講義録1 - グローバル・マーケティングの林廣茂教授

グローバル・マーケティング
∼まず、自身のグローバリゼーションを考える∼
同志社大学大学院ビジネス研究科教授
林 廣茂
こんにちは。伝統産業のプロであるみなさんの前で、こうして講義するのは、何となく照れる。普通
のBSとは違う感じがする。私は実はたいへん人見知りなのです。誰も信じないんだけれども。私の
かみさんだけがわかっている。それで、今日は後ろで監視して聴講するために、そこにいま、かみさ
んが来ています。
今日はグローバル・マーケティングの講義をしようということですが、コンピューターで送りつけたテ
キストを全部カバーすると、20 何時間かかるので、今日はそのなかからいくつかの分野に絞って少
し深堀りをしていきたい。
なぜ分厚いテキストをみなさんに送ったかというと、これからいろんな分野、いろんな場面で海外に
出て行く、仕事をする。そのときに必ず気が付くことがあるはずです。そのときに思い出して、このテ
キストを見てください。ここには私が 30 年以上かけて、文字どおりグローバル・マーケティングで体験
したこと、その体験のなかから生み出したいろんな考え方とか、ものの見方が要約してあります。
もちろん国際マーケティング関係の本も商売だから読むのですけれども、その 100 冊の要約よりは、
自分の 30 年間を振り返って整理してみたほうがいいと思って、国際マーケティングの科目教材として
このテキストを作った。最初から全部英語でつくった。今日のために、その英語をできるだけ日本語
にしてみた。
実は最初から全部英語のままで使おうと思った。でもそれでは、嫌がれるかなと思って日本語にし
たのだけれども、ほんとうは日本から一歩出たら、日本語で仕事ができる環境はないと思ってくださ
い。これがグローバリゼーション時代の現実です。
全部相手の国の言葉をしゃべるか、英語という好き嫌いにかかわらず、表示的でデジタルな第三
の言語を使わないと相手に通じない。まず、そのことを言っておきたい。「デジタルでエクスプリシット
な言語を使わないと仕事はできない。外国の人には通じないんだ」という現実をまず直視してもらい
たいのです。
言語的にいっても日本人にはたいへん不利です。日本人は基本的にはアナログで、インプリシット
でハイ・コンテクストという知覚モードやコミュニケーション方法で育っている。つまり、言葉以外の余
韻の部分、あるいは場を読むとか、雰囲気を読むとか、全体としてわかる。そういうほかの国にはな
いコミュニケーション方法を取る。
だから日本人は黙っていても、「男は黙ってサッポロビール」という広告コピーが昔、私の若いころ
にあった。それぐらい黙っていてもわかるというコミュニケーション文化があるけれども、それは日本
から一歩出たらどこにも無いと考えてください。絶対ない。これはもう断言しておく。人前でただ黙っ
て座っている人は、理解できない人と思われてしまう。黙っていてわかれと言っても、どうやってわか
るんだ。顔しか見えない。心のなかは、表現しなければわからない。それをアナログではなくてデジタ
ルという。インプリシットではなくて、エクスプリシットです。
ジャンピングボードとして、このテキストを使ってほしいし、このグローバル・マーケティングのクラス
の中身も何らかの参考にしてほしい。
自分は京都で仕事をやっている。どこかにグローバライズしたい。あるいは、海の向こうの誰かに
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自分の仕事を認めてもらいたい。あるいは、作品を買って喜んでもらいたいという思いを、どういうふ
うに実際の仕事につなげるか。まず今日言わなければいけない第一点として、いまの自分の仕事と
か自分自身を精神的、あるいは心理的に離れて行くことをリコメンドしたい。
いまは京都の片隅から周りを見て、日本を見て、外国を見ている。自分は京都のなかにいるんだ。
つまり、京都という蛸壺の中に自分がいて、周りを見ようとする。それはグローバルではないんで
す。
海外への観光旅行と外国で仕事をするというのは、全く違うものです。観光旅行は結局は、日本と
いう蛸壺の中に入ったままで、海外を眺めているだけなのです。日本の旅行社が全部お膳立てをし
て通訳がいて、旅行社の人もいて、日本語で全部説明をしてくれる。言ってみれば、畳の和室に座り
ながらパリのシャンゼリゼを眺めているようなものですね。それは観光旅行。外国をのぞける。多少
のインターフェースはあるけれども、それは外国理解とは違うんです。つまり、自分を違った文化の
なかに置いて、そこで、その文化と自分の文化がコンフリクトする中でどれだけ仕事ができるかとい
うのがグローバリゼーション。
だから、そのためにはまず、自分を離れてもらいたい。私はこれを神の目と言う。いままでは日本
家屋の窓を開いて眺めていたのを、極単に言うと、地球がここにあって、宇宙から地球儀をぐるぐる
廻してのぞき込んでいる。そういう見方。そんなことができるのか。できるんです。
蛸壺からではなくて、神の目で日本を全体を見てみたり、地球全体を眺める。そうすると、自分の
仕事はどこにポジショニングされるのかを見ることができるでしょう。神の目で見るとは、つまり、客観
的に眺めてみるということでもあります。
そのためには何をしなければいかないのか。私は実は、そういう眺め方というのは、自分自身のメ
タモルフォーズ。つまり変形する、脱皮する。ガがチョウになる。単に変わるのではなくて、変身する
といったほうがいいかもしれませんね。これは精神的に変身するのです。顔は変わりようがない、自
分で磨くことはできても、顔面を変えるわけにはいきませんから、心のなかを変えるしかない。それを
精神的なメタモルフォーズというふうに言っておきます。
メタモルフォーズをしながら、自分を一段高いプロセスに引き上げる。京都にいるときよりは、例え
ばフランスで仕事をするようになったら、さっき言ったように神の目で京都の自分を振り返り、そして
現在の自分を比較することで、自分が変わったことがわかるし、実際にそこの国の人たちとインタラ
クションをしている自分を発見する。そういうようなことができるようになりたい。
もう一度言いますね。これまでの自分のドメスティック、国内、あるいは京都というローカル、ある地
域から抜け出してグローバルな世界に一気に入る。ステップなんて踏んでいたって、人生は短いし
間に合わないんだ。一気に入ってもいい。
図を描きます。私が何を言っているかというと、人は自分が生まれ育った文化を身に付けて育つん
です。だから、日本人は日本に生まれて育つから、それで日本人になるんです。在日韓国人でも日
本で生まれて育ったら、頭のなか、身体のなかは全部日本人です。だから、韓国語もしゃべれない
在日韓国人はいっぱいいる。生まれ育った国の文化を身につけて人は大人になる。日系韓国人とし
て生きている。
日本人の両親から生まれてアメリカで育ったら、国籍の問題ではなくて、頭の中、身体の中はアメ
リカ人になっている。そして他方では両親の日本人性をかなり受け継ぐのでアメリカに居ながらにし
て第三文化体としての国籍上も日系アメリカ人となる。他方ほとんどの日本人は、日本で日本人の
両親から生まれ日本で教育をされ、日本語をしゃべって日本人になりきっている。
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みなさんは、これに慣れ親しんでいる。居心地がものすごくいいんだ。俺は日本人だからと、このま
まフランスに行って、俺をわかってくれ、買ってくれといっても、フランス人はわからない。つまり、ここ
でインタラクトしなければいけない。日本国内だってインタラクトしなければいけないですね。でも、日
本人同士ならけっこう居心地がいい。何となくわかってもらえる。
ところが、アメリカに行けばたちまちわかってもらえない。インタラクトしなければ自分の商品を買っ
てもらえないです。ここでコンフリクトが必ず起きる。そのコンフリクトが重要なんです。コンフリクトを
避けたら、自分自身がグローバル化できない。コンフリクトを避けたらだめ。コンフリクトの先に第三
文化体、サードカルチャーをつくる。つまり、サードカルチャーをつくることがグローバリゼーションな
んです。決してフランス人になることでないのです。アメリカ人になることでもない。なろうと思ってもで
きっこない。
70 年代から現在まで、私はほんとうに文字どおり自分自身をグローバライズする努力をしてきたつ
もり。世界中回ってきた。世界中でいろんな仕事をしてきた。でも、自分がアメリカ人になったつもりも
なければ、フランス人になったつもりもない。中国人になったつもりもない。韓国人になったつもりもな
い。でも、「Third Culture」を持っていると。そこが違うんだよね。
京都の同志社で勉強していた時代、その前の故郷の田舎で育った時代。そこには違う自分がある。
私は今、第三文化体人間に自分がなっていると思っている。
まず自分自身を知らないと、海外に出て行けないですね。あるいは、これは国内でも同じことなの
ですけれども、例えば自分の能力とか強さとか弱さを知って、自分の一番得意な分野に集中して、
みなさんはそれぞれいま職業に就いているはずなんだよね。いや、俺はこんなつもりじゃなかったと
いう人もいるかもしれないですけどね。
実は私はこんなつもりじゃなかった。私もマーケティングの教授に、20 歳の時、なりたいと思ったわ
けじゃない。魚屋になるか、歴史の先生になろうと思っていた。それが気が付いたら、マーケティング
の教授になっていた。
でも、そのプロセスのなかで、自分の強さと弱さを分析すると、人生を生きるには、マーケティング
関係が一番いいなと思い定めたのが 30 歳前後で、それから 36 年間それをやっている。得意分野に
集中して、集中するだけではだめですよ、実践し続けてないといけない。でないと、金が取れないね。
得意分野に集中するといっても、そんな人はごまんといる。そうなんだけれども、ほかよりも優れてい
ることで、お金にならないと生きていられないよね。自分の職業で金を稼いで飯を食うというのは、そ
ういうことだと思うのだ。
そのためには、自分を経営する。私がマーケティングのクラスの学生に、開口一番何を言うかとい
うと、「自分をブランドにしろ」と言う。私のマーケティング講義に来てもらえるといいのだけど、ただ講
義を聞いているだけではない。「自分をブランドにする」ための実践シミュレーションが続く。
自分をブランドにするというのは何か。自分の得意分野を明らかにしていくのですね。その得意分
野で人に勝つことなんです。人よりも優れている、勝つ。そう思っているだけではだめ、一人よがり。
第三者にそれを認めてもらわないとね。
最後に継続する。瞬間の花火ではだめ。継続する、一生ものにする。この四つが、私は自分自身
のブランディングだと。ブランダイゼーション。自分をブランドにする。
そのすべてに、このサイクルが使われる。振り返ってみてください、実際に自分自身を。単に芸術
家ではなくて、商売人でもあるのです。自分の作品を人に認めてもらう場合を考えると、必ずこのプ
ロセスを通る。こうやって書くと、ものすごくビジネスライクだけれども、実際にそうする。
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このマーケティングサイクル、あるいは経営サイクルと言ってもいいです。この経営サイクルを国内
で、京都から、日本で、やろうと思うと、日本人だから、日本の政治、経済、法律、社会をある程度わ
かっているつもり。次に俺の業界の市場特性や需要、だんだんと売り上げが落ちてきているなとか、
それを売り込む場所は妥当か。展示会だとか何とか市場に出した方がいいのか。そういうマーケティ
ング環境や文化の在り様。
そういう環境のなかで、みなさん一人一人が意思決定をしている。俺はどんな作品をつくってやろう
か。どれぐらいの値段で買ってもらえるだろうか。どうやってこの自分の商品のよさをわかってもらう
のか、伝えようか。
それを4Pと言う。その4Pは、コントローラブル。この4P は自分で決められる。環境は自分では決
められない。政治家でもならない限り、政治は動かせない。自分で決められないのをマクロ環境とい
う。これは自分で決められない。だから、合わせるしかない。嫌なら出て行くしかない。日本は嫌だと
いったら、日本を出て行くしかない。
市場特性、市場需要、マーケティング文化は、ミクロ環境で直接には変えられないけれども、インタ
ラクションすることで業界を動かす。業界のリーダーになるなどということでかなり変えることはできる。
それも間接的に変えることができる。直接的には変えられないことが多い。
これを世界中でやることをグローバル化という。世界で同じ分析をやるんだ。フランスでもアメリカで
も韓国でも台湾でも、つまり日本を踏み出すということは、日本でやっていたこの無意識の作業を、
知らない国なんだから全部意識してやることになる。意識してやらざるを得ない。それを身体のなか
にしみ込ませなければいけない。意識してやるんだ。
つまり、デジタルにエクスプリシットにやらない限りは、日本から出られないというのは、そういう意
味なんです。放っておいたら、誰も教えてくれないんだ。自分で学ばなければならない。黙っていて
学べるものは何もないでしょう。自分が表現し、自分が問いかけ、自分で求めて行かなかったら、誰
も教えてくれません。自分を変えるというのは、そういうことなんです。
日本だと朝テレビを付けると、何とかショーとかやっていて、放っておいても情報は入ってくる。新聞
を読まなくても、周りが何かしゃべっていて小耳にはさむだけでも、いま安倍さんがアメリカにいるな
んていうことは、新聞を読んでいなくてももう知っているじゃない。情報が入ってくるんだ。入ってくると
いうのは、自分の言葉で入ってくるんだ。
ところが、中国へ行って中国語ができなかったら、安倍さんがどうしたこうしたなんて、自分で意図
的にインターネットを見るか、中国の英字新聞を読むか、世界中どこでもありがたいことに英字新聞
だけある。英字新聞を読まないとわかりはしない。あるいは、CNNを見るとか。そういうことなんです。
これを世界中でやる。これがグローバリゼーションの一歩なわけ。ただ、先ほど言った海外旅行とは
違うというのは、そういうことなんです。違いをわかってくれるでしょう。
一歩日本から出る。出るというのは、二通りある。国境というのがある。国境は目に見えないけれ
ども、実際にはビジブル・タンジブルにあるんです。国境を越えると、さっき言った法律、政治、経済
が全部がらっと変わります。つまり、変わっていることは目に見えるでしょう。体感もできるでしょう。
ビジブル・タンジブルになるんです。それまで見なければ。この国はどんな法律があるのか。あるい
は、この国はどういう経済状態か。この国はどんなものを使っているのか。どんなことに楽しんでいる
のか。
もう一つ、国境を越えると、インビジブルな事実がある。インビジブルな文化。目に見えない、でもあ
る。あるでしょう。目に見えない、でもある。
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ビジブルなものをいろんな経済用語では何というかというと、例えば関税とか、WTOの問題があ
る。それはビジブルな人工的につくった国境の壁を、みんなで合理的に話し合って下げていきましょ
う。できるだけ壁を低くしましょう。これはビジブルになります。これはアーティフィシャル・エントリー・
バリア(人工的な参入障壁)。AEB。外国の新聞を読んだら、必ず出てくる。
先ほど言った、あるけれども目に見えない文化。これをナチュラル・エントリー・バリア。このNEBは
なかなか低くできないんだ。でもあるんだ。だから、うまくやっていくしかない。自分で飛び込んで、先
ほど自分がフランス人になりきれないと言ったでしょう。だから、飛び込んでもNEBはなくならないん
だ。ずっとあるんだ。向こうもそう思っているんだ。向こうだって日本に来たら、ナチュラル・エントリ
ー・バリアだと思うに決まっている。だから、これは取り除けない。うまくやらなければいけない。だか
ら、コンフリクトする。何度も言うように、第三文化を発見するしか折り合いのつけようがない。
だから文化というのは、越えるとか、避けるとかできない。もう往来するしかない。その勇気を持た
なかったら、外に出ないほうがいい。やはり、日本に閉じこもっていたほうがいい。楽だもの。異なっ
た文化とコンフリクトすると、疲れるよ。ものすごくしんどいよ。日本にいるより3倍ぐらい疲れる。
日本を離れたら私も英語で仕事をする。京都で英語で講義をする。平気な顔をしてやっている。で
も実は、3倍ぐらい疲れている。家に帰ってビールの量が3倍ぐらい増える。外国に行くと酒の量が
増えます。しかも英語をしゃべりながら飯を食ったり、けんかしたりするんだもの。ホテルに帰ったら、
がくっとしているよ。文化のコンフリクトは疲れるんです。でも、それをやらないとだめなんです。それ
を 30 年もやってごらん。歳を取るよ。
もう一度言いますね。要約する。グローバル・マーケティングを自分の観点から考えると、「自分を
変えると相手も変わる」。つまり、異文化とのコンフリクトを避けない。異文化とコンフリクトすると、自
分も変わる、相手も変わる。
第三の共通の土俵をつくる。そこでお互いにとっての価値を交換する。価値は、みなさんの作品で
あったり、ちょっとしたノウハウであったり、情報であったりするわけだ。それが両方にとって価値がな
かったら交換する意味がない。価値を交換する。ものとお金、あるいは情報とお金、ノウハウとノウ
ハウとかを交換する。その価値を交換する場所、それを第三文化体の土俵という。それができるた
めに異文化とのコンフリクトを避けない。何々人に同化するわけじゃないんだ。同化というのは、アシ
ミレーションという。民族同化運動、あるいはインディアンがアメリカ人に同化する。それは同化とい
う。
しかし、独立国の人間同士がお互いに同化することは、絶対ない。だから同化ではない。第三文化
体だ。これをカルチュラル・アダプテーションと言ったり、ものである場合には、私はアレンジと言った
りする。あるいは、もっと文化論的に言えば、アカルチュレーションという言い方もある。そんな難しい
ことはどうでもいい。要するに、文化的にアレンジする。アダプテーションする。
お互いにコンフリクトをして、お互いが共通して理解できる第三の場所で価値を交換する。これをグ
ローバル・マーケティングだと定義付けています。
このグローバル・マーケティングを実践するために、四つの次元があります。四つの次元でグロー
バル・マーケティングをまず考える。一つは、経済の発展段階格差。自分の経済レベルと相手の経
済レベルを正確に理解する。GDP3万5千ドルの日本からGDP100 ドル、1千ドル、2千ドルのところ
に5万円の花瓶が売れるか。購買力がないだろう。そういうことも含めて、自他の経済力の格差を正
確に知る。これは常識なんです。
2番目、共通のニーズに対してマーケティングする。必ず自分の商品を愛でる人がいる。世界中に
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いるはずだ。でもそれだけではだめ。その愛でるニーズって何だろう。日本ほどニーズの大きさはな
いかもしれない。でも、どこかにある。そのニーズは、日本のニーズと質的にも同じだ。だから、共通
のニーズだ。
かなりの高級車を買う人間は、日本には何百万人もいるだろう。でも、バングラデシュに行ったら、
ほとんどいないだろう。よほどの大金持ち以外は買えない。でもニーズがある。だから、レクサスは
バングラデシュでも何台かは売れているんだ。そういう意味での共通ですね。大小はあるし、かたち
も違う。でも、愛でる心どこにでもはある。大切なことはその共通ニーズをどうやって発見するかであ
る。
このあいだも、ある研究会でこんな話が出ました。日本には中秋の名月というのがあるよね。大き
なまん丸いお月さまが満天に輝いて、下にススキがそよいでいる。ちょっと風が吹くとひらひらとして、
「ああ、日本だな」とみんな思うよねと。でも、あれと同じ風景は、イギリスにだってあるんだ。アメリカ
へ行ったってあるんだ。アメリカだって中秋の名月はあるんだ。言わないだけだ。
だけれども、そのときにそのアメリカ人が「ああ、満月だな」と。ススキはないかもしれないけれども、
ほかの草だって、それが風にそよいでいたら、「ああ、静かでいいな」と思わないかというと、思うに
決まっている。それは共通のニーズだ。
そのときにアメリカ人は日本と同じようにまんじゅうを買って、畳の部屋でまんじゅうを飾って日本酒
を飲めといったら、それは飲めないかもしれないけれども、彼らがひょっとしたら、ビールが飲みたか
ったり、ウイスキーが飲みたかったりするじゃない。そこのところを畳部屋にしたって全然おかしくな
いだろう。べつにじゅうたんでなくてもいいのではないか。
そうしたら、彼らにも日本人と同じニーズがあって、そこに日本的な畳が1枚加われば、ものすごく
日本的だとわれわれは思うでしょう。アメリカ人も「おお、アメリカだ」と愛でているところに、なんかも
のすごくエキゾチックな畳が1枚あって。それに抵抗がなかったら、それが日本の文化ビジネスの成
功になるでしょう。というふうに共通のニーズに対して働きかけるのです。
それから、製品タイプやポジショニングによってマーケティングが違うんだ。革新塾のシンポジウム
で、「文明商品、文化商品」の話をしました。今日はあまり詳しく言わないつもりだけれども、私のシン
ポジウムのレジュメを持っている人は見てくれれば。何を文明商品と言うのか、文化商品と言うのか。
ひとことで言うと、文明商品というのは普遍性がある。あまり文化の制約を受けない。
カローラは、年間 100 万台世界中で売れている。カローラが日本の独得な文化だとしたら、そんな
100 万台も売れるわけがない。文化を離れたところでカローラは文明商品として、便利性とか性能と
か故障しないとかエコノミーとかいう、文明基準で売れているんです。だから普遍性がある。
文化商品というのは、普遍性はないんだ。好きか嫌いかなんです。文化というのは、自分の信条や
生活様式に合うかどうかなんです。だから、相手の国の人たちの信条や共通ニーズと言ったけれど
も、気持ちの琴線に合えば好かれる。合わなければ好かれない。そういう違い。だから文化商品は、
好まれて心の琴線に触れてもらわなかったら買ってもらえないんだ。受け入れてもらえないんだ。そ
こが文化商品と文明商品の違いなんだということですね。
3番目。これは意外と真剣に考えなければいけない。原産国効果というやつだ。日本製、日本発。
これはプラスにもマイナスにもはたらく。プラスかマイナスかは、商品のタイポロジーとそれから、ど
の国に行くかだ。中国へ行って日本はプラスかといえば、みんなプラスじゃないとわかっている。日
本自身は、中国へ行くとマイナスなんだ。でも、私なんか中国へしょっちゅう行っている。
つまり、マイナスの日本なんだけれども、日本人の私が中国でプラスであればいいんだ。彼らにと
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って役に立つ、彼らにとって好ましければ、日本がマイナスでも私個人は受け入れてもらえる。しかし、
私個人と日本国政府と密接不可分だったら、そう簡単に受け入れてくれないですね。私が政府高官
だったら、いまみたいに気楽に中国へ行けない。それと同じ。だから、原産国効果というのは、はた
らく。どういうふうにはたらくかというのは、また別ですね、別の機会に話したい。
さて、経済の格差という言い方をしますよね。これをじっくり説明すると時間がかかるので、早くいき
ますけれども、例えば購買力の点で考えると、日本は社会志向のレベルになっている。GDP3万5
千ドル、1ドルが 100 円ぐらいのときで4万ドルを超えていた時期もありました。そこから同じ社会志
向レベル、つまり同じような購買力と生活レベルを持った国々である欧米にものを売る。
経済力から言えば、購買力がないとは言えない。だけど、俺の着物を売ろうかといっても、そうは簡
単にいかないだろう。なぜそう言えるのか。つまり、今度はカルチャー・マーケティングをしなければ
いけない。文化というのは、優劣概念ではない。優劣がないということは、しかし同じということもない。
同じ力だとか同じレベルというのはない。ただお互いに違うのだ。
そうすると、着物をフランス人に買わせたい、ドイツ人に買わせたい。そのままの着物を買ってくれ
といえば、自分はまったく変えないで、相手に自分を従わせることになるでしょう。だから、着物の文
化がないところに突然着物を買えといっても、買ってどうするんだ。そこも考えないといけない。そこ
で相手に学びつつ、先ほどのカルチュアル・アダプテーションをするタイプ。着物をどうやって彼らに
売り込むか。
こんな話がある。着物そのものじゃなくて、フランスの女性のファッションに沿ったもの、袖の長いア
パレルを考える。袖の部分だけ着物の袖にしてごらん。案外面白いかもしれない。日本に来てフラン
スの女性が着物をこうやって着で、三千院なんか歩いていたらかわいいというイメージなのだけれど
も、フランスに戻ったら三千院はないのだ。普通の洋服を着ながら、袖だけ西陣かなんかで作ったら、
すごいファッションになるでしょう。それがいいとは言っていないよ。そういうカルチュラル・アダプテー
ションというのはいくらでもあるんです。われわれもそうしてきている。
われわれがコーヒーを飲む。私は最近コーヒーは飲まないけれども、みなさんはコーヒーを飲むよ
ね。ほとんどインスタント・コーヒーを飲むでしょう。インスタント・コーヒーというのは、欧米人から見た
ら、横着者と思うかもしれないけれども、いま日本で、おまえは横着者と言ったら、よけいなお世話だ
と言うだろう。
それから、ストレートで飲む人はいっぱいいるんだけれども、たいていの人は砂糖を入れたり、牛
乳をいっぱい入れて飲むだろう。向こうから見たら、あれっと思うでしょう。缶コーヒーを冷やして飲む
でしょう。
初めて缶コーヒーを、日本のコカ・コーラが出したいと考えたときのストーリーがある。私自身がコ
カ・コーラの関係者から直接聴いた。80 年代の最初に、アトランタ・ジョージアの世界本社に許可を
求めたら、「日本人は、ばかだね。コーヒーをわざわざ冷やして、缶に詰め砂糖やミルクをいっぱい
ぶち込んで、何それ、気持ちの悪いもの。そんなものは世界のコカ・コーラが許可するわけにはいか
ない」。どうなったか。それで発売するまで5年かかったんです。
ジョージアの若い担当者が、「日本はなんか変なところだから、まあやらせてみるか」といって、あき
らめるまで5年かかったんです。85 年か 86 年のはじめに「ジョージア」缶コーヒーが日本で発売され
た。そのときもすごい制限を付けた。広告は一切まかりならないという。黙って売れ。ベンディングマ
シンで。だけれども爆発的に売れてナンバーワンになった。
ジョージア缶コーヒーって日本人が考えたんだ。名前だってアトランタのジョージアでしょう。コカコ
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ーラの本社があるところで、わざわざそこに気を遣って名前を付けた。缶コーヒーの名前なんかべつ
にジョージアじゃなくても、カリフォルニアでもよかったんだ。
でも、そのあとコカコーラは何したか。ずっと7パーセントのロイヤルティーをブランド使用料で本社
が取り続けた。証票権は世界本社のもの、だからその使用料を頂く。売れ始めたら世の中はそんな
ものだ。
日本人が起こしたカルチュラル・アダプテーション。それでナンバーワンの缶コーヒーができた。ア
メリカでは、いまでもジョージア缶コーヒーなんか売れていないです。アメリカでは、ジョージアの缶テ
ィーですね。
だから、日本人もそうだし向こうもそうなんだ。お互いに何かアダプテーションしている。アダプテー
ションするというのが大事な文化だ。それは心もそうだ。心もアダプテーションするんだ。商品もアダ
プテーションしなかったらだめなのです。まず、それだけははっきり言っておきたい。
物理的に同じものでも実は、ニーズは異なる。でも、同じものが売れる。これはあるグローバル・ブ
ランドのシャンプーのケースだ。アジア全体で同じブランドを売るのに、どんなマーケティングをしな
ければならないかと分析した。
日本ではそのブランドの値段は、いまは安くなってしまった。最初はわりと高級な、単に髪の汚れを
落とすだけじゃない。髪に優しい、つやを出すとか、そういう高級シャンプーで売っていた。ところが、
同じシャンプーが、インドネシア、フィリピンでは、家族全員が使える、髪の汚れがきれいに落ちるシ
ャンプーとしてポジショニングされた。これはまさにグローバル・マーケティングで言う、「ものは変え
ないけれどもソフトを変える」アプローチ。文明商品のシャンプーではこれが非常に重要ですね。
一方ではものを変えてソフトを変えないアプローチがあり、他方ではものを変えないで、ソフトを変
えるアプローチ。文明商品か文化商品か。文明商品は基本的にものを変えないでソフトを変える。同
じ商品だけれども、あるところでは性能がいいといい、あるところでは壊れないという。あるところで
は格好いい。でも、同じレクサスだ。これは文明商品だ。
文化商品というのは、かたちは変わるけれどもソフトを変えない。まんじゅうをケーキにする。でも、
日本の心を伝える。いまニューヨークの高級レストランのデザートで売っているニュー和菓子だ。技
術も全然変わっていないでしょう。まんじゅうをつくる技術は、ほとんど変わっていない。でも、まんじ
ゅうがケーキになってしまう。でも、日本が伝わる。かたちは変わるけれどもソフトを変えない。
もう人間のメンタルフレームの話はさんざんしたので、それを少し専門用語に置き換える。実際に
仕事をしていると、この言葉はよく使われる言葉なので、ちょっと知っておくといい。エスノセントリズ
ム、ポリセントリズム、リジオセントリズム、ジオセントリズム。英語の講義ではないので、べつに英語
の解釈をうんぬんかんぬんするわけではないけれども。
エスノセントリックというのは、世界中で日本が通用すると思うという自己文化中心主義のことを言
う。これがあまり強すぎると、ナショナリズムになったり、文化帝国主義になったりする。これは文化
論の話なんだけれども、そこまで今日は言う必要がなくて、エスノセントリズムというのは、自分の文
化が世界でそのまま通用すると思いがちな人たちに対して、一種のウォーニングで、あまりエスノセ
ントリックになるなよ。つまり、もっとフレキシブルにいたほうがいいよ。そういう意味で使う。
その対極にあるのがポリセントリック。郷に入っては郷に従え。もっともらしいよね。中学校の教科
書で習って、ずっと頭にこびりついているじゃない「When in Rome, do as the Romans do」と、もう忘れ
られない。私は長いあいだ、国際化というのはそういうことだと思っていた。やっとわかったよ。最近
になってわかったわけじゃないよ。もうだいぶ前からわかっていた。やっとわかった。「それは違う」と
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いうことがわかった。
ローマに行ったらローマ人になるんじゃなくて、世界中でそれぞれの国の人間に同化できるわけが
ない。そんなことができるわけがない。だけれども、世の中、現実は、この1と2の中間にあるというこ
とは間違いない。その中間のどこなのか。こっち側なのか、あっちなのか。これが自分が行く国によ
って違う。 アメリカに行って、日本というのはすごい国だと自慢する。他方、アメリカに対してわりと
批判的なことを言っても、誰も文句は言わないでしょう。文句は言われない。表現の自由が保障され
ている。
ところが、中国でそれをやったらどうなるか。毛沢東は大嫌いと中国で言ったらえらいことになる確
率が高い。日本だったら、あの人は大嫌いと言ってもいいよね。アメリカへ行って、「毛沢東さんは悪
いことが多いよな、いいこともしたけどな」と、これは議論として誰も文句は言わない。中国人の前で
言うと、もう逆のことを言わないといけない。「なんかちょっと悪いこともしたみたいだけれども、全体と
して中国によかったね」ぐらいのことを言わないといけない。
私は私だけれども、ちょっとこっちに寄って発言するか、あっちに寄って発言するかを訪問している
国によって変えなければならない。それは相手次第だよ。自分が出かける国とか、自分が相手する
文化を持った人たちによって、自分もこのエスノセントリズムとポリセントリズムのなかで、こうやって
揺れるんだ。だから、これを柳に風というか、これをフレキシビリティーと言うのであって、俺は、世界
中でこれしかないのだと言ったら、「いい歳をして融通がきかない」とかみさんにも言われるし、世の
中にも言われる。
あとリジオセントリックというのは、1と2の中間の考え方。それから、さっき言った第三文化体、そ
れを高い次元で誰にもわかる、第三の文化をつくったときにジオセントリックと言ったりする。これは
概念の問題であると同時に、よく言の葉に載る。自分の態度とか行動、あるいは発言のフレームを
決めるときに、どういうふうに自分を規定していくのかのフレームに使う。
最後に、実際の商品を海外に受け入れてもらうときの原則、グリッド。文化の共通性よりは、文化
の受容性に焦点を当てろというのが、このメッセージである。これが特に文化商品のマーケティング
の神髄だ。
何度も言っているように、文明商品というのは、文化の共通性とか文化の情勢に関係なく、経済合
理的に経済力で動く。自動車もテレビもDVDも、日本のメーカーが得意としてきたこと、日本の経済
が世界第二位まで高めた原動力は、基本的に文明商品。文明商品が日本から欧米に、日本からア
セアンに受け入れられることで、日本は経済大国になった。 それらの国々と日本の文化との共通
性は少ない。少ないのに、なぜ成功したのか。つまり、文化が受け入れられたか、あるいは文化で
はなく、カルチャーフリーの商品で成功した。しかし、文化商品になればなるほど、共通性がなくても
受容性があればいける。もちろんアメリカと欧州は共通性も高いし、お互いに受容性も高い。双方が
入り乱れて、日本人にはほとんど区別がつかないぐらいだ。これは欧米だけだ。それ以外の地域は、
日本からアセアンに日本の化粧品が流れ込む。日本のファッション製品が流れ込む。文化の共通性
よりは受容性が高いから。受け入れてくれるのだ。
つまり、日本の文化を受け入れる土壌があるところには、文化商品は文化の共通性がなくても流
れていく。しかし、共通性が多くても、日本の文化を嫌がっている、受け入れたくないと思っているとこ
ろには、なかなかうまくいかない。だから、韓国でも中国でも日本発文化商品は、ないとは言わない
がたいへん難しい。楽ではない。そういう基本的なフレームがある。ここまでが、グローバリゼーショ
ンとは何かについての第 1 部である。
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次は、第2部。いままで文化、文化と言った、文化商品も言った。では、文化とは何なのだ。あまり
も漠然と不用意に一般的に文化の違いを論じても、それは意味がない。ここでは、その文化をいくつ
かの次元に分けて、どういう切り口で文化の違いとか、共通性を見ればいいのかということを、時間
内で話してみたい。
時間がないので、文明と文化の定義はやめておく。それから、文明商品と文化商品、これは先ほど
説明した。これも飛ばす。
文明商品は機能の優位性が大切だ。文化商品は好きか嫌いか。つまり、ものすごくカルチャー・バ
ウンドである。簡単には説明し辛いけど、日本人というのは、文化遺伝子も政治遺伝子も、つまり生
まれ育った国も政治も全部日本なんだ。こういう人間は、世界中で珍しいんです。
両親が日本で生まれて日本で育ち、自分はその両親から日本で生まれ、日本で勉強して日本の
会社に勤めて、このままいくと日本で一生終わるんだ。つまり、すべて日本、日本、日本なんだよ。生
理遺伝子も日本、文化遺伝子も日本。生まれ育ったものも日本、国籍も日本、政治も日本。こういう
のは、ほんとうに珍しい。だから、日本は単一民族で、単一文化で国際性がないと言われる。
そういう日本の文化はものすごく独特なんですね。ユニークなんです。ある意味では。みんな同じじ
ゃなければいけないんです。だから、日本人が言う国際化、日本国内の国際化というのは、外国人
を受け入れても、外国人が日本人化することを期待している国際化なんだ。外国人は日本に来たら、
日本語を覚えるのが当たり前だろ。日本の食べものを食べろよ、日本の畳、障子に合わせた部屋作
りをしなさい。トイレに座れよ、風呂は入れ。どうだい、日本はいい国だろう。善意ではあるが、異文
化の人間には迷惑だったり押し付けだったりする。
つまり、自分たちが日本だと思っているものやことに、さっき言ったように同化させる。つまり、単一
民族、単一文化というのは、日本に住んでいるから、日本を丸ごと受け入れることが国際化だ。そう
善意に思ってしまうことなのだ。ほんとの国際化というのは違うんだ。
違っているものを全部包含するんです。異質なものを全部入れて、異質なままに生きる場所、活躍
する場を提供する。それでいて日本でありつづけることが、日本の国際化なのです。
日本いる外国人は、日本に同化できなかったら孤立するんです。それぞれの村をつくってしまい、
そこだけで生きている。いっぱいあるでしょう。外国人の村というか、コロニーみたいなところが。私が
手伝っている滋賀県にもいっぱいある。外国人も何万人もいるらしい。ブラジルだチリだ、中国だ。み
んなコロニーをつくっているでしょう。そして日本人と全然交流がない。
交流がないと、何が起こるか。彼らは日本に来て、いまさら同化したくないよね。ブラジル人同士に
は同士の気軽さがある。同化したくない。こうして異質なものを異質なものとしてお互いに認め合って
交流しないから孤立する。
それぞれのコロニーがある滋賀県何々市。その市に担当者が何人いるかといえば、一人だけです。
何語をしゃべるんだ。スペイン語がちょっと。ブラジルではスペイン語じゃないぞ。そんな程度の行政
しかいない。それは国際化じゃないんです。これを深くやると、文化論になるので、やめますね。
何が言いたいかというと、自分が身に付けた文化というのは、自分が生まれ育った国、あるいは地
域の生活様式を身体のなかに染み込ませる。それをだから、文化の源泉という。多くの源泉に染ま
って、それに同化して身に付けるもの。それを文化という。だから、何々文化というのは同化なんで
す。だから自分の文化、1回同化した文化、これは捨てられないんです。相手に捨てろというのは、こ
れはひどいよね。相手だって捨てられないんだ。どうやって仲良くするか。これしかない。
自分が日本文化の源泉のなかで育って日本人になる。日本人としての価値観を身に付ける。文化
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というのは共通の価値観だ、共通のライフスタイルだ。そこから、そういう日本の文化にどっぷり漬か
ったうえで自分の態度を決め、行動を取る。これが日本人ということの意味だ。同じようにそれぞれ
の国に文化の源泉があって、それぞれの国の個人の文化があって、そこから態度や行動があらわ
れてくる。
これをマーケティング的に言うと、人間は情報、つまり周りから学ぶでしょう。learn する。つまり、情
報を得るんだな。これを知識化する。知識というのは、情報が体系化されたものだ。この知識化され
たものを認識とか知覚という。その知識に基づいて自分の態度を決めたり意見を言うでしょう。行動
に移るでしょう。
われわれはそうやって、日本人として日々行動している。実は、消費者として購買行動を取るのも
同じプロセスがあるんです。いろんな業界や商品の情報を集めるでしょう。自動車を買うときを考え
てください。それでレクサスはこうだ、BMWはこうだ、トヨタはこうだと、いろんな情報を集めて、それ
を体系化して蓄える。トヨタにしろホンダにしろ蓄える。それを自分の認識という。俺はあれが好きか
これが好きか考えるのね。それで態度を決める、意見を持つ。
最後は、自分に経済力があれば、人は一番好きなものを買うでしょう。あるいは、自分のライフスタ
イルにもっとも合うものを買うでしょう、行動する。これを人の購買行動、マーケティングでは消費者
行動ということで勉強します。そのアプローチは、まさに異文化にいる消費者を理解するときも、国内
の消費者を理解するときにも使える。
何が違うかというと、国境の壁と文化の壁がさっき言ったバリアーとしてある。国境の壁は、いろん
な政治的作業をして低くしようとする。文化の壁は乗り越えられない、つぶせない。だから、コンフリク
トして第三文化をつくろうとする。いままで文化、文化と言った。文化とは何だ。どういうふうに切り込
めば文化の実態が理解ができるか。ただ文化というだけでは実態がない。
国際マーケティングでは、七つの次元で文化の違いを理解しようとします。1から3番目は、自分の
なかの文化次元。自分のものの考え方、人に対する見方、時間、空間、自他の関係で解釈する。そ
れから今度は、自分とほかの人、人間同士の交流次元。どういうふうに交流するのか。どういうふう
に人に対するのか。どういうふうなコミュニケーションを取ろうとするのか。そして最後に行動へ移
す。
この次元の中身が文化の違いで変わる。日本人同士でも変わる。日本人同士でも文化の違いは
あるものね。国境を越えるともっとある。だけれども、難しい文化論を始めると、宗教論を始めたりす
ると、もうわが手に負えない。一生の問題だ。キリスト教なんて全然わからない。仏教は難しい。儒
教もわからない。ヒンズー教なんて頭が痛い。それを勉強しなかったら、それぞれの国が理解できな
いか。そんなことをやっていたら一生かかってしまう。
だから、そういうものを全部抽象して、文化の源泉の違いが人の文化の違いとしてあらわれるなら
ば、その人の時間に対する考え方、空間に対する考え方、自他に対する考え方、どう変わるのか、
どう似ているのか。それを見たほうがわかりやすい。実際にアクションを取りやすい。マーケティング
的に考えやすい、そういう話。そういうふうにやってみる。
時間の概念。大きくは、経済時間と精神時間と考えてみたらいい。経済時間というのは、今のわれ
われみたいに1日働いているときは、すべて経済時間で動いている。タイム・イズ・マネー。いついつ
までに会社に来い。9時を過ぎたら遅刻。3回遅刻したら減点だぞというのは、タイム・イズ・マネーで
すね。その仕事は、今日午後3時までに持って来いよ。これもタイム・イズ・マネー、経済時間。正確
さ、モノクロリズム、時は1回しかない。今日という今日、この瞬間は今しかないんだ。時間を無駄に
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するな。時間は1回限り。ところが、オフのときというのは、時よ止まれだ。頭のなかでは1回にいろ
んなことを考える。いろんなことができる。
3番目。時は巡回すると考える。因果応報。だから、経済時間と精神時間は違うんだ。人間誰も両
方持っている。人によってその文化の違いが時間にあらわれ。全然時間を守らないイタリア人。ぎり
ぎりになって人の顔を見ないと動かない中国人。時の概念が違うのだ。
日本人は前もって準備するよね。できるだけ早くというか、早くというのは、「早くしろ」というのは経
済時間で、「遅れたらまずいから早め早めにやる」と、これは日本の時間の使い方ね。
それから、過去志向、現在志向、未来志向。すんだことまでぐじゅぐじゅ言っているとか、古いこと
ばかり話をする。私なんかも歳を取ってくると、同窓会に行って中学校や高校のときの話をするのは
ものすごく好きだ。ちょっと過去志向なんですね。他方の未来志向。今日なんかどうでもいい。俺の
将来は明日にある。明日のほうが今日よりもいいんだという考えですね。
だから、われわれは普段は時間に対して、このオンとオフのうまい組み合わせ、バランスを取って
いる。そのバランスの取り方の比重が国によって違うのだ。これだと相手を見てもわかりやすいでし
ょう。あいつは全然時間を守らないというのは、あいつが悪いのではなくて、あいつの時間の概念が
俺たちと違うのだ。あまり違いすぎると、け飛ばしてやればいいですね。ほどほどだったら、よしとし
た方がいい。
それはどういうふうに経済やマーケティングに影響するか。計画するとき、日本は長期的に考える。
1回や2回の失敗はいいじゃないの。サントリーなんか典型例でしょう。「やってみなはれ」と。一つや
二つ間違ったからって、10 年、20 年の間に成功すればいいじゃないの。
サントリーのビールなんかもう 30 年以上もやっている。やっと黒字が出るようになった。あれが上
場企業だったら、社長は何人も首が飛んでいる。あれは非上場でオーナー・カンパニーだからできた
んです、とよく言われる。本当かどうかは別にして、長期的にものごとを考えるという経営スタイルで
あることは間違いない。
いま日本の企業もアメリカと同じで、四半期ごとに利益を出せと言われる。経営者は、3カ月ごとの
経営サイクルしかできなかったら、やらないほうがましだと思うか、それでも勝ち残ってこそほんとう
の経営者だと思うのか。時間の差ですね。
つまり、時間の考え方の違いから、こんなに経営に対する態度が変わるという。だから、現象面だ
け見て、アメリカ人はおかしいとか、イタリア人はあてにならないとか言ってしまうのは簡単だ。でも、
それではものごとは解決できないし、第三文化体的に、なぜそうなのかを理解すべきだ。まず時間に
対する考え方が違う。それを変えるにはどうしたらいいか。つまり、せめぎ合いだ。それは避けられ
ない。
次は空間。縄張りだ。人間は必ず縄張りをつくる。その縄張りのつくり方の度合いが強いと、これは
アジア的だ。あるいは弱いと、ものすごく欧米的だ。ここで言いたいのは、「being」か「doing」かだ。つ
まり、自分が何ができるかではなくて、俺の出身はどこどこだ。俺は同志社大学の卒業で、昔はどこ
かの大名の家老で、誰もそんなことは聞いていない。だけれども、そう言いたがるでしょう。これを
「Being」文化という。自分の氏や出身で自分を表現する、という考え方だ。
そういうふうに自分の氏素性を言うことで、自分の能力を間接的に表現しようとする。あるいは、そ
ういう態度や行動を取るのが、being 文化。これは同じカルチャーにいる人間だけ通用する。京都で
同志社の卒業ですと言ったら、いい学校だと言われるかもしれない。東京へ行ったら「同志社、まあ、
日大並みかな」みたいなことを言う人間もいる。アメリカに行って同志社は「Who knows?」そうなるだ
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け。
「being」というのは、同じ土俵を共有する人間がいる世界だけで通用する。身内だけで通用する考
え方。「doing」というのは、氏素性が何であれ、俺はこれができる。これで業績が上げられる。これが
だめだったら責任を取って首になってもいいという、自分の能力で生きる世界。自分の能力をデジタ
ルに、客観的に評価してもらえる世界のことだ。
「being」は、仲間を大切にする。日本人は、being カルチャーだというのは、集団主義であって、会社
のことでは「うちの会社は」という。内と外を分ける。内に入っている人には親切にするけれども、外
の人には冷たい。ああいうのをすべて being カルチャーという。だから、being カルチャーは、徒党を組
む。doing カルチャーは、徒党を組まない。つまり、一匹狼ですね。そういう違いがある。それを空間
の概念。それがどういうふうに影響するか。経済やビジネス行動に。
日本では、外国企業との交流がうまくいき辛い。合弁会社もいっぱいあるけれども、うまくいった例
は本当に少ない。外国企業の単独参入はものすごく難しいという。つまり、日本社会が仲間に入れ
てくれないんだ。「資本は外資だけれども、外人の給料は異常に高く、それでいて仕事も全然しない
で」と、たいていの日本人はそうやって悪口を言っている。外国人から見ると、日本人は集団で固ま
ってばかりいて、「一人一人の能力はたいしたこともないのに、固まって圧力をかけてくる」というあの
世界。
つまり、「being」が「doing」を仲間外れするし、「doing」から見たら、「being」というのは、一人一人の
能力がよくわからない。だから、being 社会のなかでは、「doing」の人は孤立する。doing カルチャーの
なかでは、being 人間は、やはり孤立する。日本が先進国の中で最も外国企業の進出が少ない国で
あるのは、このことと無縁ではないだろう。
ここで放っておいたら、貿易会社はつぶれる。だから、何とかうまくやろうとする。そこでカルチュラ
ル・アンバサダーが必要になる。大使を仲立てにして第三文化体を作ろうというわけ。しかし大使に
だけ依存して自分が変わろうとしなければ本当の交流はできない。
インサーダーになれない。アメリカ人は日本人になれない。「doing」の世界で育った人間は、
「being」になれない。逆もまたしかり。だけれども、一人一人がお互いに役に立つ。そうすれば、違う
けれども、我慢し合える。「doing」の人間が「being」のカルチャーが、ある程度わかるようになる。逆も
真なりで、「being」が「doing」がわかるようになる。それがさっきの第三文化体ね。
私はアジアに出回っている。本当によく出かけていて、いろんな国の人たちと付き合っている。たと
えば中国人や韓国人から、私は日本人だと思われている。けっこう私を受け入れて友だちになってく
れている。それは、私がそれぞれの国の人間になっているからではなくて、比較的その文化に通じ
ているよそ者として、日本との文化仲介者になっているからだと思う。そうして、生きられる。友だち
ができる。ちょっとしんどいけどね。さっき言った3倍時間がかかる。3倍かかるけれども、生きていけ
る。
そうでもない限りは、この内と外、私たちのような第三文化体がいないと、合弁会社というのはうま
くいかない。日本にも私たちみたいなのがいるし、アメリカ側にそうやっていないと、うまくいかない。
お互いにそれぞれの being カルチャーを失わないで。
「あいつは日本人のくせに、なんか知らないけど、バタ臭いやつというか、横文字屋でちょっと変わ
ったやつだね」と、私はずっと思われたと思う。それから、私と会ったアメリカ人やフランス人も、「あい
つはなんか知らないけど、ヨーロッパ人とかアメリカ人とやたらとべたべたくっついて、一緒に寿司を
食ったり酒を飲んだり」と。30 年前に私のように一緒に寿司を食ったり酒を飲んだり、歌舞伎町でカラ
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オケをやっている日本人は、あまりいなかった。でも、ずっと連れて歩いた。こんなことをしていた。
自他の概念。これはテキストを読めばわかってくれると思うからちょっと飛ばします。
次に私がやりたいのは、最後にインタラクションだ。相互の交流。それによって今度は、自分がど
んな認識や、どんな態度を形成するか。五つの軸があるのだけれども、これを見てみましょう。
個人主義か集団主義か。自分を考えてみて。どっちに俺は近いんだ。あるいは、相手も考えてみ
て。どっちに近いんだ。たぶんみなさんは、京都の伝統産業に従事している人間は、わりとインディ
ペンデントに「俺は俺だよ」「俺の能力」「俺の事実」「俺の個性」を表現したいんだと思っています。つ
まり、インディビジュアリストになのだ。
会社員はどちらかというと、逆のほうに行くんだ。会社の仕事を優先するんだ。会社のロジックが優
先するんだ。だから、悪いことでも会社のためならする。そういうふうに極端に分けると、問題はある
けど人は大なり小なりどちらかの傾向を持っている。
権力集中と権力分散。ワンマンショーは、権力集中だ。しかし、大きな組織で人を動かそうと思った
ら、権力分散でなければ動かないものね。単に自己主張が強いとか、自己実現、金もうけ、働いた
以上はちゃんと金をくれと、俺の業績は正しく評価してくれ。これはマスキュリン、男性的という。べつ
に何とか差別用語ではないのだけれども。逆の概念を昔から社会学とか経営社会学のフェミニニテ
ィー、女性的と言った。
それから、リスクを取るか取らないか。異文化の人たちと一緒に仕事をするときに特に、ものすごく
必要になってくるわけ。自分がどういうタイプの人間であるか、相方はどういうタイプの人間であるか
によって、まったくコミュニケーションできないことなんてざらにある。完全に左ばかりのやつと、完全
に右のやつばかりが議論をして同意できるところなんてほとんどない。国を越えて、このことを敷衍し
てみる。
こういうときも、どうしようもない人間だといって放棄したらおしまいでしょう。どこかで折り合いをつ
けなければいけないんだ。だから、俺はこういう人間だ、こういうことを目的として動いているんだと。
きみと議論をして、きみの商品を扱って業績を上げて、俺は偉くなりたいんだ、と一方が言う。他方で
は、俺はそんなに偉くなりたいと思っていないけれども、俺の作品がヨーロッパ人に受け入れられて
見せられたら、俺はうれしいと思うと。両者の目的が違うんだ。偉くなるわけじゃない。俺は受け入れ
られたら、うれしいという。目的は違うんだけれども、一緒に仕事をしないといけない。そのときどうす
る。両方満足させないとしようがないだろう。
だから、自分の商品が成功することで業績を上げて、そいつもハッピーだし、自分も受け入れられ
てハッピーだ。動機は違うけれども、お互いにハッピーだというところで、第三文化体でもつくらない
限りは、商談なんか成り立たない。まったく同じ動機で、まったく目標が同じで、まったくプロセスが同
じで、商談が成り立つということはないと思ってください。だけれども、それぞれの狙いがあって、そ
の狙いを俺はどうやって満たせるか。そいつは、私の狙いをどうやって満たせてくれるか。そこのとこ
ろが取引だ。どこかで踏ん切りをつける。それがリスク・テイキングというやつだ。
国によって、先ほどのインタラクションの概念で、時間の観念や空間の観念がどれぐらい違うのか。
簡単にまとめておこう。日本人のコミュニケーションのスタイルはどう違うのか。コンテクストが高いか
ば
低いか。コンテクストというのは何かというと「場」だな。「場」の読み方。その「場」にある意味を読み
取る力。日本人というのは、ハイコンテクストなコミュニケーションをする人間だ。つまり、本音と建前
があるから、本音ではなかなか言わないから、建前でしゃべって本音をわかってくれというのは、も
のすごくハイコンテクストだよね。
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京都で「おぶづけでもどうどすか」と言われて、「ありがとうございます」と言ったら、「あいつは全然
京都のことはわかっとらん」とばかにされるでしょう。これは最高にハイ・コンテクストだ。「お茶漬けど
うですか」と言われて、腹が減っていたら「いただきます」と言うのが普通なんだ。それがロー・コンテ
クストの世界。それが「早く帰れ」という意味だとわからなければ、だめだと言われても、それはさっき
言ったように、その村のなかでしか通用しない文化だ。日本では京都が大変ハイ・コンテクストなア
ナログ文化の中心だね。
そして日本は他の国との比較でいうと全体として、ハイ・コンテクスト。私の知るところ、ドイツ人より
もスイス人でのスイス・ジャーマンをしゃべる人たちが一番ロー・コンテクトだといわれる。言葉どおり
なんだ。あと言外に何もなし。それぐらい完璧で論理的とのことだ。
日本人は、明快に体系的な話をしない。むにゃむにゃと言って、「おぶづけでもどうですか」「よく考
えておきます」とか、「いい天気ですね。仕事はどうですか」「ぼちぼちです」。何を言っているのか全
然わからないじゃない。でも、そのなかでわからなければだめなんだと、文化を他人に押し付けてし
まう。
それから、日本人は感情を抑えるでしょう。私は比較的自分の気持ちを表に出して話したりするけ
れども、聞いている人が喜んでいるのか悲しんでいるのか全然わからない。もぞもぞと反応したりす
る。コンサルティング会社にいてアジアの国々で、いろんな国の人間と会って何十年になるが、日本
人のサラリーマンが一番顔が読みづらい。これはもう言っておくよ。この人は本当にわかってくれて
いるのか、好意的に対応しようとしているのか、私のサービスを買おうとしているのか、断ろうとして
いるのか、一所懸命読もうとしてもなかなか読めない。これが日本人。
韓国人は、もうわかりやすい。ああ、関心持っているなとすぐわかる。表現も身体も変わる。中国人
もわかります。フランス人なんかもっとわかりやすい。イタリアは、全然わかりやすい。感情抑制度、
日本人は一番抑える。ドイツ人もなかなかくせものですよ。けれども、フランス人、イタリア人は、ほん
とうにわかりやすいよね。フランスにあまり行ってないけれども、私はフランス人がずっと好きで、イタ
リア人も好きだ、食い物も好きだ。ドイツ人は嫌いだとは言わないけれども、かなり難しい。
ここでいろんな文化の軸を話しましたね。時間、空間、自他の関係、インタラクションね。それから、
コミュニケーションのモード、文化、アナログとかデジタル、そういったもの。
これは全部どこの国の人間も、大なり小なり持っている。程度問題なんだ。他方では共通の価値観
みたいなものがちゃんとある。例えば、武士は食わねど高楊枝。これは日本語だけれども、同じよう
なことは西洋にある。友だちを裏切らない。これもある。日本人だけじゃない。日本の武士だから裏
切らないということではない。
昔あったでしょう。アラン・ドロンとチャール・ズブロンソンが、エレベーターか何かに閉じ込められて、
お互いに嫌い合っているのに、最後に友だちになる。そしてその友人を一切裏切らない。そういった
文化はちゃんと共通しているのです。
程度問題です。程度問題であるということをわかったうえで、文化の違いをいろんな軸、切り口でと
らえてみて、自他の違いを理解するというのが、一番重要だ。その結論は、これも先日のシンポジウ
ムで言いましたけれども、日本人は文化のキャパとして、たいへんハイ・コンテクストでコミュニケー
ションのスタイルとしてアナログだ。外国人はその逆であることが全く多いけれども、これでコンフリク
トを避けたら、仕事ができない。
だから、自分が相手に近づく。これがカルチュラル・アダプテーション。と同時に、相手も自分に近
づいてくれているのだ。必ず近づいてくるわけです。そのなかで第三文化体を造る。それに早く気付
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き、それを実践する。しんどいけれども、やり続ける。その態度や行動、これがグローバリゼーション
への道だというふうに理解してください。
あとプロダクト・ストラデジー、それからコミュニケーション・ストラデジーというのがありますけれども、
時間があればやりたかったんだけれども、時間がきたのでやめます。
プロダクト・ストラデジーというのは、文化商品は、文化の価値として新しいオリジナリティーをどう
つくるかということが、文化商品にとっての文化の価値である。つくったもの、つくった商品は、相手に
伝えなければならないでしょう。そのときに相手の先ほどの日本文化の受容性、それを無視して、言
いたいことを一方的に言っても理解してもらえない。だから、受容性を高めながら、自分の伝えたい
ことを伝える。これが文化商品のいわゆるマーケティング・コミュニケーションだということがメッセー
ジになっています。
最初に言いましたけれども、このテキストの全5章を全部やるというのは無理なんだけれども、今
日お話したようなことも含めて、これから自分自身をグローバリゼーションしていくプロセスで、必ず
いろんなことにぶちあたる。このテキストを広げて見てもらうと、必ずどこかに何かヒントがある。
これで私の講義を終わります。
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