有無といったカテゴリーを取り払い、あらゆる
い、それを弁護士に伝えることでなしえた成果で
生活課題を抱えた者に対する相談支援活動を展開
あった。つまり社会福祉分野における専門家であ
した。一方、相談に訪れる者の多くが生活困窮を
る社会福祉士と司法分野における専門家である弁
理由としたものであった。本事例の当事者である
護士の連携が功を奏したケースであったというこ
A さんもそうした来談者のうちのひとりである。
とができる。
A さんに対しては、相談支援のみならず、食糧の
確保や家賃滞納のため退去を迫ってくる大家との
4)生活アセスメントの重要性
交渉、通院支援などの生活支援活動もほとんど無
償で行ってきた。
4つ目は、「生活アセスメントの重要性」であ
る。この「生活アセスメントの重要性」に関わる
しかし、本来、なぜ、そこまで生活に困窮して
視角は社会福祉学的考察の視角として提示する4
いるのかを問うた時、一民間人である社会福祉士
つの中で最も中心的なものであるといえる。なぜ
がやるべきことなのか、それとも、日本国憲法第
ならば、この生活アセスメントの緻密さこそが本
25条の理念に立脚し行政の手による支援がなされ
決定に大きな影響を与えたといえるからである。
るべきなのかは明白である。目の前の当事者の生
また、生活アセスメントは単に生活実態について
活を維持しながらもこうした現状や実態を社会福
のアセスメントのみにとどまらず、当事者のパー
祉士として行政に訴えることも行ってきたが、生
ソナリティーや生活能力に至るまで広範なもので
活支援技術とともに、そうした活動も社会福祉士
ある。本事例では年金担保貸付の2度目の利用に
に求められるスキルになってくるであろう。
関してとくに A さんの金銭管理能力についての
問題が浮上してきた。
「いっぽいっぽ」では、A
3)「社会福祉」と「司法」の連携
さんと何度も面談を繰り返し、また不服審査請求
3つ目は、本認容決定が社会福祉士と弁護士の
後、ケース記録の開示を要求し、その中から A
―2
4―
!木博史
「生活保護開始仮の義務付け認容決定」の社会福祉学的考察
7
7
さんの金銭管理能力についての懸念が出てきてい
「生活保護受給者等が年金担保貸付を受けること
た。このことについて弁護士に伝え、訴訟におけ
につき、他にも債務がある等の理由がある場合に
る追加資料に反映させてもらうことにした。ま
は、金銭管理能力習得のための家計簿記帳を指導
た、決定に至るまでの相手方とのやり取りの中で
するなどの支援を行うように努めるべきであると
A さんの地域福祉権利擁護事業を利用するために
もされているところ、処分行政庁が申立人に対し
仮申請が行われていたり、生活保護受給にあたり
14)
て、そのような支援を尽くしたとは認め難い。」
借金をしない旨の誓約書を1〜3回ではない複数
回にわたり書かせていたことなども判明してい
とし、相手方の主張を退けている。
このように、日常の生活支援の中で当事者の生
た。
これは、年金担保貸付の2度目の利用が「社会
活をどのようにとらえていくのかということはひ
通念上、真にやむを得ない状況にあったかどう
じょうに重要であることが明らかになったといえ
か」ということに関連して大きな争点の一つと
る。
なった。
5 生活保護訴訟の社会福祉学的考察の意
義
相手方は次のように主張している。
ここまで、生活保護分野では全国初の成果と
「②過去、処分行政庁に対し、年金担保貸付を利
なった「仮の義務付け」について、社会福祉士が
用しない旨の誓約書を提出していること、本件年
どのような動き=実践を行ってきたのかというこ
金担保貸付を受けていることを秘匿して本件申請
とを追っていくという手法で、法的解釈論にとど
をしていること、本件年金担保貸付を生活費では
まらない社会福祉学的考察を行うことを試みてき
ない滞納家賃等の支払に充てていることなどから
た。
すれば、申立人は資産活用を恣意的に忌避してい
社会福祉士の専門性を問われた時、社会福祉士
ることは明白であり、本件年金担保貸付を利用し
養成に関わる者の中でもその答えはいまだ確立さ
たことについて、社会通念上、真にやむを得ない
れているものではない。しかし、この事例を通し
12)
て、少なくとも、当事者の権利擁護を行うことで
状況にあったとも認められない。」
社会正義の実現に寄与しなければならないという
としている。しかし、上記のような実態から判断
ことはいえるであろう。ここで、明らかになった
すれば「金銭管理能力の欠如」を抜きに A さん
ことが今後の社会福祉実践に活かされ、それが蓄
の暮らしぶりを語るのはむしろ困難あり、社会福
積を重ねていくことで社会福祉学の発展にも貢献
祉士としてこの実態について正確に伝えることが
できるのではないかといえる。
必要であったといえる。
「訴訟」といえば、どうしても法的な解釈論に
偏ってしまう中で、
「法廷には立てない」社会福
これに対し、裁判所は次のような判断をした。
祉士やソーシャルワーカーが何ができるのかとい
うことをより具体的に明らかにしていくことも必
「申立人の生活は質素であり浪費行為等もうかが
要である。とくに法律の専門家である弁護士は必
われず、上記借入等の背景として、申立人は適切
ずしも生活保護分野の専門家ではない場合も多
に金銭を管理する能力に欠ける点があるものと認
く、そこに社会福祉分野の専門家である社会福祉
13)
められる」
士が関わっていくことにより、より当事者の願い
を具体化することが可能にとなるのではないとい
とした。そのうえで、相手方の主張の根拠となっ
える。そのような意味ではこの試みは十分ではな
ている「生活保護行政を適正に運営するための手
かったかもしれないが一つの問題提起とはなるの
引きについて」についても
ではなかろうか。
―2
5―
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8
長野大学紀要
第3
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0
1
2
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1
1年1
1月アクセス)
おわりに
6)
「年金担保貸付事業の廃止についての意見書」日本
弁護士連合会、2
0
1
0年2月1
8日付
生活保護訴訟は行政事件であり、その処分の是
非を争うが、決定的な手続き的形式的な不備がな
い限り、一般的に勝訴する確率はそれほど高くは
ない。一方で、その処分の妥当性を問うために
は、法律の趣旨や原点に立ち返って、実態の把握
を行うことが最重要課題となる。
7)同、4頁
8)同、3頁
9)沖縄タイムス、2
0
1
0年2月2
1日付
1
0)同
1
1)
「平成2
1年(行ク)第7号
生活保護開始仮の義務
付け申立事件」決定書、8頁
本事例は、社会福祉士が実態の把握を行い、弁
1
2)同、4頁
護士が法廷闘争を担ったケースとしてそれぞれの
1
3)同、9頁
専門分野を活かしたとりくみであったということ
1
4)同、9−1
0頁
ができ、ある意味では、生活保護訴訟に限らず、
今後の社会福祉・社会保障関連の訴訟に大きな影
参考文献・資料
響を与えるかもしれないであろう。2011年8月に
・社会福祉士養成講座編集委員会編集『新・社会福祉
は、この仮の義務付けを追認するように本訴の判
士 養 成 講 座1
9 権利擁護と成年後見制度
決も A さんに対する生活保護申請却下処分の取
版』中央法規、2
0
0
9年
り消しという形で確定している。しかし、申立て
・
障1
5
1
9・1
5
2
0 2
0
1
0年8月 合 併 号』旬 報 社、2
0
1
0
務付けが出ていなかったらと考えると「償うこと
否定できなかった。そのような意味では画期的な
決定であったといえるが、そのプロセスの検証の
年
・「年金担保貸付事業の廃止についての意見書」日本
弁護士連合会、2
0
1
0年2月1
8日付
・山口道宏編『申請主義の壁
蓄積はまだまだ少ないといえる。しかし、今後、
真に国民のための社会福祉・社会保障を模索して
!木博史「生活保護開始仮の義務付け決定に社会福
祉士が果たした役割と今後の展望」
『賃金と社会保
から約2年半の月日が立っており、もし、仮の義
のできない損害」に至ってしまっていた危険性は
第2
年金・介護・生活保護
をめぐって』現代書館、2
0
1
0年
・
いくためには、さらなる事例の検証と考察が必要
!木博史「社会福祉士による高齢者の地域生活支援
−生活保護開始仮の義務付け決定」全国老人福
となってくるであろう。本稿がそのきっかけとな
祉問題研究会編集『月刊
れば幸いである。
年5月号』本の泉社、2
0
1
0年
ゆたかなくらし 2
0
1
0
・井端正幸・渡名喜庸安・仲山忠克編『憲法と沖縄を
問う』法律文化社、2
0
1
0年
付記
本 稿 で 取 り 扱 った 事 例 に つ い て は A さ ん 本
・
!木博史「地域福祉における独立型社会福祉士事務
所の意義と課題
人、及びご家族の同意を得ている。
−生活困窮者支援の取り組みを
中心として−」
『立正社会福祉研究
第1
3巻1号』
立正大学社会福祉学会、2
0
1
1年
注
・「平成2
1年(行ク)第7号
祉 士 養 成 講 座1
9 権利擁護と成年後見制度
第2
・「沖縄タイムス、2
0
1
0年2月2
1日付」
・「福祉新聞 2
0
1
1年9月5日付」
版』中央法規、2
0
0
9年、3
4−3
5頁
・繁澤多美「地域生活支援における社会福祉士と弁護
2)同
3)
「平成2
1年(行ク)第7号
生活保護開始仮の義務
付け申立事件」決定書、那覇地方裁判所、2
0
0
9年
1)社会福祉士養成講座編集委員会編集『新・社会福
士の連携
生活保護開始仮の義務
−生活保護開始仮の義務付け認容決定
と今後の展望」総合社会福祉研究所編『福祉のひ
付け申立事件」決定書
ろば 2
0
1
0年3月号』かもがわ出版、2
0
1
0年
4)同、2頁
・独立行政法人福祉医療機構ホームページ
5)独立行政法人福祉医療機構ホームページ
http : //hp.wam.go.jp/guide/nenkin/outline/tabid/2
5
1/
http : / / hp . wam . go . jp / guide / nenkin / outline / tabid /2
5
1/
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1年1
1月アクセス)
Default.aspx
―2
6―
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
7―4
2頁(7
9―9
4頁)2
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1
2
上田自由大学受講者群像(1)
―宮下周、堀込義雄の軌跡―
The Intellectual Footprints of Itaru Miyashita and Yoshio Horigome
on the Characteristics of the Ueda Free University Students
長
島
伸
一*
Shinichi NAGASHIMA
員と、「信濃自由大学会計簿」「上田自由大学会計
はじめに
簿」「自由大学雑誌発送簿」「信濃黎明会記録」に
1920年代初頭における上田小県地域の青年運動
記載された青年たち(受講者・購読者・会員)と
の大略は、以下のようなものであった。1920年1
を重ね合わせ、町村青年団活動に止まらず広域の
月に上田市連合青年団が、翌月には小県郡連合青
青年運動に関わった自由大学受講者たちを特定す
年団(以下、郡連青と略記)が設立された。郡連
る。そのうえで、その後対照的な教育・文化・政
青は、各町村青年団を統合したものであったが、
治活動をすることになる二人の人物、すなわち宮
団長に郡長、副団長には郡視学が就くような官製
下周と堀込義雄を採り上げ、その軌跡を辿ること
的な性格の色濃い組織であった。それに飽き足ら
にしたい。
ない青年団員たちは、同年10月に信濃黎明会を発
なお、村の青年団が編集発行していた『時報』
足させる。猪坂直一によれば、会員は「自由とい
からの引用は、原則として当用漢字と新仮名遣い
い解放といっても切実な階級意識をもつものでは
に改めてある。
なく」「要するに官製青年会にあきたらず、近時
のデモクラシー気運に若い血汐をたぎらせて飛び
1.郡連青役員と自由大学受講者
まわろう」という青年たちであった1)。また一年
広域の青年運動、すなわち信濃黎明会と郡連青
後の1921年10月には長野県連合青年団が設立さ
の概要について、まずは簡単にふれておきたい。
れ、翌11月からは信濃自由大学が開講される。こ
このうち信濃黎明会については、先にふれた猪坂
うして、上小地域には時期をほぼ同じくして、町
直一の冊子と「信濃黎明会記録」を詳細に分析し
村青年団を中心にそれを束ねた連合体である郡連
た山野晴雄の論考2)とが既にあるので、ここでは
青と、普選と軍縮の運動を推進する政治組織であ
その会員のうち自由大学の受講者を特定するだけ
る信濃黎明会と、教育機関である信濃(上田)自
に止めておきたい。
信濃黎明会会員のうち自由大学の受講者は、猪
由大学とが鼎立することになった。
本稿では、それぞれその目的を異にする青年組
坂直一、山越脩蔵、松前七五郎、宮下智三郎、工
織に係わったメンバーの重畳関係を、まずは確認
藤七左衛門、横関豊龍、宮下周、中澤守平、清水
しておきたい。具体的には、郡連青の『団史』第
實、南條三二郎の10名である。このうち郡連青役
3輯から作成した役員リストをもとに、郡連青役
員経験者は、宮下周以降に名を挙げた4名であっ
*環境ツーリズム学部教授
―2
7―
8
0
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
されていた3)。
た。
他 方、郡 連 青 の 役 員 は、団長1名、副 団 長2
設立時(1920年)の郡連青役員は、団長が安藤
名、幹事2名、評議員6名からなり、また代議員
兎毛喜(郡長、1920年3月〜22年1月)、副団長
は町村の青年団(青年会)から選出された青年団
は岡村千馬太(郡視学、2
0年2〜5月)、五味繁
長各1名から構成されていた。任期は団長・副団
作(郡視学、2
0年7月〜22年1月)、幹事は沓 掛
長が2年で、代議員会における選挙で選出され、
喜(20年2月〜22年1月)、岡 田 忠 一(20年11月
幹事の任期も2年で、団長が選任することになっ
〜24年2月)であった。したがって少なくとも22
ていた。一方、評議員の任期は1年で、郡内の三
年1月までは、官製的性格を脱しえなかったと判
地区、すなわち川東12ヵ村、依田窪3町8ヵ村お
断できる。
よび川西10ヵ村から各2名ずつ計6名が、各地区
の代議員すなわち町村青年団長の互選により選出
年
度
団
長
副団長
1921年から1932年までの12年間の郡連青役員一
覧は以下のとおりである4)。
幹
事
評
議
員
1
9
2
1(T1
0)
安藤兎毛喜
五味
繁作
岡田
沓掛
忠一
喜
柳沢賢次郎、吉池泪壬、宮下周、中澤 守
平、佐藤孝之、室賀秀四郎
1
9
2
2(T1
1)
沓掛
喜
宮下
周
柳沢純之助
岡田
栗林
忠一
農夫
柳沢賢次郎、佐藤亀太、吉池泪壬、細田延
一郎、室賀秀四郎
1
9
2
3(T1
2)
沓掛
喜
宮下
周
柳沢純之助
岡田 忠一
細田延一郎
柳沢賢次郎、小林直樹、遠藤要蔵、小林泰
一、青木長寿
1
9
2
4(T1
3)
宮下
周
細田延一郎
柳沢賢次郎
宮原
堀込
武夫
義雄
石井清司、小井戸楢次郎、吉池清次郎、南
条三二郎、青木長寿
1
9
2
5(T1
4)
細田延一郎
柳沢賢次郎
石井 清司
宮原
堀込
武夫
義雄
小井土楢次郎、吉池清次郎、青木長寿、南
条三二郎、峰村嘉孝
1
9
2
6(T1
5)
細田延一郎
石井 清司
橋詰袈裟二
田村
矢島
賢一
二郎
宮沢才吉、清水實、土屋文次郎、永井 嗣
水、沓掛袈裟雄、峰村嘉孝
1
9
2
7(S2)
石井
清司
永井
清水
田村
矢島
賢一
二郎
中澤平八郎、土屋文次郎、清水義三郎、和
泉民次郎、宮原藤三
1
9
2
8(S3)
山浦
国久
宮原 藤三
斉藤対次郎
田村 賢一
和泉民次郎
小林隆太郎、柳沢儀一郎、桜井秀雄、小林
茂夫、武田駒之助、小泉謙介
1
9
2
9(S4)
宮原
藤三
斉藤対次郎
中島 忠次
田村
赤沼
賢一
傳
田中金夫、坂口譲、桜井秀雄、小林茂夫、
小出万允、小泉謙介
1
9
3
0(S5)
斉藤対次郎
山辺
小出
聖
万允
田村
小泉
賢一
謙介
三井袈裟一、田中金夫、小林茂夫、小林啓
郷、山極久憲、小山勝
1
9
3
1(S6)
小出
万允
山辺
小林
聖
啓郷
田村
小林
賢一
茂夫
田中金夫、横沢牛之助、岩下巌、両角 敏
男、山極久憲、石井泉
1
9
3
2(S7)
小林
小十
小林 啓郷
塩沢平八郎
田村
望月
賢一
與十
龍野長夫、斉藤斉、唐沢俊夫、小市基、林
長次、赤羽光利
嗣水
實
郡連青の日常活動は、収支予算の細目から知る
越金2
00円であった。このうち会費の内訳は、各
ことができるが、その細目が比較的詳しく記載さ
町村平均割9円、戸数割1戸につき2銭(21,
380
5)
403
れている1929年度の予算書によれば 、歳入1,
戸)となっている。また雑収入2
85円は、1
1月に
円のうち会費が722円、県費補助金5
0円、定期預
別所温泉の常楽寺で開催された4泊5日の青年団
金利子146円、受講料ほか雑収入285円、前年度繰
幹部修養講習会参加者1
10人の、一人当り2円5
0
―2
8―
長島伸一
上田自由大学受講者群像(1)
―宮下周、堀込義雄の軌跡―
8
1
銭の受講料の合計275円と、当座預金利子1
0円の
30円となっているが、幹部修養講習会の経費4
50
合計であった。
円のうち講師謝金および諸雑費は計4
00円、残り
これに対して歳出には、役員報酬などの事務所
の50円は講習録発行費に充てられている。
費313円、会議費1
8
0円、事業費8
05円、県連青負
みられるように、郡連青の役員は、その「規約
担金30円、団代表者旅費補助金25円、予備費50円
書」の第2条に掲げられた、町村青年団の「相互
であった。事務所費313円の内訳には役員報酬128
の連絡を図り、智徳の修養、心身の鍛練を講じ、
円、役員旅費50円、給仕小使年末手当ほか雑給15
以て青年団の健全なる発達を期する」という目的
円、通信費消耗品費ほか需用費50円、雑費70円が
を達成するために、その第7条に掲げた事業、す
計上されている。ちなみに役員報酬のうち団長は
なわち「1.講習会・講演会、2.体育奨励に関
20円、副団長2名には計30円、評議員6名に計48
する事項、3.諸般の研究調査、4.その他」を
円、幹事には1名20円、他の1名(常任幹事)に
行うための会議を頻繁に開催していた。
は10円が支給されている。
ちなみに、1929年度に開催された役員会および
また、事業費805円の内訳は、講習会費450円、
事業は、下表のとおりである。
運動会費300円、研究調査費25円、体育講習会費
役 員
会
事
業
そ の
他
5月1
8日
評議員会
郡連合事務所、協議事項:修養講習会に関する件ほか
7月1
8日
役員会
8月1
7日
代議員会
1月2
2日
役員会
郡連合事務所、総会・研究会開催に関する件
2月9日
役員会
郡連合事務所、研究会研究議題に関する件ほか
4月1
3日
体育講習会
上田市営運動場(1
3〜1
4日の両日)7
0余名受講
4月2
6日
時報主任者会議
郡連合事務所、協議事項:町村時報の使命如何ほか
1
0月5日
県体育大会予選
上田市営運動場
1
0月1
2日
県連青体育大会
松本市県営運動場(1
2〜1
3日の両日)
1
0月2
7日
郡連青体育大会
上田市営運動場
1
1月1
5日
幹部修養講習会
別所温泉常楽寺、1
5〜1
9日まで4泊5日間
2月1
6日
郡団総会研究会
上田市公会堂、疲弊せる現代農村の振興策如何ほか
4月1
5日
大日本青年大会
東京市青山の青年会館、1
5〜1
8日までの4日間
4月2
7日
県連青代議員会
県庁参事会室、大日本連合青年団大会状況報告の件ほか
6月2日
県連青代議員会
東筑摩郡連合事務所、前年度決算、今年度予算の件ほか
7月1
3日
県連青体育委員会
7月2
1日
県連青代議員会
郡連合事務所、明治神宮競技予選会・体育大会の件ほか
郡連合事務所、体育大会・修養講習会に関する件ほか
松本市県営運動場
県庁、体育委員会案承認の件、財源確立の件ほか
表中にある事業のうち、
「幹部修養講習会」と
誌』定期購読者リストを重ね合わせて、郡連青役
毎年2月に開催さ れ る「総 会」後 の「研 究 会」
員と信濃黎明会会員と自由大学関係者との関連を
は、青年団員の学習・研究活動として極めて重要
見ておこう。
なイベントであった。しかし、その点については
整理すれば次ページの図のようになる。役員の
既に別稿で触れる機会があったので6)、ここでは
うち、自由大学受講者(A+B+C)および『雑
上に掲げた郡連青役員一覧をベースに置きなが
誌』購読者(A+B+D+E)が各15名、信濃黎
ら、それと信濃黎明会会員リスト、信濃自由大学
明会会員(A+D+F)が11名である。
および上田自由大学受講者リスト、
『自由大学雑
―2
9―
8
2
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
の1945年12月に辞表を提出するまで、じつに28年
間県議を務めた。また、2
9年からは村長も兼務
(1929−40、1943−45年)している7)。
宮下が自由大学を受講したのは、第1期第4回
(1922年2月)の土田杏村「哲学概論」
、第2期
第4回(1923年2月)の出隆「哲学史」
、再建第
1期第1回(1928年3月)の高倉輝「日本文学研
究」であった8)。
しかし、残された資料「信濃自由大学会計簿」
には、第2期6回分の受講者名は記載されている
が、第1期の第5回、第6回の記載はなく、また
第3期以降第5期までの「会計簿」の所在は不明
である。資料不備の期間中に宮下が自由大学に参
加したことを証拠づける手掛かりは、今のところ
2.宮下周の思想と行動
存在しない。
広域的な青年運動に関わった自由大学受講者の
これに対して、たとえば、自由大学に足繁く
さまざまなタイプを浮き彫りにするために、郡連
9)
は膨大な講義ノー
通った中沢鎌太(1878−1959)
青役員のうち上記15名(A+B+C)の自由大学
トを残しているため、合計18回の講座を受講して
受講者のその後の軌跡を順次跡づける予定である
いたことが判っている。しかし、残された2つの
が、本稿では、まず、上掲図のA(信濃黎明会会
会計簿によれば、中沢の受講した講座は、第2期
員かつ自由大学受講者かつ『自由大学雑誌』購読
の高倉輝と出隆、再建第1期の高倉輝、同2期の
者)に属する宮下周の軌跡を辿ることにする。
高倉輝と安田徳太郎のわずか5回にすぎない。
(1)「自力更生」への途
学会計簿」には不備がある点を改めて確認してお
したがって、2つの会計簿のうち「信濃自由大
宮下周(1895−1970年)は、浦里村越戸に長男
きたい。ちなみに、中沢が受講した18回とは第2
として生まれ、浦里尋常小、長瀬尋常高等小、県
期の高倉輝、出隆、山口正太郎、佐野勝也の4
立小県蚕業学校を卒業した後、村役場書記に就職
回、第3期の中田邦造、山口正太郎、高倉輝、出
し、その傍ら20年からは信濃黎明会に参加し、21
隆、佐野勝也の5回、第4期の新明正道、今中次
年に郡連青評議員、22年に浦里青年会長および郡
麿、金子大栄、高倉輝の4回、第5期の新明正
連青副団長、24年には郡連青団長を歴任した人物
道、高倉輝の2回、再建第1期の高倉輝と同2期
である。翌25年に30歳の若さで助役に就任し、27
の高倉輝、安田徳太郎の講座である(下の表参
年9月の県会議員選挙に立候補して当選、敗戦後
10)
。
照)
学期
開講年月
講
1
1
9
2
1.
1
1−2
2.
4
恒 藤
2
1
9
2
2.
1
0−2
3.
4
土田杏村
恒 藤
3
1
9
2
3.
1
1−2
4.
4
4
恭 高 倉
師
名
輝 出
隆
恭 高 倉
輝 出
隆
山口正太郎 佐 野 勝 也
中田邦造
山口正太郎 高 倉
輝 出
隆
世良寿男
佐野勝也
1
9
2
4.
1
0−2
5.
3
新明正道
今中次麿
輝 波多野鼎
佐竹哲雄
5
1
9
2
5.
1
1−2
6.
3
新明正道
高 倉
再建1
1
9
2
8.
3−2
8.
1
1
高 倉
輝 三 木
再建2
1
9
2
9.
1
2−3
0.
1
高 倉
輝 安田徳太郎
金子大栄
輝 谷川徹三
清
―3
0―
土田杏村
高 倉
中田邦造
世良寿男
金子大栄
大脇義一
松沢兼人
長島伸一
上田自由大学受講者群像(1)
―宮下周、堀込義雄の軌跡―
本題に戻るが、宮下は『浦里村報』の創刊号か
8
3
えている。
ら第46号までその編輯人を務め、編集後記とさま
「大自然の威力の前には、富や権勢は勿論、ま
ざまな論説を執筆している。青年会長に就任した
ことしやかに正義を説いた人間さえ何等の力もな
1922年には、「暁村」のペンネームで「青年の自
く、総てが裸に焼き出されてしまった。その赤
由な思想と、燃える様な熱情とが社会の進歩発展
裸々の姿で自分を見つめた時、そこに物欲を離れ
に、どんなに力あるものであるかは東西古今幾多
13)
。
た、明るい気分が生れて来はしないか」
の歴史が証明して余りある所であります」と述
関東大震災は、宮下の思想形成に少なからぬ影
べ、「青年会はこれ等青年の集団であります。飽
響を与えた。
「富や権勢」を誇り「物欲」に囚わ
くまで自由の天地として、青年の内面生活を深く
れた「東洋の大都」
、連帯を欠いた自己中心主義
反省しつつ、互に進んで行くもので決して政党や
の蔓延した京浜の大都会は、大震災によって一日
軍閥などの手先となるべき単純のものではなかろ
にして脆くも崩壊した。それは大都会が「徒らに
うと思います」と記している11)。
小さな利己主義を本位として」進んできたからに
見られるように、ここには「青年の自由な思
他ならない。ならば翻って、どのようにすれば
想」は「社会の進歩発展」に寄与するものである
「此の農村を救う事ができよう」か。「今日の様
こと、また青年団活動は、単純に「政党や軍閥」
な社会状態に処して」いくには、利己主義からの
などの軍門に降るような自律性を欠いた運動体で
脱却を図り「個人経営から団体経営へ、団体経営
はないことが認められている。その後の宮下の思
から町村経営へ」と移行していく以外に途はな
想と行動を想うとき、その点を確認しておくこと
い14)。そう考えて宮下は「物欲を離れた、明るい
は重要であると思われる。
気分」を味わったのであろう。
もう一つあらかじめ確認しておきたい点は、同
そしてその主張は、やがて「農村共同経営の実
じ1922年に書かれた次のような発言である。
「農
現とその徹底」
「農村社会事業の発展とその完
村の振興を計るには、その経済的方面、技術的方
成」という「二つの道」を結合するという考えに
面、及び社会的方面に大改革を要する。機械の応
たどり着く15)。その「二つの道」を端的に表現し
用、畜力の利用、文化の向上、娯楽の施設、農民
たキーワード、それがのちの「自力更生」という
の団結等幾多施すべき計画、樹つべき方針があ
宮下に独自の概念であった。
る。けれども吾等が第一に必要とするは、浦里に
1927年の昭和恐慌と踵を接して勃発した29年の
世界大恐慌が日本にも波及し、3
0年は浦里村に
於ける人口の制限である」。
ここで「人口の制限」とは、移民による村から
とっても「苦難の連続」であった。
「世界恐慌の
の転出を指している。もちろん、町村は「他出者
真只中に繭糸価の暴落、米価の惨落は、将に農村
の為にできる限りの援助」をする「責任」がある
の危機を招来した。吾が浦里村に於ける養蚕収入
とも指摘しており、また移住先として「南洋南米
は実に、前年に比して六割の激減であり、米麦は
北海道」のような「万里の地」を念頭に置いてい
16)
。
四割五分の大減収である」
るわけではない。しかし、農村振興のために町村
満州事変が勃発した翌32年 に は、「農 村 の 危
が「移民計画を断行」すべきことを主張している
機」はさらに進んで「吾国空前の危機」に見舞わ
点は、後に指摘することになる満洲移民への積極
れる。世界商品たる蚕糸(蚕種・養蚕・製糸)業
的態度との関係で注目しておきたい12)。
を営む上小地域の農家や業界も例外ではありえ
過剰な農村人口削減のための「移民計画」を主
ず、この「農村の危機」を反映してすでに28年に
張したその一年後、
「爛熟せる文明を誇る東洋の
は村内にも浦里農民組合が結成されていた17)。宮
大都」を関東大震災が襲う。宮下は、
「京浜の凶
下はしかし農民組合運動には全く理解を示さず、
変は、人間の造り出した一切の創作と文化とを全
のちにそれを「空想的な社会変革」
「妄想」と一
く破壊し去った。
『文明は自然を征服する』と、
蹴している。
余りに人間を大きく見た現代の人々に」大震災は
「或は政府の救済により、或は空想的な社会変
「何を語るであろう」と自問して、次のように答
革により、生活の安定を得る如き妄想を抱いた民
―3
1―
8
4
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
衆が今や意識するとせざるとに拘わらず、自ら自
せるには「農民として得た金は農民の繁栄の為に
力 更 生 の 道 を 歩 み つ つ あ る 事 は、将 に 昭 和7
金融も農民共同で」活用すべきだと主張する。
(1932)年に於ける最大の収穫と言わねばなら
ところで、宮下の「共同」と「統制」
、すなわ
ぬ」。「自力更生の精神こそ行きづまれる浦里村を
ち共同組合による産業の組織化は、具体的には
更正する絶対唯一の道である」18)。ここで確認し
「貯水池の新設による米麦の増収、浦野川の改修
ておく べ き は、
「自 力 更 生」と い う キ ー ワ ー ド
による耕地の保全、産業組合の更生による金融改
が、農村における「空前の危機」への対応策であ
善と販売統制、副業の奨励と農村工業の実施、或
ると同時に、外来の社会主義思想を信奉する農民
は自作 農 創 設 施 設」の 建 設 な ど か ら 成 っ て い
組合運動の「妄想」に対するオルタナティブ、対
た22)。また、「過去の養蚕偏重を排し多角形経営
抗概念としても登場している点である。
による自給自足と、労力の利用とによって健全な
(2)
「自力更生の精神」の内容
用、桑園の変換、有畜農業の奨励、農産物の改良
る生活に導かんとするもの」で、「耕地の改良利
それでは「自力更生の精神」とはいかなる内容
増進」などから成るものであった。しかし、
「自
を含むものか。宮下は、しかし、これを体系立て
力更生」には、産業の組織化に止まらない別の要
て説明してはいない。用語が先にあり、含意は後
素も含まれていた。それが「村民の精神的更生に
から固められたという趣がある。そこで、
『浦里
よって勤倹努力の村風を作興し、相互共助による
村報』の各所に散見される指摘から、その内容を
農村組織化」を行うことであった23)。
つまり宮下の「自力更生の精神」は二面から成
整理・確認しておこう。
宮下が繰り返し強調するのは、「共同」と「統
り立っていた。一つは産業の組織化による経済的
制」に依らずして「搾取の無き社会を作る」こと
更生であり、もう一つは村民の「勤倹努力」
「相
19)
はできないという点である 。現在の資本主義社
互共助」による「精神的更生」であった。後者の
会の特徴は、「或る一派の言う如き、ブルジョア
思想的バックボーンとして、宮下がとりわけ重視
対プロレタリアの対立ではなく都市と農村の対立
したのは、「天は自ら助くるものを助く」という
である」。「或る一派」が、階級闘争を標榜する浦
「自助の精神」を説いた S. スマイルズの『自助
里農民組合、それが属する上小農民組合連合会を
論』と、「二宮尊徳先生の伝記」を著した尊徳の
指すことは明らかであるが、宮下によれば「今日
高弟・富田高慶の『報徳記』とであった24)。
の農民の苦しみは、主として(都市の)商工業者
同時に宮下は、将来の「村風」を担うことにな
の為に(農村の)利益(が)搾取」されているこ
る青年の「教育の改善と充実」が「急務中の急務
とから発生している20)。
だ」という信念に基づき25)、青年訓練所を「実業
その「搾取」を断ち切るためには、
「生産、金
補習学校」に編成替えしている。その結果、
「教
融、販売の共同」と「産業組合的経済組織」によ
育」とは似て非なる思想の「教化」が図られるこ
る「生産販売の統制」が図られなければならな
とになる。具体的には、
「生徒は全部宿泊制度と
い。つまり「個人経済より統制経済へと進み初め
し、昼間は家業に従い、夕食を済ませて登校し、
21)
。
て農村更正の実が上がるのである」
授業の後合宿し、早朝また授業をして帰宅する」
宮下は、農民組合が使う「搾取」という同じ用
という「生活訓練」がとりわけ強化される26)。こ
語を巧妙に「都市と農村の対立」に持ち込み、農
れも、農民組合の急進化に対する宮下なりの「思
民の窮 乏 は「ブ ル ジ ョ ア 対 プ ロ レ タ リ ア の 対
想対策」であったが、1933年の「二・四事件」後
立」、つまり階級間の搾取関係からではなく、都
の社会主義運動の弾圧にも援けられて、この思想
市による農村の「搾取」ゆえに生れるという。た
教化システムは村内に定着していく。
ところで、宮下は、
「自力更生の精神」の対極
とえば、「郵便貯金」は「中産以下農民の貯金が
大部分」であるにもかかわらず、
「都会商工業者
にある社会(共産)主義思想を、
「人間の本性を
の為に使われ都市の発展のみに用いられる」
。こ
無視し、社会性を偏見し、国情及び村風を不問に
れが宮下のいう「搾取」であって、これを止めさ
附し」た「非現実的な」思想と位置 づ け る27)。
―3
2―
長島伸一
上田自由大学受講者群像(1)
―宮下周、堀込義雄の軌跡―
8
5
翻って「自力更生」思想は「人間の本性」に合致
「政治の力なくしては協同主義社会の建設も、
した「現実的な」思想と見なしうるか否か、それ
農村更生の大業も到底実現することはできない。
をその思想が行き着いた先まで辿ることにしよ
従って産青連の政治進出は極めて当然のこと」で
う。
ある。それを認めたうえで宮下は、長野県産青連
のある幹部が、
「最大多数の最大幸福を計るため
(3)産業組合主義と農村のファシズム的再編
に」代表者を議会に送る必要があると力説してい
「二・四事件」直後の33年3月に浦里村産業組
る点を問題にする。「日本の政治思想」は、「最大
合長に就任した宮下は、同年9月に青年会 OB の
多数の階級または職業者の最大幸福を目標とする
主要メンバーを糾合して「産業組合青年連盟(産
もの」ではない。県産青連の主張する「最大多数
青連)」を結成する。経済の組織化つまり産業組
の最大幸福とは明かに階級的対立の思想」であ
合主義は、産業組合長を兼務した村長宮下と、側
り、「最後の一人を思わせ給う天皇の大御心こそ
面から彼を強力に支える産青連とによって、その
吾が国独自の政治理想」である点を忘れた「反日
後は推進されることになる。ちなみに、産業組合
本精神」である。また、
「吾が国の産業組合は上
主義と精神的更生との同時進行、つまり「自力更
御一人を中心とする一大家族の日本精神によって
生」によって、浦里村は33年に長野県の経済更生
初めて道義的協同を全うしうる」のであるが、産
特別村に指定され、36年には更生模範村として農
青連の政治進出はその点を忘れた「反協同組合主
林大臣表彰を受けている。
義」でもある。したがって、以上二点から反対せ
しかしながら、宮下の産業組合主義は、ほぼ同
ざるをえない、と29)。
時期に「皇室中心主義」と結びついていく。
「歴
こうして宮下は、「皇室中心主義」「天皇の大御
史は国民にとっては羅針盤であり燈台である」
。
心こそ吾が国独自の政治理想」
「上御一人を中心
「我が国の歴史は皇統連綿、連綿の我が皇統は何
とする一大家族の日本精神」など、ファシズム期
を意味するか?
今日まで続いている我が国は、
に定着することになる独特の主張を自らのものと
実にこ の 皇 室 中 心主 義 に 基 づ いた の に 外 な ら
して展開している。そして、1940年11月には、大
ぬ」。「然らばその皇室中心なるものは如何なるも
政翼賛会長野県支部常務委員兼組織部長に任命さ
のであろうか。それは各人が各々その分を尽して
れ、実質的には天皇制ファシズムを地方で下支え
一致団結し、その最高理想に向って勇往邁進する
するその先頭に立つことになる。
を言うのであろう。而してこれを地方化したもの
そうであればこそ、当時国策であった満州移民
が産業組合主義『即ち共存共栄』である。故に産
を、逡巡なしに推進できたのである。すでに34名
業組合主義なるものは皇室中心への一機関一分子
の満洲開拓者を送りだしていた浦里村の村長宮下
28)
。
に過ぎぬのである」
は、1939年3月の小学校と〔実業補習学校の後身
みられるように、宮下は、「皇室中心主義」の
である〕青年学校の卒業式祝辞で、次のように
「地方化したもの」が産業組合主義であり、産業
煽っている。
「私は先ず長男は父祖の業を継いで
組合主義は天皇制国家に組み込まれた「一機関一
郷土に止まれと絶叫する。……二男三男は出来る
分子」に過ぎないとの認識に立ち至っている。万
だけ満洲へ行け。尊い父祖の血が諸子を招いてい
世一系の天皇制を、所与の侵すべからざる国体と
30)
。この祝辞の要旨を掲載した『浦里村報』
る」
するならば、その「一機関」に過ぎない「共存共
には、3名の少年義勇隊が新たに満洲に出発した
栄」の産業組合主義と抵触する、あるいは宮下が
と報じられている。宮下の祝辞が3人あるいはそ
抵触すると考える政治活動は認められない。じっ
の家族の肩を押したのだろうか。
さい、既成政党を批判しつつ独自の候補者を擁立
このように見てくると、宮下にとって青年団活
しようとした「産青連の政治進出」に対しては、
動と自由大学における学びはどのような意味を
それを絶対に認めることはできないとして反対を
もったのか、考え込まざるをえない。かつて鹿野
表明している。反対理由は以下のようなもので
政直は、上小地域の青年団運動が「積極的に、世
あった。
界の思潮に眼をひらいてゆこうとする傾向さえ、
―3
3―
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6
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
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2
顕著にもった」にもかかわらず、
「いかに努力し
翻して既成の保守政党に「批判的」な立場をとる
ても、ついに光明がもたらされないばかりか、そ
ことなく絡めとられているし、農村人口を削減す
れがいよいよ遠のくと意識されたとき、既成の一
るために「万里の地」への移民計画に慎重であっ
切への憤怒をこめて、伝統的な価値への依拠がは
た前言も翻している。また、かれの再編した実業
じまるのであった。あれほどさまざまの模索の結
補習学校は、思考の訓練を通じて自由な人格を涵
果が、自力更生へとなだれをうったとき、青年た
養する教育制度とは対極の、有無を言わせぬ一致
ちは、ひらこうとした未来を、みずからの手でと
協力を求める「生活訓練」施設に過ぎなかった。
ざした」と指摘したことがある31)。
かれは社会主義思想を「人間の本性を無視」した
この鹿野の評価は、青年団運動や自由大学運動
に関わった、必ずしも少なくない青年たちの軌跡
「非現実的な」思想と片づけていたが、かれの教
育思想こそその批判に相応しいものであった。
を定式化したものと見なすことができるが、宮下
したがって、宮下の場合には、「社会の進歩発
周の軌跡はこの定式には馴染まぬ、特異なる例外
展」が、その努力にもかかわらず「いよいよ遠の
であると思われる。確かに、若き日の宮下は、
くと意識された」から「伝統的な価値への依拠」
「青年の自由な思想」が「社会の進歩発展」を担
を始めたわけでも、
「自力更正」の途へとなだれ
いうるものであり、青年団活動はやすやすと「政
込んだわけでもない。むしろ、若き日の思考の中
党や軍閥」などに絡めとられてしまう組織ではな
に、1930年代前半期に開花することになるその芽
いと主張していた。しかし、農民組合に対する嫌
がすでに埋め込まれていたのである。
悪が示すように、宮下は「世界の思潮」に対して
ところで、宮下周に関する優れた先行研究を物
は無関心で、他人の「思想の自由」に対しても寛
した中村政則は、
「小県郡連合青年団の主要幹部
容な精神を持ちあわせてはいなかった。他方、宮
たち、たとえば山浦国久・沓掛喜・堀米(込)義
下自身は「特定の思想」や「特定の政党」からも
雄・沓掛友太郎(ペンネーム沓掛十六)
・矢島二
「自由」ではなかった。友人の猪坂直一は、その
郎ら」は「のちに長野県産青連に合流していっ
点で興味深い挿話を残している。
た」と指摘している33)。宮下の伝記小説『村の太
宮下は、1
927年の県議選の際には、
(信濃黎明
陽』(武 村 書 房、1941年)を 書 い た 沓 掛 友 太 郎
会を改組再編した)信濃革正党推薦の無所属で初
を、郡連青の「主要幹部」に含めるのは、前掲の
当選したが、小諸出身の小山邦太郎国会議員が明
役員リストに照らせば事実誤認であるが、自由大
政会から民政党に鞍替えした29年暮に、小山派県
学受講者の山浦国久や矢島二郎と堀込義雄とを同
議としての再選も考慮して民政党に入党してい
列に扱うことは、果たして妥当であろうか。
る。翌30年1月に、宮下は猪坂にも入党を勧めた
が、猪坂は次のように弁明して宮下の勧誘を断っ
3.堀込義雄の思想と行動
そこで次に、宮下周とは対照的な軌跡を描いた
たというのである。
「僕は小山氏を敬愛すること何人にも劣らぬつ
堀込義雄の足跡を辿ることにしよう。
もりだが、民政党員になることは避けたい。……
政党員になるとその党の規約や命令に服従しなけ
(1)教員時代の半生
ればなるまい。……貴君の知るように僕は自由主
堀込義雄(1897−1981年)は、神川村蒼久保に
義者であり理想主義者であって、現代政党のあり
四男として生まれ、神川尋常小、旧制上田中学を
方には批判的である。もし小山氏のような立派な
卒えた後、地元小県郡内の豊殿小で2年間、母校
人物に出会わなかったら、僕は政治運動にも選挙
の神川小で11年間、依田小で2年間の教諭生活を
運動にも関係しないだろう。この僕の立場や考え
経て、1932年に南佐久郡に転出している。同地で
は、僕の過去十数年来関与してきた信濃黎明会や
は中込小と内山小の二校でそれぞれ4年間教諭と
自由大学の同志友人達は十分諒解してくれると思
教頭を務め、その後1940年からは大日向小と北牧
32)
。
う」
穂積組合立青年学校の二校で校長を歴任してい
宮下は、次の選挙を意識して、青年期の前言を
る34)。
―3
4―
長島伸一
上田自由大学受講者群像(1)
―宮下周、堀込義雄の軌跡―
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7
終戦間際の1945年3月に応召され、長野師管区
要求を主張し、父兄は経済上の見地からのみ批判
司令部付の将校、6月からは北佐久郡岩村田の県
を下す。商人は商人本位で行き、百姓は百姓主義
立北佐久農学校と臼田の南佐久農学校の配属将校
を押し通そうとする。かくて国家主義者と社会主
として赴任した後に敗戦を迎える。その年の12月
義者と資本家と無産階級と……皆この調子であ
に軽井沢青年学校の校長として教職に戻るが、47
る」とも指摘している。そのうえで堀込は、
「学
年4月に行われた統一地方選挙の神川村長選に推
者」が「自分の専門の中に立て籠もっている」の
されて立候補し、初の公選村長に当選している。
と同様、大多数の人々は自分の殻を破れずに偏っ
したがって、堀込の前半生、つまり戦前の30年
た見方しかできないが、
「専門に従事しながら突
弱は教職に捧げられた。戦後は、神川村長を二期
き詰めれば」偏見に囚われずに様々な見解を「受
8年、県会議員と上田市長をそれぞれ一期4年ず
け容れる」ことができるはずだ、と主張する37)。
つ、その後再び県会議員を一期4年務め、後半生
この柔軟で一方に偏らない青年期の思考様式は、
は20年間にわたり公職に身を捧げた一生であっ
その後も一貫して維持されることになる。
35)
た 。
また、思索と批判的・能動的な態度とを重視し
堀込が自由大学を受講したのは、2つの「会計
た、次のような意見も表明されている。
「何の思
簿」の 記 録 に よ れ ば、第2期 第3回(1922年12
索も批判もなしに、そのまま環境に盲従し現状に
月)の 高 倉 輝「文 学 論」、再 建 第1期 第1回
甘んじ之に執着していく他動的の態度を私は理想
(1928年3月)の高倉輝「日本文学研究」、同第
なき生活と言いたい。其処には思索がないから目
2回(1928年11月)の三木清「経済学に於ける哲
的もない。批判がないから反省もあり得ない。だ
学的基礎」、再建第2期 第1回(1929年12月)の
から自覚なき生活である。……理想は、思弁的な
高 倉 輝「日 本 文 学 研 究」、同 第2回(1
930年1
人間の働きの所産ではあるが、この思弁的な理念
月)の安田徳太郎「精神分析学」の計5講 座 で
の世界と現実の世界とを統一した上に立てられた
あった。再建自由大学は都合4回の講座しか開講
ものでなくてはならない。……私達は現実を通し
されなかったが、その全てを受講しているのは、
て理想を見、理想を抱いて現実を愛すべきであ
石井清司、細田延一郎、山浦国久とともにその発
る。そうしたならば理想回避もなく又現実隠遁も
起人に名を連ね、堀込自身が自己教育を掲げる教
ない。こうした立場こそ正に真正の道ではあるま
育機関の再開を重視していたからに他ならない。
38)
。理想を回避することも、現実から逃避
いか」
宮下より2歳下の堀込も、教職に身を置きなが
することもなく、理想と現実とを「統一」した立
ら青年団活動には活発に関わり、1924年には神川
場に立たねばならぬ、と自らを戒めている。
村青年会理事、翌年度から2年間は青年会長を務
他方で、利己的な立身出世主義を批判しつつ、
める傍ら、郡連青の幹事も2年間歴任している。
不合理で不平等な現在の社会は、連帯を通して
また、「路の会」同人として時報『神川』の発行
「改造」していかなければならない、とも主張し
に関わると同時に、その創刊号から頻繁に論説を
ている。「今の世の中 は……利益主 義 で あ る か
36)
寄稿している 。
ら、自分の利益の為には他の人の損失を予想して
読書好きで、総合 雑 誌 の『中 央 公 論』や『改
いるのである。自分の成功は他の人の失敗を意味
造』なども定期購読して、社会の動向にも広く関
している。自分の立身出世のためには他の人の落
心を払っていた堀込らしい論稿が残されている。
魄困憊を意としない。……この不自然な発達をし
「私の友達の一人が『本を読む度に自分の馬鹿さ
た今の世の中の組み立てを改造していくことは当
が判ってくる』と言ったが、一寸矛盾しているよ
然のことなるのである。……不合理なる経済組織
うに聞こえるが真理だと思う。又他の人が『読書
と不平等なる社会制度とを痛感する者(が)団結
する事を忘れてしまった人は全く呑気になって何
して進むことによってのみ、我等の希いは達する
でも簡単に始末をつける』と言った。実に至言
39)
。
ことができる」
見られるように、堀込は、
「不合理」な現代社
だ」。活字好きなら胸に落ちる指摘であろう。
同じ論説のなかで「教育者は教育的立場からの
会を「改造」しなければならないと「痛感」する
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長野大学紀要
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人々が「団結」しなければ、「我等の希い」は叶
となり教員としての仕事が増えたためとも考えら
えられないと考えている。つまり「改造」の必要
れるが、とりわけ南佐久郡の中込小に転勤になっ
性を「痛感」した人々が「団結」した場合 に の
た32年以降の社会的な発言や活動については、残
み、その「改造」の可能性が拓かれる。この信念
念ながら史料によって確認することができない空
は、戦後の村長時代の実践を通して裏づけられる
白期間である。
ことになる。
よく知られるように、郡連青は、1930年8月の
資本主義を批判する社会主義思想の登場の背景
代議員会で信濃電気株式会社を相手に電燈料3割
を理解せず、それを「思想悪化」と断じる向きに
値下げを要求する声明文を可決して運動を開始し
も、堀込は批判の矢を放っている。
「毎日の新聞
たが、会社側の誠意なき態度で運動は長引き、9
を埋める題材に小作争議と労働問題がある。それ
か月後の31年5月に郡連青の先輩4名の仲裁によ
によって日本にも到る処に支配階級と被支配階級
り、ようやく和解に漕ぎつけている。郡連青の先
との前衛戦が開始せられて来たことを知る。実に
輩4名とは、宮下周、細田延一郎、石井清司、山
働けど働けど食へざる人を思う時、我等に食を、
浦国久の4名で、そこに堀込は含まれていない
職を、生きる道を与えよと叫ぶはあまりに当然な
が、この和解案は、かなりの町村青年団にとって
ことと考えられるではないか。現代人よ、善良な
は歴史的敗北に映った42)。堀込が和解案には反対
同胞のかかる悲痛な要求を、ただ思想悪化と断言
で調停人に名を連ねることを断ったためか、単に
し去るを得るや?
精神主義、資本主義の遵奉者
時間が取れなかったためかは判らない。その理由
かくも真剣なる血の喚きを、単に意気地な
が資料的に裏づけられておらず、県産青連に合流
よ!
40)
しの声とのみ聞くか?」 。
したという裏づけも示されていない以上、かつて
また、普通選挙制が実施され、身近な村議選へ
郡連青の同僚だった面々と堀込とを同列に扱う前
の注目度が増して選挙人の意識が変わり、それを
記中村政則の判断は、適格性を欠くという点だけ
通じて被選挙人の意識が変わることを歓迎する、
は確認しておきたい。
次のような意見表明もあ る。「普 選 に な っ て か
ところで、時代が下って、アジア太平洋戦争が
ら、今まであまり騒がなかった村会議員の選挙が
間近に迫っていた1940年の年頭、皇紀2600年と創
大分人気を呼ぶようになってきた」。「今回各地方
刊150号を記念する『神川』特集号が組まれた。
に現われた〔立候補者の〕特徴は、若い者の割込
その紙上で、かつて自由大学の理事を務め当時は
みと貧乏階級の突進とである。我等はこの何れを
神川村長の要職にあった金井正は、時局柄、次の
も歓迎する」。「今迄の選挙観は大なる錯誤に陥っ
ような文章を公表せざるを得なかった。
「明治維
ていた。……選挙する者自身が目覚めずして、選
新を転機として、我国に移植された自由主義的諸
挙される人(が)目覚めん事を望むは不可能であ
制度及びそれに伴う国民の心構えは、既に功なり
る。……今次の村会議員選挙が我等の理想に近づ
名遂げて、現下の新情勢に適応すべき新制度、新
41)
。
かんことを望んでやまない次第である」
観念に世を渡すべき時期となった。国家総動員法
こうして見てくると、神川小の教諭として自由
の全面的発動による経済各部門の統制といい、国
大学で学んでいた時期の堀込は、柔軟でバランス
民精神総動員運動といい、何れもこの事実を如実
のよい思考様式を身につける一方、小作争議を起
43)
。
に指し示している」
さざるを得ない「善良な同胞」の「真剣なる血の
同じ号で、南佐久郡内山小学校の教頭であった
喚き」にも共感を示しており、郡連青でも自由大
堀込は150号記念の一文を寄せ、次のように述べ
学でも周知の間柄にあった宮下の「被支配階級」
ている。「日本民族の大陸進出はどこまでも長期
に対する心情とは、好対照であったことが確認で
建設なり。組織的ならざるべからず。我が言う組
きる。
織的とは個人的英雄的気分的の反対にて、社会的
しかし、神川小から千曲川対岸丸子地区の依田
建設的の謂である。一目的の下に営々として協力
小に転出した1930年4月以降、時報『神川』紙上
して行く組立である」。「思うに組織的であらねば
での堀込の意見表明は殆ど見られなくなる。中堅
ならぬのは独り大陸発展の事のみに限らるべから
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長島伸一
上田自由大学受講者群像(1)
―宮下周、堀込義雄の軌跡―
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ず。村の事、
(青年)会のこと皆然りというべき
からなる開拓団の入植をすすめている。この計画
なり。殊に天恵に限りある神川村の将来は、一層
の提案者は、自由大学の発案者として知られ当時
44)
組織的計画の下に進行すべきものであらん」 。
は村の農地委員長を務めていた山越脩蔵であっ
ここで堀込は、
「日本民族の大陸進出」という
た。堀込は、入植1年後に、この分村計画に対し
事実にふれて、それが「組織的」ならざるを得
て次のように述べている。
「呱々の声をあげてか
ず、「営々として協力」すべきものと指摘してい
ら努力1年、開墾30町歩に及び相等の成績を納め
るが、国家総動員体制の下の教職にある身の発言
得たが、まだその根底は薄弱である。母村の協力
としては、慎重に言葉を選んだ結果だと見るべき
応援なしでは有終の成果は期しがたい。引続いて
であろう。少なくとも「大陸進出」を積極的に評
46)
。その後も順風
の支援をお願いしてやまない」
価したり推進したりする発言と見なすことはでき
満帆とはいかなかったものの、開拓団はやがてト
ないからである。
ラクターによる大農法を採り入れて、入植以来10
年間で2
2戸90人がかつての茫漠たる原野に定住
(2)村長・県議時代の後半生
し、この地を高原野菜の一大産地に仕立て上げる
すでに指摘したように、1947年4月に初代の公
ことに貢献している47)。
選村長に就任した堀込は、戦後復刊した『神川』
また1950年には、神川小学校の講堂兼体育館の
紙上で次のように述べている。
「今や日本が大き
改築計画を立て、自らが農業協同組合長を兼ねて
く転換し新生の道を開拓せんがためあらゆるもの
いたこともあって、農協と協力して村民に「愛村
の革新が要望されるの時、村においての仕事もま
貯金」を促し、それを村が借り入れて資金に充て
た多事多端、旧態依然たることは許されないと思
るアイディアを編み出し、この村の多目的ホール
います。新しい日本の目標はその憲法に示されて
を完成させている。のちに堀込はこの「愛村貯
いる如く、民主的に平和国家文化社会を実現する
金」にふれ、「400万(円)目標の建築記念定期が
所にあります。村のあり方もまたこの趣意に根本
450万となり、村は一銭の起債もせず目的を達成
をおくことは言うまでもありません」。「進歩も保
した。そして27年度までに工費の一切を経常費で
守も実践の場においては、混然として合の力と
賄い終らせ、今では少しの借金もなく完全に講堂
なって、大きな歩みをいたすべきだと信じます。
と西側便所とが残ったのである。しかも定期の歩
かくして私は常に村民大衆と共におり、その総意
止りは(農協)組合にプラスとなり正に一石二鳥
の向く所に従ってその使命を果したいと念願して
という所である」と語り、村民の協力に謝意を表
45)
。
おります」
している48)。
自由な言論が封じられ、個人よりも組織が最優
村長二期目の1952年6月には、神川の源流から
先された統制と総動員の時代が過ぎて、自由と民
程近い大明神沢での硫黄試掘の事実を知ると、直
主主義の時代が到来したが、
「あらゆるものの革
ちに神川水系1市10ヵ村からなる市村長会に「菅
新」が求められる今必要なのは、保守と革新との
平鉱毒対策委員会」の設立を呼び掛け、委員長に
対立ではない。大局的視点に立って両者が「実践
推されて反対運動の先頭に立ち、生存権を守るこ
の場」で力を合わせて歩みを重ねることだ。そし
の運動の中核的な担い手になっている。この運動
て堀込自身は村民の「総意の向く所に従って」行
における堀込の思想と行動こそ、かれの真骨頂を
動するというのである。この堀込の所信表明は、
示すと思われるので、これについては項を改めて
公職に就いていた2
0年間、一貫して維持される
述べることにしたい。
が、それはまた若き日の自身の認識の延長線上に
ある所信でもあった。
教育にことのほか関心を寄せていた堀込は、同
じく二期目の村長時代に、小学校と併設されてい
ところで、堀込は、村長一期目の1949年に、村
る神川中学校(1学年2学級)の規模を適正化し
の農地の細分化を防ぐために、農家の次三男や外
て、学習環境を整え教育効果を高めるために、上
地からの引揚者のために、群馬県浅間山麓の嬬恋
田市立第一中学校との統合を進めている。今後予
村「六里ヶ原」の原野への分村計画を立て、30戸
想される生徒数の増加、教室と教員の不足を解消
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するためには、統合によって解決する以外にない
(3)菅平硫黄採掘反対運動と菅平ダム
との判断に至ったためで、1954年度から新中学校
こうして堀込は20年間の公職生活を通じて、一
が発足している。それに併せて、通学費もかさむ
貫して教育・文化行政に傾注し、地方自治をこの
ことから、生徒一人当たり年1,
000円の補助金を
地に根づかせるために尽力したが、その原点には
支給することも決めている。
「環境に盲従し現状に甘んじ之に執着していく他
さらに、県会議員時代(1955−59年)には、県
動的の態度」をかなぐり捨て、
「不自然な発達を
政の改革を志す有志議員11人が結集して「革新議
した今の世の中の組み立て」を「改造」しなけれ
員連盟」をつくり、堀込はその委員長に選出され
ばならないという青年時代の決意があった。ま
ている。同議員連盟は、憲法第92条および地方自
た、社会の「改造」は、
「理念の世界と現実の世
治法に謳われた精神を、県政に活かし根づかせる
界とを統一」しつつ行われるべきものであって、
目的を掲げて設立された。知事は社会党の林虎雄
戦前の宮下周が考えたような「皇室中心主義」の
だった。当時の県財政は悪化の一途を辿り、1955
「地方化」による「改造」でも、戦前・戦後の社
年度の一時借入金は40億円を超え、支払い利息は
会主義者が念頭に置いたような「革命」によるそ
4000万円を超える状態であった。
の「改造」でもなかった。そして、堀込の志が文
もっとも、これは長野県に限ったことではな
く、全国的に地方財政は逼迫していた。そこで国
字どおり全面開花したのが、1952年6月の菅平硫
黄試掘事件だったのである51)。
は「地方財政再建促進特別措置法(地財法)
」を
菅平十ノ原地区で北信鉱業所による硫黄の試掘
つくり、林県知事はこの適用を受ける議案を県会
が開始されたとの報が届くと、堀込は直ちに神川
に提出する。革新議員連盟を代表して質問に立っ
流域の10人の市村長に呼びかけ、試掘を中止する
た堀込は、地財法の適用を受けることは、国の監
ための「菅平鉱毒対策委員会」を結成して委員長
督下に置かれることを意味しており、地方自治を
に選出された。神川上流での硫黄採掘に対する反
謳った憲法に違反するとして「県政の自治性を維
対運動は、堀込にとって、流域住民10万人の安全
持し、県議会の審議権の自主性を守り、長野県政
な飲料水と農業用水とを守るための「生存権」に
をして県民サービスの為に万全を期すべきであ
係わる不可避の運動であった。したがって、先の
49)
る」と発言したが 、結果は堀込の意に反して、
引用でいえば「理想なき生活」と「自覚なき生
翌56年10月からその適用が決まってしまった。い
活」を自ら脱却し、意識的に地域の暮らしを守る
いこと尽くめではなかったのである。
ための生活者の「団結」を促しながら、自らがこ
同じく県議時代の1956年9月に、神川村は上田
の運動の最前線に立って闘うということになる。
50)
市と合併した 。その後、泉田村、神科村、豊殿
もちろん、採掘企業に対する公害反対運動に
村も上田市と合併し、同市は人口7万を超える地
は、しなやかで粘り強い精神が求められる。その
方中核都市に変容する。59年の上田市長選で、堀
ため、運動方針を決定し、水質調査を実施し、陳
込は無所属の革新統一候補として名乗りをあげ、
情のためには関係省庁に出向き、反対署名を集
当選している。就任後の6月議会に敬老年金条例
め、折にふれて住民大会を開催するなど、組織的
を上程する一方、翌年には児童自由画運動と農民
な活動が積み重ねられた。しかし、予想されたこ
美術運動に功労のあった山本鼎の没後10周年を記
とではあるが、それは必ずしも順調に進んだわけ
念して「山本鼎記念館」設立に尽力している。す
ではない。それでも、この運動は、取り纏め責任
でに金井正は亡くなっていたが、山本鼎から直接
者堀込の尽力によって、一進一退と文字通りの紆
指導を受けた中村實が初代館長を、山越脩蔵が二
余曲折との末に、当初の目標を達成して終焉を迎
代目館長を務めている。また、雇用対策として工
える。運動開始 か ら1年5ヶ 月 後 の1953年10月
場誘致にも力を注ぎ、さらに上田城址公園の公会
に、採掘地を鉱区禁止地域とすることが官報に公
堂跡地に市民会館を建設して文化活動の拠点づく
布され、堀込を委員長とする「菅平鉱毒対策委員
りにも意を用いている。
会」は全面勝利を手に入れることになったからで
ある52)。
―3
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上田自由大学受講者群像(1)
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神川水系1
0万人の悲願が叶ったことを伝える
学の学習活動に求めることは、あながち的外れと
『神川』紙上で、堀込は次のように記している。
はいえないであろう。自由大学研究史の中でかつ
「此処に至るまでには地方並びに中央の幾多の有
て問われたことは、自由大学での学びを通して身
力者の絶大なる援助を得たのであるが、しかし問
につけた「社会的教養」を、その後「どう発展さ
題解決の原動力は何と言っても地元住民の不退転
せ、どのような人間像をうみだしたか」を明らか
の決意と団結の力とであると私は信じている」
。
にするという課題であったが、これまで垣間見て
確かにそのとおりであったが、住民の「不退転の
きた堀込の思想と行動は、その問いに対する差し
決意と団結の力」を折にふれて引き出した堀込の
当たりの回答と見なしうるものであると言ってよ
影響力も軽視できないと考えられる。
い。
1952年7月9日に「対策委員会」は上田市営グ
自由大学の教育理念の中には、
「思想の自由」
ランドで住民大会を開催している。その際に、同
を前提にした「
〔特定の〕思想からの自由」が含
委員会は流域の上田市および1
0村ごとに「プラ
まれていたが55)、堀込が公害反対の住民運動をは
カード一枚だけを許可し、ムシロ旗などは一切持
じめ戦後の行動の中で最も重視したもの、それは
ち込まないようきびしく通達していた。いわゆる
地域の暮らしと文化に関わる運動が特定の政治団
農民階級闘争、住民闘争でなく、生活防衛のため
体によって分断されるのを如何にしたら回避でき
の止むに止まれぬ住民一致の行動であることを、
るか、という点であった。個人の「思想の自由」
関係者に印象づけるためでもあった。それには大
を大前提としながらも、教育機関としての自由大
会が整然と行われ、一糸乱れぬ統制の下に、参加
学がさまざまな思想を批判の対象とし一定の距離
者が行動する必要があった」。「自由党、民主党、
を置いたように、堀込は、生活者主体の住民運動
社会党、共産党まで、全政党の代表が勢揃いし
においても、特定の組織や思想から相対的に独自
た。当初この運動を『一党一派に偏らず、全住民
な立場の堅持を求めたのである。その意味で、戦
の純粋な運動にしよう』と性格づけた対策委員会
前の農民組合運動とも、総動員・総協力の「自力
の方針は、紆余曲折を経ながらも、ここに見事に
更生」運動とも、その思想と行動とを異にしてい
53)
。
結実していた」
た。
ここに示されている運動体の組織運営論は、看
したがって、宮下との違いは明らかであるが、
過しえない要因を含んでいる。運動体が特定の政
同じ自由大学の教育理念の下で学びながら、二人
党、特定の階級のそれと見なされれば、
「生活防
のその後の歩みは交叉することはなかった。とこ
衛のための止むに止まれぬ住民一致の行動」であ
ろで、いうまでもなく教育は「宣 伝」で も「教
ることが薄められ、市民運動が階級闘争に取って
化」でもない。金井正が指摘しているように、
替わられ、広範な層の結集が削がれてしまう可能
「教育の要諦は、被教育者が将来現実的に遭遇す
性が高い。そうではなく、この「鉱毒」反対運動
る万般の場合を処理すべき実例を一々枚挙して教
は、憲法第25条に規定された生存権、生活権を守
え込むことにはなく、少数の一般的知識を基礎と
る流域住民による「止むに止まれぬ」運動なの
して、無限に遭遇する特殊の場合を、その知識内
だ、というのである。勝利後の記者会見の席上
に包摂する能力」
、換言すれば「疑問を提起する
で、委員長堀込は次のように応えているが、その
能力」の涵養にある56)。しかし同時に、教育とは
発言こそこの運動の性格をよく物語っているよう
「自己教育」であり、教育者は被教育者の「疑問
に思われる。
を提起する能力」を引き出す支援者でしかない。
「いかなる政治勢力、いかなるイデオロギーに
それゆえ、自由大学がさまざまな知識を「教え
もとらわれず、対策委員会の統率と緊密な連絡の
込む」教育ではなく、
「少数の一般的知識を基礎
もとに、全住民一致の思想にもとづいて行動し
として」「疑問を提起する能力」を涵養する教育
54)
た、ということが中央を動かしたと思います」 。
を理想としたとしても、その教育理念を受容する
このように見てくれば、これら戦後の堀込の思
も拒否するも受講者の判断に委ねられている。教
想と行動の原点を、若き日の青年団活動や自由大
育者は、あくまで「自己教育」の支援しか行いえ
―3
9―
9
2
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
ないからである。それゆえ、二人の対照的な軌跡
社、1
9
7
2年、所収)
、および青木孝寿「信濃黎明会か
は不思議なことではないが、まさに好対照の2つ
ら 信 濃 自 由 大 学 へ の 道」
(『信 濃 路』
(第1
1号、1
9
7
4
の型、タイプとしてここに確認をしておきたい。
年、所収)も 参 照。「信 濃 黎 明 会 記 録」は『長 野 県
なお、鉱毒問題が解決して以来の懸案であった
史』近代史料編第8巻(3)
、1
9
8
4年、4
4
9
‐
4
6
3ページ
に所収。
菅平ダム建設とその関連の土地改良事業は、二度
目の県 会 議 員 時 代(1963−67年)の66年 に 着 工
し、68年には鉱毒から守った神川の水を活用する
ダムの本体工事が完成している。菅平ダムの完成
によって、神川水系の村々は、水田の灌漑による
水不足の解消ばかりでなく、畑地灌漑による巨
峰、桃などの果樹産地に成長し、飲料水の確保、
農業用水路の整備も進んだ。しかも、繰り返し計
3)
「小県郡連合青年団規約書(大正9年2月決議、大
正1
5年3月 改 正)
」下 村 忠 一 郎 編『団 史』第2輯、
1
9
3
8年。
4)小林良純編『団史』第3輯、1
9
4
1年、7
9
‐
8
4ページ
参照。
5)以下の叙述については、前掲『団史』第2輯、6
‐
1
6ページを参照した。
6)拙稿「上田小 県 地 域 の 青 年 団 活 動 と『社 会 的 教
画断念の危機に見舞われながら、ダム建設資金の
養』─『西塩田時報』を中心に」
『長野大学紀要』第
捻出を可能にしたのは、その後全国的に有名に
3
0巻第2号、2
0
0
8年9月、4
2
‐
4
6ページ参照。
なった「菅平方式」と呼ばれる手法であった。そ
7)宮下の履歴は、『長野県歴史人物大事典』6
9
8ペー
れは、財産組合が所有している山林の一部を県に
ジ、『上 田 市 誌』第2
8巻、2
2
8
‐
2
2
9ペ ー ジ、お よ び
無償で提供し、別荘地を造成して売りに出し、そ
「宮下周氏年譜」
(同氏頌徳顕彰会編『頌徳記念誌』
の利益を地元負担金に充てるというもので、この
1
9
6
1年)などを参照した。
別荘造成の「菅平方式」は資金不足を一挙に解決
8)
「信濃自由大学会計簿」および「上田自由大学会計
簿」参照。2つの会計簿については、拙稿「自由大
する妙案だった57)。
学と上田小県地域の青年団運動─「社会的教養」を
ところで、宮下周は、敗戦後の1947年3月に公
めぐって」
『長野大学紀要』特別号第1号、2
0
0
9年3
職追放の指定を受け、それが解除された4年後の
月、5
1
‐
6
0ページを参照。
1955年に浦里村長選に立候補するが、かつての産
9)小崎軍司『夜明けの星』造形社、1
9
7
5年、2
2
2
‐
2
2
3
青連設立呼び掛け人の一人坂井安雄に敗れてい
ページ、および天田邦子・山野晴雄「青木猪一郎日
る。投票結果は、坂井1,
003票に対して宮下は849
記
票であった58)。その後は村の中央保育園長に就
9月、3
8
‐
4
9ページ参照。
中沢鎌太日記」
『自由大学研究』第4号、1
9
7
6年
任、59年には自治功労者として藍綬褒章を受章し
1
0)山野晴雄「自由大学関係資料目録」
『自由大学運動
ている。また60年からは県保育連盟会長、県社会
6
0周年記念誌』
(自由大学研究別冊2、自由大学研究
福祉協議会理事を務め、児童福祉、老人福祉の分
会、1
9
8
1年1
1月)pp.
9
5
‐
9
6参 照。な お、表 は、山 野
野で活動を続けた。他方、堀込義雄は、今でも土
晴雄「自由大学運動の歴史」長野大学編『上田自由
地の古老たちの間で「神川の水を守った村長さ
大学とその周辺』郷土出版社、2
0
0
6年、2
9ページか
ん」と親しみを込めて話題にされることがあると
いう。
ら作成。
1
1)暁 村 生(宮 下 周)
「所 感」
『浦 里 村 報』第4号、
1
9
2
2年2月1日。
1
2)暁「人口を制限せよ」
『浦里村報』第1
0号、1
9
2
2年
注)
9月1
5日。
1)猪坂直一『回想 枯れた二枝─信濃黎明会と上田自
1
3)同「厳粛な事実の前に」
『浦里村報』第1
9号、1
9
2
3
年9月1
5日。
由大学』上田市民文化懇話会、1
9
6
7年、1
4ページ。
2)山野晴雄「大正デモクラシー期における青年党類
似団体の動向─信濃黎明会の活動を中心に」
『自由大
学研究』第9号、1
9
8
6年1月。なお、猪坂の前掲書
1
4)宮 下 周「経 費 を 惜 し む 心」
『浦 里 村 報』第2
2号、
1
9
2
4年2月1
5日。
1
5)同「農村よ何所へ行く─吾は農村と共に行く」
『浦
里村報』第5
5号、1
9
2
7年1
0月1
0日。
のほか、同『小山邦太郎の足跡』
(小山邦太郎先生伝
刊行会、1
9
7
9年)
、山越脩蔵「信濃黎明会と 自 由 大
1
6)同「年頭に立ちて」
『浦里村報』第9
4号、1
9
2
6年1
学」
(『信濃長野 県 の 歴 史 と 風 土』ジ ャ パ ン ア ー ト
―4
0―
月1
0日。
長島伸一
上田自由大学受講者群像(1)
―宮下周、堀込義雄の軌跡―
正期、昭和戦前期の各年度版を参照。
1
7)井沢譲「農民組合設立の趣旨」
『浦 里 村 報』第7
1
号、1
9
2
9年1月1日。井沢譲(1
8
9
9
‐
1
9
7
5年)は再建
9
3
3
5)堀込の履歴については、前掲『長野県歴史人物大
自由大学の最後の講義を除く3回を聴講している。
事 典』6
2
9
‐
6
3
0ペ ー ジ、『上 田 市 誌 人 物 編』2
0
8
‐
2
0
9
井沢については山野晴雄の聴き取り「井沢譲氏に聞
ページ、および堀込藤一『清冽なる流れ「神川」と
く」
『自 由 大 学 研 究』第8号、1
9
8
3年1
0月、4
9
‐
5
8
生きて─父堀込義雄』
(私家版、2
0
1
1年)所収の「略
ページを参照。また、上小農民組合連合会について
年譜」
(3
8
6
‐
3
8
9ページ)を参照した。
は、上小農民運動史刊行会編『長野県上小地方農民
3
6)
「路の会」については、渡邊典子「1
9
2
0〜3
0年代に
おける青年の地域活動─長野県神川村『路の会』に
運動史』1
9
8
5年、第Ⅱ章を参照。
よる学習・教育を中心に」
『日本教育史研究』第1
3
1
8)宮下「自力更生の旗の下に総代会に於ける宮下村
号、1
9
9
4年8月参照。
長の挨拶」
『浦里村報』第1
1
3号、1
9
3
3年1月2
5日。
1
9)宮下「浦里村更正の導向と本質」
『浦里村報』第
3
7)堀込義雄「片輪の集り」
『神川』第2号、1
9
2
5年1
月1日。
1
1
7号、1
9
3
3年8月2
5日。
2
0)同「養蚕家の行くべき途」
『浦里村報』第1
0
0号、
3
8)同「理想の樹立を思う」
『神川』第7号、1
9
2
5年1
1
月1日。
1
9
3
1年7月2
0日。
2
1)前掲「浦里村更正の導向と本質」参照。続く引用
3
9)同「思想を根定とする政治団体の出現を望む」
『神
川』第8号、1
9
2
6年1月1日。
も同所より。
2
2)
「昭和1
1年初総代会に於ける宮下村長の挨拶」
『浦
4
0)堀込生「畦間雑草」
『神川』第1
1号、1
9
2
6年7月1
日。
里村報』第1
4
4号、1
9
3
6年1月2
0日。
2
3)宮下周「浦里村経済改善計画説明要旨」
『浦里村
4
1)堀込義雄「民衆の選挙観に於ける錯誤」第2
9号、
1
9
2
9年5月1日。
報』第1
3
6号、1
9
3
5年5月3
1日。
2
4)宮下生「天祖開闢の道を学べ」
『浦里村報』第1
3
0
4
2)本稿3
4ページの図の C に含まれる石井泉は、青年
会長として電燈料値下げ運動を次のように総括して
号、1
9
3
4年1
1月1
0日。
いる。「この戦いの最も大なる敗因」は、「今日の社
2
5)宮下「『自力更生計画と農民』の筆者 IM 生に与う」
会が……資本家擁護に重きをなしてい る の に 反 し
第1
1
5号、1
9
3
3年3月1
5日。
て、これに対する一般(の電燈)需要者が、そのカ
2
6)山浦国久『更生村浦里を語る』信濃毎日新聞社、
ラクリを暴露して、真に自己の社会的立場を知るこ
1
9
3
8年、1
7ページ。
とができない、いわゆる階級意識の無かったことで
2
7)前掲「『自力更生計画と農民』の筆者 IM 生に与う」
はないか」
。しかしその反面で、「今度の争議は確か
参照。
に吾々の敗戦であったけれども、この戦いによって
2
8)宮 下 生「考 え た ま ま に」
『浦 里 村 報』第1
3
0号、
一般大衆の思想的レベルを高めたことは、本運動に
1
9
3
4年1
1月1
0日。
おける見のがすべからざる収穫であった」
(『泉田時
2
9)
「産青連の政治進出を宮下村長に聞くの会」
『浦里
報』第5
8号、1
9
3
1年6月5日所収の「電燈争議を 顧
村報』第1
5
5号、1
9
3
7年6月1
5日
みて」を参照)
。
3
0)
「長 男 よ、農 村 を 守 れ!」
『浦 里 村 報』第1
6
8号、
4
3)金井正「奉祝紀元2
6
0
0年青年正に奮 起 の 秋」
『神
1
9
3
9年4月1
5日。
3
1)鹿野政直「青年団運動の思想」
『大正デモクラシー
川』第1
5
0号、1
9
4
0年1月1日。なお金井は、同じ頃
の底流』NHK ブックス、1
9
7
3年、1
5
3
‐
1
5
4ページ。
に書かれた「科学的教育に就いて(ロ稿)
」の中で次
3
2)猪坂直一『小山邦太郎の足跡』小山邦太郎先生伝
のように述べている、「日支事変を機縁として現われ
刊行会、1
9
7
9年、7
7ページ。また後述の沓掛友太郎
た日本の国民性ほど哀れに貧しいものはない。真面
については、同書1
8
6ページを参照されたい。
目なものは兵隊ばか り で あ る。一 億 一 心、尽 忠 報
3
3)中村政則「経済更生運動と農村統合」東京大学社
国、国民精神総動員、曰く何々と、今までになかっ
会科学研究所編『昭和恐慌』東大出版会、1
9
7
8年、
た新熟語の製作ばかりが盛んであって、その中に盛
2
2
6ページ。なお宮下を採り上げた別の論考に、上條
られるべき実践的内容は更にない」
(大槻宏樹編『金
宏之「恐慌下農民運動と経済更正運動の実態」
『民衆
井正選集』1
9
8
3年、2
5
4ページ)
。公的な文章と私的
的近代の軌跡─地域民衆史ノート2』
(銀河書房、
な本音との落差を確認しておきたい。なお、2つの
引用の原文は、ともにカタカナ標記。
1
9
8
1年)がある。
3
4)信濃教育会事務所編『長野県学事関係職員録』大
4
4)堀 込 義 雄「組 織 と 建 設」前 掲『神 川』第1
5
0号 所
―4
1―
9
4
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
鉱毒反対運動と夢のダム』
(銀河書房、1
9
8
7年)を参
収。
考にした。
4
5)堀 込「就 任 の 辞」
『神 川』
(戦 後)第6号、1
9
4
7年
5
2)青 年 会 が 編 集 発 行 し て い た 時 報『神 川』に は、
6月1
5日。
4
6)同「年頭の辞」
『神川』第3
1号、1
9
5
0年1月1日。
1
9
5
2年8月の第6
0号から、流域1
0万住民の完全な勝
4
7)詳しくは、山越脩蔵・北川太郎吉『神川村分村・
利を伝える5
3年1
0月の第7
3号まで、詳細な経過が掲
載されている。
開拓団の歴史』私家版、1
9
9
4年、および大槻宏樹編
『山越脩蔵選集─共生・経世・文化の世界』前野書
5
3)堀込藤一前掲書『神と人々の水』1
6
9
‐
1
7
1ページ。
店、2
0
0
2年、参照。
5
4)同前2
2
9
‐
2
3
0ページ。
4
8)堀込「村の自治を語る」
『神川』第7
5号、1
9
5
3年2
5
5)拙稿「自由大学運動の歴史的意義とその限界」
『経
月4日。なお、以下のこの項の叙述については、前
済 志 林』第7
4巻 第1・2合 併 号、2
0
0
6年8月、1
8
0
‐
掲注3
5に挙げた堀込藤一『清冽なる流れ「神川」と
1
8
8ページ参照。
5
6)金井正「教育に関する雑感」1
9
3
4年1
2月、大槻宏
生きて』を参照した。
樹編『金井正選集』1
4
8ページ。
4
9)堀 込「特 集 長 野 県 議 会 報 告」
『神 川』第1
0
8号、
5
7)この「菅平方式」に先鞭をつけたのは、山浦国久
1
9
5
7年4月3
0日。
5
0)合併前のアンケートで、堀込は「今後の文化、社
によれば長らく神川沿岸土地改良区の理事長を務め
会教育等の施設は、現在の町村単位では時代の要請
た長村村長、倉島蔵二ということである。山浦『越
に添うには力が弱すぎる」として賛成している。『神
えて行く道
川』第9
6号、1
9
5
4年1月1日。
照。
5
1)以下の叙述は、ジャーナリストで堀込の長男であ
第二集』私家版、1
9
7
0年、7
1ページ参
5
8)
『浦里村報』
(戦後)第1
0
9号、1
9
5
5年5月1
0日。
る堀込藤一のルポルタージュ『神と人々の水─菅平
―4
2―
長野大学紀要
第33巻第 2・3 号合併号
43―53 頁(95―105 頁)2012
流行語から見る中国社会の表現の変化
Changing Social Expressions as Reflected
in Current Vogue Words in China
ビラール イリヤス*
Bilal ILYAS
概要
姜
雪 寧**
JIANG Xuening
環境や災害の五つの分野で起こっている変化を
表す流行語を、言語表現の角度から紹介する。ま
各々の時代にその時の社会を反映する流行語が
はやる。特に中国では、時代や社会の変動期に大
た、流行語を作りやすく、はやりやすくする中
国語の特徴についても論じることにする。
量に流行語が生み出されてきた。1920 ~ 30 年代
本論文の目的は中国ではやっている新しい表
の動乱期や、1960 ~ 70 年代にかけての「文化大
現を紹介することである。よって、ここで紹介
革命」期、特に「改革開放」路線を実施し始めて
する用例は流行語のみに限らず、一部の新語や
から、中国社会に流行語が大量に飛び交っている。
流行語から新語になった用語も含まれているこ
流行語は「歴史の記録、時代の反映」とは言え、
とを付け加えたい。
その大半が一時的なもので、変化が早い。もしそ
れらを記録せず、無関心の態度をとると、跡形も
1.序論
なく消え去る可能性がある。歴史的な角度から見
中国政府が「改革開放路線」を実施して以来
ても、言語表現の角度から見ても、流行語の研究
のこの三十数年、中国社会はさまざまな問題を
や記録には一定の価値があると言える。
流行語を言語学の角度から見たとき、流行語の
抱えながら、急激な社会発展を成し遂げてきた。
定義、語源、構造や流行性などを一つの研究課題
「改革開放路線」に伴う「計画経済体制」から「市
として扱うことができる。流行語を歴史や社会学
場経済体制」への転換を背景に、中国社会にさま
的な角度から見たときには、流行語の由来や使用
ざまな新しい事物や思想が生まれ、人々の文化意
階層や社会背景などを一つの研究課題としてとら
識や日常生活スタイルにも多大な変化をもたら
えることができる。だが、本論文では、流行語を
した。それと同時に、生活水準の向上や外来文化
言語表現的な側面からとらえ、中国社会に広く流
の影響に加え、情報伝達技術の発展と普及もあっ
布している最近の面白い表現を紹介し、その表現
て、社会の各分野に起こっている変化や出来事
に隠れている表現の変化と人々の文化意識の変化
を反映する新語、流行語やユーモラスな言い回
を探る。
しなどの表現がかつてないほど多く生み出され、
ひとことで流行語と言ってもその範囲は非常に
多岐にわたるので、ここでは最近中国社会で最も
急速に広がり、多くの人々に盛んに使用されて
いる。
注目されている食品、住宅、教育、若者生活文化、
*環境ツーリズム学部教授
**中国海洋大学外国語学院日本語学科大学院生
― 43 ―
まず、東日本大震災直後に現れた「対聨」を紹
96
長野大学紀要
第33巻第 2・3 号合併号
2012
介したい。対聯とは語格や意味などの相対した語
この一年間メディアに最も多く取り上げられた流
句を用いて対句になるように書いた掛け物で、
「上
行語を上位 10 個ずつ選出し、計 150 語を解説付
聨」、
「下聯」、
「横額」の三句で構成される。「上聨」
きで公表した。([1]参照 )。冒頭には「流行語は
と「下聯」は言葉の意味が対照的になる対句であ
歴史の記録、社会の反映、時代の透視である。
“2010
り、「横額」は対句の意味をまとめたり、他の意
年中国メディア十大流行語”は 2010 年度の世界
味に転じたりする短い句となる。主に紙や布に書
万象および社会の移り変わりを如実に記録したも
かれるが、竹や板に書くこともある。建物の入り
のであり、時代発展のさなかにある国際社会や国
口または部屋に飾る。「上聨」は向かって右側に、
内社会のいろいろなホットな話題を客観的に映し
「下聯」を向かって左側に、「横額」を上に飾る。
出したものである。」と付け加え、流行語の社会
さて、地震直後に現れた対聯は次のようなもので
ある。まず原文のままで掲げる
性を強調している。
上聨 :
“日本是
一般的に言えば、流行語は一時的なものであ
大核民族”下聯 :
“中国是盐荒子孙”横額 :
“有碘
り、一つの国や社会でその時期に人々の関心や注
意思”。その字通りの意味、つまり表面上の意味は、
目を浴びている事物や社会問題を反映するもので
“日本是大核民族”
(日本は核を多く持つ民族)、
“中
国是盐荒子孙”(中国人は深刻な塩不足の子孫)、
ある。言語学的に見ると、流行語は一種の語彙現
象でもある。そのため、流行語の定義や分類ある
“有碘意思”(ヨウ素に意義がある)。しかしこれ
いは流行語の流行性やそれを使う人口の社会階層
は、中国語に多数存在する同音異議語を利用した
などに関して行われている研究もある。もちろん、
洒落になっている。
“大核”は“大和”と同音で、
今では流行語に関する書物も少なくない([2],
“盐荒子孙”(塩不足民族)は“炎黄子孙”(古代
[3]参照)。だが、ここでは研究角度を変え、言
中国伝説上の皇帝である炎帝 · 黄帝の子孫)と同
語表現の視点から中国社会ではどんな言葉がは
音である。また、横額の“有碘意思”は“有点意
やっているかについて論じることにする。具体的
思”(ちょっと面白い)と同音となる。この対聯
には、最近中国社会で最も注目されている食品、
は、東日本大震災による原発の放射能拡散が原因
住宅、教育、若者生活文化、自然環境の 5 分野で
で、海が汚染されるので安全な食塩が手に入らな
起こっている変化を表す流行語を言葉表現の角度
くなるとの噂が中国で急に広がり、一夜のうちに
から扱い、それらを紹介することを通じて、中国
中国沿海地域で食塩が売り切れ状態になったこと
社会で起こっている表現の変化や人々の文化意識
を風刺して作られたものである。人々が競って食
の変化を紹介する。
塩を買い占めた出来事の理由について、食塩に含
ここでは、社会的にはやっている流行語を分野
まれているヨウ素が放射線汚染防止になるという
別に分類・整理し、その中から、上記の各分野に
うわさもあったようだ。
関わる新しいかつ代表的なものを取りあげること
上記の対聯は現在中国で流行っているユーモラ
スな言い回しの中の一例にすぎないが、今日の中
によって、言語表現が変わってきていることを示
す。
国社会では、このように社会のさまざまな出来事
2.流行語の流行性について
を反映する流行語が飛び交っている。
かつて流行語そのものの存在はあまり注目され
なかったが、最近では中国政府関連機関もその存
言語は時代の鏡である。社会歴史の移り変わり
在を重視し、整理して公表するようになった。た
から生活の変化まで、あらゆるものが言語によっ
とえば、2010 年 12 月末「中国新聞網」
(中国ニュー
て表現される。その中で、特に際立つのは流行語
スサイト)に中国教育部が、“2010 年度中国媒体
である。「流行語」は一般的には、「ある時期興味
十大流行语榜单及解读”(2010 年度中国メディア
を持たれて、多くの人に盛んに使用される語」や
十大流行語リストおよびその解読)を公表したと
「ある一時的に、多くの人々の間で興味をもって、
報道した。この記事では、中国の国内、国際、科
盛んに使用される単語や句」と定義される。
学技術、経済など 15 領域を取り上げ、各領域で
― 44 ―
また、流行語には時代や社会の変化期に大量に、
ビラール
イリヤス・姜
雪寧
流行語から見る中国社会の表現の変化
97
集中的に出現し、社会の多くの人々に使われ広
があることを意味する。漢字の多さこそが、中国
がっていく特徴がある。
語の言語表現を豊かにする最強の武器でもある。
流行語は時期的なものである。その一部が新語
流行語にも中国語のこの特徴を生かし、表現に
として定着し、一部は時期が過ぎると忘れられ、
斬新感、ユーモア感を出し、語呂合わせや言い
やがて消失する。例えば、今日常用語彙として使
われている“明星”や“爱人”は流行語から転じ
回しを流暢にしている。例えば上記の対聯では、
“大和”を同音の“大核”に、
“炎黄”を同音の“
た語彙である。“明星”は西洋から導入された言
盐荒”に、“有点”を同音の“有碘”に置き換え
葉であり、今は人々から注目を浴びている大物映
ることによって、表現に新味を出すと同時にユー
画スターや球技スターを指す。本来、西洋では各
モラスにしている。また、元となった用語はだ
業界で成功を成し遂げた大物をほめるときには、
れもが知っている慣用語であるので、一回耳に
「star」を用いていた[3]。「star」には「燦然と
するだけですぐに覚えられる。しかも表現自体
光を放っている」という意味から転じた「皆知っ
が社会的に起こっているこの不自然現象の急所
ている」というニュアンスが含まれている。中国
をずばりと捉えているので、聞いている人には、
語では、「燦然と光を放っている」というイメー
大きなインパクトを与える。
ジを明瞭に出すために、「star」の中国語訳“星”
流行語の表現方法は字を置き換えたものだけ
の前に更に「明るく光る」という修飾語“明”を
ではなく、実にさまざまである。例えば、
“炒鱿鱼”
付け加えた。この“明星”は 1920 年代の中国で
はその一例である。“炒鱿鱼”の直訳は「イカを
は大物映画スターの代名詞としてはやっていた。
炒める」ということになる。だが、イカを炒める
それが定着して、今はもうすでに常用語となって
と布団を丸めたような形になることから、中国
いる。同様に、今中国本土で広く使われている“爱
語では“卷铺盖走人”
(布団を巻き上げ、人が去る)
人”(配偶者)という語も、戦時中“解放区”(抗
を指す言葉を連想させる。つまり、
“炒鱿鱼”は「首
日戦争および解放戦争の時期に紅軍により解放さ
にする」ということである。このような比喩や連
れた共産党政権の統治地区を指す)ではやってい
想手法を用いた具体的で生き生きした表現も今
た新しい表現であった。それが今は常用語として
日の流行語の中に数多くある。勿論、他の表現手
定着している。勿論、忘れ去られている一時的な
法を用いた表現も数多くある。だが、この論文の
流行語も数多くある。
主旨は流行語に現れる表現作法の分析ではなく、
流行語が流行している主な要因には、流行語の
流行語を通して中国社会に現れた表現の変化を
斬新性と通俗性が大きな役割を果たしていると言
紹介することなので、以下では主に食品、住宅、
える。流行語はその時期のさまざまな社会現象を
教育、若者生活文化、自然環境などに関わる流
生き生きとした表現で如実に表しているので、民
行語を紹介することに留める。
衆の間で共感度が高まり、社会的にはやって広
上記では主に流行語に限定した論述をしてき
がっていく。特に中国語の場合、表現方法がより
たが、この論文の目的は中国ではやっている新
いっそう豊かになる。これは中国語の特徴に由来
表現を紹介することによって、中国社会で起こっ
する。
ている表現の変化や人々の文化意識の変化を紹
中国語では一音節が一字に対応し、一つの意味
介することであるため、以下で扱う語句の中に、
を表す。中国語の発音は音節と声調から構成され、
一部の新語が混ざっていることを了承していた
トータルで千三百三十数個ある。これが発音の
だきたい。
ベースになるもので、日本語の五十音図に相当す
るものである。が、これらの発音に対応する漢字
3.中国社会の各分野における流行語
の総数はこれよりはるかに多い。漢字の総数につ
いて、さまざまな説があるが、少なく見積もって
今日の中国社会では、食品問題、住宅問題、教
も 5 万字以上であることは間違いない。言い換え
育問題、環境・災害問題や若者生活文化問題が
ると、これは中国語に、数多くの同音異義の漢字
常時人びとの関心を集める問題である。そのた
― 45 ―
98
長野大学紀要
第33巻第 2・3 号合併号
2012
めか、これらの各分野に関わる流行語や新語が数
として人気が高い。テレビコマーシャルで“今年
多く生み出されている。以下では、これらの各分
过年不收礼,收礼只收脑白金。”(今年新年祝いの
野に関わる流行語や新語の中から代表的なものを
お礼は断るが、「脳白金」だけは頂く。)との宣伝
選び出し紹介することにする。
文言がよく流れている。
3.1
れた表現の中から代表的なものを取り上げる。
次に、食品安全に対する不満や不信感から生ま
食品安全
この節では、食品関連の流行語の中から一部代
表的なもののみを選んで紹介する。
まず、食品安全に関するユーモラスな表現を見
てみよう。
【脚环鸡】jiǎo huán jī
周知のように、食品管理機関の執ってきている
厳しい管理制度にも関わらず、中国では食品安全
を犯す不法行為が続発している。その中には大き
な事件に発展し、政府の厳しい制裁を受けたケー
名詞。“脚环”は一見
スもある。以下に挙げた「流行語」の字の表面上
すると、インド式の着飾り用の装飾品の「脚輪」
の意味やその流行語を用いた用例からも分かるよ
を連想させるが、予想と違い、ここでの“脚环鸡”
うに、これらの表現自体に悪徳業者に対する強烈
は足に動物検疫部門が統一発行した番号と産地名
な不満や諷刺が強く表れている。
を表記した環が付いている鶏のことである。2006
【毒奶粉】dú nǎi fěn
名詞。乳児用の粉ミルク
年 3 月、中国広州で鶏インフルエンザがはやって
に有害物質メラミンが混入していた「毒ミルク」。
いた時期、安全の印として、検査基準に達した食
2008 年、中国で乳児用の粉ミルクに有害物質メ
用鶏の足に環をつけて出荷していた。
ラミンが混入された「毒ミルク事件」があった。
例えば、2006 年 3 月 29 日《人民网》の記事に
三鹿ブランドの粉ミルクを飲んだ乳児の一部が腎
用いられた文“脚环鸡可放心吃。”(脚輪付き鶏を
臓結石を発症した。この事件後、“外国人喝牛奶
安心して食べられる。)がその一例である。
结实了,中国人喝牛奶结石了”(外国人がミルク
【大肚子经济】dà dù zi jīng jì 名詞。“大肚子”
を飲んで丈夫になった、中国人がミルクを飲んで
には、「身重」
、「妊婦」という意味と「大食漢」
結石になった。)という風刺表現が一時期はやっ
という意味がある。が“大肚子经济”と言ったと
ていた。これも“结实”と“结石”の同音性を利
きには、前者の意味となり、妊婦、産婦、嬰児関
用して作られた言い回しである。
連の用品を指す「妊婦経済」に限定された言葉に
【瘦肉精】shòu ròu jīng 名詞。“瘦肉精”は動
なる。中国は世界一人口の多い国であることに注
物用薬で、種類はいくつかある。この薬を家畜の
目すると、中国の妊婦や産婦に関わる産業は巨大
餌に混ぜると肉の赤身の量が増え、餌の使用量が
かつ安定した市場であることが分かる。《中国人
減る。しかも肉の生産周期を短縮することができ
口与劳动问题报告》(『中国人口および労働問題報
るので、製品のコスト削減にもつながる。だが、
告』)には、“在 2005 ~ 2020 年期间,每年中国的
人体に有害であるため、中国では塩酸クレンブテ
孕妇和产妇至少有 2800—3000 万之多,形成一个
ロールやラクトパミンなどの 7 種類の薬品を「痩
数量庞大且稳定的‘新妈妈市场’,即‘大肚子经
肉精」類に指定し、不正使用を禁止している。に
济’。”(2005 ~ 2020 年の間、中国では毎年妊婦
もかかわらず、中国では最近、家畜飼料に「痩肉
と産婦は少なくとも 2800 ~ 3000 万人に達し、膨
精」が使用された食肉が流通していたことが発覚
大かつ安定な「新ママ市場」、つまり“大肚子经济”
し、食肉を問題視する声があがった。
“好好的羊肉,
を形成している。)との報道がある。
让瘦肉精给废了”(けっこうよい羊肉は「痩肉精」
【脑白金】Nǎo bái jīn 名詞。中国の高齢者向け
の健康ドリンク。“白金”は字の通り、プラチナ
のせいで台無しになった。)を用例として挙げる
ことができる。
であり、「脳白金」という表記には、字の通り脳
【福寿螺患者】fú shòu luó huàn zhě 名詞。福
がプラチナのように永久不変というニュアンスが
寿螺という食用貝による広州管円線虫病患者。患
ある。中国では「脳白金」のテレビ CM はかな
者には高熱や頭痛などの症状が現れる。2006 年、
り有名である。旧正月などの帰省時に、敬老用品
広州の人気料理に使われた「福寿螺(マキガイ)」
― 46 ―
ビラール
イリヤス・姜
雪寧
流行語から見る中国社会の表現の変化
99
から「広州管原線虫」という寄生虫が検出され、
の不動産価格は暴騰し続け、一般市民の年収の
北京市衛生監督所は当日から市内の飲食店に福寿
数十倍に跳ね上がっている。よって、中流階級
螺の加工、販売を禁じる行政令を出した。その時
以下の層では所持金で住宅を購入することは不
期の注意書き“食用未充分加热的福寿螺,可能引
可能であるので、長期ローンを組むことが強い
起寄生虫在人体内感染。”( 十分加熱してないマキ
られる。この住宅ローンに苦しむ人々を「房奴」
ガイを食すると、体内で寄生虫による被害を受け
と言っている。
可能性がある。) が一つの用例である。
例えば、
“现代都市生活中有很多人是房奴。”
(現
【染色馒头】rǎn sè mán tou 名詞。賞味期限の
切れたマントウを回収し、機械に入れ、粉や色素
代都市生活者の中で「房奴」が数多くいる。)を
用例として挙げることができる。
を使って手を施し、再び出荷するマントウのこと
【房魔】fáng mó 名詞。不動産バブルに乗っかっ
である。2011 年 04 月 12 日《新华网》で“上海
て、さまざまな手段で荒稼ぎする悪徳・悪質な
华联等超市被曝多年销售染色馒头。”(上海華聯な
不動産業者を指す。
どのスーパーマーケットで長年「染色饅頭」が販
例えば、“房魔衍生于‘房奴’之后,高房价的
売されていた事が発覚。)と取り上げられている。
压力导至房奴的愤怒,矛头直接对准房地产开发
【苏丹红】Sū dān hóng 名詞。合成着色料の一つ。
商,贬损开发商为房魔。”(「房魔」は「房奴」か
工業用染料。2005 年、中国ではカップ麺や漬物、
ら生まれた言葉であるが、高すぎる住宅価格の圧
ファストフードなどから発がん性が指摘されてい
力から、「房奴」の怒りが爆発し、矛先が直接不
る着色料のスーダンレッド 1 が次々と発見され
動産開発商に向けられ、不動産開発商をけなして
たことから「苏丹红」という語が注目を浴びた。 「房魔」と呼んでいる。)が“房魔”の一例である。
2007 年 01 月 22 日《北京日报》で取り上げた“国
【限购令】xiàn gòu lìng 名詞。不動産投機を抑
家质检总局发布预警公告,称在 35 种辣椒制品中
制するために、各地でさまざまな不動産購入規
检出苏丹红。”(中国の国家品質検査総局は 35 種
制が設けられている。これらの不動産購入規制
類の唐辛子製品の中にスーダンレッドが混入され
をひっくるめて“限购令”という。
ていたことを発表した。)がその一例である。
例えば、
“最严厉的‘限购令’已经在北京、上海、
特記すべきこととして、上記の流行語から分か
深圳实行。”
(もっとも厳しい「限購令」はすでに
るように、今日の中国社会で使われている言論表
北京、上海、深圳の3都市で実行された。」)が“限
現は、一昔と大きく変わり、比較的自由になって
购令”の用法の一例である。
きている。一例として、レストランの排水溝の汚
【公司蛀虫】gōng sī zhù chong 名詞。食住のほ
水を集め、加工処理して取り出された油を指す言
とんどは社内あるいはその周辺で行う会社員を
葉【地沟油】dì gōu yóu を挙げると、
《中国青年报》
指す。“蛀虫”はもともと木・衣類・書籍・穀物
の 2010 年 03 月 17 日の記事には“据统计,中国
などにつく虫の総称であるが、組織や集団に陰
人每年食用用下水道污水制造的‘地沟油’300 万
で害を与える者という比喩の意味でも使われる。
吨。”( 調査によると、中国人は下水道の汚水で
例えば、2006 年 7 月 22 日発行の地方新聞《金
作られた「地溝油」を年間 300 万 トンも食べて
阳时讯》の記事に用いられた文“当上公司蛀虫
いるようである。)という誇張記述も現れるほど、
是因为工作压力大,消费高。”
(“公司蛀虫”となっ
言論には自由の傾向が見られる。
たのは、仕事のプレッシャーと高消費だからで
ある。)との記述がある。
3.2
住宅
【村证房】cūn zhèng fáng 名詞。一部の町村が
この節では、住宅問題に関わる流行語の中から
村所有の共有土地を住宅地として開発し、村民
一部代表的なもののみを取りあげることにする。
に低価額で分譲する住宅を指す。“村证房”には
【房奴】fáng nú 名詞。高額の住宅ローンに喘
日本でいう「不動産所有権」に相当する“房产证”
ぐ人を指す。日本の「ローン地獄」に相当する表
がない。
現である。中国では、不動産バブルにより大都市
― 47 ―
例えば、
“村证房很受广大农民欢迎。”
(“村证房”
100
長野大学紀要
第33巻第 2・3 号合併号
は農民たちに歓迎される。)を用例として挙げる
ことができる。
2012
“感恩红包”は最近一つの社会問題となっている。)
がこの語を用いた一例である。
【保障房】bǎo zhàng fáng 名詞。政府が中低収
【高薪跳蚤】gāo xīn tiào zao 名詞。ここの“薪”
入の家庭を対象に提供する価格が限定される住
は俸給のことである。直訳すると「高給蚤」とい
宅。
うことになるが、ここでは、より高い給料を求め
例えば、“保障房由廉租住房、经济适用住房和
て、職場をまるで蚤のように一つの大学からもう
政策性租赁住房构成。”(“保障房”は“廉租住房”
ひとつの大学に次々移り変えていく教授を指す。
(貧困層向けの低家賃の賃貸住宅)、“经济适用住
例えば、“高薪跳蚤”の解説文“‘高薪跳蚤’一
房”(中低所得者層向けの低価格分譲住宅)、“政
般用于为了追求高薪而在各大学之间来去匆匆的教
策性租赁住房”(経済的に困難な家庭や立ち退き
授,现在也扩大使用于公司之间。”(一般的には
世帯や登用したハイレベルの技術者などの住宅問
“高薪跳蚤”はより良い収入を追い求めて大学間
題を解決するための政策的な賃貸住宅)で構成さ
で転々と職場を変える教授のことを指す言葉だっ
れる)がその一例である。
たが、今は広げて一般企業間にも使われるように
【胶囊公寓】Jiāo náng gōng yù 名詞。カプセル
アパート。
なった。)がその一例である。
【学历门】xué lì mén 名詞。偽の学歴を作ること。
例えば、“老黄在六郎庄建了 8 间‘胶囊公寓’,
ここでの「~門」は政治上のスキャンダル、大き
他说这是给刚毕业的大学生住的。”(黄さんは六郎
な社会的事件などを指す。この言い方は 1972 年
庄に八部屋のカプセルアパートを建てた。これは
アメリカの一番大きなスキャンダル「水門事件
大学を卒業したばかりの大学生用であると彼は
(Watergate Case)」からきたものである。
言っている。)がその一例である。
例えば、
“‘学历门’已成为一项严重的社会问题。”
【二奶专家】èr nǎi zhuān jiā 名詞。“二奶”は
中国で「二号さん、愛人、現地妻」を指す言葉で
(「学歴門」はすでに重大な社会問題となった。)
がその一例である。
ある。学者のあるべき公正な立場や厳格な科学態
【高考移民】gāo kǎo yí mín 名詞。教育レベル
度を捨て、開発商やそれに関連する利益集団の代
の高い地域から、あえて教育レベルの低い地域に
弁者となる不良学者をさげすむようにして“二奶
移り住み、大学受験する学生。
例えば、2008 年 07 月 23 日《新京报》に“记
专家”と言っている。
例えば、“二奶专家表面上看似与开发商唱反调,
者从青海省考试管理中心了解到,今年青海省高考
背后却与开发商勾肩搭背。”(“二奶专家”はうわ
文科状元已被证实为‘高考移民’,目前,有关部
べは開発商と対立しているように見えるが、裏で
门已决定取消其在青海的高考录取资格。”(記者が
は開発商と密接に絡んでいる。)がこの語の一例
青海省入試管理センターから得た情報によると、
である。
今年の青海省大学入学試験最優秀者が“高考移民”
だったことが判明され、関連部門が青海からの採
3.3
学歴、職歴、教育
用資格の取り消しを決めた。)との記述がある。
この節では、学歴、職歴、教育に関わる流行語
【飞鱼族】fēi yú zú 名詞。国内ですでに抜群の
の中から一部代表的なもののみを選んで紹介す
実績を得ているにも関わらず、すべてを放棄し、
る。
外国の名門大学に行く人たち。
【感恩红包】gǎn ēn hóng bāo 名詞。建前は生
例えば、“‘飞鱼族’在认识到身为‘飞鱼’的痛
徒が先生に、患者が医者に感謝の意を込めて好意
苦时,也就孕育了飞离水面的未来。”(“飞鱼族”
で贈る礼金のことを指す。が、実際には半ば強制
は“飞鱼”(トビウオ)の身であることの苦痛を
的に支払わされることが多くなり、社会問題に
味わったときには、もうすでに水面を離れること
なっている。
の結末を孕んでいた。)を用例として挙げること
例えば、“半强制支付的‘感恩红包’最近成为
了一项社会问题。”(半ば強制的に支払わせている
ができる。
【自主招生】zì zhǔ zhāo shēng 動詞。中国の高
― 48 ―
ビラール
イリヤス・姜
雪寧
流行語から見る中国社会の表現の変化
等教育機関の独自の学生募集制度を指す。
101
とを指す言葉である。‘插队’には、苦しいとこ
例えば、“‘高校自主招生’在各高校进行改革试
ろに行く、辺鄙なところに行くというニュアンス
点以来,对突破长期大一统的高考模式起到了积极
が含まれている。「海外」、「外国の」という意味
的作用,逐步得到了高校、社会和考生的认可。”(大
の“洋”を“插队”の修飾語に用いて作り上げた“洋
学の“自主招生”政策は、長期間にわたって行わ
插队”には、海外の辺鄙なところに行くという
れてきた統制入試パターンを突き破ることに効果
ニュアンスもある。
的な役割を果たし、大学や社会および受験生から
例えば、“不在国内上 , 非要去洋插队、简直是
ひろく理解を得つつある。)を用例として挙げる
自找苦吃。”( 国内の大学に行かず、わざわざ“洋
ことができる。
插队”に行くなんて、全く自業自得である。) を
【复古学堂】fù gǔ xué táng 名詞。中国古代の
用例として挙げることができる。
私塾を模倣した民間運営の学堂。
例えば、“复古学堂”の解説文“复古学堂是一
3.4
環境・災害などは中国で社会的に注目を浴び
种新型的民办学校,在此类学校中,不仅师生的服
饰礼仪模仿古人,连所学的内容都是古代典籍。”
環境・災害
ている問題の一つである。よって、環境や災害
(“复古学堂”は新しいタイプの民間運営学校であ
関連の流行語や新語がかなり流行っている。こ
る。この種の学校では教師と生徒の服装はもちろ
の節では、これらの流行語の中から一部代表的
ん、礼儀作法に至るまで古人をまね、学ぶ内容で
なもののみを取りあげる。
さえも古代の書籍である。)がその一例である。
【垃圾分类】lā jī fēn lèi 動詞。ごみの分類回収。
【奖骚扰】jiǎng sāo rǎo 名詞。協会や業界団体
例えば、“在中国实行垃圾分类艰难依旧。”(中
が関連機関に対して業績評価を名目に行われる表
国ではごみの分類回収は依然として難行してい
彰活動のことである。これは、実は一種の奨を名
る。)がこの語の一例である。
目に仕立てた金を請求する手法である。ここの
【 豆 腐 渣 工 程 】dòu fu zhā gōng chéng 名 詞。
“奖”は「励ます」、
「奨励」、
「褒賞」のことで、
“骚
手抜き工事。1998 年、揚子江水害の際、堤防の
扰”は「騒がす」、「かき乱す」の意味である。
決壊が手抜き工事に起因するものだったことを
この語の用例として“近年来企业受‘奖骚扰’
严重。”(近年、企業が‘奖骚扰’に大いに悩まさ
知った当時の朱镕基首相が、“豆腐渣工程”と罵
倒したことに由来する。
れている。)を挙げることができる。
例えば、“杜绝豆腐渣工程的再次出现,就要强
【灰色技能】huī sè jì néng 名詞。中国大学の卒
化管理,对违反规定的建造者严惩不贷。”(“豆腐
業生が就職活動の一環として酒やカラオケ、マー
渣工程”を防ぐためには、管理システムを強化し、
ジャン等の接待に使える技能を身につけることを
規則違反をした業者を容赦なく厳罰に処する。)
指す言葉である。
がその一例である。
この語の用例には“灰色技能是年青一代为融
【清洁能源】qīng jié néng yuán 名詞。クリー
入社会而进行的努力。”(‘灰色技能’は若者たち
ンエネルギー。地球環境に対して負荷の少ない
の社会に溶け込むために行う努力である。)を挙
自然界のエネルギーを指す。
げることができる。中国では、“灰色”という語
例えば、“随着世界各国对能源需求的不断增长
句を「あいまいである」、「はっきりしない」とい
和环境保护的日益加强,清洁能源的推广应用已成
う意味で比喩によく使う。例えば、合法と非合法
必然趋势。”(世界各国のエネルギー需要の伸び
の中間にある一連の経済活動を中国語で“灰色经
と環境保護意識の高まりにつれ、“清洁能源”の
济”という。
普及は避けて通れない動向となる。)がその一例
【洋插队】yángchāduì 動詞。主に外国の辺鄙
なところにある大学に留学することを指す。“插
である。
【新能源车】xīn néng yuán chē 名詞。“新能源”
队”とは、文革時の用語であり、主に都会の若者
とは、太陽エネルギー、地熱エネルギー、風力
や知識人が農村に行き人民公社の生産隊に入るこ
エネルギーなど、伝統的なもの以外の新しいタ
― 49 ―
102
長野大学紀要
第33巻第 2・3 号合併号
2012
イプのエネルギー源のことである。日本語で総称
改革開放路線および情報通信技術の発展によ
してクリーンエネルギーと言う。クリーンエネル
り、中国の若者たちの言葉やファッションなどが
ギーを燃料とする車を“新能源车”と言う。
変わってきている。若者の生活スタイルや言語表
例えば、“2010 年杭州新能源汽车展销会上共展
現などに関連する流行語や新語がかなりはやって
出来自国内各地知名汽车生产企业研发生产的 42
いる。この節では、言語表現、インターネット、
种车型、84 余辆新能源汽车。”(2010 年、杭州で
ファッションなどの分野から選んだ若者関連の流
開催された“新能源车”展示即売会で、全国各地
行語を紹介する。
の有名な自動車メーカーが開発した 42 種類、84
3.5.1
台余りの“新能源车”を展示した。)がその一例
である。
インターネット
【给力】gěi lì 形容詞。「興味が出る、素晴らしい、
【动车事故】dòng chē shì gu 名詞。中国浙江省
面白い、すごい」という意味で使う。中国の北方
温州市で 2011 年 7 月 23 日夜起こった高速鉄道の
方言に由来する。2010 年ワールドカップ期間中
追突・脱線事故のことである。
インターネットではやっていた。
例えば、“‘7・23’特大动车事故调查目前已全
面展开。28 日,国务院总理温家宝赶赴温州,察
“这首歌真给力。”(この歌は素晴らしい。)がその
一例である。
看事故现场,悼念遇难者。”(“7・23 动车事故”
【换客】huàn kè 名詞。自分の不要となった生
の調査活動はすでに全面的に行われた。28 日、
活用品をインターネットを通して、他の人と交換
温家宝首相が温州に赴き、事故現場を観察し、遭
する人々のことを指す。中国には“换客”専門の
難者を追悼した。)がその一例である。
ネットサイトがある。
【浒苔】Hǔ tái 名詞。スジアオノリというア
“国内有很多为换客提供的专门网站。”(国内に
オノリの一種。英名 Enteromorpha 。山東省青
は“換客”のために提供している専用サイトがた
島市の沖合で大量発生し、海水浴場一帯を埋め
くさんある。)がその一例である。
尽 く し た。 そ の 様 子 は http://baike.baidu.com/
【牛逼】niú bī 形容詞と副詞として使う。「すご
view/87141.htm から見ることができる。その大
い」という賞賛の意味で使われる。相手を褒める
量発生の原因は大陸部からの廃水などによる海水
の富栄養化だと見られている。
ことば。中国山東省の方言に由来する。“牛 B”、
“NB”、“牛×”とも言う。
例えば、
“青岛沿海海岸各海水浴场、沙滩均不
同程度发现浒苔堆积。”(青島の海水浴場の沿岸と
砂浜に、“浒苔”の積み上げが散在していること
が分かった。)がその一例である。
“这个司机太牛逼了。”(この運転手さんはすご
いですね。)がその一例である。
【杯具】bēi jù 形容詞、名詞。「悲劇」の代用語
である。中国では“悲剧”と“杯具”の発音が同
【 四 川 地 震 】sì chuān dì zhèn 名 詞。2008 年 5
月 12 日、四川省で発生したマグニチュード 7.8
じであるので、“悲剧”の代わりにわざと“杯具”
を使っている。
の大地震のことである。この地震は震源周辺に多
“人生是个茶几,上边摆满了杯具。”(人生は茶
大な被害をもたらした。地震による死者も 6 万人
卓で、上に“杯具”がいっぱい置いてある。)が
を超え、忘れがたい自然災害となった。
この語を用いたユーモラスな一例である。
例えば、“2008 年的四川地震时,包括日本救援
队在内的各国救援组织奔赴灾区,与中国人民共同
【谷歌】gǔ gē 名詞。アメリカ Google 社の社名
の中国語表記である。
抗击震灾。”(2008 年の「四川地震」の際、日本
救援隊を含む、各国の救援組織が被災地に駆けつ
例えば、“用谷歌搜索最方便了。”(Google で検
索するのが一番便利。)がその一例である。
け、中国の人々とともに救援活動を行った。)が
3.5.2
その一例である。
中国製英語
【ungeilivable】形容詞。「予想外、かっこよく
3.5
若者生活
ない」という意味。中国製英語。英語の否定を表
― 50 ―
ビラール
イリヤス・姜
雪寧
流行語から見る中国社会の表現の変化
す接頭要素「un-」と、英語の「~できる、~が
日本語の「兄さん」の音訳。
可能な、~するに適する」を表す接尾要素「-able」
の間に中国語“给力”のピンイン「geili」を入れ
ることで、
「不给力」の中国製英単語「ungeilivable」
を作っている。「予想とかけ離れている」という
例えば、“我也想要个尼桑啊。”(私もお兄さん
がほしい。)がその一例である。
【撒鼻息】sǎ bí xī 形容詞。日本語の「さびしい」
を音訳した語である。
ときに使う。「ungeilivable」の代わりに「不给力」
を使うことも多い。
103
例えば、“今天很撒鼻息地一个人吃饭。”(今日
はさびしく一人で食事をした。)がその一例であ
“公交不给力 引乘客不满。
”(公共交通が不便、
乗客が不満。)がその一例である。
る。
【基可修】jī kě xiū 名詞。日本語の「ちくしょう」
【Out man】名詞。時代遅れの人という意味。
を音訳して作った語である。
中国製英語。「はやっている、受けている、今流
行中の」という意味の「in」の反対語「out」を
用いて「人」を表す英単語「man」を修飾する形
で、
「時代遅れの人」という中国製英語作っている。
例えば、“基可修!来不及了。”(ちくしょう!
間に合わない!)がその一例である。
【达人】dá rén 名詞。日本語の「達人」を中国
語読みで使っている語である。
往々に、「Out man」を略して「Out」という形
でも使う。
例えば、“李小姐是时尚界的达人。”(李さんは
ファッション界の達人である。)がその一例である。
“你 Out 了。”(あなたは時代遅れだよ。)がそ
の一例である。
【腹黑】fù hēi 名詞。日本語の「腹黒い」を中
国語読みで使っている語である。
【niubility】名詞。「すごい、かっこいい」とい
例えば、“这个人外表憨厚,实则腹黑。”(この
う意味。相手を褒める詞。中国製英語。
“牛逼”
(す
人は一見温厚篤実に見えるが、実は腹黒だ。)が
ごい)のピンイン「niubi」に英語の「-lity」をつ
その一例である。
けて作られた語である。
3.5.3
“他很 niubility.”(この人はすごいよ。)がその一
例である。
ファッションと時代性用語
【冻容】dòng róng 動詞。20 代の女性がその若
さを保つため、化粧品と現代美容技術を利用し
3.5.3
外来語
て、早々にして老化防止に励むことを表す。“容”
日本のアニメ、ドラマ、漫画やゲームなどの影
は美しい容姿で、
“冻”はここで「凍らす」、
「冷凍」
響で、少数だが、日本語の語の音訳あるいはその
の意味で使われている。つまり、自分の青春と
ままの表記を中国語として使う傾向が若者の間で
美しさを「冷凍保存」のように永く保つことを
はやっている。以下では今頃よく使われているい
意味する。この語の出ところはアメリカのファッ
くつかの語を紹介する。
ション誌『ハーパーズバザー』に由来する。
【卡哇伊】kǎ wā yi 形容詞。「かわいい」とい
う意味。日本語の「かわいい」の音訳語。日本の
ドラマとアニメの流行によって、若者間でよく使
われるようになった。
“张曼玉的冻容修炼最到位。”(张曼玉の凍容修
行は完璧である。)がその一例である。
【合吃族】hé chī zú 名詞。地域やコミュニティ
のウェブページでの呼びかけで集まって、一緒
例えば、“这个小女孩可真卡哇伊!”(この女の
子、かわいいね。)がその一例である。
に食事する見知らぬ人たちのことを言う。料理
代金を割勘する。このやり方では、食事出費の
【欧巴桑】ōu bā sāng 名詞。「中年女性」とい
節約とともに新しい友達を作ることもできる。
う意味。日本語の「おばさん」の音訳。
例えば、
“合吃族花最低的钱,吃最美的饭。”
(“合
例えば、“很多中年妇女不喜欢被称作欧巴桑。”
(多くの中年の女性たちは「おばさん」と呼ばれ
るのを嫌がる。)がその一例である。
吃族”は一番安い料金で、一番美味しい料理を
食べる。)がその一例である。
【独二代】dú èr dài 名詞。一人っ子世代の人た
【尼桑】ní sāng 名詞。
「兄、お兄さん」という意味。
ちから生まれた子供たちを指す。
― 51 ―
104
長野大学紀要
第33巻第 2・3 号合併号
例えば、2006 年 9 月 7 日《泉州晚报》で使わ
2012
取り上げた用例は範囲が限定されたものであり、
れた“独二代都比较有个性,以自我为中心。”(“独
中国社会に現れた全ての変化に対応できるもので
二代”の子供たちはみんな比較的に個性的であり、
はない。だが、この研究手法は、今日の中国社会
自己中心である。)がその一例である。
を理解する上で新たなアングルを提供していると
【搞怪】gǎo guài 动词。人々の関心を引くため、
言える。
面白いことや奇妙な創意を駆使することを指す。
上記の用例から、中国社会は飛躍的な発展を成
例えば、2006 年 6 月 8 日网易で使われた“美
し遂げていると同時に、発展途上で避けられない
国全国广播公司记者调查发现,这个‘火星脚印’
さまざまな社会問題を抱えていることが分かる。
原来是火星车自己搞怪留下的!”(NBC 記者の調
例えば、食品安全では、政府管理機関の厳しい対
査によると、この火星の表面の「火星足跡」は、
応にも関わらず、偽物作りが多発し、国民の食安
火星車が残したものだった。)がその一例である。
全に対する不信感を引き起こしている。住宅に関
【半糖夫妻】bàn táng fū qī 名詞。結婚倦怠期を
して言えば、住宅不足に由来する不動産投機によ
回避するため、結婚後も平日は同居せず、週末だ
る不動産価格の高騰が結果的に購入者を圧迫する
け一緒に過ごすという新しい結婚のスタイル。日
ことになり、その不満から住宅に関する流行語が
本の単身赴任とは違って同じ都市に住んでいなが
数多くある。教育の面でも、学歴偽装事件が多発
ら、お互いのプライベートを大事にし、新鮮さを
し、教育体制管理のより一層の強化策が必要と
保つため別居するというのが特徴である。
なってきている。自然環境管理の面では、環境管
例えば、“半糖夫妻在高收入高学历的夫妻间逐
理合理化のペースが経済発展のテンポに追い着か
渐增多。”(“半糖夫妻”は高収入高学歴のエリー
ない現象が見られる。また、グローバル化および
トカップルの間で増えてきている。)がその一例
インターネットの影響を受け、若者の生活や意識
である。
が大きく変わっている。彼らは時代の趨勢を追い
求め、古い伝統的な思想を一掃している。
4.まとめと今後の課題
流行語・新語は造語法から見るといくつかの特
徴を持っている。まず、流行語・新語の中には同
社会は転換期に差し掛かったとき、さまざまな
音異字語を用いて発音をもじり、表現を調和的
問題に直面し、それを乗り越えて変化、発展して
にしているのが特徴の一つである。この同音異字
いくものである。その視点から見ると、流行語は
語を用いる手法は、表現を面白くかつ覚えやすく
社会発展過程で必然的に現れる人々の文化意識、
している。この手法はネット上でもよく使われて
価値観、日常生活スタイルなどの変化を表す産物
いる。文字入力の変換ミスをあえて使って表現に
であることが容易に分かる。
ユーモア性をもたらしている。例えば“悲剧”の
また、流行語はその時期のさまざまな社会現象
代わりに“杯具”を使っているのもその一例であ
を生き生きとした表現で如実に表しているものな
る。もう一つの特徴として、外来語の影響が挙げ
ので、流行語を通してその社会のその時代での経
られる。流行語・新語になんらかの形で外国語の
済や文化を含めたあらゆる変化と言論の進展や表
要素を取り入れているケースが多く見られる。特
現の変化状況を読み取ることができる。つまり、
に英語と日本語からが多い。また、外国語の取り
流行語の研究は中国社会の現状分析、現代中国社
入れと同時に、外国語の造語特徴をうまく利用し
会への理解、中国経済文化方面での発展や変化な
て、新たな外国語を作り上げているケースもある。
どの研究および日中両国の相互理解を深めるため
例えばネットではやっている用語“ungeilivable”
に大きな役割を果たす。
はその一例である。その他に、独特の字を表情
上記では、今頃はやっている流行語・新語の中
符号として使っていることがもう一つの特徴と
から食品安全、住宅、学歴・就職・教育、環境・
言える。例えば、“囧”(jiǒng) がその一例である。
災害、若者生活といった五つの社会領域に限定し
この字の本来の意味は「光明、輝き」であるが、
たものから一部のみを選んで紹介した。本論文で
2008 年からインターネットユーザ間では、字形
― 52 ―
ビラール
イリヤス・姜
雪寧
流行語から見る中国社会の表現の変化
が困った顔に似ていることから、「気がふさぐ、
心が晴れない、悲しい、しようがない、仕方がな
参考文献
[1] 中华人民共和国教育部サイト
http://www.moe.edu.cn/publicfiles/business/
い」などうなだれた様子、落胆した様子という意
味で使われ、「21 世紀最もはやっていた一字」と
言われている。その背景もあり、この字を日本語
の「Wikipedia」でも取り上げている。
流行語の多くには、ほどよく韻を踏み、半分ふ
ざけのユーモアがある。また一部には、風刺性が
強く、社会問題の急所を生き生きとした表現で指
し示している。この側面から見ると、流行語・新
語の研究は、中国社会発展を理解する上で大きな
役割を果たすことが分かる。一方、流行語・新語
の迅速な更新・発展から人々の言語表現や言論の
自由度の向上および人々の社会問題への関心度の
htmlfiles/moe/moe_1485/201012/113648.html
[2] 古越龙
であることが分かる。
今後さらに外国から中国に新たに入ってきた語
彙・言葉、中国から外国に伝わっている語彙・言
葉を対象とした研究を続ける予定である。
《e 时代流行语》 四川人民出版社
2001 年
[3] 黄涛
《流行语与社会时尚文化》 上海辞书出版
社 2004 年
[4] 亢世勇
出版社
[5] 周荐
刘海润 《最新流行语小辞典》 上海辞书
2002 年 11 月
《2006 汉语新词语》 商务印书馆
2007
年 12 月
[6] 罗传伟 「关于流行语的研究及启示」 日语学习与
研究
2000 年 1 月
[7] 穆克娅 「浅议从日本传入中国的日汉同形词」 科
高まりが読み取れる。つまり、流行語・新語の研
究は社会、文化、言語表現の変化を知る上で重要
105
教文汇
2008 年 3 月
[8] 祁伟 「试论社会流行语和坊络语言」 语言与翻译
(汉文版) 2002 年 3 月
[9] http://t.sina.com.cn(新浪微博)
[10] http://www.baidu.com/(中国百度)
[11] 丹藤佳紀 『中国現代ことば事情』岩波書店
2000 年 2 月
― 53 ―
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 5
5―6
6頁(1
0
7―1
1
8頁)2
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1
2
価値次元の見えないイノベーションの継続的創出に向けて
Toward a Continuous Creation of
“Innovation with Invisible Value Dimensions”
森
俊
也*
Shunya MORI
おいて極めて有用であるとともに、企業が同イノ
1.本研究の背景と問題意識
ベーションを創出するためには幾つかの課題が導
例えばスーパー業界ではこれまで、品揃え、鮮
出されることを明らかにした。その段階で導出し
度、買い回り、営業時間といった物差しで競争が
た課題は、①これまでのイノベーションの問題点
展開されてきた。またビール業界ではこれまで、
や新しい方向性へ向かうことの必要性を理解する
素材、鮮度、香り、のどごし、口当たりといった
だけで次元の見えないものが生まれるのか、②同
物差しで競争が展開されてきた。さらにアパレル
イノベーションについて(事例を見るのみで)経
業界ではこれまで、素材、質感、着心地、カラー
営者や従業員が実際に想像し、考え、生み出すこ
といった物差しで競争が展開されてきた。成熟期
とが可能か、③個別の製品のみではなく企業全体
にある業界では、多くの企業がライバルとの違い
で同イノベーションを生み出すことが可能か、等
を意識し、このような物差し上の(価値次元の見
である。ただ、このイノベーション論の課題は、
える)競争を展開してきた。企業がこのような視
企業において「価値次元の見えない」イノベーシ
点で違いをつくろうと努力自体が、コモディティ
ョンを理解し、生み出すということのみではな
化(製品価値が価格に単純化)をさらに促進し、
く、さらに重要な課題は、同イノベーションの具
かえって差別化を難しくさせていた。
体例として挙げている「スターバックス」
(コー
このような成熟期にある業界や企業に対して今
ヒーをはじめとする飲食・小売業)の展開をみて
後の方向性を示し、この方向に一歩踏み出す上で
も明らかであるように、同イノベーションを「継
求められる要件について提示するのが「価値次元
続的」に創出することであると理解する。本研究
の見えないイノベーション論」
(楠木・阿久津、
では、成熟期にある業界・企業がおかれている状
2005;竹内・楠木、2007。以下、著者名を楠木等
況や、それらの企業にとって「価値次元の見えな
と 略 記)で あ る。森(2010a)で は、こ の イ ノ
い」イノベーションを創出することの重要性につ
ベーション論は、1)企業がこれまでのイノベー
いて改めて検討するとともに、同イノベーション
ションの問題点を自覚する、2)企業がこれまで
の成功例とされているスターバックスのその後の
の動きや状況に陥る原因を理解し、新たな方向に
展開を確認しながら、同イノベーションを「継続
向かうことの必要性を認識する、3)企業が今後
的」に創出することの難しさや、論理について考
のイノベーションの具体的方向性とそこに向かう
察する。
ことによる自社への効果を理解する、という面に
*企業情報学部教授
―5
5―
1
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8
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
2.成熟期にある業界・企業がおかれてい
る状況、それら企業の基本的な視点
日本の多くの業界が成熟期にさしかかり、その
中にある企業の多くは、自社の利益獲得を狙い、
業界内のどの企業にもない機能や、安い価格を追
てきたため、定型的な仕事や仕事上の限界も多
く、仕事に対してやりがいを必ずしも見出せない
状況にあった。
3.価値次元の見えないイノベーション論
の示唆と課題
求している。そのため、意識する重要な存在がラ
このような成熟期にある業界や企業に対して有
イバルであり、製品等を提供する顧客は、ライバ
益な示唆を与えてくれるのが、
「価値次元の見え
ルより機能をよく、低価格を実現すれば受け入れ
ないイノベーション論」
(楠木等、2
005;2007)
るだろうという程度の存在として捉えてきた。こ
である。楠木等(2005、2007)は競争環境下にあ
のように、企業の視点でものを考え、顧客を思
る企業の状況を踏まえ、①企業のイノベーション
い、顧客をどのようにしていきたいという顧客の
の方向性の提示(価値次元が「見える」から「見
視点は十分とは言えない状況にあった。したがっ
えない」へ、図表1)
、②価値次元の見えないイ
て顧客は、提供される製品等の自分に対する意味
ノベーションにより WTP(Willingness To Pay:
や違いが十分には分からず、高機能・低価格なも
顧客がどれだけお金を払いたいと思うか)をあげ
のを購入し、それに連動し企業は、より高機能・
た企業事例の提示(例:ハードウェア・ソフトウ
低価格を実現しようという行動となっていた。機
ェアから「ソリューション・サービス」へ戦略の
能を追求しても顧客の殆どが十分に満足できる水
軸足転換をする「IBM」、おいしいから「短時間
準に達し、良いものがあふれる状況になれば、最
での栄養補給」へ戦略の軸足転換をする森永「ウ
終的には価格のみの競争となってしまい、企業は
イダー in ゼリー」
、ベストセラーの品揃え、立地
自分で自分の首を絞めるという流れになってい
条件、営業時間から「特定の趣味やセンスで統一
た。そして従業員は、高機能や様々な効率を追求
した商品を独自のレイアウトで展示」へ戦略の軸
し、意識する相手も業界内のライバルに限定され
足 転 換 を す る「ヴ ィ レ ッ ジ ヴ ァ ン ガ ー ド」な
図表1.価値次元の「見える」から「見えない」へ
出所:楠木等(2
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0
7)
、日産キューブの情報は同社 Web Page、画像情報はカーセンサー Web Page
―5
6―
森
俊也
価値次元の見えないイノベーションの継続的創出に向けて
1
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9
図表2.価値次元の見え方の段階
出所:楠木等(2
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5、2
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0
7)を参考に、パーソナルコンピューターの例で図式化
図表3.企業において「価値次元の見える」イノベーションを追求する原因:可視性の罠
出所:楠木等(2
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0
5、2
0
0
7)を参考に図式化
ど)、③価 値 次 元 の 見 え 方 の段 階 の 提 示(図 表
音質にはこだわらず、自由な空間で音楽を楽しむ
2)、④価値次元を創造する視点の提示(可視性
ことを提案したソニー「ウォークマン」)、⑥価値
が高い・低い、属性・使用文脈という組合せによ
次元の見えないイノベーションの「実現」の難し
り)、⑤価 値 次 元 の 見 え な い「コン セ プ ト イ ノ
さの指摘(企業が「可視性の罠」に嵌るため、図
ベーション」(誰が、なぜ、どのように喜ぶのか
表3)など、企業がこれまでのイノベーションに
について新しいストーリーを描く)の提示(例:
ついて回顧・反省し、新たな方向に踏み出す要件
―5
7―
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第3
3巻第2・3号合併号 2
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図表4.「価値次元の見えない」イノベーション論の課題
イノベーション創出
に関する疑問
楠木のイノベーション論
新たなイノベーション論
に向けた課題
①
これまでのイノベーション ○「価値次元の見える」イノベーショ ●企業は「価値次元の見える」イノベー
ションをしたがることを想定し、この
の問題点や新しい方向へ向
ンが企業にもたらす弊害(コモディ
ようなイノベーションと決別する方針
かうことの必要性を理解す
ティ化を加速させ、自分の首を絞め
を明確にする
るだけで、「価値次元の見
利益を獲得しにくくなる)について
●企業全体でイノベーションを創出する
えない」イノベーションが
は論述
ために、「従業員一人ひとり」に対す
生まれるか?
○「価値次元の見えない」イノベーシ
る意味・効果を確認する
ョンの効果は「企業」に対してのみ
論述
②
「価値次元の見えない」イ ○「価値次元の見えない」イノベーシ ●「価値次元の見えない」イノベーショ
ノベーションについて実際
ョンを例示
ンはこれまでと大きく異なるため経営
に想像し、考え、具体的に ○「価値次元の見えない」イノベーシ
者は理解しにくく、また事例を紹介し
生み出すこと が で き る の
ョンのためには「顧客が、なぜ、ど
ても従業員はわかりにくい
か?
のように喜ぶのか」というストー ●企業が顧客をどう捉え、どのような過
リーを創造することの必要性を強調
程・段階を経れば「価値次元の見えな
い」イノベーションが生まれるのかを
明らかにする
③
個別の製品・サービスのみ ○少数の製品を扱っている企業や1つ ●複数の製品・サービス(企業全体)で
ではなく複数の製品・サー
の製品の「価値次元の見えない」イ
「価値次元の見えない」イノベーショ
ビスでこのようなイノベー
ノベーションを例示(スターバック
ンを創出させる経営枠組みが必要
ションを生み出すことがで
ス、ウォークマン、ウイダ ー in ゼ
きるのか?
リー)
出所:森(2
0
1
0a)
について提示している。楠木等の理論的・事例的
値次元を創造する視点と、カテゴリーイノ
考察の上に立ったイノベーションの新たな方向性
ベーション
や、創出のための論理は、実際の企業にとって極
楠木等は、イノベーションにおいて価値次元を
めて重要な示唆を与えてくれるものと理解する。
創造する視点として、購買動機の鍵となる価値次
「価値次元の見えない」イノベーション論におい
元の可視性が「低い」
・「高い」
、購買決定の鍵と
ては、これらの重要な指摘の一方で、企業がこの
なる価値次元の所在が「属性」
(コモディティ化
ようなイノベーションを創出していく上で幾つか
対抗)
・「使用文脈」(コモディティ化回避)の組
の疑問・課題が導出される(図表4)
。また課題
合せから、イノベーションを「性能イノベーショ
は、イノベーションを理解し、生み出すというこ
ン」(高、属性、製品やサービスそのものの性質
とに留まらず、さらに重要なものとしては、同イ
・性格を追求するもの、例:おいしいお茶)、「感
ノベーションの具体例として挙げている「スター
性イノベーション」
(低、属性、顧客が直感的に
バックス」の展開をみても明らかであるように、
印象として感じる感性に訴えかけていくもの、
同イノベーションを「継続的」に創出することで
例:伊右衛門茶)
、「用途イノベーション」
(高、
あると理解する。
使用文脈、これまでとは異なる用途を打ち出した
4.価値次元の見えないイノベーション例
「スターバックス」と同社の近年の展開
から導出される課題
)
楠木等が提示するイノベーションにおいて価
もの、例:ヘルシア緑茶)
、および「カテゴリー
イノベーション」
(低、使用文脈、これまで提供
してきたものやその行為を再定義し新しいカテゴ
リーを創造するもの、例:スターバックス)の4
つに分類している。カテゴリーイノベーションに
―5
8―
森
俊也
価値次元の見えないイノベーションの継続的創出に向けて
1
1
1
含められるスターバックスは、それまでの米国に
の入れ方のコーチング)を行い、スタバが本来
おけるコーヒーの捉え方(ドーナッツを食べる時
もっている価値を再認識してもらっている。
に飲む、時間のない時にスナックと一緒に飲む)
ただ、その改革の中身をみると従前のようなイ
を大きく変え、「サードプレイス(自宅や会社で
ノベーションではなく、顧客の不平不満を改善し
はない第3の場所):ちょっとリラックスする空
たり、地域に合った店舗をつくるといった、これ
間を提供する」という新しいカテゴリーを創造し
まで他の業界でよく見られたような「価値次元の
ているとする。このイノベーションは、価値の再
見える」イノベーションであり、これらからも、
定義と可視性の低下という2つが要件となり、カ
「価値次元の見えない」イノベーションを「継続
テゴリーゆえに他の物差し(機能のような目に見
的」に創出することの難しさがうかがえる。
える価値次元)で比較されずに済み、競争優位を
確立する上で有効であることを主張している。
同社の2
0
08年以降の具体的な展開を確認する
と、図表5のように整理することができる。A)
は商品および販売促進、B)は商品、C)は店舗
*
価値次元の見えないイノベーション創出後の
といったマーケティングイノベーションであり、
スターバックス
また「価値次元の見える」イノベーションであ
このように価値を再意義し、可視性の低下を果
る。いずれも新たなカテゴリーやコンセプトを創
たしながら「価値次元の見えない」イノベーショ
造するような「価値次元の見えない」イノベーシ
ンを創出したとされるスターバックス(以下、ス
ョンではない。つまり、A)では、SNS を活用し
タバ)であるが、同社は2000年以降、規模の拡大
て具体化されたものは、基本的には「潜在的ニー
を重視しいわゆる大企業病に陥っている。また、
ズ」(顧客は感じているが企業自身がそのニーズ
マクドナルド等が低価格でコーヒー市場に参入し
を知らない)を具体化したものである。今後の展
たこともあり、消費者のコーヒーに対する意識の
開において必要になるのは、企業はおろか顧客自
変化にも十分対応できず、同社は08年度第3四半
身もその存在を十分に意識していない「未知の
期決算で設立以来はじめて赤字を算出することに
ニーズ」の発掘とその具体化(スタバのサードプ
なった。これらの脱出を意図し、会長職に退いて
レイスはそれまでコーヒーチェーンの概念を変え
いたハワード・シュルツ氏は、再び経営の最前線
た未知のニーズの発掘とその具体化)ということ
に戻り08年から09年にかけて大規模な不採算店の
ができる。また、B)では、これまでの「場所・
閉鎖や、リストラを断行している(米国内外で
空間で顧客にどういった気持ち」という視点では
900店を閉鎖、1.
8万人をリストラ)
。また、理念
なく、「コーヒーの品質の良さ」といった視点で
を築き上げてきたシュルツ氏は、原点に立ち返
ある。サードプレイスという場所・空間の提供を
り、基本理念を共有し、顧客のみならず社員(正
柱にしてきた企業が、家庭・会社で飲むための高
規、パート問わず)との信頼を強化することを再
品質の粉末コーヒーを提供するといった、これま
興の基軸に掲げ、その結果、10年度過去最高益の
でもよく見られた「価値次元の見える」イノベー
14億7200万ドル(店頭売上の伸び率は09年度より
ションを展開している。さらに C)では、ターゲ
7ポイント上昇)となった。この社員との信頼の
ットの絞り込みによる新店舗の展開に伴い、これ
強化策として、例えば、リーダー(店長クラス)
までにない層の顧客を誘引しているが、スタバら
には、ニューオーリンズ(ハリケーン「カトリー
しさやこれまでのスタバの取組を十分に活かした
ナ」で甚大な被害を受けた街)での地域支援活動
ものとは必ずしも言えない。
(ペンキ塗りや家屋の修繕といった地道な作業)
に参加してもらい、
「ホスピタリティをもって顧
+
価値次元の見えないイノベーションの継続的
創出の難しさ、継続的創出に向けた論理
客一人ひとりの心を満たす」という事業の本質を
再認識してもらっている。また、パートナー(正
上記の諸施策およびそれにより創出した新たな
社員、パート社員)には、店舗の営業を一時的に
商品・仕組み・店舗等はこれまでのイノベーショ
中断しての再教育(3時間かけてのエスプレッソ
ン論や戦略論の範疇であれば、模範的な事例とし
―5
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長野大学紀要
第3
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図表5.スターバックスにおける2
0
0
8年以降の主要な取組
(ハワード・シュルツ CEO が実施した諸施策)
施策
狙い・目標
内容・特徴
A ) SNS −スタバのあるべき姿を顧客から聞 −スタバに対する改善策を募集する サ イ ト my STARBUCKS
く(業績回復の策が顧客の真の声
IDEA の開設(2
0
0
8年3月)
(ソーシ
に隠されているのではないか)
−上記サイトに同社の製品やサービスに対する案を書き込むこと
ャルネッ
ができ、それに対して各領域の担当者が専用ブログを通じて回
トワーキ −店舗規模の拡大に伴い、顧客 に
とって何が大事なのか、何に関心
答する
ングサー
をもっているのかを瞬時に知り、 −他人の意見を閲覧して賛成意見には自由に投票でき、高評価を
ビス)を
傾向をつかむ方法が必要
得た案や改善案は同社が実現する(実現した例:Wi-Fi の店
活用した
顧客の囲 −スタバに対する批判的な視線・声
舗、フェイスブック上から友人にギフトを送れるサービス)
い込み
(例:高くてろくな食べ物がない、 −他の顧客と意見交換ができ(仲間意識を与える)
、自分の案を
コーヒー生産国の農民から収奪し
採用される可能性といった楽しみ
ている)を1つの場所に誘導し、 −自宅や会社ではないサードプレイスは店舗、オンライン上に設
闇雲にブランドイメージを傷つけ
けた仮想空間を「フォースプレイス」と位置付ける。フェイス
られるリスクを削減する
ブックは約2
0
0
0万人のファンをもち(世界中では3
0の公式ペー
−人が店舗で得る感覚と同様の結び
ジで3
0
0
0万人の顧客がスタバとの対話に参加)
、キャンペーン
つきをできるだけ忠実にデジタル
告知、意見交換、自社専用のアプリ(Starbucks Card)でスタ
で再現する
バ専用のプリカの発行からチャージを行う
B)粉 末 −世界で2
3
0億ドルあるとされる粉
スティッ
末スティックコーヒー市場で過去
ク コ ー
にない品質のものを提供する
ヒーの投 −スタバのクオリティーの高さをア
入と、味
ピールする
が気に入
らない場
合の交換
サービス
−家庭や会社で飲むための粉末コーヒー Starbucks VIA Coffee
Essence(ヴィア) の発売(2
0
0
9年2月)
−ヴィアの値段は1スティック(一杯分)1ドルで、味を保証
(Taste Promise)し、「挽きたてコーヒーより劣る場合は、喜ん
で店頭の袋入りコーヒーと交換する」ことを表明
−ヴィアの肯定的意見が SNS などを通じて一気に広がり(消費
者同士で情報を共有し購入を決断)
、発売から1
0カ月で1億ド
ルの売上を算出
⇒かつてないほどの革新を果たしたとシュルツ CEO は認識
C)地 域 −地域の特性を生かしながら多様な −シアトル最大の観光地・パイクプレイスマーケット近隣に、茶
・環境配
店舗(緑のロゴの店舗ではなく)
色のロゴで、リード認証(建築物の環境性能を第三者が評価・
慮型店舗
で客層を広げる
認証)を取得した広告塔の店舗 1st and Pike 店 を開店
の拡大
−幅広い価値観やこだわりのある層 ←至る所に銅板が張られ、そこには近隣の建造物の木材を再利用
を余すところなく取り込みリピー
している説明書きが施されており、ここでは初老の男女や地元
ターにする
客がコーヒーを片手に談笑(新規顧客を獲得)
−シアトル郊外のキャピタルヒルに、緑色のロゴがなく、こだわ
りのある地元のカフェのような様相の店舗 Roy Street Coffee
& Tea を開店
←アルコールやチーズといったダイニング風のメニューであり、
顧客の殆どがスタバの店舗と気づかず(隠れスタバも登場し、
スタバ嫌いを取り込む)
⇒地域を巻き込むことがスタバのミッションのコアとシュルツ
CEO は認識
※下線部は諸施策による具体的な効果
出所:『日経ビジネス』
、『日経ビジネスオンライン』
、同社 Web Page.同社年次活動報告書
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俊也
価値次元の見えないイノベーションの継続的創出に向けて
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図表6.スターバックスにおける近年のイノベーションの評価および利害関係者への影響
て取り上げられたであろう。ただ、上記のものは
した企業における創出以降の展開というものを考
「価値次元の見えやすい」ものであり、同社がか
察すれば、図表4の「価値次元の見えない」イノ
つて顧客に対して提供した「サードプレイス」と
ベーション論の課題(イノベーション創出に関す
いったような「価値次元の見えない」ものではな
る疑問)に「このイノベーションを『継続的に』
い。したがって、顧客は、自身の要望が具体化さ
創出できるのか?」という点が追加されるととも
れる仕組みや、良い品質のコーヒー、地域や環境
に、このイノベーションの継続的な創出に向けた
に配慮した店舗といったものに対して、当初は目
論理を考えていくことが重要となる。
新しいものとして認識するものの、その価値は次
第に薄れていく。また、ライバルもそれらの仕組
みを模倣することになり持続的な競争優位にはな
りにくい。さらに、従業員の仕事も「顧客にサー
ドプレイスを提供する」という視点で「そのため
5.価値次元の見えないイノベーションの
「継続的」創出に向けて
:「思いの経営」によるイノベーション
) 「思いの経営」とは
には何か必要になるか」と様々考えるものではな
企業のイノベーション創出に対する「価値次元
く、顧客の要望への日常的な対応や、品質の追
の見えない」イノベーション論の貢献は上述の通
求、スタバ嫌いを取り込む仕事におわれ、仕事上
りである。ただ、これらの論理は、企業全体が
のやりがいや達成感を必ずしも十分に得られるも
「価値次元の見えない」イノベーションの内容
のではない。
や、それを創出する意味・効果、それを創出する
このように、多くの業界が成熟期にある中で、
段階について理解できるものとは必ずしもなって
企業においては、偶発的ではなく「継続的」にこ
いない。それゆえ、企業において、このようなイ
のようなイノベーションを創出することが必要と
ノベーションは、一部のアイディアマンにより一
なる(図表6)
。かくして、スタバのように一旦
部製品でしか生み出されず、複数の製品・サービ
は「価値次元の見えない」イノベーションを創出
スで継続的に生まれることは少なかったのではな
―6
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長野大学紀要
第3
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いかと考える。したがって、企業においては「価
能化・機能追加・低価格化を目指す上での従業員
値次元の見えない」イノベーションの必要性に気
の仕事は、目的が「製品・サービスのため」であ
づくことはあっても、企業全体でその実践に及ぶ
り、「誰 か(顧 客)の た め」に と い う 視 点 は 弱
ことはなかったのではないかと考える。これらを
く、またその内容はこれまでの製品・サービスを
踏まえれば、この理解しにくい「価値次元の見え
さらに良いものに、さらに安くするというもので
ないイノベーションを企業全体で『継続的』に創
あった。一方、顧客に何がしかの「思い」しても
出する」経営の枠組みや論理について、経営者・
らおうと考えた上での従業員の仕事は、目的が
従業員に「見える」形にし、企業が「可視 性 の
「誰か(顧客)のため」であり、またその内容は
罠」に嵌らないようにする必要がある。
顧客にして欲しい「思い」を考え、その「思い」
このような「価値次元の見えない」イノベーシ
を新たな製品・サービスという形で具体化すると
ョン論の課題を克服すべく、ここで筆者は「思い
いうものとなる。
「思い」の具体化に際して従業
の経営」という経営枠組みを提起し、それによる
員は、新しい視点に立ち、様々な学習をしながら
イノベーションの論理を考察することにする。こ
展開することになる。従業員は、顧客への「思
の「思い」とは、「顧客にして欲しい思い」であ
い」をもとに開発・提供する製品・サービスだけ
る。つまり、顧客をどのようにしたいのか(どの
に、顧客の反応が気になり、それらが受け入れら
ような感情をもってもらいたいのか、どのような
れれば、意図した「思い」を顧客にしてもらった
表情や表現をして欲しいのか)である。この「顧
と理解することになる。このように従業員は、誰
客にして欲しい思い(感情、表情、表現)
」は、
かを「思い」
、して欲しい「思い」を考え、その
楠木がコンセプトイノベーションにおいて提起す
「思い」を新たな視点に立ちながら具体化し、そ
る「顧客が、なぜ、どのように喜ぶのか」に当た
れが誰かが受け入れてくれたということを認識す
る。人の喜びは、何がしかの「思い」(感情、表
ることで、仕事に対する「やりがい」や「いきが
情、表現)であらわすことができるため、この喜
い」を感じやすくなる。
び方を具体的な「思い」であらわしたほうが、経
「思いの経営」を展開することにより、上述の
営者や従業員の目指す方向がわかりやすく、その
ように企業が向かう方向が明確になるとともに
「思い」を具体的に製品・サービスという形で表
「価値次元の見えない」イノベーションが創出さ
しやすくなると考える。この「思い」を経営や戦
れやすくなる。またそれにより企業は、顧客に対
1)
略の基礎とするのが「思いの経営」である 。
して存在価値(何がしかの「思い」をしてもら
また、この「思い」を経営や戦略の基礎にする
う)や、従業員に対して存在価値(仕事上のやり
ことで、顧客へ提供されるものは「価値次元の見
がいや、いきがい)を示すことができるととも
える」ものではなく、「価値次元の見えない」も
に、ライバルへの持続的な競争優位を確立できる
のとなり、企業の持続的な競争優位の確立につな
のではないかと考える。
がりやすくなる。顧客はその製品の価値次元はよ
く分からないものの、他の企業にはない何がしか
* 「思いの経営」によるイノベーション創出の
段階およびその論理
「思い」を味わうことになる。企業は顧客に対し
て、その「思い」と整合性のある多種多様な製品
企業が「価値次元の見えない」イノベーション
を継続的に提供することで、顧客は企業に対し
を創出するためには、第1段階として、上記のよ
て、「このような思い」をさせてくれる企業と捉
うな「思いの経営」を展開することの意味・効果
えるようになる。そして「このような思い」がそ
を、経営者・従業員を含めた企業全体において確
の企業の独自性であり、ライバルとの明確な「違
認することが必要となる(図表7)
。ここでは、
い」となる。
①これまでの「価値次元の見える」イノベーショ
さらに、この「思い」を経営や戦略の基礎にす
ンが自社にどのような弊害をもたらしてきたの
ることで、従業員は「やりがい」や「いきがい」
か、②今後、企業としてこのようなイノベーショ
をもち仕事をすることができるようになる。高機
ンと決別するという方針、③「思いの経営」の概
―6
2―
森
俊也
価値次元の見えないイノベーションの継続的創出に向けて
11
5
図表7.「思いの経営」によるイノベーション創出の過程・段階
要と、その経営によるイノベーションが顧客、従
ン」の開発。JT:見えざる資産はタバコの開発・
業員、自社に対してもつ具体的な意味、④「思い
提供で培ってきた「ホッとさせ、気分転換させる
の経営」によるイノベーションのこれ以降(第2
ことに関する技術」→コーヒー「ルーツ」の開
〜第5)の過程・段階、などについて確認し、こ
発)、である必要がある。この「思い」がその企
れにより、経営者のみならず従業員が前向き・積
業にとっての経営戦略となる。
極的に動くことができる状況をつくる必要があ
る。
さらに第5段階では、この「思い」を具体化す
ることが必要となる。つまり「思い」と整合性の
このような意味確認により企業全体が前向き・
ある多種多様な製品・サービスを開発し、顧客に
積極的な姿勢となった後に、第2段階として、自
提供することになる。それにより顧客は、企業か
社を「思い」の視点から問い直すことが必要とな
ら提供される製品・サービスの価値次元は見えな
る。ここでは、自社ではこれまで提供した製品・
いものの、この企業は「こんな思い」をさせてく
サービスにおいて顧客にどのような「思い」をさ
れるところと捉えるようになる。顧客は「こんな
せてきたのかという形で、顧客がしている「既存
思い」をさせてくれる企業に信頼をよせ、また、
の思い」を明確にすることになる。
「こんな思い」はその企業独自のものであるため
この「既存の思い」を明らかにする中で、自社
ライバルとの違いとなる。さらに、この一連の活
のこれまでの事業(製品・サービス)は顧客にど
動に関わり、顧客に「こんな思い」をさせること
のような意味があったのかを理解するとともに、
ができた従業員は、仕事に対してやりがいを持つ
第3段階として、既存の「思い」の限界や顧客に
ことになる。
対する課題を明確にすることが必要となる。
上述の内容を踏まえて、
「思いの経営」による
これらの顧客に対する課題を解決するために、
イノベーション創出の論理について顧客、従業
第4段階では、顧客にして欲しい「新たな思い」
員、およびライバルといった関係者も含めて示せ
を定義することが必要となる。この「思い」は、
ば、図表8のようにまとめることができる。
1)この顧客に有用なもの、2)ライバルが定義
していないもの、3)従業員が触発され、積極的
6.結びにかえて
に動くことができるもの、4)自社の「見えざる
「価値次元の見えない」イノベーションは、
資産」(事業活動から生み出された資源で、自ら
「価値次元の見える」イノベーションを展開して
育て、蓄積し、ライバルとの差別化の源泉となる
きた企業にとって、これまで体験したことのない
情報や技術など)が活かされるもの(ソニー:見
ものとなる。したがって、企業が脱コモディティ
えざる資産は小型・軽量の追求で培ってきた「自
化を意図して「価値次元の見えない」イノベーシ
由に持ち運ぶことができる技術」→「ウォークマ
ョンの創出を意図しても「可視性の罠」に嵌り、
―6
3―
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図表8.「思いの経営」によるイノベーション創出の論理
:価値次元の見えないイノベーションの「継続的」創出に向けて
そこで生み出されるのは結局「価値次元の見え
もつながりうることになる。
る」も の と な っ て し ま う。
「価 値 次 元 の 見 え な
このような「思いの経営」により、例えばスー
い」イノベーション論は、コモディティ化から逃
パーでは、これまでの物差し(品揃え、鮮度、買
れようとする企業に対して重要な示唆を与えてく
い 回 り、営 業 時 間、価 格)の 追 求 か ら、思 い
れるが、その一方、企業が実際にこのようなイノ
(例:買い物において宝探しができたり、発見が
ベーションを創出するためには上述のように幾つ
できる)を定義し具体化できるようになる。また
かの課題が導出される。ここでの課題は、企業が
ビールメーカーでは、これまでの物差し(素材、
単に「価値次元の見えない」イノベーションとい
品質、鮮度、香り、のどごし、口当たり)の追求
うものを理解に、生み出すということにとどまら
から、思い(例:飲んだ後に、潤いや気持ちよさ
ず、このようなイノベーションを「継続的」に創
を味わうことができる)を定義し具体化できるよ
出することであるといえよう。スターバックスの
うになる。さらにアパレルメーカーでは、これま
事例からも明らかであるように、
「価値次元の見
での物差し(素材、質感、着心地、カラー)の追
えない」イノベーションを創出した後に、このよ
求から、思い(例:着ることで相手に魅せる・見
うなイノベーションを「継続的」に創出するとい
せることができる)を定義し具体化できるように
うことも極めて重要な課題となる。
なる。そしてコーヒーをはじめとする飲食・小売
このような理論上の課題を克服すべく、本研究
業では、これまでの物差し(豆の素材、品質、
では「顧客にして欲しい『思い』
(感情、表情、
コーヒーの香り、口当たり、食べ物と合う)か
表現)」を基礎にした経営の重要性を強調した。
ら、思い(第3の場所:ちょっとリラックスする
これにより「価値次元の見えない」イノベーショ
空間を)を定義し具体化し、さらに新たな思い
ンというものが経営者・従業員にとって「見え
(例:上質なやすらぎを、明日の元気・活力に)
る」ようになり、結果として、顧客に何がしかの
を定義し具体化できるようになる。
「思い」をしてもらったり、この「思い」がライ
脱コモディティ化し、新たな視点でのイノベー
バルとの違いとなったり、さらにはこの「思い」
ションが求められる企業においては、企業のイノ
の醸成に関わった従業員のやりがいやいきがいに
ベーションの目的を「物差しの追求」から「顧客
―6
4―
森
俊也
価値次元の見えないイノベーションの継続的創出に向けて
にして欲しい『思い』の定義とその具体化」とい
1
1
7
一橋大学イノベーション研究センター編(2
0
0
1)
『イノ
う形にシフトし、顧客、ライバル、従業員等に意
ベーション・マネジメント入門』日本経済新聞社。
味のある「価値次元の見えない」イノベーション
今井賢一編著(1
9
8
6)
『イノベーションと組織』東洋経
済新報社。
を「継続的」に創出していくことが極めて重要と
石井淳蔵・奥村昭博・加護野忠男・野中郁次郎(1
9
8
5)
なるであろう。
『経営戦略論』有斐閣。
伊丹敬之(1
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9
9)
『新・経営戦略の論理』日本経済新聞
<主要参考文献>
社(第3
2刷)
。
明石芳彦(2
0
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伊丹敬之(2
0
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(第3版)日本経
済新聞社。
景』有斐閣。
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(中村元一・黒田哲彦訳『最新・戦略経営』産能大
森
青島矢一・加藤俊彦(2
0
0
3)
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森
俊也(2
0
1
0a)
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の見えないイノベーション論』の貢献と課題」
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大学紀要』第3
1巻第3号,pp.
1
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‐
2
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0
0
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森
俊也(2
0
1
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rate Strategy, The MIT Press.
pp.
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森
俊也(2
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の『継続的』創出に向けて」
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大会報告要旨集』pp.
2
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2
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奥村昭博(1
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経済新聞社。
イヤモンド社,1
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Drucker, P.F. (1
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明(2
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大滝精一・金井一
!・山田英夫・岩田
智(1
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原田
俊也(2
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学出版部,1
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建・阿久津聡(2
0
0
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「可視性の罠−イノベーシ
ョンとコモディティ化−」
『2
0
0
5年度組織学会研究発
(広田寿亮訳『企業戦略論』産能大学出版部,1
9
6
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保・古賀広志(2
0
0
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『マーケティングイノベー
下川浩一・岩沢孝雄(2
0
0
0)
『情報革命と自動車流通イ
ノベーション』文真堂。
ション』千倉書房。
ハ ワ ー ド・シ ュ ル ツ,ド リ ー・ジ ョ ー ン ズ・ヤ ン グ
十川廣國(2
0
0
0)
『企業の再活性化とイノベーション』
中央経済社(第5刷)
。
(1
9
9
8)
『スターバックス成功物語』日経 BP 社。
―6
5―
1
1
8
竹内弘高・楠木
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
建(2
0
0
7)
『イノベーションを生み出
い」という視点で企業が思いを考えたにしても、そ
す力』ゴマブックス。
田中政光(1
9
9
0)
『イノベーションと組織選択−マネジ
れはあくまで企業側の思いであるがゆえに、企業が
考えるものと顧客が実際に受けるものが一致せず、
メントからフォーラムへ−』東洋経済新報社。
寺本義也・原田
で「企業側が考える」思いである。「顧客にして欲し
ズレが生ずる場合がある。このようなズレを生じさ
保(1
9
9
9)
『パワーイノベーション
せず、企業からの一方的な価値提案にならないよう
サービス経営』同友館。
吉村孝司(2
0
0
0)
『企業イノベーション・マネジメン
ト』中央経済社(第5刷)
。
な配慮が必要となる。つまり、顧客に提起する「思
い」を企業が考える前に、これまでの自社の製品等
日経 BP 社(2
0
0
6)
「売れる値上げ」
『日経ビジネス』0
6
・0
7・1
7,pp.
2
6
‐
4
1。
を問い直し、顧客にどのような思いをさせてきたの
かという「既存(現状)の思い」を明らかにする必
日経 BP 社(2
0
0
7)
「顧客を裏切る」
『日経ビジネス』0
7
要がある。それらを受けて、既存の思いの限界と今
後の問題解決の方向性を探り、顧客にして欲し い
・0
9・1
0,pp.
3
5
‐
4
5。
日経 BP 社(2
0
0
8)
「勝てる値上げ」
『日経ビジネス』0
8
「新たな思い」を定義する必要がある。この「新た
な思い」を踏まえた製品・サービスを顧客に提供し
・0
5・1
9,pp.
2
4
‐
3
8。
日経 BP 社(2
0
1
1)
「原点回帰で最高益」
『日経ビジネ
た後にも、自社が想定した「思い」を実際にしても
らっているのかについて顧客へ調査し、思い自体や
ス』1
1・0
3・1
4,pp.
5
6
‐
6
3。
日経 BP 社(2
0
1
1)
「スターバックス復活の真実」
『日経
製品・サービスの開発視点などについても修正して
いく必要がある。「思いの経営」を推進する上で、こ
ビジネスオンライン』1
1・0
4・0
8。
のような PDCA を組み込みながら双方の思いがズレ
ないように配慮していくことが重要となる。
注
1)ただ、この「顧客にして欲しい思い」は、あくま
―6
6―
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 6
7―7
7頁(1
1
9―1
2
9頁)2
0
1
2
老年期に達したダウン症候群
On Cases with Down’s Syndrome Entering their Old Age
上
平
忠
一*
Chuichi UWADAIRA
上の老年期に達するダウン症候群の症例は稀であ
¿ はじめに
る1)。
私たちは、これまで知的障害者施設に勤務する
児童期や青年期、成人期のダウン症候群を対象
職員を対象として、ターミナルケアに関する調査
とした研究は、これまでに数多く報告されてき
を実施した26)。また、知的障害者を対象と し た
た9、18)。最近、「特集◆ダウン症者の療育・教育支
ターミナルケアの実践研究を報告した27)。従来か
援・医療・福祉における実践と課題2010」という
ら私たちは知的障害者に関する医療・保健や福祉
表題で、学術論文が編集され、ダウン症候群研究
の問題や課題を研究してきた。今回は、施設に入
のトピックス等が報告されている5、15、16、22、23、28)。そ
所しているダウン症候群について、とくに高齢者
のようななかで老年期のダウン症候群を対象とし
のダウン症候群の実態を検討したので報告する。
た研究は極めて少ない。
ダウン症候群の生命予後について、ある報告に
私たちの知的障害者更生施設に入所しているダ
よれば、幼児期での死亡率がとくに高く、1歳ま
ウン症候群の人たちは60歳を超える者もいるが、
でに男児の31%、女児の36%が死亡するという。
老年期に達している者は非常に少ない。そこで、
そのときの母集団での死亡率が2%である。以後
私たちの施設に入所している65歳以上のダウン症
5歳までにさらに男児の32%、女児の3
0%が死亡
候群の実態を調査し、知的障害を伴うダウン症候
し、5歳過ぎてからは、各年齢について約1%ず
群の高齢化の影響や課題を明確にし、今後の医療
つの死亡率になるとされている。別の研究者の報
・福祉支援に寄与することを目的に本研究を行っ
告でも、1歳までに50%が、10歳までに6
0%が死
た。
亡することが報告されている。死亡の原因は、呼
À 対象と方法
吸器疾患が最も多く、ついで心奇形が挙げられ
る14)。
対象は2008年4月から2012年3月までの間に知
しかし、近年かつて考えられていたほど、早死
的障害者更生施設 C に在所し、6
5歳に達したダ
にするものではなく、医療技術の発展や生活環境
ウン症候群の3症例である。全症例とも、染色体
の向上および社会環境の改善などにより30歳〜40
検査により、21トリソミーのダウン症候群である
歳と壮年に至る本症候群をみることも多くなっ
ことが確認されている。
た。一方、ダウン症候群では一般に比べ老化過程
方法は、医療機関の受診記録、施設の保健医務
に出現が早いとされており、40歳代から明らかな
室の記録、施設の指導員の記録・報告に基づい
老化を示すことが報告されているが、なお65歳以
て、対象者の年齢、性別、身体的所見(身長、体
*長野大学前教授、非常勤講師
―6
7―
1
2
0
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
重、血圧)、精神医学的所見、病歴、生活史、家
喜怒哀楽が激しい。反面、ひょうきんな面があ
族歴、性格の特徴、日常生活に関する状態、なら
り、仲間にすぐに溶け込み、可愛がられる。
びに認知症に関する事項を調査した。
【現病歴】
知的障害者更生施設 C の概要を述べれば、同
施設は1987年に開設され、定員50名であり、男性
生来性の知的障害。自宅で家族と一緒に生活を
していた。
25名、女性25名で、ショートステイを併設した施
両親が本人の将来を心配して、役場に相談した
設である。2012年3月の時点で、入所者数は48名
結果、2
9歳の2月に知的障害者更生施設 A に入
であ り、男 性2
3名、女 性25名 で あ っ た。こ の う
所となった。同知的障害者更生施設では、アイド
ち、5名のダウン症候群が認められ、その内訳は
ル的存在であった。
男性1名(53歳)、残り4名が女性である。その
38歳の4月に、知的障害者更生施設 B に転入
うちの3名の女性が本研究の対象者である。
した。
Á 結果
この頃、以下のような問題行動の指摘があった。
①
下着の重ね着と衣類の頻繁な脱着(多いと
症例の記述に当たって、プライバシーの保護に
きで11枚を身につける)
充分配慮しつつ、理解しやすいように詳しく叙述
②
決まった特定の下着への執着
した。
③
下着への書き付け(マジック書き)
④
尿失禁や弄便の増加(自分の要求が通らな
症例1 70歳、女性、無職、(表1)
【診 断】
いときに目立つ)
ダ ウ ン 症 候 群(2
1ト リ ソ ミ ー)(Q
⑤
基本的な生活はできても、集団行動ができ
90)、中等度知的障害(IQ38)(F71)、てんかん
ない。気むらであるが、1人で簡単なことを
(G40)、アルツハイマー型認知症(F00)。
【家族歴】
こつこつすることができる。
両親は10数年前に、父親が93歳、母
46歳の4月に、自宅近くの知的障害者更生施設
親が95歳でともに老衰にて死亡している。同胞は
C に入所。
3人で、12歳違いの兄と10歳違いの姉がいる。ほ
この頃の日常生活では、絵を描き、書道を好む。
かに特記すべき事項はない。
本読み、音楽を聴くなどの活動がみられる。
【既往歴】
1歳頃に、原因不明の高熱が半年位
続いた。
55歳の時点で、老化と考えられる現象が身体面
および精神面に出現し、その後徐々に進行した。
【生活史】
中部地方 の P 県 に て、商 店 を 営 む
身体面
家庭に3人同胞の末子として出生する。父親38
・
髪の毛や眉毛の白髪
歳、母親40歳のときに自宅にて産婆により出産し
・
身体的動作の緩慢
た。出生は9ヶ月の早産で、出生時体重は1
500g
・
全歯の欠損
で、未熟児出産。蒙古症様顔貌を呈していた。発
・
ひざの痛み(肥満体型) 体重5
3Kg(BMI
育は遅れていたが、成長すればよくなるだろう
30.
4、身長132cm)
と、家族は考えていた。両親の過保護が目立つ。
精神面
始歩 3歳、発語 3歳。小学校は1年遅れで就学
・
興味をもった作業でも、持続性に欠けるよ
し、卒業した。中学校に行かず、家庭内の役割も
うになった。
なく、交友関係もなく、閉じこもりがちな生活を
・
物事への執着が強くなった。
在宅で過ごす。読み書きは多少できるが、数は3
・
感 情 の 変 動 が 強 い。一 日 の う ち で、「喜
以上答えられず、算数は理解できなかった。生理
び」と「怒り」を何回も繰り返す。
の処理など身の回りのことが辛うじてできる。38
・
歳頃に実施した知能検査で、IQ38(鈴木ビネー
式)。
【性格】
トイレ以外の場所(風呂場、テラスなど)
で排泄をする行為
60歳の11月に、第 X 回県知的障害施設大会ポ
温和、無口、緩慢、固執性顕著、反面
スターコンクールにおいて優秀作品として賞状を
―6
8―
上平忠一
表1
老年期に達したダウン症候群
1
2
1
症例の症状・所見
従来から見られた症状・所見(知的障害症状の一部)
新たに加わった症状・所見(認知症症状)
症例1
B 施設において、
・下着の重ね着と衣類の頻繁な脱着
・特定の下着への執着
・下着への乱雑なマジック書き
・低血圧
・気分変動
・絵を描き、書道を好む、音楽を聴く
C 施設において、
5
5歳頃
・興味をもった作業でも、持続性に欠けるようになる
・感情の起伏が激しい
・トイレ以外の場所(テラス、風呂場など)で排泄を
する行為
・物事への執着が強くなる
・身体的動作の緩慢さ
・髪の毛や眉毛の白髪
6
4歳
・トイレの場所がわからない
・ADL の低下(食事量の低下、排泄の失敗)
・重ね着の減少(執着行動の減少)
・車椅子(歩行困難)
・体重の減少
6
7歳
・知的レベルの低下著明
・大腿骨警部骨折、入院生活
・寝たきり生活
6
8歳
・けいれん発作
・意思の伝達ができない(自ら会話ができな
い)
症例2
A 施設において、ハンダ付けの作業に熱心に取り組む
C 施設において、
6
0歳頃
・視力障害の進行に伴い、ADL の低下
・作業能力の低下
6
5歳頃から、
・物忘れ
・突然に泣き出すなどの異常行動の出現
・幻聴
・夜間せん妄
6
8歳
・食事量が低下し、体重減少が目立つ
(2
5.
3Kg で、2年前に比べて8.
3Kg 減少)
6
9歳
・ADL が全介助
症例3
A 施設で、いろいろな作業班(縫製、農園、機械)に
所属する。
C 施設において、
4
5歳頃、
・強迫的な手の洗浄行為
・偏食が著しい
・こだわりの継続
・関節痛や首の痛みを訴え、湿布薬を張っている。
6
5歳頃から
・日常生活で ADL が緩慢となる
・意欲の減退
・尿失禁
授与される。
の処遇について話し合う。この頃、
「歩けるが、
64歳の1月頃から、食事量が低下し、トイレの
場所がわからず排泄の失敗がある。
歩く気がない」ということで、車椅子の移動にて
日常生活を送り、車椅子にて散歩する。
64歳の4月頃から、ADL の低下が認められる
67歳の年9月頃、知的レベルの低下が著明とな
ようになる。同時に、身体レベルの低下や視力の
り、食事、排泄、入浴などの介護にサービスを多
目立つ低下がみられる。重ね着の状態は減少して
く必要とする。障害程度区分 6と認定される。
い る。こ の 頃 の 体 重 は4
4Kg(標 準 体 重 は38
Kg)、2ヶ月間に4Kg 減少である。
体重34Kg と減少する。
67歳の12月に右大腿骨頸部骨折にて、B 病院整
65歳の6月に、Q 病院を 受 診。家 族 を 含 め て
形外科に入院し、保存的治療を行う。23日間入院
ケースカンファレンスを行い、現状の報告や今後
したが、その後に、寝たきり生活が始まり、ADL
―6
9―
1
2
2
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
が全面介助となった。
下が出現する。車イスにて散歩する。トイレの場
68歳の6月に1日2回朝夕のけいれん発作(右
所がわからない。
上肢にけいれん、意識喪失、低血圧)が出現す
65歳頃から、認知症の始まりを認める。
る。
67歳から、寝たきりとなり、ADL が全介助。
この時の血液検査および血液生化学検査:白血
球 数3400/µl、赤 血 球 数382×104/µl、血 色 素 量
13.
6g/dl、ヘマトクリット3
8.
6%で白血球数が軽
68歳時に、けいれん発作(けいれん、意 識 喪
失)の出現。
69歳となり、有意語がほとんどなくなる。
度に少ない以外に異常はない。総タンパク6.
4g/
dl、ア ル ブ ミ ン3.
4g/dl、A/G 比1.
13、ALP239
症例2 69歳、女性、無職、(表1)
IU/l、コリンエステラーゼ1
88IU/l、GOT18IU/l、
【診 断】
ダ ウ ン 症 候 群(2
1ト リ ソ ミ ー)(Q
GPT10IU/l、γGTP18IU/l、CPK25IU/l、総コレ
90)、重度知的障害(IQ23)(F72)、アルツハイ
ステロール1
98mg/dl、中性脂肪1
19mg/dl、尿素
マー型認知症(F00)。
窒 素9.
7mg/dl、ク レ ア チ ニ ン0.
49mg/dl、尿 酸
【家族歴】
5.
3 mg/dl、Na 138.
8 mEq/l、K 3.
67 mEq/l、Cl
103.
9mEq/l、とほぼ正常である。
父親は73歳のとき肺がんにて死亡。
母親は80歳で心不全にて死亡。ほかに特記すべ
き事項はない。
69歳、肺炎にて、C 病院内科に入院する。けい
【既往歴】 50歳から、高コレステロール血症。
れん発作がときどき認められ、抗けいれん薬の投
53歳、爪白癬症。60歳頃から、両眼白内障(右>
与をしている。
左)。
70歳、寝たきりの状態。呼びかけに反応しな
【生活史】
中部地方の P 県の地方都市に、建
い、発語もほとんどなく、稀に「痛い」というこ
築関係を営む家庭に5人同胞の末子(4女)とし
ともある。食事、トイレ、入浴
て生まれる。父親44歳、母親41歳のときに自宅で
全面介助が継続
している。体重は30Kg 前後を示している。
出産する。周産期に異常はなく、出生時体重は
<症例1の小括>
2440g であった。始歩 4歳、発 語 8歳。言 語 障
!
"
#
中等度知的障害を伴うダウン症候群の70歳の
女性。
学校を卒業する。
幼少期より知的発達が遅れていた。小学校を
療育手帳 A1を取得する。
卒業し、自宅にて閉じこもりがちであり、家人
【性格】
の援助により生活を送っていた。IQ38(鈴木
嫌いの激しい性分。
ビネー式)で、読み書きは多少できるが、3以
【現病歴】
上の数の理解ができず、算数は困難であった。
29歳のときに、役場の薦めにより、知的障害
更生施設に入所する。その後、3ヶ所の施設を
移住し、4
6歳のときから現在の施設に在籍す
$
害があった。1年遅れて、小学校に就学する。小
る。福祉施設の全在籍期間は約40年である。
おとなしい、素直、行儀がいい。好き
幼少期から知的発達が遅れていた。蒙古症様顔
貌を呈していた。
26歳のときに、禁治産宣言を受け、後見人に長
兄がなる。
28歳の4月に、役場の勧めにより、知的障害者
アルツハイマー型認知症の経過について
更生施設 A に入所する。
55歳頃から、身体面の老化が徐々にみられた。
30歳頃、A 施設では、ハンダ付け作業(スピー
例えば、髪の毛や眉毛の白髪、全歯の欠損、身体
カーのコードのハンダ付け)に従事する。作業の
的動作の緩慢など出現した。精神面での変化は、
能率は悪かったが、出勤状況は良好であり、遅刻
興味をもった作業でも、持続性にかけるように
等は少なかった。
なった点や、気分にむらがあり、物事への固執が
強くなった点が認められた。
(作業能力の低下、
41歳の4月に、知的障害者更生施設 B に転入
する。
気分変動の出現)
作業として、編み物(カギ針)
(チョッキを編
64歳頃から、食事、排泄、入浴など ADL の低
む)、整理整頓はしっかりしている。
―7
0―
上平忠一
老年期に達したダウン症候群
46歳の4月に、自宅近くの知的障害者更生施設
C に転入する。
当時、ADL は自立している。洗濯機を使用し
!
"
て、自分の衣類を洗濯することができた。好きな
サロペットを洗うことができる。また、おやつ作
りに参加している。編み物、ビータッチ、カラン
#
幼少期より知的発達が遅れていた。小学校を
いた。IQ23(田中ビネー式)。
28歳のときに、役場の薦めにより、知的障害
更生施設 A に入所する。
60歳頃から、白内障による視力障害が重なり、
41歳のときに、知的障害更生施設 B に転入
ADL が急速に低下してくる。同時に、元来好き
する。
嫌いの激しい性分であったが、それまで以上に目
に、拒否が非常に強い。作業能力の低下が認めら
重度知的障害を伴うダウン症候群の69歳の女
性。
卒業後、自宅で家人の援助により生活を送って
コ(毛糸をほぐす作業)などの作業に従事する。
立つようになった。例えば、点眼薬を点けるとき
1
2
3
46歳のときに、知的障害更生施設 C に転入
$
れた。
する。福祉施設の全在籍期間は約40年に至る。
アルツハイマー型認知症の経過について
60歳頃
65歳の6月に、認知症的な症状が時々見られる
作業能力の低下および身辺自立の
低下
(物忘れ、突然泣き出す、幻聴等)
。夜間せん妄
65歳頃
物忘れ、感情失禁、幻聴
がときどき出現する。身長1
24.
5cm、体重34.
6
69歳頃
ADL(日常生活活動)の全介助
Kg、BMI=2
2.
5 右利き。BD114/52mmHg。
68歳の8月に、医務室にて、内科検診を受ける
症例3 65歳、女性、無職、(表1)
が、診察時に拒否を示し、指導員に誘導されて、
【診 断】
泣きながら受ける。感情の不安定さが目立つ。体
90)、中等度知的障害(IQ39)(F71)、アルツハ
ダ ウ ン 症 候 群(21ト リ ソ ミ ー)(Q
重 25.
3Kg。(2年前 に 比 べ て、8.
3Kg 減 少 す
イマー型認知症(F0
0)。
る、BMI16.
5)。施設内を徘徊する。しかし、そ
【家族歴】
の範囲は狭い。徘徊時に、椅子の上に上ったり、
歳のとき脳卒中で死亡する。同胞は4人で、16歳
台車の上に乗ったりする問題行動があり、危険で
違いの姉と、12歳および1
0歳違いの兄たちがい
あり、職員の介助を必要とすることが多い。ま
る。ほかに特記すべき事項はない。
た、部屋や廊下にて、一点を中心にぐるぐる回り
【既往歴】 55歳の時、慢性肝炎、心臓疾患(不
をし、右回り回転動作の異常行動が観察されてい
整脈)。
る。
【生活史】
父親は87歳のときに老衰。母親は78
中部地方の P 県の山村地域に、職
69歳、独歩。最近、食事にむらがあり、食欲が
人の家に4人同胞の第4子末子として出生する。
低下している。気分変動もある。内科診察時に、
父親47歳、母親が4
8歳のときに自宅にて出産す
診察を受けるのを嫌がり、抵抗している。子ど
る。周産期に異常はなかった。始語 3歳、始歩
もっぽい対応が顕著である。身長1
24.
0cm、体
3歳。小学校就学1年延期。小学校卒業。療育手
重23.
5Kg。BMI15.
3。BD103/63mmHg。
帳 A1を取得する。
69歳の夏に、兄(91歳)夫婦およびその姪(60
【性格】
温和、無口、消極的でおとなしい。物
歳)と面談し、現状の説明や今後の展望を説明す
へのこだわりが強い。とくに生理用品へのこだわ
る。その際に、兄夫婦はダウン症という診断をこ
りが目立つ。根気があるが、臨機応変の対応がで
のときはじめて知ったと述べる。
きない。人から好かれるタイプである。
この頃の診察時に、指導員に連れてこられる
【現病歴】
生来性の知的障害である。蒙古症様
が、短時間でも椅子に座っていることが困難であ
顔貌を呈していた。小学校を卒業後、在宅生活を
る。日常生活では、ときに昼夜逆転がみられ、
していた。
ADL は全面介助であり、排尿は時間誘導をして
23歳の4月に、Q 児童相談所を経由して、E 学
いる。
園(知的障害者更生施設)に1ヶ月間入園する。
<症例2の小括>
しかし、母親が本人の虚弱を心配して、退所させ
―7
1―
1
2
4
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
ば1、13)、1920年代の平均 寿 命 は2〜3歳、1930年
た。
30歳の2月に、母親が脳卒中で死亡する。本人
代 9歳、1950年代15歳であったが、1
970年に入
をケアする体制が不十分のため、31歳の4月に、
り50歳に達し、1990年代に5
8歳に至っている。
知的障害者更生施設 A に入所する。このときの
このように、医療技術の発展や社会生活の水準の
所見は、手洗いのこだわりがみられるなど異常行
上昇および生活環境の向上によりダウン症候群の
動や偏食が認められた。また、日常生活では着
平均寿命が着実にのびている。
脱、食事、トイレなど ADL は自立している。身
長137.
0cm、体 重36Kg
同時に、日本人の平均寿命(2010年)は男性が
BMI1
9.
2。A 施 設 で
79.
64歳、女性86.
39歳に比べると、ダウン症候
は、作業班に属し、縫製、農作業、機械作業に従
群のそれはほぼ20〜25年短いという厳しい現実が
事した。
ある。
42歳の4月に、自宅近くの知的障害者更生施設
ダウン症候群の多くの患者が老年期に達す前に
C に転入する。
死亡するために、対象となる数そのものが非常に
C 施設においても、縫製や農作業に従事する。
少ないことおよびダウン症候群の療育・支援が発
頻回な手洗いを行い、両手の指に皮膚炎が目立
達期に重点が置かれていることにより、老年期・
つ。一つのことにこだわりを示し、介護に抵抗を
成人期のダウン症候群を対象とした研究は極めて
示す。
少ない。
体 重40.
8
ところで、著者が関与する知的障害者更生施設
Kg。BMI22.
4右利き。この頃から、作業能力の
62歳 の 時 点 で は、身 長1
35cm、
C の平均年齢をみると、以前に比べると徐々に上
低下が認められ、手洗いの回数が減少する。
昇している。定員50名(男性25名、女性25名)の
65歳頃から、日常生活において ADL が緩慢と
同施設の場合、1987年4月の開設当時の平均年齢
なり、尿失禁がみられる。自分からやろうとする
が49.
0歳、2003年4月の平均年齢5
7.
5歳(男性
意欲の減退が目立つ。
60.
0歳、女性55.
0歳)、2010年2月の平均年齢の
<症例3の小括>
平均年齢63.
4歳(標準 偏 差12.
1)、男 性65.
8歳
!
"
中等度知的障害を伴うダウン症候群の65歳の
女性。
である。施設における高齢知的障害者も一般高齢
幼少期より知的発達が遅れていた。1年間就
学を延期し、小学校を卒業した。その後、在宅
#
(標準偏差13.
2)、女性6
1.
0歳(標準偏差11.
0)
者と同様に平均寿命が高くなっていることが確認
できる。
生活を送っていた。IQ39(田中ビネー式)。
23歳のとき に、E 学 園(知 的 障 害 者 更 生 施
2.ダウン症候群の診断およびアルツハイマー型
認知症の診断
設)に1ヶ月間入所する。
ダウン症候群の診断は、特徴的な臨床症状に基
31歳のとき、知的障害更生施設 A に入所す
づいて行われる。その確定診断は染色体検査で実
る。
42歳のときに、知的障害更生施設 C に転入
$
施される22)。つまり、採決をして、血液の中にあ
るリンパ球の染色体検査により、2
1番染色体過剰
する。福祉施設の入所期間は約32年になる。
を証明する。
アルツハイマー型認知症の経過について
その臨床症状の特徴は、まず身体的特徴とし
62歳頃、作業能力の低下
65歳 頃、ADL(日 常 生 活 活 動)の 低 下、意
て、顔貌にみられ、短頭、扁平な丸顔、蒙古様眼
瞼裂、内眼角贅皮、短い鼻などが指摘されてい
欲の減退、尿失禁が出現する。
 考察
る。そ の ほ か に、低 身 長、低 血 圧、筋 緊 張 低
1.老年期のダウン症候群
としては、精神遅滞を併存し、中等度以上の精神
下4)、心奇形が認められている。精神症状の特徴
近年、ダウン症候群の平均寿命は過去に比べる
遅滞が多い。また、歩行開始は平均3年、言語の
と特段の延長がみられている。疫学調査によれ
発達も遅れる。しかしながら、個人差も大きく、
―7
2―
上平忠一
表2
老年期に達したダウン症候群
1
2
5
DSM−Â−TR によるアルツハイマー型認知症
A.多彩な認知欠損の発現で、それは以下の両方により明らかにされる。
(1)記憶障害(新しい情報を学習したり、以前に学習した情報を想起する能力の障害)
(2)以下の認知障害の1つ(またはそれ以上)
:
(a)失語 (言語の障害)
(b)失行(運動機能が損なわれていないにもかかわらず動作を遂行する能力の障害)
(c)失認(感覚機能が損なわれていないにもかかわらず対象を認識または同定できないこと)
(d)実行機能(すなわち、計画を立てる、組織化する、順序を立てる、抽象化する)の障害
B.基準 A1および A2の認知欠損は、そのおのおのが、社会的または職業的機能の著しい障害を引き起こし、
病前の機能水準からの著しい低下を示す。
C.経過は、緩やかな発症と持続的な認知の低下により特徴づけられる。
D.基準 A1および A2の認知欠損は、以下のいずれによるものでもない。
(1)記憶や認知に進行性の欠損を引き起こす他の中枢神経系疾患(例:脳血管疾患、パーキンソン病、ハンチ
ントン病、硬膜下血腫、正常圧水頭症、脳腫瘍)
(2)認知症を引き起こすことが知られている全身性疾患(例:甲状腺機能低下症、ビタミン B12または葉酸欠
乏症、ニコチン酸欠乏症、高カルシウム血症、神経梅毒、HIV 感染症)
(3)物質誘発性の疾患
E.その欠損はせん妄の経過中にのみ現れるものではない。
F.その障害は他のⅠ軸の疾患(例:大うつ病性障害、統合失調症)ではうまく説明されない。
表3
ICD-1
0によるアルツハイマー型認知症の診断ガイドラインおよび鑑別診断
確定診断のためには、以下のような特徴が必須である。
(a)認知症の存在
(b)潜行性に発症し、緩徐に悪化する認知症、通常は発症の時期を正確に決めることは難しいが、欠陥の存在
が他人に突然に気づかれることもある。
(c)認知症を来す他の全身性あるいは脳の疾患(たとえば甲状腺機能低下症、高カルシウム血症、ビタミン B12
欠乏症、ニコチン酸欠乏症、神経梅毒、正常圧水頭症、硬膜下血腫)による精神症状であることを示す臨床的
所見あるいは特殊検査所見がないこと。
(d)突然の卒中様発症がなく、半側麻痺、知覚脱出、視野欠損、協調運動失調などの脳局所の損傷を示す神経
学的徴候が病初期には認められないこと。
〔鑑別診断〕
①うつ病性障害
②せん妄
③器質性健忘症候群
④ピック病、クロイツフェルト−ヤコブ病、ハンチントン病などの一次性認知症
⑤さまざまな身体疾患、中毒状態などにともなう二次性認知症
⑥軽度・中等度あるいは重度の精神遅滞
軽度あるいは正常範囲の症例が報告されている。
および始歩ともに3歳で、染色体検査にて21トリ
本研究の症例の診断を検討とする。症例1は、
ソミーを確認している。全症例がダウン症候群の
ダウン症様顔貌、中等度知的障害(IQ38)を認
診断が確定されている。
め、発語および始歩ともに3歳で、染色体検査に
一 方、ア ル ツ ハ イ マ ー 型 認 知 症 の 診 断 は、
て21トリソミーを確認している。症例2は、ダウ
DSM−Ⅳ−TR による診断基準 が 使 用 さ れ る(表
ン 症 様 顔 貌、重 度 知 的 障 害(IQ23)が 認 め ら
19)
。または、ICD−10の診断ガイドラインおよ
2)
れ、始語 8歳、始歩 4歳で、染色体検査で21ト
び鑑別診断24)が表3に示してあるが、それに基づ
リソミーが確認されている。症例3は、ダウン症
いて行われる。その臨床症状は脳の器質的な変化
様顔貌、中等度知的障害(IQ39)を認め、始語
に伴っている。しかし、両者は必ずしも並行して
―7
3―
1
2
6
長野大学紀要
表4
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
ICD−1
0における認知症の定義
認知症は、脳疾患による症候群であり、通常は慢性あるいは進行性で、記憶、思考、見当識、理解、計算、学
習能力、言語、判断を含む多数の高次皮質機能を示す。意識の混濁はない。認知障害は、通常、情動の統制、社
会行動あるいは動機づけの低下をともなうが、場合によっては、それらが先行することもある。
進行するわけではなく、一方は明白に存在する
れる。症例3の場合、アルツハイマー型認知症の
が、他方はほんのわずかしか認められないことも
発病を確定することが難しい。その理由として、
ある。それにもかかわらず、一般的にはアルツハ
物忘れなどの特徴的な臨床症状の発現がみられ
イマー型認知症は、しばしば臨床的な根拠だけか
ず、日常生活の低下や性格の変化が生じているこ
ら推定診断をくだすことができるような臨床症状
とによる。しかし、脳の破壊が起こり始めると、
をもっている。
認知症、知能の低下が著しくなる前から性格の変
さて、ここで取り上げ検討する課題は次の2つ
である。
化が観察されることがある。あるいは、ダウン症
候群にみられる認知症において、初発症状とし
まず、アルツハイマー型認知症の発病様態であ
る。
て、意欲の減退、無関心、集中力の低下などが出
現するという報告がある。
DSM−Ⅳ−TR では、その経過は、緩やかな発症
と持続的な認知の低下により特徴づけられると記
次の課題は精神遅滞の知能の低下との鑑別であ
る。
載されている。ICD−10においても、同認知症が
精神遅滞は精神の発達停止あるいは発達不全の
潜行性に発症し、緩徐に悪化し、通常は発症の時
状態であり、発達期に明らかになる全体的な知能
期を正確に決めることは難しいと記述されてい
水準に寄与する能力、すなわち認知、言語、運動
る。このようにアルツハイマー型認知症の発病時
および社会的能力の障害によって特徴づけられ
期の確定は困難であるといえる。特徴的な臨床症
る。したがって、精神遅滞の診断は、発達期・児
状が明確に発現するときをもって、発病の時期と
童期においてなされるといえる。
せざる得ない現状がある。認知症の臨床症状(表
一方、認知症は中高年の世代に認められる認知
4)は知的機能の明らかな低下であり、記憶、思
障害の発現であり、成人期・老年期において診断
考、見当識、理解、計算、学習能力、言語、判断
される。
を含む高次皮質機能障害を示す。特に記憶障害が
中核症状(注2)の一つである。
さて、ダウン症候群の人々の平均寿命が一般高
齢者や知的障害者と同様に高くなっていることは
本研究の報告例のアルツハイマー型認知症を検
すでに上述した。精神遅滞者にはあらゆる精神障
討すると、症例1では、65歳の時に、トイレの場
害が生じうるといわれている。そして、ダウン症
所を 間 違 える な ど 見 当 識 の 障 害 や、ADL の 低
候群の人々が中高年に達した時に、認知症に罹患
下、歩行障害、執着行動の減少などの慢性性・進
する可能性も視野に入れる必要がある。本研究で
行性にみられる臨床症状をもって、アルツハイ
は、アルツハイマー型認知症の診断にこれまで使
マー型認知症の発病とした。その後の経過をみれ
用されてきた DSM−Ⅳ−TR あるいは ICD−10の診
ば、知的レベルの著明な低下、寝たきり生活、け
断基準を適応した。認知症の診断には、知的機能
いれん発作の出現、重度の言語障害を呈し、アル
の低下が必須である。すなわち、精神遅滞では全
ツハイマー型認知症の定型的な経過をほぼ辿って
体的な知能水準に寄与する能力である認知、言
いる。症例2では、65歳頃に、物忘れ、突然に泣
語、運動および社会的能力の障害を示す。一方、
き出すなど異常行動、幻聴などによりアルツハイ
認知症では、記憶障害や見当識障害などの中核症
マー型認知症の発病と判定した。その後の経過で
状および幻覚妄想や行動障害などの周辺症状が重
は、食欲の低下、体重減少を生じ、ADL が全介
視されている。その結果、精神遅滞の症状と認知
助 の 状 態 に な っ た。症 例3で は、65歳 頃 か ら
症の症状において共通部分が多く認められる。そ
ADL の低下および意欲の減退、尿失禁が認めら
の共通部分を通して、両者の状態像が描き出さ
―7
4―
上平忠一
老年期に達したダウン症候群
1
2
7
れ、ともに欠陥状態として把握している。欠陥状
ダウン症者における身体的・心理的加齢変化を
態(注3)とは、知能的および人格的の退化崩
概観した報告3)によれば、神経病理学的研究にも
壊、精神的人間水準の低下である。近年は欠陥状
とづく「40歳以上のダウン症者全員がアルツハイ
態というかわりに残遺状態ということばが広く使
マー病にかかっている」という仮説を支持せず、
用されるようになっている。ここで、知的障害者
50歳以上になっても全員が認知症を発症するとい
が高齢に達し、認知症を呈する場合が課題となる
うわけではないと陳述している。同時に、認知症
が、知的障害の知的機能の知能低下と認知症の知
と診断されていないものでは、50歳以上になって
的機能の知能低下を仔細に検討した研究は私たち
も明らかな加齢の変化は見られないという。
が知る限り非常に少ない。成人ダウン症候群とア
1948年に Jervis8)が、ダウン症候群にみら れ る
ルツハイマー型認知症に対して長谷川式簡易知能
early senile dementia を呈した症例を報告した。そ
24)
検査を用いて成績比較を行った研究 では、それ
れによれば、認知症と老人性精神病様症状を呈し
ぞれの正答率に大きな違いがみられたと述べる。
て死亡したダウン症候群3例(死亡時37〜47歳)
それによると、姓名、今日の月日、施設名、5個
の脳に「老人性痴呆」の所見を認めた。
の物品記銘はダウン症候群の正答率が高く、年
1989年に Lai ら17)は、35歳以上のダウン症候群
齢、出生地、1年の日数、引き算、逆唱は認知症
を呈する53症例の評価および経過を調査し、その
群の正答率が高かった。その結果、成人ダウン症
うち19例(36%)に認知症が認められたと報告す
候群の知能障害とアルツハイマー型認知症のそれ
る。その有病率の内訳は、3
5歳から4
9歳までが
は明瞭な構造的差異があることを示唆している。
8%、50歳から59歳まで は55%、60歳 以 上 で は
75%であり、年齢が上昇するにしたがって有病率
3.ダウン症候群にみられるアルツハイマー型認
が増加している。
1998年に横田29)は、52歳の女性ダウン症候群に
知症の特徴
ダウン症候群および認知症を含めた老化・加齢
併発したアルツハイマー病の事例と支援について
約6年間の経過を詳細に報告し、ダウン症候群に
に関する先行研究を検討する。
1980年に加藤ら12)は、精神薄弱施設におけるダ
おけるアルツハイマー病の臨床経過に関し3段階
ウン症候群患者の動態とその早期老化現象につい
を提示している。第1期では、知能の相対的に高
て報告し、ダウン症候群では外見や動作、生活態
い群では記憶障害、見当識障害、言語表出の減少
度面で若年から始まる老化の徴候と40歳を超えて
がみられ、一方、知能の相対的に低い群では意欲
顕著になる早期老化傾向を指摘した。
の減退、無関心、集中力低下、社会的相互作用の
20)
1987年に桜井 は、高齢精神薄弱者および早期
老化現象の実態とその対策を報告する。
低下がみられる(意欲・興味関心の低下)
。第2
期では、トイレや脱着などに手がかかるようにな
10)
1989年に柄澤ら は、成人ダウン症候群におけ
るなど生活技能の低下、歩行が遅くなったり不安
る心身機能の特徴と加齢の影響を検討し、ダウン
定になる、作業能力の低下、てんかん発作が高率
症候群の身体面の特徴として、①外見的老化指標
に出現する。末期では寝たきりになりついには肺
が高いこと、②白内障の合併が多いこと、③てん
炎などで死亡する。
かんの合併が少ないことを報告し、同研究の対象
2001年に Tyrrell ら25)は、ダウン症 候 群 を も っ
者が40歳代までであり、この年齢の範囲ではダウ
ている認知症の有病率が13.
3%であり、その発症
ン症候群の早期認知症化を示唆する結果は得られ
年齢を54.
7歳と報告した。その有病率の内訳は、
なかったという。
35歳から49歳までが4.
2%、5
0歳から59歳までは
1997年に柄澤ら11)は、中年期のダウン症候群に
30.
4%、60歳以上では42.
9%である。
おける心身の健康状態と早期老化傾向に関する調
2006年に Coppus ら2)は、ダウン症候群 を も つ
査研究を行った。その結果によればダウン症候群
人の認知症の有病率が1
6.
8%であり、その発症
を含め、中年期の知的障害者は心身機能の目立っ
年齢を54.
5歳(±5年)と報告した。その有病率
た衰えを示さなかったと主張している。
の内訳は45歳から4
9歳までが8.
9%、50歳から54
―7
5―
1
2
8
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 2
0
1
2
歳まで17.
7%、55歳から59歳ま で32.
9%、60歳
状がある。周辺症状には、自分が置いたところを忘れ
以上の年齢では25.
6であり、60歳以上で有病率が
て「盗まれた」と訴える物盗られ妄想、配偶者が浮気
低下する背景には、高齢ダウン症者の死亡率の増
をしていると思い込む嫉妬妄想などのような幻覚妄想
加によって説明している。
状 態、抑 う つ、不 安、焦 燥 な ど の 精 神 症 状 か ら、徘
上記のようにダウン症候群の老化・加齢に関す
る最近の研究では、認知症のような病的老化を合
併する場合を除き、老化の開始時期が一般人口の
標準と大きな違いがないことを示唆している。
徊、弄便(便いじり)
、収集癖、攻撃性といった行動障
害までいろいろな症状がある。中核症状と周辺症状を
合わせて、認知症症状と呼んでいる。
注3
欠陥状態
欠陥は、精神的または身体的機能が不足で回復不能
一方、ダウン症候群は、一般人口やほかの精神
のもの。知能欠陥は認知症か精神遅滞、統合失調性欠
遅滞に比べて早期にしかも高率にアルツハイマー
陥は情意の欠陥で活動力がないようにみえる。最近で
病が発症するといわれている21)。ダウン症候群に
は、欠陥ということばの替わりに残遺ということが多
おける認知症の初期症状として、記憶障害や見当
く、欠陥統合失調症の替わり残遺統合失調症という。
識障害のほかに、①行動面における無欲状態、会
話の減少、身の回りの不潔等、②感情面における
文献
易興奮性、感情不安定等の人格変化が指摘されて
1)Baird PA, Sadovnick AD : Life expectancy in Down-
いる。一般的には、ダウン症者のアルツハイマー
9
8
8,pp.
1
3
5
4−1
3
5
6
syndrome adults. Lancet ,2;1
病の平均出現年齢は5
4歳である。ダウン症候群の
2)Coppus A, Evenhuis H, Verberne GJ et al : Dementia
40歳以上の患者の死後脳の剖検による研究による
and mortality in persons with Down’s syndrome. Journal
of Intellectual Disability Reseach ,50
(1
0)
;2
0
0
6,
と、アルツハイマー病でみられるような、老人班
pp.
7
6
8−7
7
7
や神経原線維変化がみられる7)。あるいは認知症
を合併したダウン症候群の脳はアルツハイマー病
3)長谷川桜子,池田由紀江:ダウン症者における身
体的・心理的加齢変化−最近の研究の外観−.発達
に類似した神経病理的変化を示す6)。また、アル
ツハイマー病と診断されてから死亡までの期間
は、平均4.
6年である。近年ダウン症候群の平均
障害研究、2
2
(3)
;2
0
0
0年、9
6−1
0
3頁
4)長谷川知子:染色体異常、遺伝性疾患、遺伝カウ
ンセリング.中根晃、牛島定信、村瀬嘉代子編:詳
寿命が延長し、5
7歳を超え、高齢に達する人々が
解子どもと思春期の精神医学.金剛出版、東京、
増加している現状では、ますますアルツハイマー
2
0
0
8年、3
2
3−3
3
4頁
型認知症の課題が医療・保健・福祉にとって重要
5)橋本創一:ダウン症者の心理・行動特性と支援に
となっている。
関 す る 研 究 動 向2
0
1
0.
発 達 障 害 研 究、3
2
(4)
;2
0
1
0
年、3
1
5−3
2
7頁
注1
6)平野
用語について
精神遅滞(mental retardation)は主に医学や米国精神
達障害研究、2
2
(3)
;2
0
0
0年、1
1
3−1
1
9頁
遅滞学会において用いられる医学的概念であり、知的
障害(intellectual
disabilities)は主に法律用語として、
悟,高島幸男:知的障害児のエイジングの
医学的背景−ダウン症候群からのアプローチ−.発
7)井上令一,四宮滋子監訳:カプラン臨床精神医学
第2版.DSM−Ⅳ−R 診断基準の臨床への
1
9
9
9年4月から文部科学省において用いられ、教育・
テキスト
福祉の現場に多く用いられている。なお、本論文では
展開、メディカル・サイエンス・インターナショナ
福祉現場を重視して、知的障害を用いている。
ル、東京、2
0
0
4年、1
2
4
9−1
2
6
7頁
ダウン症候群(Down’s syndrome)は主に医学関係者
8)Jervis, G.A. : Early senile dementia in mongoloid idiocy.
が用い、ダウン症は福祉関係者が多く用いている。本
American Journal of Psychiatry,1
0
5;1
9
4
8年、1
0
2−
論文では、ダウン症候群を用い、ダウン症候群の人を
1
0
6頁
9)菅野敦,玉井邦夫,橋本創一編:ダウン症ハンド
あらわすときにダウン症者として用いた。
注2
ブック.日本文化科学社、東京、2
0
0
5年
中核症状および周辺症状
中 核 症 状 に は、記 憶 障 害、見 当 識 障 害、判 断 の 障
1
0)柄澤昭秀,今村理一,本間昭ほか:成人ダウン症
害、言葉や数のような抽象的能力の障害などが上げら
における心身機能の特徴と加齢の影響.臨床精神医
れる。そのほかに、失語、失行、失認などの大脳巣症
学、1
8
(9)
;1
9
8
9年、1
4
1
3−1
4
2
2頁
―7
6―
上平忠一
老年期に達したダウン症候群
京、2
0
0
3年
1
1)柄澤昭秀,今村理一,川島寛司:中年期のダウン
症における心身の健康状態と早期老化傾向.老年精
2
1)高嶋幸男:ダウン症候群とアルツハ イ マ ー 型 痴
呆.発達障害研究、1
2
(1)
;1
9
9
0年、5
0−5
3頁
神医学、8(1
1)
;1
9
9
7年、1
2
0
9−1
2
1
7頁
1
2)加藤進昌、櫻井芳郎:精神薄弱施設におけるダウ
2
2)高野貴子:ダウン症児の健康と医療的支援.発達
障害研究、3
2
(4)
;2
0
1
0年、3
6
2−3
6
9頁
ン症候群患者の動態とその早期老化傾向について.
2
3)玉井邦夫:ダウン症をめぐる家族支援・地域支援
精神医学、2
2
(6)
;1
9
8
0年、6
4
7−6
5
3頁
1
3)加藤進昌,兜
−(財)日本ダウン症協会の活動を通して.発達障
真徳:中高年に達した精神遅滞者
−特にダウン症について.精神科治療学、1(2)
;
1
9
8
6年、2
6
1−2
7
0頁
害研究、3
2
(4)
;2
0
1
0年、3
7
0−3
7
6頁
2
4)融
1
4)川崎葉子:ダウン症候群と痴呆.栗田
神遅滞の精神医学.精神医学レビュー
1
2
9
広編:精
よび行動の障害―臨床記述と診断ガイドライン―.
No.
2
3,ライ
フ・サイエンス、東京、1
9
9
7年、1
0
2−1
0
4頁
道男,中根允文,小見山実:ICD−1
0 精神お
医学書院、東京、1
9
9
3年
2
5)Tyrrell J, Cosgrave M, Mccarron M. : Dementia in people with Down’s syndrome. Int J geriatr Psychia-
1
5)小島道生:青年期・成人期ダウン症者の支援プロ
try ,16
(1
2)
;2
0
0
1、pp.
1
1
6
8−1
1
7
4
グラムの構築に向けた現状と課題.発達障害研究、
3
2
(4)
;2
0
1
0年、3
2
8−3
3
8頁
2
6)上平忠一、竹内美鈴、宮崎まさ江:知的障害者施
1
6)久保永子、久保克彦、南部光彦:ダウン症児の療
設におけるターミナルケアについての評価―第3
5回
育 と 子 育 て 支 援.発 達 障 害 研 究、3
2
(4)
;2
0
1
0年、
関東地区知的障害関係施設職員研究大会「長野 大
3
5
0−3
6
1頁
会」のアンケート調査からの報告―.長野大学紀要、
1
7)Lai F,Williams R : A prospective study of Alzheimer
disease in Down’s syndrome. Arch Neurol,4
6;1
9
8
9年、
2
4
(4)
;2
0
0
3年、5
0
1−5
1
3頁
2
7)上平忠一:ターミナルケアとメンタルヘルス―知
8
4
9−8
5
3頁
1
8)岡本伸彦、巽
的障害者福祉施設におけるターミナルケアの実践に
純子:ダウン症候群児・者のヘル
スケアマネジメント−支援者のためのガイドブック
−.かもがわ出版、京都、2
0
1
0年
関 す る 一 考 察―.長 野 大 学 紀 要、2
9
(3)
;2
0
0
7年、
2
5
5−2
6
4頁
2
8)渡邉貴裕:ダウン症児の保育・教育実践に関する
1
9)桜井芳郎:高齢精神薄弱者および早期老化現象の
実態とその対策.発達障害研究、9(1)
;1
9
8
7年、1
5
−2
7頁
2
0)高 橋 三 郎,大 野
TR
到達と課題.発達障害研究、3
2
(4)
;2
0
1
0年、3
3
9−
3
4
9頁
2
9)横田圭司:アルツハイマー病の事例と支援.菅野
裕,染 矢 俊 幸(訳)
:DSM−Ⅳ−
精神疾患の分類と診断の手引き.医学書院、東
―7
7―
敦、池田由紀江編:ダウン症者の豊な生活.福村出
版,東京,1
9
8
8年、1
1
4−1
2
4頁.
長野大学紀要
第3
3巻第2・3号合併号 7
9―8
3頁(1
3
1―1
3
5頁)2
0
1
2
関係性に支えられた〈地域の交流分析教室〉からの取り組みについて
〜もっと
生きやすい
あたらしい自分へ〜
A Message from a Small Classroom of Transactional Analysis
in a Community Structured by the Warm Relationships
:To Be a New Self to Live with Peaceful Minds
大
江
亜紀子*
Akiko OOE
を多く持つ論である。心理学を学ぶサークルや教
1.はじめに
室などの集団は国内でもあちこちにみられてお
筆者が職業の傍ら在住地域の2会場で私設の交
り、そのなかには交流分析理論の一般普及を図る
流分析教室を主宰し始めたのは2007年3月のこと
活動を行っている個人や団体もいくつか存在して
であり、ボランティアで細く長く継続してきた。
いる。NPO 法人日本交流分析協会(本部:東京
また2011年度には長野大学地域連携センターで
都)もそのひとつである。筆者も指導会員として
『交流分析入門〜新しい自分に向かって』という
所属している。
小講座も担当させていただいた(本稿刊行時には
この講座はすでに終了している)。
筆者と交流分析の出会いは、1990年代半ば当時
に筆者が在住していた地域内で開催された、同協
交流分析は、1950年代半ばにアメリカの精神科
会認定インストラクターの主宰する小教室から始
医 エ リ ッ ク・バ ー ン(Eric Berne,1910−1970)
まった。当時の教室にも、福祉や教育を職業とし
が、精神療法における診断と治療の手法として考
ている人、子育て中の人、あるいは不登校や嫁姑
案した。個人が成長し変化するためのシステマテ
問題など家庭の問題を抱えている人などが老若男
ィックな心理療法でもある。自我状態などのモデ
女さまざまに参加していた。筆者は約10年間その
ルで説明されるパーソナリティー理論という側
教室で学ぶなかで、同協会認定の交流分析士1
面、また、コミュニケーション理論の側面、発達
級、交流分析士インストラクター資格を取得し
理論の側面、また心理ゲームや人生脚本に代表さ
た。
れる精神病理の理論でもあり、個人、人間関係お
本論においては2007年から筆者が主宰してきた
よびコミュニケーションの理解を必要とするどの
領域でも活用することができるといわれている。!
教室における考え方や今後の展望、課題などにつ
このような特性をもつ交流分析理論は、たとえば
て交流分析理論がめざす〈人生脚本の書き換え〉
心理学や精神医学などについての専門家である、
など参加者の自己変容への効果、またインフォー
あるいは研究をしているなどといったアイデンテ
マルグループのひとつとしてのこのような地域内
ィティを特に持たぬ一般市民にとって、日常の生
の学習機会開催の意義について試論を行う。
いて紹介するとともに、生活のなかでの実践とし
活における身近な例を考え実践しやすい簡潔な面
*社会福祉学部実習助手
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長野大学紀要
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2.交流分析について、および筆者の開催
している教室場面について
ることを目指す。その試みを通して、生きる力を
取り戻していく変化へとつながる。
筆者は、ひとつの専門理論により状況を理解し
筆者が現在主宰する2教室(長野大学地域連携
たりあるいは分析するだけではなく、その知識を
センター講座は除く)は、最低2ヶ月に1回、受
「身近な生活に結びつけ、生かす」ことに価値が
講生とインストラクターである筆者の都合を合わ
あると考えてきた。そこで、主宰する教室、およ
せ不定期に運営している(2008年〜2009年には2
び日常生活でも学んだ理論をもとにした実践を可
名に対し郵送による 通信講座
能な限り意識しながら過ごしてきていた。
も行った)
。ま
た、メールや郵送による個別質問などにも応じて
実践においていえることは、課題を抱える人間
いる。会場や資料、お茶菓子にかかる費用のみの
ひとりひとりがそれを自主的に行わなくては意味
集金を行う。
をなさないということである。自分の意志で自分
受講の登録者は2教室合わせて20代から80代の
のために行動を起こすことにより、それまで紙の
合計18名(女性15人男性3人)で職業は会社員、
上にあるだけであった理論がまさしく「生活に根
社会福祉や教育関係現場の勤務者、主婦、定年退
ざした存在感」の光を放ち、実在する人間のため
職者などである。毎回欠かさず出席する人から出
の存在になる。筆者は主宰してきた小さな交流分
席率4割程度の人までばらつきがあり、1教室の
析の教室において、受講生である参加者ひとりひ
毎回の構成人数は平均6人前後のことが多い。
とりにこの効用がそれぞれのかたちでじわじわ
交流分析理論は①構造分析、②機能分析、③対
と、あるいは唐突にもたらされる感激や驚きに近
話分析、④人生態度、⑤時 間 の 構 造化、⑥心 理
づけるという目標と希望、そして確信を持ちなが
ゲーム、⑦人生脚本、という7つのジャンルに大
ら運営してきた。その結果、教室の場面を経て生
きく分けられる(各々についての詳細は本稿では
活の場面で実際に実践を重ね「日常会話のやりと
割愛する)。そして交流分析理論全体は「人は誰
りの小さなところに変化が出てきた」
「教室で話
でもその存在を OK とする」
「誰もが自ら考える
していたことを試してみて、微々たる変化があっ
能力を持つ」「人は自分の運命を決められ、その
た」という声は継続して受講生から出ている(教
決定は自ら変えることができる」という哲学が基
室の実際の内容の詳細については今回は割愛し別
本となっており、実践のゴールとして「主体的な
稿に譲る)。
人生を自ら選び生きる人間になること」
「そのた
めに人間がみずから変わろうとする力、人間が基
3.教室の開催による目標や効果について
交流分析の7つのジャンルのひとつに〈人生脚
本的に善い存在であるという考えを持って実践し
本〉がある。これは、幼い頃の親あるいは親的な
ていくこと」などの考え方を柱とする。
交流分析は上記の柱となる考えをもとに「人間
存在から影響されることから自ら形成する人生へ
には〈考える力〉がある」ことを前提にした実践
の構えのひとつであり、
「どうせ」という後ろ向
をめざす理論でもある。ゆえに、この理論を学ぶ
きな感覚で作られてしまうようなものに代表され
ことを通し、心理的・社会的な課題を抱えた人間
る(十数個のカテゴリーに分類されている)
。ひ
みずからがその状況に気づき、改善に向けて考え
とは自分にとって不愉快なことを改善する努力を
実践していけるようになることが期待される。ま
するよりも、無理な変化をせずにそのままでいる
たそれによって、この理論の価値や存在意義が確
ほうが楽であり、自らの描いた人生脚本に自分だ
証されることにもなる。たとえば交流分析理論の
けそこにいつまでもはまり、無意識に同じ予想さ
ひとつである〈対話分析〉は、この人間の持つ
れる動きを繰り返す傾向を持つことがある。不平
〈考える力〉を用いて、日常の会話のやりとりを
不満を抱えつつも、変化しないほうが楽であると
検証しその分析を行うことから、会話のなかで自
無意識に念じるような面を持つ生き物でもあるの
分にふさわしい受身の取り方、あるいは相手への
である(交流分析ではこれについて変化の可能性
発信の仕方を再考し、意識してその構造を改善す
の否定(値引き)という用語でも説明がされてい
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大江亜紀子
関係性に支えられた〈地域の交流分析教室〉からの取り組みについて
る)。
1
3
3
いう意志」を持っていることが多い。それらへの
たとえば日常生活で親子間に行われる何気ない
探究心、うまくいかない要因を知る新たな手立て
会話に「少しひっかかる感じ」などを持つ場面に
を、強い意志を持って求めるがゆえにこのような
ついて考えてみる。
「親子」という一定の関係の
学びの機会に惹かれ、集まった人々でもある。ゆ
もと、きちんと受け止められないままで終わるこ
えに、このような傾向を持つ人々が一堂に会し、
とも多いなか、互いの「小さなフラストレーショ
教室の流れのなかで自分自身について深くさぐり
ンのようなもの」がたまるが、それに言及するこ
を入れ、そこから生じた思わぬ気づきにきつさを
ともなく、あるいはそれがたまったことにも気が
感じることがあるとしても、その場面は決して孤
つかず互いの関係のなかになんとなくぎくしゃく
独ではないのである。これは、教室場面において
した感じが残され、それが子どもの人間形成に少
重要である。
しずつであるが確かな痕跡を残す場合がある。人
各々抱えた状況は違うとしても、この学びを通
生脚本はこのような場面を例に、さまざまな人間
して変化を求めたいとする
どうしのやりとりを例にして説明される。人生脚
いる。そこで得た気づきが仮に自らにとって「き
本はじわじわと鈍く、しかし深い影響をひとに与
つさを感じる」ものであったとしても、まずはと
え続ける。その継続により、まるで低温やけどの
もに学ぶ仲間が、同じ傾向にある参加動機、そし
ように思わぬ重篤な結果をもたらすことにもなり
てその場に自然につちかわれてきた関係性を支え
える。そこには、状況に対する「気づき」がない
に共感的に共有し、そして多くの場合に「よくそ
ことが大きく影響し、意識的に、あるいは無意識
こまで学び、自分自身を見つけることが出来た」
に「うまくいこうとすると、すんでのところでう
ということに共感性の高い言語的あるいは非言語
まくいかせられなくなってしまう」というよう
的な、そして肯定的なメッセージをもたらしてく
な、その人の人生の癖ともいうべき行動パターン
れることも多いのである(交流分析の用語でいえ
ができあがってしまう。これについては、いくつ
ば『肯定的ストロークがもらえる』)。これはなか
もの例で説明がなされる。
なか日常の生活のなかでの場面や、あるいは独学
仲間
がその場所に
交流分析ではこの人生脚本を反古にすること、
での気づきでは得にくいものである。しかし、あ
すなわち書き換えることをその実践目標のひとつ
えていわば人工的に設定し作り上げた教室の場面
にし、そのための実践をストローク理論などで展
には、複数の目やさまざまな感性がひとつの場を
開している。そして筆者は、この実践が教室の開
共有し、個々に対する客観性を持ちそれを指摘す
催そのものからも可能であるということを仮定し
る道筋があり、それが独学での場面では得られな
つつ、教室の運営や毎回のインストラクション内
い展開をもたらす。
容を考えて実行してきている。
筆者は複数の人間によって作り上げられた、こ
上に「気づき」がないということについて書い
の小教室の場においてのこのメリットを重視して
たが「気づきを得る」のはなかなか難しいもので
いる。このような理論の学びと自己反省、そして
ある。心理学あるいは心理療法やカウンセリング
実践を複数の人間で共有する場を設定することに
関連の書物でもしばしばみられるのがこの文言で
より大きな効果があることを、インストラクター
あるが、人間は「気づき」を得ることに抵抗をお
である筆者は受講生に感じていただけるようにつ
ぼえる存在でもある。つまり自分にとって辛い真
とめている。かつて筆者が小教室での受講生側で
実、しかもほかならぬ自分自身に関してのそれを
あった際に学ぶことができたのは、そのような
つきつけられることは大変きついことであるゆえ
「複数で作り上げた場」による学びのなかから生
に、多くの人間はそれを無意識のうちにおしや
まれるものについての大きさや重さであった。目
り、自分自身を見つめなおすということを避ける
標を持って「作り上げた場」は人工空間であるの
傾向のある存在なのである。
だが、そこから自然な理解や実践などにつながる
教室に集まる人々は、どこかに共通ともいえる
糸口が見つけられるのである。これは、その体験
「きつさを感じる記憶」や「それを克服したいと
を経てさまざまな学びを仲間とともに深めること
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ができた体験を持つ筆者が、同じような場をこん
インストラクターだけではなく、参加者の発言が
どは自分から身近な地域内に作り上げてみようと
大きく促進される場面が多く存在する。筆者はイ
いう動機となった。
ンストラクション計画として、この「時間をかけ
このような場を開催することそのものが自体ひ
る」「発言を促進するファシリテートの要素を取
とつのワークであり、交流分析の目標である「人
り入れる」という効用を重視し、受講生のなかに
生脚本の書き換え」
「自己肯定感の向上=人間を
多く話をしたい人がいる場合にはその時間も教室
よきものとしてみること」
「親交・親密の時間を
場面の流れの中で可能な限り確保してきた。この
もつこと」などに、参加する受講生が自ら自然に
ことにより受講生には「自分の話したいことを話
自らをつなぐ姿勢を持つきっかけになると思われ
し、それを聴いてもらえ、それに関して交流分析
る。今後もこの目的は大切にしていく所存であ
ではどう考えたらいいかについて相互にアドバイ
る。
スしあうことを通し自ら方向性を出すことができ
た」という感覚を持つ人もいる。あたかも教室場
4.考察
面がカウンセリングの場面のようになることも実
交流分析に関する印刷テキスト類は数多くあ
際にある。これは独学などでは出来にくいことで
り、一日か二日かけて簡潔なテキストを熟読すれ
あろう。そしてこれが、この教室が細くとも長く
ば、ひととおりの理論に関して大筋の理解は可能
続いているひとつの根拠となっていると思われ
かもしれない。そのくらいの日数で基本理論をさ
る。学んでいく場面においては、時に学習者自分
らうような研修の場も実際に存在する。しかし筆
自身の真実をつきつけられて戸惑う場面などもあ
者は、主宰する教室でまずそれを「入門」として
る。しかし、それを支える長年何回か場を重ねて
ひととおり1年間(10回前後)以上かけて学習し
形成された関係性を確実にかつタイトすぎずに保
たのち、繰り返してひとつずつの理論に関する
つ雰囲気と、確実に話し合いの出来る場を作って
テーマを毎回の教室で決め、長い時間(現行の教
きたことで、学習効果を実感していると筆者は考
室では『入門』後すでに4年近く)をかけて扱っ
えている。
てきている。市販のテキストは参照資料として紹
この教室では、交流分析という理論を日常生活
介はするがテキストとしては使用せず、毎回筆者
を送りながら意識し、それを通して自分自身の課
がプリントを作成し、また他の資料や教材をその
題に「気づく」ということを常に目標にしてき
都度調達している。
た。自分自身への気づきを得、そこからの自らの
その理由としては以下のようなものがある。ま
変化への努力を意識していくことができるように
ず、通り一遍の知識としてのものではなく、日々
なることは、生活の中でも大きな支柱となる。理
の連綿とした生活の場面との関連と生活の具体的
論の存在意義がそこから生きてくるのである。
な場面とのつながりに参加者自らが気づき、密接
関心を持つ者同士で集まり、複数で話し合い共
な応用を意識して学んでいくという目的を持って
有することでは新たな発見がある。しかもそれを
いることである。また、この教室の存在そのもの
「自ら」行うことの意義は大きい。そこには、参
を参加者のさまざまな課題に対する治療過程とと
加の強制のない場に自主的に参加するなかで関係
らえ、何よりも自分と、自分の身近の大切な人や
性が形成されている仲間どうしのなかで、ことば
気になる人についてじっくりと考える過程のひと
を使って交流しあうということが大切な軸になっ
つとなることを期待するからである。また、回を
ている。このような場を通し、生きる力を具体的
重ねて参加者と多く接し実際の意見を聞くごと
に、身近なささいなことから取り戻していく実践
に、その効果と、身近な事例の扱いへの必要性へ
が、多くの人に比較的容易に出来るのは、交流分
の確信が強まっているからである。
析を地域の小規模な集団で学ぶ場を維持していく
時間をかけて長く学習を重ねた教室では、おの
メリットである。複数の関心を持つ者の集まりと
ずと何回か繰り返して出る交流分析用語やそれに
日常の何気ない会話から、それぞれが新しい生き
まつわる事例がいくつも存在する。それについて
方を模索していくことが可能である。
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大江亜紀子
関係性に支えられた〈地域の交流分析教室〉からの取り組みについて
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5
この実践の側面を知り、少しずつ協力をしあい
とすらあることを、私たちは心のどこかにつきつ
ながら、素朴で豊かな社会を作りあっていくこと
けられてしまっている。さまざまな人生経験を積
は継続的に実践できると考える。理論と実践の研
んだ仲間が集まるこの教室について今言えるのは
究はこのために行われるべきことである。筆者
〈今、ここ〉についての充実ということだけであ
は、さまざまなバックグラウンドを持つ老若男女
るかもしれない。それでも筆者はこれからも、こ
の学習者とすすんで機会を作って接し続ける体験
のような関係性に支えられた集合体の場面を、状
を通し、その考えを新たにしている。
況の許す限り地域の中で、無理のないかたちで
作っていこうと思っている。それはほかならぬ
5.おわりに
〈今、ここ〉のためかもしれない。
この教室は今後も、受講生およびインストラク
交流分析理論の存在の目標のひとつ「人生脚本
ターのライフスタイルに合わせながら適時開催を
の書き換え」達成への糸口がいつの間に出来てい
していく方向である。この教室は学びという軸を
るという意識を持ち〈今、ここ〉にあるその場を
通し、日常生活のなかの場でありながら、小さな
大切にしていきたいと思う。そこから「心から満
非日常の場をあえてそこに〈つくる〉ことで、日
足して自然に生活していける場」が各々のなか
常生活の場への気づきを促進する場である。受講
に、自然にすっとのびていくことが大切ではない
生もインストラクターも、この教室の場を一歩外
かと考える。
に出ればそれぞれの職業や生活のバックグラウン
筆者は今後も地域のなかで、さまざまな要因に
ドを持つ一介の市民である。しかしどこかに共通
よる〈生き辛い場面を持つ人々〉に寄り添い、素
のひっかかりのようなものを持つことを通し「交
朴に生きることについてともに考え実践していく
流分析」「心理学」「学び」といったキーワードに
活動目標を持っている。今後も可能な限りその探
惹かれた縁をもとに関係性を得、時間を共有する
求と実践を深めていく所存である。
ことで学びを深めてきた。
もうすぐ6年目に入るグループは現在およそ2
ヶ月に1回の教室開催となっているが、グループ
引用文献
!
イアン・スチュアート、ヴァン・ジョインズ
深
内ではすっかり共通言語となった〈FC〉や〈人
澤道子監訳 『TA TODAY』 実務教育出版 1
9
9
1
生脚本〉〈心理ゲーム〉などの交流分析用語が自
pp.
4
然に混じった会話をかわしながらまさしく暮らし
の中から抜け出してのひとときを楽しむ雰囲気を
参照文献
持つ。前回からの間にたまった鬱憤をそこで晴ら
イアン・スチュアート、ヴァン・ジョインズ
白井幸
子、繁田千恵監訳 『交流分析による人格適応論』
し、発見が出来たと言って帰宅していく参加者も
誠信書房 2
0
0
7
いる。
2011年の春に突然起きた東日本大震災で、未来
にはまさしく一寸先の保障もないことを私たちは
思い知らされてしまった。
「明日できることは今
日やらない」道を選択したことで一生後悔するこ
野間和子 「医療領域における交流分析の活用」
『現代
のエスプリ5
0
6 PP.
1
6
2−1
6
9』2
0
0
9
深澤道子監修 『TA ベイシックス』 日本 TA 協会刊
2
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<2010年度長野大学研究助成金による研究報告>
(準備研究)
起業家のコンピテンシー論から見た曖昧な業務に
対応する職務能力の解明
河
野
良
治*
Ryoji KONO
ミル社の協力でネット調査を行った。調査対象者
研究実績の概要
は、日本国内の30歳代・40歳代の男性、10名程度
研究目的
の従業員を抱える中小企業経営者、6名程度の部
非正規従業員の管理職も存在する今日の経営に
下を抱える係長クラス、役職の無い正規従業員、
おいて、トップ、ミドル、ロアーという階層が持
派遣社員を除く非正規従業員それぞれ1
03名(合
つ意味は薄れてきた。むしろ、問題解決や曖昧な
計412名)から回答を得た。その結果として、グ
職務に対応するか否かがより重要な意味を持つよ
ラフ1に示されるとおり、学生時代に価値観の変
うになったのではなかろうか。我々は、最も曖昧
わるような成功体験を経験していない割合は、経
な職務の一つとしてベンチャー企業において中心
営者<管理者<従業員というように高まっている
的な役割を果たす起業家に注目した。起業家に求
ことが分かる。逆に、価値観の変わるような成功
められるコンピテンシーによって、経営者、管理
体験を繰り返し経験した割合は、従業員<管理者
職、正規従業員、非正規従業員に対するネット調
<経営者というように高まっている。グラフ2
査で評価し、曖昧性が高い仕事に対応する職務能
は、卒業の後、仕事の中で価値観の変わるような
力を明確にしたい。経営者に求められる能力を探
成功体験をしているかという問いへの回答を示し
求するアプローチとして、キャリアの発展として
たものである。非正規授業員において学校を卒業
とらえることもできよう。その際に有用な示唆を
の後、仕事において経験した成功体験が少ないこ
与えてくれる研究として、「一皮むける経験」(金
とは当然であろうが、過半数の経営者が成功を体
井、2001)がある。移動や配置転換、ワンランク
験していることは偶然では無いであろう。
責任の重い業務、困難な業務、このような仕事を
このネット調査とは別に、起業家に対する調査
こなすことがその後の良好なキャリア開発につな
を二度(第一調査2009年9月と第二調査2010年9
がると指摘する。注意すべきなのは、ストレスが
月)実施している。調査対象は、2000年以降新興
諸刃の剣であり、過大なストレスによるメンタル
市場に上場した企業、調査時点でグリーンレーベ
ヘルスの問題が耳目を集めている点である。どの
ルに登録している企業、アントレプレナーオブザ
ような資質を持った経営者が、時にストレスを生
イヤーと中小企業創業国民フォーラムそれぞれに
かして成長し、過大なストレスに処するのだろう
2000年以降ノミネートされた企業、合計約9
00社
か。
に質問票を郵送してアンケート調査を行った。こ
具体的な調査について
の二回の調査で共通した傾向として、多くの起業
こうした問題意識から、2010年の8月にマクロ
家が価値観の変わるような成功体験を経験してい
*企業情報学部准教授
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ることが明らかとなった。また、ネット調査の結
こうした状況に対応しうる人材を育成するための
果と比較すると、起業家は中小企業の経営者より
現代の課題を指摘した。また、高い自己確信を
もそれぞれの段階で、1.
5倍程度の割合で繰り返
持った人材は、リスクの高い仕事にも挑戦しなが
して成功体験を経験していることが分かった。ち
ら自らの能力を高めることのできる可能性が高
なみに、中小企業経営者の起業後の成功体験につ
く、employability の基盤になる能力としても位置
いては、1回経験している割合が13.
6%、複数回
づけることができよう。こうした研究によって、
経験している割合が28.
2%であった。
経営者能力論の発展に貢献するとともに、人材育
イノベーションを目指す人材には、非常に大き
なリスクが伴うと予想されるが、経営者を含めて
成や若者の employability についても視野に入れ
て研究を進めていきたい。
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(準備研究)
3次元光反射モデルと画像計測に基づいた
人間の肌の表面状態推定
田
中
法
博*
Norihiro TANAKA
状態(光沢、色、肌の粗さ等)の空間分布も含め
研究実績の概要
て実際の人間の肌を定量的に記録し3DCG 再現
【本研究の目的と概要】
できた。本研究では1)表面下散乱モデルを簡略
人間の肌の表面では複雑な反射が生じており、
化して計測データからモデルパラメータが簡便に
その反射の特性を知ることは難しい。こういった
推定できる肌専用の光反射モデルを開発した。
肌の反射特性が定量化できれば、様々な色彩分野
2)従来の RGB カラー情報ではなく分光情報に
への応用が期待できるのでその有用性は高い。た
基づいた光反射モデルを開発したことで照明光条
とえば、人間の肌を3DCG 等で精密に色再現す
件やカメラ特性に依存しない記録と CG 再現が可
る場合には、高精度な光反射モデルとモデルパラ
能となった。3)肌の光反射専用の計測系を開発
メータが構築できれば精密な人間をレンダリング
し肌表面の粗さ(キメ)を推定する手法を開発し
可能となる。肌の反射特性を定量化する上で最も
た。このことから従来では難しかった画像計測
有効な手法は、計測データに基づいてモデルやモ
データから肌の粗さが推定できた。
デルパラメータを決定することであるが、モデル
これまで計測データから実在の人間の顔全体と
の性能が高くてもモデルそのものが複雑すぎては
いった広い範囲に対して表面状態や分光反射率を
安定してモデルを決定できない。また、人の肌は
高精 度 に 計 測 し、3DCG 再 現 で き る 手 法 は な
不均質な表面であるため定点による計測ができな
い。このとき映画やゲームの分野では人間の肌の
い。こういった問題点を解決するために本研究で
CG 生成技術は著しく発達しており「人間の肌を
は、簡易で、さらに正確な色再現ができるよう
リアルに3DCG 生成」できるが、実在する人間
に、また計測機器や光源に影響されないように分
を対象とした場合、その再現精度は CG を制作す
光情報に基づいたモデルを構築する。実際の人間
る CG デザイナや技術スタッフの主観や経験・技
の顔の形状計測と、カメラ画像から人間の肌の分
量に依存するため、客観的なデータ(物理的根拠
光反射率を推定する手法を開発する。そして提案
に基づいた肌の色や表面状態の定量的表現)とし
した光反射モデルと推定した分光反射率から人間
ては十分とは言えない。
の肌の3DCG 再現を行う。
本研究の研究成果で重要なポイントは計測デー
タからパラメータが決定できる肌専用の光反射モ
【本研究の成果・意義・重要性】
デルと計測系を開発できたことである。また、実
人間の肌の情報を記録できる光反射モデルと計
際の人物の顔全体のような広い範囲の人間の肌の
測系を構築したことで、画像データから肌の表面
質感(表面状態)を計測値から客観的な数値デー
*企業情報学部教授
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タとして定量的に推定できたことである。そして
量化するための一つの手掛かりとなりえる。
これらの情報をもとに自由な観測条件・シーン照
次に画像解析技術開発に関しても本研究は大き
明環境 下 で 人 間 を3DCG 再 現 で き る こ と で あ
な意義を持つ。肌の画像解析技術の精度向上や獲
る。これらの基本要素は美容面や医療面で有益と
得できる情報量の向上は、肌に関連した美容面と
なるための、より高次な肌の表面状態推定の足が
医療面における応用範囲は計り知れない。さらに
かりとなる。また、肌と関連して化粧品開発と
反射モデルに基づいた肌の画像解析手法の開発に
いった産業面での応用、さらには皮膚から見える
より、従来では定量化されなかった人の肌の表面
疾患や怪我の分析・治療といった医療面での重要
状態が明らかになるというだけでなく、これまで
な技術的プラットフォームとなり得る。
推定が困難であった肌以外の複雑な反射特性を持
本研究の意義で重要なものとして、まず挙げる
つ物体に対しての画像解析を行うための効果的な
ことができるのは本研究で開発する高精度な肌の
手法の一つを提案できることである。このことは
光反射モデルが様々な分野の技術的基盤となり得
コンピュータビジョン分野の基礎研究としても大
ることである。たとえば、コンピュータグラフィ
きな意義を持つことを意味する。
ックス分野においては、人間の CG 生成の品質向
本 年 度、独 立 行 政 法 人
科学技術振興機構
上が可能となり、コンピュータビジョン分野で
(JST)の研究成果最適展開支援プログラム(A-
は、人間の肌の認識や分析の精度向上に貢献がで
STEP)の FS タイプに採択されたが、これには本
きる。また、色彩学の分野においては肌の色彩解
研究の成果が活かされている。
析は重要なテーマであり、その肌の色や状態を定
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(準備研究)
明代後半期におけるマンチュリアの社会変動と統治機構の検討
塚
瀬
進*
Susumu TSUKASE
は今後の課題として残っている。
研究実績の概要
以上のような研究整理、史料整理をすすめた結
本年度は昨年度におこなった明代前期のマンチ
果、明朝はマンチュリアをめぐる軍事的緊張に対
ュリアにおける社会変動と統治機構の関係を引き
応するため、巨額の軍資金(銀)をマンチュリア
継ぎ、明代後期における社会変動と統治機構の変
に投入したため、とくに遼東は経済的な活況下に
遷について検討した。
あった。明朝の投入した銀を、ヌルハチら女真は
明代後半、16世紀後半の中国では商品経済の発
馬市を利用して吸い上げ、自己勢力の拡大に使っ
展、銀流通の増大、都市化の進展など、大きな社
ていた。また遼東、遼西に配備された明軍将兵
会変動が生じていたことは、これまでの研究でも
も、投入された銀を私的に着服して発財をはかっ
指摘されている。こうした中国全体の社会変動と
ていたことを確認した。
マンチュリアの社会変動とには、どのような関
一方、遼東統治の根幹であった衛所制度は崩壊
係、その様相の違いがあったのかについて検討を
しつつあり、衛所制度が持っていた兵士供給、兵
おこなった。
士の自活という側面はほぼ失われていた。それゆ
本年度はこれまでの研究論文の収集、消化をお
え明朝は派遣していた軍人らに対して衛所制度に
こなった。明代後期をあつかった研究は多く、こ
頼らず、自分たちで軍隊を維持する方向を求め
れらの成果の吸収に多くの時間を費やすことに
た。明朝中央と遼東の関係は微妙なものとなり、
なった。日本国内の図書館だけでは不十分なの
ヌルハチら女真の脅威が増すほどに、明朝は遼東
で、別件で受給した科研により訪中した際、吉林
将兵の独自性を認めるという状況となった。明朝
大学図書館、東北師範大学図書館、吉林省社会科
中央にとっては、遼東の軍事力は強化しなければ
学院で文献収集をおこなった。そのため、中国で
ならないが、あまりに強大になりすぎ、中央の命
出された研究論文についても、かなり収集するこ
令に従わなくなるのは避けたいという、その関係
とができた。宣徳年間(1426〜1435年)から嘉靖
性に慎重さが求められていた。また遼東辺墻を境
年間(1522〜1566年)までの、研究史の整理はほ
として、羈縻衛所制により松花江・黒龍江流域の
ぼ終了した。こうした研究論文の収集・整理と並
集団と関係を持っていたが、この制度も明朝の衰
行して、基本史料の確認、整理をすすめた。宣徳
退により、うまく機能しなくなった。
年間(1426〜1435年)から嘉靖年間(1522〜1566
明朝は新たな統治方式の確立に苦慮していた
年)までの「明実録」「李朝実録」に掲載されて
が、ヌルハチら女真は馬市を最大限に活用して、
いるマンチュリア関係の記事を集める作業はほぼ
明朝が投じた巨額の軍資金を吸収して、軍事力の
終了した。しかし「地方志」、各種文集について
強化をはかっていた。ヌルハチはより多くの馬市
*環境ツーリズム学部教授
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長野大学紀要
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交易をおこなうため、明朝が女真に発行した勅書
ら、ヌルハチが台頭した万暦年間以降の研究整
を略奪的に入手した。そして、より強大化をすす
理、史料検討を終えることはできなかった。とく
めたが、正面から明朝と敵対することは避けた。
に史料検討では基本史料である『満文老档』が手
それは明朝の財、富を吸収することによって、ヌ
元にないため、十分な考察ができなかった。
『満
ルハチは強大化していたからであった。とはい
文老档』など万暦年間以降の事実検討は2011年度
え、明朝の衰退と女真集団の増強を見たヌルハチ
の課題として持ちこされた。
は、17世紀初頭に明朝と交戦状態に入った。
万暦年間〜明朝滅亡までの期間の考察が十分に
遼陽、瀋陽を占領して遼東を支配下に置いたヌ
できなかったため、研究課題を論文化することは
ルハチは、はじめて多数の漢人、広大な農業社会
できなかった。2011年度は考察を終え、論文化し
と向き合った。ヌルハチは漢人との共存を試みた
たいと考えている。
が失敗し、次のホンタイジは分治政策をとった。
以後、旗人と民人を分治する政策を清朝は続け
研究発表
1.塚瀬進「戦前、戦後におけるマンチュリア史
た。
以上の見解は必ずしも今回の研究により、明ら
かになった事実ではないが、これまでの研究成果
を確認した意義はあると考える。時間的な関係か
―9
0―
研究の成果と問題点」『長野大学紀要』、第32巻
第3号、2011、pp.
39‐70
長野大学紀要
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(準備研究)
長野県上田小県地方の青年団運動と信濃黎明会・
上田自由大学との関係
長
島
伸
一*
Shinichi NAGASHIMA
べると極めて特殊な存在であった。それゆえに、
研究実績の概要
戦後は、他の3人がそれぞれ持ち味を生かしなが
長野県上田小県地方における青年の政治的・文
ら新たな時代を雄弁に語り、その思想に基づいて
化的活動に関する従来の研究では、青年団が発行
行動したのとは対照的に、むしろ沈黙を守らざる
した村の新聞「時報」
、信濃黎明会の政治運動、
を得なかった。
信濃(上田)自由大学の学習運動という3つの研
ここでは、紙幅も限られており、また山越脩蔵
究が、ほとんどその関連を問われないままに、そ
と猪坂直一についてはこれまでにも他の研究者に
れぞれ個別研究として行われてきた。最も蓄積の
よって言及されることが多かったという事情に鑑
ある上田自由大学研究においても、信濃黎明会と
み、4人のうちで最も若く従来あまり検討の俎上
「時報」に言及する論文は稀であって、三者の密
に乗ることのなかった堀込義雄の思想と行動に焦
接な関連を踏まえた研究はほとんど見当たらな
点を絞って報告する。
い。
堀込は1897(明治30)年に神川村の蒼久保に生
そこで本研究では、上田自由大学を受講した4
まれた。旧制上田中学を卒業後、神川小、依田小
名の農村青年、すなわち、山越脩蔵、猪坂直一、
の教壇に立ち、佐久の二校で校長を歴任してい
宮下周、堀込義雄の4名を対象にして、上記三者
る。大正デモクラシー期には小県郡連合青年団幹
の関連を明らかにしようと試みた。具体的には、
事や神川村青年会長などを務め、青年団活動に深
彼らの青年時代の「時報」における発言と、自由
く関わった経験をもっている。戦後は、神川村長
大学受講後の15年戦争期に、また戦後の民主化の
を二期、県会議員と上田市長を一期ずつ務めた
時期に執筆された「時報」記事や単独論文・著作
後、再び県会議員を歴任するなど地域の暮らしと
における考察を追跡することによって、彼らがど
文化の振興に意を注いでいる。
のように学びの成果を深め、地域社会の改造への
貢献を果たしたのかを明らかにしようとした。
他の3人とは異なり信濃黎明会には参加しな
かったが、信濃自由大学と上田自由大学には深く
4人のうち宮下周はいわば異質の存在といえ
関わり、特に後者では、宮下周とともに発起人に
る。彼は15年戦争期に、長野県が取り組んだ満蒙
名を連ね、2年間で4回開講されたすべての講義
開拓や農村更正運動に対して、浦里村長として積
を受講している。時報「神川」には頻繁に投稿し
極的にそれを進め、日中戦争を境に村内の戦時動
ており、それによって青年期の堀込の思想を垣間
員体制を組織してその要の位置に就いている。他
見ることができる。彼は、1925(大正14)年11月
の3人が同じ時期に沈黙を余儀なくされたのに較
に「神川」紙上で以下のように述べているが、そ
*環境ツーリズム学部教授
―9
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長野大学紀要
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れは戦後に村長としてその任務を全うする際の行
策委員会」を結成して委員長に選出された。神川
動基準とも見なしうる発言である。
上流での硫黄採掘に対する反対運動は、堀込に
「何の思索も批判もなしに、そのまま環境に盲
とって、流域住民の安全な飲料水と農業用水とを
従し現状に甘んじ之に執着していく他動的の態度
守るためのいわば当然の運動であった。先の引用
を私は理想なき生活と言いたい。其処には思索が
でいえば「自覚なき生活」を脱却し、意識的に地
ないから目的もない。批判がないから反省もあり
域の暮らしを守るための「団結」を促しながら、
得ない。だから自覚なき生活である。……理想
運動の最前線に立って闘うということになる。
は、思弁的な人間の働きの所産ではあるが、この
もちろん、採掘企業に対する公害反対運動に
思弁的な理念の世界と現実の世界とを統一した上
は、しなやかで粘り強い精神が求められる。運動
に立てられたものでなくてはならない。……私達
方針を決定し、水質調査を実施し、陳情のために
は現実を通して理想を見、理想を抱いて現実を愛
は関係省庁に出向き、反対署名を集め、折にふれ
すべきである。そうしたならば理想回避もなく又
て住民大会を開催するなど、組織的な活動が積み
現実隠遁もない。こうした立場こそ正に真正の道
重ねられたが、それは必ずしも順調に進んだわけ
ではあるまいか」(「神川」第7号)。
ではなかった。それでも、堀込の委員長としての
また、翌年1月の以下のような発言も、戦後に
尽力は無駄には終わらなかった。文字通りの紆余
まで持ち越される堀込の行動の指針をなすものと
曲折を経て、運動開始から1年5ヶ月後の1953年
考えられる。
「今の世の中は……利益主義である
10月に、ついに鉱区禁止地域の指定が官報に公布
から、自分の利益の為には他の人の損失を予想し
され、堀込を委員長とする「菅平鉱毒対策委員
ているのである。自分の成功は他の人の失敗を意
会」は全面勝利を手に入れることになったのであ
味しているのである。自分の立身出世のためには
る。
他の人の落魄困憊を意としないのである。……こ
その後、神川の水を鉱毒から守った村長は、最
の不自然な発達をした今の世の中の組み立てを改
初の県会議員時代には、林虎雄知事の県財政再建
造していくことは当然のことなるのである。……
策に地方自治擁護の立場から反対運動の先頭に立
不合理なる経済組織と不平等なる社会制度とを痛
ち、また、神川村が上田市に合併された後の上田
感する者が団結して進む事によってのみ、我等の
市長時代には、山本鼎記念館や市民会館の建設、
希いは達することができる」(「神川」第8号)
。
工場誘致による雇用創出など、地域に暮らしや文
村長時代の1949(昭和24)年に、先輩にあたる
化を根づかせる活動を続けた。二度目の県会議員
山越脩蔵を団長とする農業開拓団を群馬県嬬恋村
時代には、鉱毒から守った神川の水を活用して、
に派遣して、戦後の混乱期の村の窮状打開に着手
流域の水不足を解消するための菅平ダムの建設に
したことは、上の引用にあるように「環境に盲従
も力を注いでいる。
し現状に甘んじ之に執着していく他動的の態度」
これら戦後の堀込の思想と行動の原点を、若き
をかなぐり捨て、
「不自然な発達をした(その結
日の青年団活動や自由大学の学習運動に求めるこ
果、敗戦を余儀なくされた)今の世の中の組み立
とは、あながち的外れとはいえないであろう。自
て」を「改造」しなければならないという堀込の
由大学研究史の中でかつて問われたことは、自由
決意の現われと見ることができる。また、
「理念
大学での学びを通して身につけた「社会的教養」
の世界と現実の世界とを統一」すべく、
「今の世
を、その後「どう発展させ、どのような人間像を
の中の組み立て」を「改造」する彼のこころざし
うみだしたか」を明らかにするという課題であっ
が文字どおり全面開花したのが、村長二期目の
たが、これまで垣間見てきた堀込の思想と行動
1952(昭和27)年6月に起きた菅平硫黄試掘事件
は、その問いに対する差し当たりの回答と見なし
であった。
うるものであると言ってよい。自由大学の教育理
菅平十ノ原地区で硫黄の試掘が開始されたとの
念の中には、「思想の自由」を前提にした「〔特定
報が届くと、堀込は直ちに神川流域の1市10ヵ村
の〕思想からの自由」が含まれていたが、堀込が
の市村長に呼びかけ、反対のための「菅平鉱毒対
公害反対の住民運動を嚆矢とする戦後の行動の中
―9
2―
長島伸一
長野県上田小県地方の青年団運動と信濃黎明会・上田自由大学との関係
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で最も重視したもの、それは地域の暮らしと文化
付記:本稿は、2010年9月7日の千曲川流域学
に関わる運動が特定の政治団体によって分断され
会の理事会において行った口頭報告「神川の水を
るのを如何にしたら回避できるか、という点で
鉱毒から守った村長──堀込義雄の思想と行動」
あったことも最後に付け加えておきたい。
を基に書き下ろしたものである。
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(準備研究)
社会事業理論史の構築のための基礎的研究Ⅱ
野
口
友紀子*
Yukiko NOGUCHI
方向性をもつことを分析したものである。この分
研究実績の概要
析によって、この時期の社会事業論は科学性と伝
本研究では、大河内の社会事業理論の登場以前
統という相反する視点があったこと、また対象者
の社会事業論をも視野にいれて、社会事業理論の
を限定して捉える議論と普遍的に捉える議論に分
形成過程の歴史を描くことを目的としている。こ
けられることが分かった。大河内理論以外の多様
の研究は昨年度の「地域研究・一般研究」で行っ
な理論の存在が明らかにできた、この論稿をもと
た「社会事業理論史の構築のための基礎的研究」
に2010年度は社会事業理論史の検討、特に大河内
の続きとなる。
理論の登場以前の社会事業理論の状況を深めるこ
大正期以降の社会事業の理論化の流れの中で、
ととした。
とりわけ昭和13年に発表された大河内の社会事業
そして、2010年度は大河内理論登場以前の社会
論の占める位置は大きく、現在の研究者たちにも
事業理論の状況を検討として、学会発表「戦前社
大きな影響を与えている。社会福祉の歴史の分野
会事業論の系譜─大正半ばから昭和初期を中心に
においては大河内の社会事業論の分析枠組みを踏
─」を行い、そこでの議論を踏まえて、
「社会事
襲した研究が多数あり、通史といわれる社会事業
業論の系譜─1914〜1938年 の『社 会 事 業』か ら
史は大きな影響を受けている。
─」を執筆した。ここでは、多様な社会事業論を
しかし、このような事実に対して疑問を持つ議
6つに類型化しそれらの関係性を検討した。社会
論はない。本研究では、従来の社会事業史の分析
事業は慈善事業や社会政策との比較で規定されて
枠組みとなっている大河内理論を多様な社会事業
いるが、このときの社会事業とは公営社会事業で
理論のなかのひとつとして理解し、新たな社会事
あり、私営社会事業は公営社会事業との対比でし
業理論史を構築すること、このことを踏まえて大
か述べられてこなかった。この公営社会事業を中
河内理論の分析枠組み以外から新たな社会事業史
心にした社会事業論が、社会事業の成立期といわ
を描くことを主眼としている。
れる大正期半ばから大河内の社会事業論の登場す
このことは、従来の社会事業史とは全く異なる
る昭和13年までの間にどのように変化し、また6
歴史を描くことになる。その第一歩として、2009
つの議論がどのようなつながりをもつのかを分析
年度に「社会事業理論の4類型と方向性─1938〜
した。このことによって、この時期の社会事業論
1945年の『社会事業』から─」(日本社会福祉学
が多様であり、社会事業論の分析が公営社会事業
会『社 会 福 祉 学』50−4(査 読 付 き)
)を 著 し
に偏っていたこと、それぞれの多様な議論が影響
た。これは、大河内の社会事業論と同時期の他の
を与え合っていたことが分かった。
理論を4つに類型化し、それら4つがそれぞれの
*社会福祉学部准教授
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今年度の成果を踏まえて、
『社会事業成立期の
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研究』として、学位論文に加え、昨年度に執筆し
事業に対する見方に過ぎないことを明らかにして
た論稿と今年度の執筆した論文を挿入してまとめ
いる。
直した(平成23年7月刊行)。本著は、社会事業
の成立過程と社会事業理論の成立過程の両面を視
研究発表
野にいれた社会事業成立期の歴史を描いたもので
学会発表
ある。社会事業に対する認識と再編を繰り返しな
1.野口友紀子「戦前社会事業論の系譜―大正半
がら社会事業の実態と社会事業理論が構築されて
ばから昭和初期を中心に」日本社会福祉学会第
いくことを示したもので、従来の社会経済的背景
58回全国大会、2010年10月10日、日本福祉大学
から社会問題が生じて、その社会問題の解決策と
書籍刊行
して社会事業が成立していく、という描かれ方と
1.野口友紀子『社会事業成立史の研究』
、ミネ
は異なる歴史となっている。このように描くこと
によって、大河内理論もある時代のひとつの社会
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ルヴァ書房、2011年7月
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(準備研究)
インターネットをベースにする中国語教育システムの
より一層の効果的な実用化を目指して
ビラール
イリヤス*
Bilal ILYAS
帯している機器でも学習できる学習システムの研
研究実績の概要
究開発も必要となってきている。
この研究の目的は、時代に相応しい学習環境を
構築することによって、大学や地域の学習者に豊
学習教材の改善では、昨年度主に中国語の語彙
富な学習教材を提供し、学習効果を高めると同時
を一層合理的に、効率的に学習できる新しい教材
に大学の教育効果をアピールし、大学の知名度を
システムの研究開発を行った。結論的に言うと、
上げることである。
中国語の単語や語彙をマスターする際に、学習難
易度の 問 題 は 基 本 的 に は「正 確 に 聞 き 取 れ る
長野大学では、教育現場にすでに中国語 CALL
か」、「正しく読めるか」、「正しく書けるか」、「正
教育システムを導入している。長野大学の現行の
しく使えるか」という四点に帰着される。単語を
中 国 語 CALL 教 材 シ ス テ ム で は、ピ ン イ ン 学
「聞く」、「読む」、「書く」、「使う」にあたって、
習、単語学習、基本文法学習、本文読み学習、リ
克服すべき問題点は何か、それらの問題点を克服
スニング学習などの学習ができる。が、デジタル
するためにどのような手法を取り入れると学習が
通信技術のより一層の進化により、現有のシステ
効果的となるかの研究を行った。その成果を作成
ムにさらに追加、改善を行い、より一層効率的な
中の論文「連想関係に基づく中国語単語学習シス
実用化を目指しての研究開発を行うことが必要で
テムの構想」にまとめる予定である。
ある。具体的には、提供する学習教材そのものの
改善とユーザ側に簡易に利用できる学習環境を構
築して提供することである。
この研究開発によって少なくても、次の幾つか
のメリットを得ることができる。まず、コンピ
ュータ、iPhone や iPad などを用いると場所・時
新しい学習環境の構築必要性について言えば、
間の制限から解放され、各自が自分の空いている
周知のように、通信技術の発展により、さまざま
時間で、自分の求めている内容にアクセスし学習
な情報は、iPhone や iPad などのポータル端末で
することができるので、学習内容や学習時間の不
も、十分に扱えるようになっている。情報のやり
足が補われる。次に、教員の授業負担を増やさず
取りはパソコンよりいっそう携帯便利な iPhone
に特別授業や補講などができるようになる。もう
や iPad の時代に移り変わりつつある。学習者に
ひとつは、今までの学習システムと異なって、音
学習上の便宜を与え、学習を促進させるために、
声に関する情報の視覚的な表示により自分の発音
パソコンのみならず、iPhone や iPad など常時携
の間違いに気づき、発音を自分で修正できるよう
*環境ツーリズム学部教授
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になる。
ると、学習システムの開発を外部委託する傾向も
この研究成果を中国語教育一般に、あるいは他
の語学教育にも簡単に転用できる。
ある。外部委託の教材システムには、次の二つの
問題点が存在する。①システム構造上、各自の授
教材システムにはマルチメディアを用いている
業内容に合わせて修正・追加することができな
ので、声調感覚の養成、習得などはもちろん、各
い。②少子化による財政難に陥っている今では、
場面の生の中国語を詳細に学ぶことが可能とな
すべての大学が教育教材開発の外部委託に熱心に
る。学校経営上、LL 教室などの設備費用を節約
取り組めるとはいえない。だが、情報通信器具を
できる。これは、近い将来には時間と場所を限定
用いる授業形態は、情報化時代といわれている今
しない新しい語学教育システムの登場にもつなが
日では、大学教育のなくてはならない一部分と
り、情報化時代に適した新しい大学教育のあり方
なっていくに違いないので、コンピュータやポー
が問われている今日では必要不可欠である。
タル通信器具を用いる教育システムの研究開発は
語学学習システムの開発に関して更に付け加え
必要不可欠であることは明瞭である。
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(基礎研究)
小規模水域が里山生態系の再生にもたらす効果の検証
高
橋
大
輔*
Daisuke TAKAHASHI
された小区画内の動植物を採集した。
研究実績の概要
ため池内の水温の変動幅は3.
6〜23.
1℃で、夏
本研究は、長野大学の里山林「AUN 長野大学
季において上昇し、冬季に低下した。水深の範囲
恵みの森」に伝統的な技法に基づいて造成された
は26.
5〜50.
5cm で、降雨の状況に応じて大きく
小規模なため池(直径約3m、最大水深約4
5cm)
変 動 し た。COD の 変 動 幅 は5〜50mg/l で あ っ
を中心に、1)ため池の物理環境の経時変化、
た。また、電気伝導度(2010年11月より測定)は
2)生物相及び食物網構造の経時変化をモニタリ
923〜1509µS/cm と 比 較 的 高 く、溶 存 酸 素 濃 度
ングすると共に、里山林におけるため池造成が塩
(2011年2月 よ り 測 定)は0.
0〜4.
1mg/l と 低 い
田平住民の里山生態系の再生に関する活動への積
値を示した。pH は5.
0〜5.
5と常に弱酸性の値を
極的参加を促す効果を持つかどうかを知るため
示した。季節を通じて、亜硝酸濃度およびリン酸
に、3)里山におけるため池造成に関する地域住
濃度はそれぞれ0.
02mg/l 以下と0.
2mg/l 以下の値
民の意識調査を行い、塩田平における里山生態系
を示した。亜硝酸濃度とリン酸濃度が低かった理
の再生手法としての小規模水域造成の有用性につ
由は、ため池の上流部に民家や農耕地などが存在
いて検討することを目的とする。
しないために、栄養塩類の流入に乏しいためであ
平成2
2年度は、林内において、ため池造成区
ると思われた。
(ため池を中心とした1
0m×10m の調査区画)と
ため池造成区における動物相は、ヤブヤンマや
非造成区(ため池の影響が及ばないと予想される
オオシオカラトンボのヤゴなどの水生動物やイタ
林内;1
0m×10m)を1つずつ設置した。それぞ
チグモやヒメクモヘリカメムシなどの陸生動物な
れの調査区は1m×1m の小区画に細分された。
ど計9種によって構成されていた。非造成区にお
そして、ため池の物理的環境要素の経時変化を知
いては、ヤケヤスデやクロナガエハネカクシなど
るために、ため池造成区において、2011年8月か
計13種の動物が確認された。両調査区で共通して
ら2012年2月にかけて、データロガーおよびその
観察された動物は、イタチグモおよびニホンヒメ
他計測機器によるため池の物理的環境[水温・水
フナムシの2種のみであった。ため池造成区の植
深・化学的酸素要求量(COD)・電気伝導度・溶
物相は、ため池内においては湿地性のイが優占
存酸素濃度・pH・亜硝酸濃度・リン酸濃度]を
し、ため池周縁はイヌタデが優占していた。ま
計測した。また、ため池造成区と非造成区におけ
た、このため池が造成される前に優占していたサ
る生物相を把握するために、2011年8月から2012
サ類は調査区周縁部でわずかに見られる程度で
年1月にかけて、約2週間に一度、それぞれの調
あった。一方、非造成区はクヌギやササ類などが
査区において無作為に5つの小区画を選び、選択
観察された。
*環境ツーリズム学部准教授
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長野大学紀要
第3
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非造成区と比べてため池造成区でみられた生物
の造成に伴ってため池内と林内との物質循環に関
の種数は少なかったが、ため池内において、これ
わる新たな食物網構造が形成されたと思われる。
まで林内で観察されなかった水生昆虫の生息が確
平成23年度は、平成22年度と同様にため池の物理
認され、また湿地を好むイが生息していたことか
的環境の測定とため池造成区及び非造成区におけ
ら、林内にため池という新たな環境要素が加わっ
る生物相の調査を継続すると共に、平成22年度に
たことにより、里山林全体の生物多様性は増加し
集められた動植物サンプルを用いて、炭素−窒素
たと思われる。また、新規に林内の生物群集に加
安定同位体比分析を行い、それぞれの調査区にお
わった水生昆虫であるトンボ類のヤゴは、陸域と
ける食物網構造の複雑さがどのように変化したの
水域を行き来する生活史を持つことから、ため池
かを明らかにする予定である。
―1
0
0―
2010年度
区分
準備
研究
基礎
研究
研
究
者
1
河野
良治
2
田中
法博
3
塚瀬
進
4
長島
伸一
5
野口
友紀子
6
ビラール・イリヤス
1
高橋
大輔
長野大学研究助成金による研究一覧
テ
ー
マ
起業家のコンピテンシー論から見た曖昧な業務に対応する職
務能力の解明
3次元光反射モデルと画像計測に基づいた人間の肌の表面状
態推定
明代後半期におけるマンチュリアの社会変動と統治機構の検
討
長野県上田小県地方の青年団運動と信濃黎明会・上田自由大
学との関係
社会事業理論史の構築のための基礎的研究Ⅱ
インターネットをベースにする中国語教育システムのより一
層の効果的な実用化を目指して
小規模水域が里山生態系の再生にもたらす効果の検証
―1
0
1―
長野大学紀要
第33巻総目次
第3
3巻第1号(通巻第1
2
3号)2
0
1
1年7月
「第三世代の大学」を求めて
―山梨学院生涯学習センター長時代の体験から―
…………………………………………………………………………黒 沢 惟 昭………1
<論
文>
パブリック・ソシオロジーをめぐる国際論争
…………………………………………………………………………京 谷 栄 二………1
7
居住型生活支援の構造と介護領域の拡大
―住宅・社会福祉・介護保険施策の関係から―
…………………………………………………………………………越 田 明 子………2
9
看護師の倫理と「やりがい」
…………………………………………………………………………徳 永 哲 也………3
9
<そ
の
他>
黒沢惟昭教授 略歴および主要著作 ………………………………………………………………………4
9
第3
3巻第2・3号合併号(通巻第1
2
4号)2
0
1
2年2月
<論
文>
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(3)
―2
0
0
0年代中葉の学校査察改革を中心に―
…………………………………………………………………………久保木 匡 介………1
「生活保護開始仮の義務付け認容決定」の社会福祉学的考察
…………………………………………………………………………
!
木 博 史………1
9
上田自由大学受講者群像(1)
―宮下周、堀込義雄の軌跡―
…………………………………………………………………………長 島 伸 一………2
7
流行語から見る中国社会の表現の変化
………………………………………………ビラール イリヤス・姜
―1
0
3―
雪 寧………4
3
価値次元の見えないイノベーションの継続的創出に向けて
…………………………………………………………………………森
俊 也………5
5
老年期に達したダウン症候群
…………………………………………………………………………上 平 忠 一………6
7
<研 究 ノ ー ト>
関係性に支えられた〈地域の交流分析教室〉からの取り組みについて
〜もっと 生きやすい あたらしい自分へ〜
…………………………………………………………………………大 江 亜紀子………7
9
<2
0
1
0年度長野大学研究助成金による研究報告>
(準備研究)
起業家のコンピテンシー論から見た曖昧な業務に
対応する職務能力の解明 ……………………………………………河 野 良 治………8
5
3次元光反射モデルと画像計測に基づいた
人間の肌の表面状態推定 ……………………………………………田 中 法 博………8
7
明代後半期におけるマンチュリアの
社会変動と統治機構の検討 …………………………………………塚 瀬
進………8
9
長野県上田小県地方の青年団運動と信濃黎明会・
上田自由大学との関係 ………………………………………………長 島 伸 一………9
1
社会事業理論史の構築のための基礎的研究Ⅱ …………………………野 口 友紀子………9
5
インターネットをベースにする中国語教育システムの
より一層の効果的な実用化を目指して ………………………ビラール イリヤス………9
7
(基礎研究)
小規模水域が里山生態系の再生にもたらす効果の検証 ………………高 橋 大 輔………9
9
―1
0
4―
長野大学紀要編集規程
(名称および発行)
第1条 本誌を「長野大学紀要」
(以下「本紀要」という。
)
と称し、年4回発行することを原則とする。
(目的)
第2条 長野大学において教員が行っている研究および本学で実施された共同研究や受託研究の成果を学
内外に紹介し、長野大学の教育・研究活動の活性化に寄与することを目的とする。
(編集委員会)
第3条 長野大学図書館運営委員会のもとに、長野大学紀要編集委員会(以下「編集委員会」という。
)
を
置く。編集委員会委員長は図書館運営委員会委員長が兼ねる。
2.本紀要の原稿の募集・編集は編集委員会が行う。
(投稿資格)
第4条 投稿できる者は原則として本学の専任教員および実習助手とする。ただし、本学の非常勤講師等
も投稿することができる。
(投稿原稿)
第5条 本紀要に掲載する原稿は他に未発表のものに限り、種類は次の各号に掲げるものとする。
論 文
研究ノート
書 評
その他の編集委員会の認めたもの
(著作権)
第6条 本紀要に掲載された論文等の著作権の取り扱いは、以下のとおりとする。
著作権は著者に帰属する。
著者は著作物の複製権と公衆送信権の行使を大学に委託する。
(論文等のネットワーク上での公開)
第7条 本紀要に掲載された論文等は、原則として電子化し、長野大学ホームページ等を通じてネット
ワーク上に公開する。
(配布)
第8条 発行された紀要は専任教員、実習助手および非常勤講師等へ配布する。
(抜刷)
第9条 執筆者には抜刷5
0部を配布する。ただし、5
0部をこえる分については執筆者がその費用を負担す
るものとする。
(執筆要領)
第1
0条 原稿は別に定める執筆要領にしたがうこととする。
(改廃)
第1
1条 この規程の改廃は、全学教授会の承認を得なければならない。
附則
本規程は平成5年7月1日から施行する。
本規程は平成1
7年4月1日から施行する。
本規程は平成2
3年4月1日から施行する。
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編集委員会
委員長
佐藤
委
祐成
員
2012年2月29日
哲
哲,徳永哲也,田中法博,平岡信之
発行
長野大学紀要
第33巻第2・3号合併号
(通巻第124号)
編 集 長野大学紀要編集委員会
発行所
長
野
大
学
長野県上田市下之郷6
5
8−1
TEL (0
2
6
8)
3
9−0
0
0
5
印
刷
蔦 友 印 刷 株 式 会 社
長 野 市 平 林 1−3
4−4
3
TEL (0
2
6)
2
4
3−2
3
5
1
BULLETIN OF NAGANO UNIVERSITY
Vol.
3
3,No.
2/3,F
ebruary 2
0
1
2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
CONTENTS
Articles
School Inspections by OFSTED and the Professionalism of School Education Part 3:
Reform of School Inspection in mid-2000s
Kyousuke KUBOKI …………………………………………………………………………1
A Preliminary Ruling for the Commencement of Public Assistance
from a View of the Study of Social Welfare
Hiroshi TAKAGI ……………………………………………………………………………1
9
The Intellectual Footprints of Itaru Miyashita and Yoshio Horigome
on the Characteristics of the Ueda Free University Students
Shinichi NAGASHIMA ……………………………………………………………………2
7
Changing Social Expressions as Reflected in Current Vogue Words in China
Bilal ILYAS・JIANG Xuening ……………………………………………………………4
3
Toward a Continuous Creation of “Innovation with Invisible Value Dimensions”
Shunya MORI ………………………………………………………………………………5
5
On Cases with Down’s Syndrome Entering their Old Age
Chuichi UWADAIRA ………………………………………………………………………6
7
Notes
A Message from a Small Classroom of Transactional Analysis in a Community Structured
by the Warm Relationships : To Be a New Self to Live with Peaceful Minds
Akiko OOE …………………………………………………………………………………7
9