『日本人』が幸福になる強固で賢い小国へのすすめ

『日本人』が幸福になる強固で賢い小国へのすすめ
─グローバリゼーションと国家精神資産─
刈屋武昭
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科
「踏み分けよ 大和にはあらぬ唐鳥の 跡を見るのみ人の道かは(荷田春満)」
グローバル経済の中での国家の存在というものは、社会契約説などの議論をしな
くても、民主主義のもとでは私たちの意思を付託されている主体であって、政府は、外
交とか貿易とか教育とかそういう部分だけの責任でなくて、「国民を幸せにする責任」
がある。この視点から見ると、次の問が重要となろう。「私たちの保有しているもの(資
産)」は何なのか、そして潮目が大きく変わり始めているグローバルな政治経済社会
の中から表層化してくる、将来から来る進化・不確実性・リスクは何なのか、この国が
それに対応できる能力があるのか、優秀な日本人がその能力を発揮できる条件は何
か、と。
本稿の狙いは、「日本人の幸せ」問題の基礎となる日本人の価値創造能力を議論
することである。より具体的には、将来世代の豊かさを確保する上で必要な、進化を
見据えて自らをプロアクティブに変えていく能力に関係する「日本の精神資産の問題」
について議論する。グローバリゼーションの問題とナショナリズム、民主主義、資本主
義の在り方と関係づけて、日本のナショナリズムの基礎となる精神資産が進化するこ
とが必要であると説く。
私自身、浜松出身で国学者賀茂真淵にゆかりがある県居小学校(現在HPによる
と真淵の和歌を朗唱)の道徳(修身)授業以来折にふれ、彼やその師荷田春満の考
えや生き方を学習し、そのナショナリズムの影響をいくばくか受けたものである。しか
し、グローバリゼーションの中で何が重要であるかに関して、守るべきものは「日本の
将来」であろうと考える。自分のことを考えても故郷や国を愛することは、ナショナリズ
ムは日本で育ち日本語をしゃべる限り、自然の環境のなかで醸成されよう。今このよ
うに、日本の精神資産に関係して、価値創造問題を議論すること自体、日本の将来
への思いからである。道徳教育が再設定されようとしているが、これまでの狭い意味
での「日本人」概念に依拠した教育をすることはよくないし、グローバルな世界を意識
し、進化と多様な価値を受容できる多様な「日本人」を作ることが重要である。そして、
グローバリゼーションの資本主義的競争能力を発揮でき、「日本人の幸せ」可能性を
大きくすることが必要であろう。
1 はじめに
1
日本の将来について、グローバリゼーションの中で、この国は大きな危機もしくは
転換点にあり、リアクティブであるにしても戦略的な選択を迫られている、という見方
が共通認識になりつつある。波が大きくなっていくグローバリゼーションの大海で「日
本丸沈没」の可能性である。この認識は遅く、選択のタイミングを失い、「もうすでに遅
いかもしれない」という見方もある。3 節で日本の状況に触れるが、悲惨である。揮発
油税をめぐる租税特別措置法(道路特別会計)の議論を地方問題に関係づけて日々
議論を繰り返している状況は、船底に穴が開いた映画「タイタニック号」の状況のよう
にも見える。
いずれにしても、歴史の非可逆性に関して、世界の経済社会政治構造の大きな進
化の中で、将来を見据えた適切な意思決定の選択権・選択肢(リアルオプション)を、
過去のそれぞれの重要な時宜でこの国は行使できなかった、ということであろう。そこ
では、日本的間接民主主義のもとでは、日本への直接投資による内需拡大問題など
に関して、利害対立をもつ国内の産業構造に大きく依拠した政治経済構造を自ら改
革できず、意思決定の不作為とタイミングの遅れがあろう。首相が何回も変わる中で、
議論だけが繰り返されて時間を失っても、利害の呪縛・自縛を解く能力が欠如してい
るようだ。
この点に関してさらに言えば、自民党と民主党に代表される2大政党への流れも、
その進化に対して明確なビジョンが見えないし、国民も成長なき経済の下で疲弊して、
変化は求めても改革への意欲も十分には見えない。日本的間接民主主義制度のもと
での国内利害ゲームの弊害(囚人のジレンマ)に陥り、失われた時間のコストが顕在
化しているようだ。現在、米国では、民主党の大統領候補をめぐって、女性候補ヒラリ
ー・クリントン氏と黒人候補バラク・オバマ氏が熾烈な選挙戦をしているが、米国民は
共和党からの候補も含めて、自らの将来の歴史に対して大きな選択権を行使するこ
とになる。彼らにも、イラク問題や医療制度問題、サブプライム問題、原理主義にか
かる保守化問題などいろいろな問題はあるが、このような選択肢が国民に与えられる
ことは、直接民主主義制度に内在するダイナミズムを示していよう。そのダイナミズム
は、将来の米国の進化と発展を作るものである。
リアルオプションの考え方の重要性
進化・不確実性と意思決定の選択肢との関係を理解する枠組みとそれを目的に対
して最適にしようとするのが、リアルオプションという意思決定科学の領域である。そ
の視点からいえば、将来を見据えたタイミングの良いプロアクティブな意思決定こそ
価値を創り出すものである。日本人は進化を見据えたプロアクティブな行動をとること
ができないようだ。「日本沈没論」などへの反論としてよく聞くのが、黒船が来て「頑張
る」というリアクティブな明治維新の行動様式である。しかし明治維新後の発展は、西
洋の知識・モデルの吸収・物まねであり、キャッチアップであった。目的は比較的明確
2
であった。さらに重要な点は、圧倒的な西洋技術・知識への畏敬と国家の危機、天皇
を中心とした国家統一への考え方、貧しさからの脱却など、日本人の精神エネルギー
が一致団結的に高揚しており、それが維新を推進していった。注意すべき点は、今回
のグローバリゼーションの黒船はインビジブル(目に見えない)黒船であるという点で
あり、その船の認識・識別の仕方や分析能力、そして果敢に意思決定する能力に依
存する。さらに、その船のほうはすでに日本に興味を持たなくなりつつあるのかもしれ
ない。
国民の日本人としての自負も気持ちも萎え始めている。例えば、ODAや国連分担
金(年間全体の約19%)、IMF拠出金など莫大な資金を出しながら、常任理事国をも
とめて失敗した問題など、海外からの日本の評価を顕在化した形だ。この時期にこの
形で常任理事国を求めた意思決定のタイミングと世界情勢との関係の認識への反省
の分析は政府から出ていない。莫大な費用をかけながら北方領土返還の問題も解決
も目処はない。日本の外交のあり方をみると、日本のなにか「裸の王様」状況にも見
える。国内では、金融商品取引法の内部統制にかかる法律(J-SOX法)などのつくり
方など、あらたな規制強化が進むなかで社会主義にも似た管理国家を形成し、日本
人の精神の発揚を束縛していくようにも見える。経済にかかる法律は、日本の将来理
念や目的に対して最適性・整合性が求められよう(刈屋(2008))。国内政治につい
て全体として言えば、進化やグローバリゼーションへの戦略的視点が弱いであろう。
世界の進化の中で自己の位置づけをして、国内政治への改革も必要であろう。
本稿の狙い
本稿では、国家の価値創造ERM(エンタープライズ・リスクマネジメント)能力の確
立の視点から、刈屋(2006)で強調した無形資産の基礎として、人の思考やモチベ
ーションを支配する組織精神資産に注目する。そして、「何故プロアクティブな行動が
できないか」という問題を分析しながら、「日本が大国である」というのは幻想であって、
大国になれなかった日本、そしておそらく将来にも大国になれない日本、という問題
に関わる重要な問題を、グローバリゼーションが進む中で、大きな歴史的転換点の現
在において、ひとつの試論を展開したい。この議論をする上での大きな視点は、日本
の精神性が、自ら構築しようとする「将来世代が豊かに幸せに暮らせる国」にとって整
合性を持つものか、日本人の国民性として果たして自立性を持っているのであろうか、
ということである。
この問題を、ナショナリズムと民主主義と資本主義の問題に関係する日本的な精
神構造から、歴史の進化の中で自ら有効な選択肢の選択ができない理由をさぐって
みたい。グローバリゼーションの荒波で日本丸が沈没していかないように、あえてこ
の難しい問題に挑戦する。
最初に価値概念を定義しておこう。価値とは、将来の企業利益フローと労働者余剰フ
3
ローの現在価値であり、それは政治経済構造の変化、技術革新、競争関係、市場動向、
規制など多くの要因に依拠した不確実なものである。したがって理論的には価値は確
率変数である。そのため定量的な価値創造ERM(エンタープライズ・リスクマネジメン
ト)経営の視点からは、価値を確率分布として表現することも多い。またリスクとは、こ
の価値の不確実性をいい、機会と脅威を含むものとして扱う。
このようなリスク概念をすえた経営の例は、デュポンや住友商事などのERMである。
そこでは事業のリターン・リスクの視点からその確率分布を利用している。
この価値概念に基づく価値創造は、その定義から将来世代も含めた豊かさの基盤
である。企業経営とは、不確実性・リスクに関与して価値を創り出す意思決定である。
そこでは戦略的視点が重要である。戦略の設計とは、将来から来る大きな不確実性
への対応法である。その中には嗜好の変化や代替技術の開発で商品が売れなくなる
ことへの対応としての R&D 戦略も含まれる
国家においても価値の概念は変わるものでなく、各国の将来のキャッシュフロー構
造は、外部的なリスク要因に加えて、グローバル社会の中で自らが行う意思決定が
政治的・経済的にフィードバックされてくる、という内生的メカニズムにかかるリスクや
各国間の政治ゲームの不確実性(ゲーム論的不確実性)を内包している。国の競争
力は、このような国家間の関係やゲームの不確実性も含めたものの中で、適切な情
報と「知力」に依存した価値創造力にかかわる競争力である。政治のリーダーシップ
と能力が求められている。
要約する。国・企業の価値創造経営では、価値とリスクの経営は表裏一体であり、
大きな進化のなかで十分な知識のもとでリスクの的確な識別が基本であり、敏速なリ
スク(機会と脅威)への対応能力こそが重要である。価値の経営では「ノーリスク、ノー
マネジメント」である。そこで求められているものは、進化の加速化への対応能力であ
り、重要な戦略的リスクに対して、プロアクティブな視点から有効なリアルオプションを
識別し、果敢に選択できる能力である。米国を見ると、多くの戦略的人材の国のトップ
への登用などによる、戦略の構築などを通して、将来世代に対して有効な国家マネジ
メントをしようとしている。クリントンが創り出した国際機関WTOなど米国の利害に沿
った社会的なインフラもそのひとつであろう。
本稿の構成は次のとおり。2節グローバリゼーションというゲームの本質、3節日本
沈没可能性の状況証拠:進化対応能力の欠如、4節進化と相克:創造的破壊を受け
入れる国際競争の能力、 5 節国の価値創造 ERM を理解する、6 節国家精神資産、7
節グローバリゼーションと国家精神資産を理解する NCD の枠組み、8節日本の NCD
構造、 9 節日米貿易摩擦と米国の精神性、10 節金融産業の活性化、11 節本稿の結
論:「賢く強固な小国日本」確立のために何が必要か
2 グローバリゼーションというゲームの本質
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グローバリゼーションについて本稿の視点
伝統的なグローバリゼーションの理解の枠組みは、市場の開放、自由な貿易、自
由な資本移動、直接投資、証券投資に関係して、通常経済学的な視点から、財・サー
ビスの貿易、金融投資、直接資本投資の3つを分けて議論する。しかし、情報通信技
術やネットワーク、物流システムの大きな発展や、各国の人々のグローバル化への
理解なども進み、全体としてはこれら3つは相互関連性を高めている。実際、「知識」
を基礎としたネットワーク時代には、特に海外企業同士は資本提携、多国籍企業化、
JV(ジョイントベンチャー)などその融合化が進んでいる。すなわち価値の創造が国際的な
関係性をとおして複合的・融合的になされる時代である。特に重要な要素は、「知」を
生み出す人材であり、海外の多国籍企業はこれを求めている。
私自身、グローバリゼーションは、高度に蓄積された資本と技術革新と豊かさへの
あくなき欲求に支えられた「資源と市場の共有化プロセス」であると見ている。その意
味では、抗しがたい経済的なプロセスとして理解される。しかしながら、実際のグローバ
リゼーションプロセスは、それぞれの国の国民がそれぞれの複雑かつ多様な政治経
済構造の違いを背景にした、利害のゲームのプロセスである。その背後には、グロー
バリゼーションに反対な立場の人も多く、ナショナリズムを背景にした民主主義的政
治プロセスを無視できない。
かつて 80 年代と 90 年代初頭に経験した日米構造協議による半導体摩擦問題や流
通摩擦問題を思い起こせばよい。グローバリゼーションは、国民の頭の中に埋め込ま
れた、本質的に国家のコンテクスト性に関わる文化的・歴史的精神性と関係した、政
治経済ゲームであり、無機質的な合理的経済人を前提にした純粋経済学的な市場
原理だけでそれに関わると、大きなリスクになる。90 年代以降政治経済構造は大きく
変わっている。BRICsと呼ばれるブラジル、ロシア、インド、中国の台頭、EUのユー
ロ通貨のドルに代わる基軸通貨の台頭し、アフリカもその資源を基盤に胎動している。
彼らのコンテクスト性も重厚である。
最近の事例では、三井物産や三菱商事出資のサハリン2石油開発のロシア側から
の株式 55%の要求に代表される問題がある。これは、国家間の政治的パワーに関
係したゲーム論的不確実性に関係した問題であろう。
以上の例からもわかるように、グローバリゼーションの本質をギルピン(1998)の視
点に立って、次のように要約できる。
「そもそも市場自体が、倫理的にも政治的にも中立的ではない。また冨、産業、パ
ワーの配分という死活問題を 強国が純粋な市場諸力の相互作用にゆだねてしまう
ことなどありえない。それゆえ、諸国民が、経済的自立性、政治的独立、安全保障上
の懸念まで犠牲にして、グローバリゼーションの経済の効率的作動を最大化するわ
けではない。政治的・経済的・環境的諸要因が各国の命運を決め、競合する各国の
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野望がこの世界を分裂させている一方、技術的進展と市場諸勢力の相互作用が世
界経済をますます統合させる原因となる。グローバリゼーションのもとで安定的で統
合化された世界経済が発展するためは、大国によるそれを支持する政策と大国間の
協力的な関係が必要である」
このギルピンのグローバリゼーションについての見方は、後に述べる歴史的・文化
的・宗教的コンテクスト性に依拠した国民の意思と、意思の反映を可能にする民主主
義的政治プロセスと資本の論理に根ざした資本主義の関係を考えたときに、きわめ
て妥当な見方であろう。それは、そのコンテクスト性から自由になれない国民の意思
がグローバリゼーションの政治ゲームに強く反映されていくからである。
大国間の協力と市場と資源に関して資本主義的な共通な視点・合意なしには、グ
ローバリゼーションにかかる政治経済システムは脆弱となろう。WTOなど、貿易問題
が起きたときの処理機関なども重要であろう。グローバリゼーションが世界の人々に
恩恵をもたらすためには、世界の大国間の政治経済構造の安定性が重要となるが、
それも不確実である。ここで言う、「大国とはなにか」であろう。今後の流れから見ると、
自らの市場を多くの国とシェアする。資本がある。技術がある。人口が多い。軍事力
がある。民主主義と資本主義概念を重視する。国連常任理事国である。世界をリード
する理念や概念や共通の価値観を提案できる。などなど、日本は当てはまるものが
少ないかもしれない。日本は、この大国になれないであろう。これについては、アジア
諸国に対してですら強固な関係性を構築できなかった日本人の精神性が関係してい
よう。
価値の 2 つの源泉と多国籍企業
もうひとつ確認したい点がある。国の価値フローとしては、労働所得からの価値フロー
と資産所得からの価値フローの 2 つがある点である。財・サービスの輸出入である貿易
は多くの国民の労働所得に関わる活動である。他方、蓄積した資産資本からの配当・
利子などは資産からの所得であり、証券投資と直接資本投資に関わるものである。
国の価値フローは、両方とも重要である。金融産業の重要性は、蓄積された金融資産
からの価値創造力に関係している。多国籍企業に関係した直接資本投資は、両方に
関わっている。
ここで、多国籍企業は、海外子会社を持つ企業であるが、多国籍企業の成長だけ
では国民は豊かになるとは限らないことも理解しておくことが重要である。実際、多国
籍企業は進出先国で会社を作り、そこで労働など基本的生産要素を採用し、税をそ
の国で支払う。問題はその後の利益の行方である。利益は配当と将来投資に向けた
留保である。利益が大きいと株価は上がり、株主配当も含めた直接間接還元が行わ
れる。株主は、多くの国にまたがっている。それにより、それぞれの国に配当利子の
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税は落ちる可能性がある。その企業に資金を融資した金融機関も利子を得る。問題
はその留保部分の利用法である。内需がない限り、再びその投資先を海外に求める。
その投資先が海外である限り、労働所得としてこの国の中で回っていかない。その結
果、新しい産業や職の発生の可能性も小さくなる。
したがって、国民として理解しておく必要があることは、日の丸をつけた多国籍企業
が強くなることは、必ずしも国民が豊かになることでもない、という点である。もちろん、
海外子会社の成長を通して派生する部品需要等は、既存の企業の労働所得として
増大する部分はある。しかし、日本の地方の疲弊を見ればわかるように、内需波及効
果としては弱いであろう。優良企業の株主は世界にまたがる時代であり、海外株主の
シェアが大きくなっていくだけでなく、機関投資家やヘッジファンド(その資金を融資する
のは金融機関)の活動によって、多国籍企業の本社の国籍は形式的なものになりか
ねない。本社の雇用による雇用拡大は限界的であろう。
このように見ていくと、国民が幸せになるためには、働ける場所を保障していく基本
は内需の成長構造であり、いたずらにグローバリゼーションの脅威を述べて、公的負
担で多国籍企業の発展を支えていくことには注意が必要である。「誰のためか」と。内
需拡大のない経済政策は、結局のところ民主主義的政治プロセスによって、政治の
不安定性をもたらす可能性もある。野口(2006)が述べているように、産業構造のサー
ビス化への変革と、直接投資の受け入れが必要であろう。
各国の違い
次に、グローバリゼーションのゲームの構造を理解する上での重要な点として、国
はそれぞれ異なっているという、自明のことを指摘しておく。その違いが、それぞれの
国の国民の政治的経済的行動をもたらす。国の違いの構造としては、国土の面積や
位置(立地)、労働人口や資源(石油、レアメタル、食料国土)、資本蓄積(対外資産、物
理的資本)、技術のあり方(科学技術教育水準、知財、ノウハウ)、軍事力(核保有)、
経済インフラなどの違いは、比較的客観的な違いとして議論の対象となりうる。しかし
非常に厄介で議論しにくい問題は、人々の心・気持ち・精神のインフラとしての文化・
宗教・伝統・歴史などに関わり、思考のOSとしてのメンタリティに関わる問題、そして
その延長上にある国民の自負・ナショナリズムに関わる問題である。グローバリゼー
ションは、歴史的文化的なホリスティックなコンテクスト性に基づいた国民の精神性・メ
ンタリティが関わり、国際的な政治ゲームに大きな影響を与える。さらに政治構造とし
ての民主主義のあり方・水準も、大きな影響を与える。イラク問題やイスラエル問題な
ど「文明の衝突」というような視点も重要であろう
重要な点は、このゲームは、単純に経済合理性など経済学でいう、無機物的人間
でなく、国家的コンテクスト性をもった国民の「心・気持ち・精神」に関わる点であり、そ
の国の民主主義的意思決定制度に関係して、きわめて政治経済学的な問題である。
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自分達から見て自然なものが、相手から見ると自然でないということや、自分たちと
違うことを受け入れないとか、あるいは歴史的コンテクスト性が異なることへの理解と
その理解に基づく信頼感などの問題がかかわっていよう。
日本は、非人的資源を持たない。そこで重要になるのは、人的能力の開発であり、
革新的知識ベーストの積み上げが必要であるが、上の議論は競争の仕方、ゲームの
仕方に関係するもので、異なる精神性を持った人々と強い関係性を創る能力は、知
識でなく精神基盤の問題が大きくかかわっている。これも競争力に大きな影響を与え
ていく。複雑な政治的状況のなかで、関係性を強固にする勇気も必要であろう。
3 日本沈没の状況証拠: 進化対応能力の欠如
国内状況
日本の状況は悲惨である。結果として、経済成長力が弱い。日本の経済・需要構
造が変化していたにもかかわらず、古典的なケインズ政策の下に過去に景気浮揚を狙
って大判振る舞いをするなどの結果としての財政赤字は、国と地方で 800 兆円以上で
ある一方、サブプライム問題などで再び景気後退の懸念より、年金資産や家計金融資産
残高(1500兆円程度)は株価下落の直撃を受けている。その基本的問題は、内需
拡大を約束したプラザ合意以降、ずっと言われているが解決ができていない内需拡
大をつくる産業構造変革問題である。コモディティ化していく日本の製造業や生産性
の低いサービス産業など日本の経済構造に関係した競争力の弱さも指摘され続けて
いる。産業構造の変革に関して、国際化できない日本の金融産業の問題や農業の問
題などもある。
その背後に、日本的間接民主主義のもとで、構造改革ができない政治的構造・縦
割り行政の利害対立の問題がある。それは、外国からの直接投資を受け入れること
ができないこと、政治と官僚と、大企業、中小企業の業者との間の相互依存関係の
政治的問題や、中央が権限委譲を遅遅としてしか進めない地方分権化問題が大きい。
政治家は自らのサバイバルのために、総じてこの構造を維持しようとする。その結果、
中央と地方の格差が拡大し、それは貧富の差の拡大に関係している。この経済問題
と格差問題は、相互に依存した構造的問題であり、長い不況のなかで、構造的に分
断化されていく労働市場などを作り出している。これらは社会的問題として、フリータ
ー問題、貧困の問題を大きくしている。OECDによる2005報告書によると、OECD
諸国のなかで相対的貧困率(家計所得の中位数以下にある家計の割合)はワースト
5位になっている(米国、メキシコ、トルコ、アイルランド、日本の順、先進主要国17カ
国ではワースト2位)。若年層のワーキングプアの数の増大や餓死者(過去5年で35
0人以上)の数が増えている。自殺者は年間3万人以上である。凶悪な犯罪数の増大
もある。それには外国人犯罪も関わる一方、研修生の名の下に劣悪ともいえる労働
環境での労働力を輸入も無関係ではないであろう。
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さらに少子化・高齢化のデモグラフィック問題もこの問題と大きく関係する。それは、
年金、事業・農業継承問題、医療介護問題、医者不足問題など財政不足の中で問題
が山済みである。過去の不作為の責任は大きい。
日本の人的競争力低下の指摘もいろいろ報告されている。技術立国を標榜しても、
05~06 年版『世界 IT レポート』によると前年 5 位に転落した米国がトップに、日本は 8
位から 16 位に転落し、台湾(7 位)、香港(11 位)、韓国(14 位) などに遅れをとっている
との報告などなど、問題は山済みである。
日本の国際関係
国際社会に目をやると、90年代に政治経済構造の大きな進化があった中で、日本
はバブル崩壊後の不況や金融危機で外交政策もアメリカ一辺倒であった。米国1極
覇権から欧州、ロシア、中国、インドなど多極化への国際政治経済構造へと大きな進
化を遂げた。そこでは基軸通貨はドルとユーロの2つの軸に移っている。2000年代に
はユーロ高・ドル安の中で各国保有の資産(富)の価値を変えている。日本の円資
産・ドル資産は対ユーロ、オーストリアドルなどに対して、大きく減価している。この構造は、
サブプライム問題は、金融衝撃だけでなく米国経済との関係で実物経済を通してさらに
構造化していく流れにある。その影響として、景気の腰倒れなど予想されている。
国際政治では、2005 年の国連分担金は、米国(22%)、日本(19.5%)、独(8.7%)、
英国(6.5%)、仏(6.0%)、中国(2.1%)、ロシア(1.1%)であり、米国を除く常任理事国
の分担金は日本半分以下である。さらにドイツ、インド、ブラジルと一緒に国連常任理事
国になろうとして、多額の資金を使い、小泉首相がアフリカ諸国を訪れても十分に関係
性の構築ができず、その他の理由もあって常任理事国の失敗した。再度その可能性
を求める選択肢はあまりないであろう。この問題は、日本人の精神を大きく萎えさせ
た。このことも現在の「日本沈没」感に影響を与えていよう。日本はあまりにも米国追
随で、アジア諸国やアフリカ諸国と信頼関係を築いてこなかったことの付けであろう。
将来をみれば、中国やインドとの関係が特に重要となる中で、ナショナリズムにか
かわる日本の歴史判断問題として、中国との間には戦争問題、靖国神社問題など、
首相が変わるごとにその関係が不安定になって、信頼性が揺らぐ。個人の信念は別
として、1995 年の村山総理大臣談話などを基礎として、将来世代に向けた戦略を考
えてもらいたい。
一方、中国は、胡錦濤主席や温家宝首相がアフリカ諸国に数回訪問し、その関係性
を強固にするだけでなく、石油開発・希少資源・レアメタルなどに対して、戦略的関係を構
築している。日本のハイテク製品に必要なインジウムなどレアメタルの価格は、2003年に
比べると5倍から10倍になっている。さらに、石油価格の高騰の中での石油問題に
関して、石油公団の戦略の失敗や米国追随からイランとの関係を諦めたことやサハ
リンの石油開発でロシアの不当な要求に応じざるを得ない状況や、東シナ海での中
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国の石油開発に対しての交渉のあり方など、悲しいともいえる日本の対応である。
石油の問題にも関係した、2012 年に求められる、達成困難な京都議定書の CO2 削
減問題もある。日本は確かに自らCO2 を削減してきたのであるが、経済界は少し腰
が引けていたこともあって、国際環境問題でリーダーシップをとれていない。さらに言
えば、クリーン・ディベロップメント・メカニズム(CDM)による排出権の取引で、大きな
コストをかけて購入しなければならないのは日本だけである。足元を見た日本の商社
や海外の投資家の行動が見え始めている。他方、アラスカの永久凍土から大量のメタン
が日々発生していても、ロシアにはその発生量は京都議定書の基準設定には含まれ
ていない。重要なことは、排出権取引によって、実体としてCO2が減少して温暖化傾
向がとまることであり、いたずらに排出権購入に税金を使うことはよくない。この問題
はエネルギー業界など産業構造にかかる問題にも関係しており、更なる脱化石燃料の
視点をすえた代替エネルギー・イノベーション技術開発が必要であろう。民生部門で
の削減も指摘されるが、2 重ガラスなど居住環境などエネルギー節約以外にも、エネルギー
の選択肢もほしいものだ。
もちろんこれらは、過去の意思決定の付けであり、進化対応能力に関わる問題で
ある。何が必要であろうか、これが問題である。
4 進化と相克:創造的破壊を受け入れる国際競争の能力
日本は、日本人を豊かにするために、グローバリゼーションに積極的に関わること
が必要であり、その能力の形成が重要である。海外からの直接資本投資を受け入れ、
産業構造を改革していく、進化を受け入れる精神風土の形成が必要である。この節
ではこれを議論しよう。
一般に、経済の発展とは、常に過去からの古いものと将来から来る新しいもの現在
における相克の交代プロセスであり、そこでの生存は、進化に対応して自らが変わる
ことなくしては確保できない。生物の進化がそうであるように、それは国家においても
同じである。グローバルリゼーションでは、進化が遅い伝統的な文化的価値、社会的価
値、信条、制度と対立する傾向を持つことは間違いない。
実際、米国の場合でも、日本の鉄鋼や自動車などが米国へ進出したことにより、米
国のサービス産業構造への移行をもたらしたが、その過程はリストラだけでなく、プラ
イドの毀損など苦痛のプロセスであった。デトロイトの労働者が日本車を破壊する映
像が世界に発信された。その経済的精神的苦痛からの脱出は、米国の再生でもあり、
知的財産も含めて無形資産への重要性についての認識を高めていった。このように、
グローバリゼーションをとおした競争は、伝統的な産業に依拠する人々にとっては、新
しいビジョン・方向性・価値観の受容、産業構造変化と職の転換、また所得水準の低
下などを要求するので苦痛を伴う。一方、日本の大規模小売店舗法では、不況の中
で「街づくり三法」として大規模店舗の出店を規制する内向き方向に再び舵を切った
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が、海外からの直接投資と比べて、それが内需や新しい職の創生につながるのであ
ろうか。
もちろん、グローバリゼーションについての理解の仕方や評価は多様である。スティ
グリッツに代表されるように、それは富める国による貧しい国の搾取のプロセスであ
るという見方がある。歴史的には確かに、自由市場を前提に、先進国から発展途上
国に対して「市場資源への共有」の強い要求があるが、一方、その結果として発展途
上国も開発と豊かさの分配をうけて資本蓄積をしていった。グローバリゼーションは、
世界経済の内発的な発展過程として、資本の論理に基づく「市場と資源」の共有化の
プロセスである。忘れてはならないことは、資本の論理には、人間の価値観・実存感・
豊かさへの希求があり、この人間の希求が過剰な資本、IT・技術、自由市場との相互
作用により、世界を結合し、進化を加速化している点である。
世界の中でその資本の論理を追求するプロセスで、地球規模の資本主義的競争
を通した経済的厚生を向上・最大にしようとすることの成果は、途上国の人たちにも
一定の範囲・程度で帰結されるであろう。それは、労働者の職や所得だけでなく、高
度な資本蓄積を背景に、市場メカニズムを通して、情報通信・医療などの技術・知識
の移転が行われ、さまざまな商品を通じてそれぞれが豊かになる可能性を持つからで
ある。
しかし、その成果の配分を得るためにはそれぞれの国で有能な政治家と有効な政
治プロセスが必要である。各国でグローバリゼーションに関わる資本主義的経済プロ
セスを機能させるためには、民主主義とナショナリズムの相互作用とのバランスが必
要であり、「過去を未来で置き換える」プロセスは国内の伝統・文化・歴史に関わる精
神性と摩擦する問題が伴う。この点、米国の場合、グローバリゼーションは自然なプロ
セスとして国家的イデオロギー・精神性と整合性を持っていよう。そのため、米国がそ
の成果を大きく享受してきたし、今後もその促進者として旗を振ることであろう。米国
では、精神的基盤としての歴史的・宗教的・文化的コンテクスト性は、資本主義(C)と
ナショナリズム(N)、民主主義(D)と調和をしている。後に述べるNCD一体型国家で
ある。90 年初頭、日本の門戸開放などの貿易摩擦を経て、クリントン政権はWTO(世
界貿易機構、不公正貿易に対して法的措置機能を持つ)を作り上げた。それはある
意味で、「米国から見た日本の不公正貿易」についての彼の思いの象徴とも取れよう。
中国は2001年にWTOに参加した。その後、この流れを受けて、多くの国が2国間で
EPA(経済協力協定)を締結し、特に農業問題などに関しては多国間の一般的貿易
ルールを避けるかの様な行動が進んでいる。いずれにしても、グローバリゼーション
における競争においては、国民の利益代理人としての政府の機能が重要であり、そ
こで成果を得るためにはその複雑な政治的経済的ゲームの戦略的対応能力が重要
である。
日本はその資源力と市場規模から、世界経済のグローバリゼーションに積極的関
11
与せざるを得ない。過去においてその促進者・リーダーとしての機会も与えられたと
思われるのだが、その機会を利用できなかったし、1985年のプラザ合意の内需拡
大も守られなかったように、政治経済構造を変えられなかった。この日本の政治プロ
セスには、国内利害に支配された政治的構造を変えられない日本的間接民主主義
の構造と、政治精神風土があると考える。
その背景に、バブルのときに大きく顕在化した、国民全体の「ものの価値への認
識」が資本主義的価値認識とずれていた点があげられる(刈屋(2003))。この認識
は政治や司法の精神風土に健在であるかのようにみえる。その認識により、バランス
シート経営に代表されるように過去の資産ストックの蓄積に目を向けた経営に終始し、
バブル崩壊を経て競争力を失った。これも日本の精神性に関わった、土地神話への
依存性であった。一般に、過去に蓄積された固定資産は、進化の中で大きな価値変化
にさらされ、陳腐化が進むのである。また金融資産は絶えず市場の変動の影響を受
けている。問題は将来のキャッシュフローに目をすえた価値概念が重要である。
5 国の価値創造ERMを理解する
国家の競争力を考える枠組みとして、価値創造企業経営・国家経営を理解する枠
組みも進化している。それは無形資産の価値創造能力に関わるものである。このこと
を議論するために、まずは価値の本源はヒトが作る「広い意味での知識」であることを
確認する。その意味ではまず「知」を創造する優秀な人材が必要である。そして、過剰
に蓄積された資本は、自らのレバレッジを求めて世界の知識を需要している。これがグ
ローバリゼーションの本質でもあろう。実際、技術はもちろん、ソフトやビジネスモデル、
デザイン、融合やネットワークの知識などの知識が、モノやサービスと結びついて、差
別化された新製品や新サービスとして大きな価値を創るのである。IBM やソニーなど
中国で優秀な人材を求めている。その意味では、グローバリゼーションは、この知の
創造者の確保と知を商品シェアをめぐるグローバルな競争であり、結果として国をま
たぐ知的所有権・財産権をめぐる問題が大きな問題となる。WTOでも、ドーハラウンド
としてこの問題が重要なテーマとなっている。中国は2001年にWTOに加盟してい
る。
知識は価値の入り口であるが、実際に企業経営で価値につながる知識を構築する
仕方として、刈屋(2006)では価値創造ERMの視点からリスク・プロセスアプローチ
を提案している。そこでは、戦略的リスク、操業的リスク、財務的リスク、危機リスクに
リスクを分類し、価値創造・価値毀損に関わる重要なリスクを識別し、対応法として必
要な知識やイノベーションを創り出したり、資源の再配分したり、外部から補充したり、
あるいは買収する。
そこで重要な点は、進化の加速化の過程で、企業のみならず社会全体での人的資
源は絶えざる陳腐化リスクにさらされている、という点である。これは、組織の知力、
12
情報の分析能力の低下だけでなく、進化していく将来の不確実性に関して戦略的に
関与して価値を創り出せるか、という「意思決定能力の水準」に関する問題である。実
際、リスクは一層ホリスティック(複層・複合・融合的)になり、分析・理解が難しくなっている。
国際政治の構造の変化の動向や中国要因の変化などによる事業価値の変化などは
その例であろう。石油や希少資源は政治的資源ともなろうとしている。さらに、通貨の
相対価値の変動は保有資産の価値格を変えていく。このような複雑・複層・相互連関
的なリスクに関与するためにも、国家や官僚組織の知識レベルを上げる必要がある。
陳腐化していく知識に対して人的投資が必要である。企業全体を見据えた経営能力
は、価値創造 ERM 経営能力として、各企業の固有な能力として大きく求められてい
る。
価値創造ERM経営の思考法
企業の経営の場合、価値創造ERM経営思考が、企業の持続的発展ならびに成長
にとってきわめて有効である、と認識されつつある。その思考は、経済政治社会の進
化を見据えて、組織横断的な視点から経営者、従業員、供給者、株主などステークホ
ルダーを価値創造プロセスに組み込み、保有資産を全体最適な視点から活用しよう
とするもので、有効な価値創造経営プロセスを創り出そうとするものである。私自身、
そのような思考法に基づく価値創造 ERM 経営能力は国際競争力の重要な部分であ
るとして、2007年5月に日本価値創造ERM学会を設立し、社会全体に学習プロセス
を組み込んだ。この考え方の基本は、米国の内部統制の有効性を求めたサーベイン
ズ=オクスレイ(SOX)法に対応して提出された COSO の枠組みが代表的なものであ
るが、さらに進化していく流れにある。価値創造ERM経営の日本のベストプラクティ
スは、松下電器産業、住友商事、帝人、東京ガスなどである。米国の例は、シェンカ
ー他(2004)に詳しい。
刈屋(2006)では、企業の固有能力に関わる無形資産こそが価値発生源であると
みて、価値創造 ERM の基礎としての無形資産を表 1 のように分類している。この表で
重要な点は、プロセス概念である。プロセスは、企業文化など組織精神資産に作用を
受けた人的資源が、組織資源や関係資産、固定資産と一緒になって、各部分プロセス
に入り込む。そして、価値創造経営プロセスはこのような部分プロセスの有機的(ホリス
ティックな)結合である、とみる。内部統制プロセスは、この有機的な価値創造プロセスの
安定性に関わるものである。価値創造の有効性では、有効な企業の理念やミッション
などの上位概念のもとに、価値創造の基礎である知識を生み出す人間を包み込み、
動かし、モチベーションを高め、知識・価値を作り出す組織精神資産が重要である。組
織精神資産は、企業理念、企業文化、企業倫理の各資産からなり、それらは有効な
価値創造経営の基礎であり、内部統制のインフラ資産でもある。すでに述べたパナソ
ニックの価値創造 ERM の枠組みは、この組織精神資産の基盤をその創設者松下幸
13
之助氏のリスクマネジメント哲学に依拠させている。
日本の精神性や文化に起因する精神性や価値観を議論することは、私の能力を
超えるものであるが、日本の将来、日本の将来世代を考えたとき、価値創造とこの国
の精神資産の関係の問題を避けて通れない。それは、上で述べたように、企業の価
値創造において、組織的精神資産は人的資源を有効利用する基本的資産であり、無
形資産の固有性にかかわる基礎であることと同様に、国家においても精神資産は、
人的資源の潜在的能力・イノベーション能力を有効に活用できる可能性を大きくする。
この精神資産が国家の無形的な価値として、人に作用して人の思考を載せるプラット
フォームを形成する。その精神資産は、進化も時代の脈絡とともに受け入れ、自ら発
展できるものであることが重要である。
基本的な問題としては 国家の精神資産と資本主義的思考法との整合性、資本主
義的な社会経済の進化との整合性が極めて重要な問題である。ここに非整合性があ
るとすれば、進化に対して日本の価値創造の競争は遅れを取ることになる。実際、こ
れまで経験してきたように、改革という言葉もきわめて実体性が乏しいものになってい
る。
日本の精神資産の問題について議論しよう。特に重要になるのは、われわれの思
考を直接・間接に支配する「日本主義」であるが、われわれが文化と歴史と社会的な
価値として、なんらかの形で無意識的にも有意識的にも個人を支配する精神的なも
のと、これに関わって議論せざるを得ない問題があろう。われわれの行動やものの考
え方に、丸山真男のいう過去からの「執拗低音」が付きまとい、「古層」(精神構造の
層を掘っていくと突き当たる硬い層)の支配する中で価値創造をすることは疲れること
であろう。この古層がなにかという問題は、多くの歴史学者や社会学者の研究対象で
あろうが、日本の宗教性にも依拠しているとされる天皇制にかかわる日本人の精神
性が関係していよう({})。いずれにしても、過去に引き戻されながら(ブレーキを踏み
ながら)、前に進もうとする(アクセルを踏んでいる)日本人の姿の限界が見えるような
気がする。特に、グローバリゼーションの中で、これまで蓄積した金融資産の有効利
用とその機能を果たす金融的能力・金融機関の国際競争力の弱さにこのことを見る
のは私だけはあるまい。




組織精神資産:①理念、②文化歴史、③倫理
人的資産:①操業人的資源、②革新人的資源、③経営力プロセス人的資源
無形資産:①プロセス(制度)資産、 ②内部外部関係資産 ③組織資源
BS 計上資産:①有形固定資産(機械、不動産等)、②金融資産、③無形固定
資産
BS(バランスシート)計上資産は株主所有のものであるが、それは購入可能という
14
意味で汎用資産と呼ばれる。株主資本主義は、資本が相対的に価値がある時代の
主張である。しかし、結局のところ、21 世紀では株主が所有できない無形資産のほう
が重要になりつつあるので、BS上の資産維持・拡大の経営をしても価値創造はでき
ないし、それが経営の目的ではない。すでに述べたように、(過剰な)資本は自らのレバ
レッジを求めて知識を求める流れにあり、知識資本主義といわれるゆえんである。組織
が保有できる知識は、そこにいる人間を媒介にするもので、暗黙知などもそこには含
まれる。マニュアルなどの限界がそこにある。
6 国家精神資産
すでに述べたように、グローバリゼーションの中での価値創造の視点からの国家
の経営においても、国家精神資産が、国民の思考や行動、価値・リスク認識の基礎と
なる精神的OS(オペレーション・システム)としてきわめて重要である。思考や行動の背景に
はこのメンタリティに関わる問題が、不可分に結合しているので、経営力や国際競争
力に影響を与える。そこでは、不確実性や大きな進化の中での「経済合理性」などと
いうものは、実はメンタリティと関係した価値観とそれに関係した政治構造を外におい
て議論できないのである。日本のバブル期の土地神話に関する日本的メンタリティが
そうである。その意味で、経済や政治、社会のさまざまな論理に基づく意思決定問題
は、この精神的OSの中で絡み合ったホリスティックな問題であるので、単純に「経済
学的には」とか「政治的には」とか分離して議論すると、歴史の意思決定としては大き
な誤りを犯しかねない。この国にかけているのはこの総合的・融合的視点だけでなく、
国家の精神資産の重要性の認識に関する視点と日本の精神資産の価値創造への
有効性を確保するあり方への視点である。
国家精神資産も、歴史、文化、宗教、倫理などを基礎に、民族の自負にかかわる
資産(ナショナリズム)を形成していて、各国の組織精神資産が国民に作用して、国民
の思考や行動を支配する。それが国家の固有性である。国家の精神資産は、その歴
史的コンテクスト性、社会的・文化的コンテクスト性に依拠するがゆえに、その変革は
むつかしいことである。一方、それを維持しようとする政治的力も働く。それは民族的・
文化的価値観に基づいたナショナリズムを利用しようとする立場である。実際、どの
国においても、政府はその継続を維持するために、国民の思考の基礎としての精神
性を直接的にも間接的にも統括したり、統制したり、利用しようとする傾向をもつもの
である。これに関して思い出されるのは、昨年教科書問題で問題とされた沖縄戦の記
述の問題である。沖縄の人たちの証言を否定した「歴史の専門家」による検定判断結
果が覆ることになった。他方、中国では、教育において日本の戦時中の行動を過度に
表現して記述していたようにも見える。人の精神性を管理しようとする意図が窺える。
国家の安定性は、社会的・歴史的価値に根ざした自然な民主主義的政治プロセスを
基礎にしたものである限り、経済的価値の追求にとって重要な国内要因であろう。そ
15
こでは、経済問題に関する司法の判断もきわめて重要である。ブルドックソースの買
収問題に関わる高等裁判所の判断を見る限り、判断の規準となる精神性は法律の
学習に多くの時間を費やしてきた裁判官にゆだねられているようだ。価値創造の視点
からあえて言えば、リスクである。
しかし、その安定性・政治的地位を求めるがゆえに、過度な精神教育や統制は国
民の自然な精神的な進化を妨げる要因ばかりか、グローバリゼーションのながれで
国際競争力を低下させるリスク要因である。結果として、現在のグローバルな国際情
報通信時代においては、それは大きな政治的不安定性をもたらすことになろう。他方、
日本人の国民性としては、その「依らしむべし、知らしむべからず」的歴史的コンテク
スト性がゆえに、政府に統制を求める傾向が強いようにも見える。この権力への依存
性メンタリティは、日本人の弱さである。国際的な政治経済環境は、分権化の流れで
あり、自らが独立した判断による独立した意見や行動が要求されている。国民や消費
者の安全・安心・弱者保護という、誰もが受入れがちな大義名分のもとに多くの規制
が作られているが、例えば仮に100年に一度に起こるかもしれないようなマグニチュ
ードの地震を前提にした建築基準を全国的に求めたりすると、国際競争力を落とすだ
けでなく、建築物としてそこにそれを固定するリスクのほうが大きくなろう。建築物は技
術的にも、性能も、材料も、美的にも、経済的価値としても陳腐化する。都市も進化・
移動する。
話を戻そう。われわれの議論の視点からの問題は、グローバルな視点から見て、
日本国家の固有性は、国民が求める「幸福な社会」と整合的なものであろうか、将来
世代の「日本人(日本的な精神性を共有する人たち)」にとって、経済的な生存の基礎
と競争力をもたらす「豊かさ」を求める立場から、足を引っ張るものでないのか、という
問題である。すなわち、日本が長い歴史のなかで綿々と無意識的にも有意識的にも
維持してきた精神資産が、グローバリゼーションに内在する資本主義的進化に対して、
国の競争力を確保し、価値創造を促進し、将来世代に十分な有効性を確保していくこ
とができるものなのか、という難しい問題を議論する。この問題は、イデオロギーや価
値観に直接的に関係する。しかし、タブーをつくることはリスクである。日本的精神の
下で「裸の王様」にならないようにしなくてはいけない。この問題は、実は企業におけ
る価値創造の組織的精神資産の形成のあり方、競争力を持つ有効な経営のあり方
に直接的にも関係している重要な問題である。この問題はさらに、国民一人ひとりが
なんらかの形で自分の価値観との関係を問いかける問題でもあろう。
7 グローバリゼーションと国家精神資産を理解する NCD の枠組み
Why not joining with changing!(変化を恐れるな)
グローバリゼーションへの対応能力を理解する上で重要な概念として、進化と変化
への対応のスピードの違いをつくる要素を議論しよう。国や企業など組織において進
16
化に対応しようとすると、必ず自らの存在のコンテクスト性と関係して、組織のそれぞ
れの人の立場から政治的な摩擦と社会的混乱をもたらす可能性が存在する。そのた
め、結果として進化への対応が遅れたり、組織が陳腐化したりする。バーニー(2004)
が指摘するように、その中に新しいことを学習することへの人間の抵抗・反発も含ん
でいる。特に組織において企業特殊的知識やスキルを得る学習時間的・金銭的投資
を必要とする場合その抵抗は大きい。
吉田兼好は徒然草の中で、「あだし野の露消ゆるときなく、鳥辺山の煙たちさらで
のみ住みはつる習いならばいかにもののあわれはなからん。世は定めなきこそいみ
じけれ」と、仏教に関係した無常観を表現するが、これはおそらく天変地異の理解力・
知識が不十分であるため、諦念の気持ちで、日本人はその変化を神仏の力を恐れた
ものであろう。もちろんその性格は、日本人の宗教観に依拠していよう。
そこには、日本人の「ものの理解や知識化において固定化の思考癖」を持つように
も思われる。また日本人はタクソノミー(分類整理)やパターン認識を好む。これは、理
解の容易性だけでなく、日本的権威としての天皇と関係した宗教文化伝統などの概
念と関係した、普遍性・不変性の価値観念であろう(武光(2007)、山折(2008))。この観
念から見ると、進化のダイナミズムなどというものは受け入れがたいものであろう。一
般的にも各時代の政府主体は自らの安定性を求めて、「精神性に関わる概念」を固
定し、支配の安定化を図る。江戸時代の成功は、武家諸法度・公家諸法度などの制
度と組み合わせて精神性の管理を行ったことにあろう。しかし江戸時代でも経済の発
展とともに、その上位にある普遍的な天皇の権威を中心とした精神性が、国学などの
知識の蓄積・普及とともに人々を支配しはじめ、黒船が引き金になって精神が高揚し、
明治維新へのエネルギー爆発となった。精神性としては、彼らの理解した日本の歴史
的コンテクスト性が大きく関係していよう。そこには、「神の国日本」という概念があっ
た。
グローバリゼーションに関与する上で重要な点は、進化を受け入れることである。
政治経済社会構造は、知識の蓄積、技術の蓄積、資本(豊かさ)の蓄積によって、変
化するものであると、理解する能力が重要である。グローバルに加速化する進化の
時代に物事を固定して理解するリスクがさらに大きくなっている。IYグループの鈴木
敏文氏などは、操業的リスクに対して仮説検証により、変化を捉えようとしている。し
かし、戦略的リスクに関しては実験ができないのでリスクへの関与の仕方が異なる。
これはイオンの戦略の対比として議論されることもある。
進化のスピードの時間軸
いずれにしても変化への対応能力に関わる問題を議論する場合
 ヒト(人間)の精神的構造の変化の時間軸
 モノ(実体経済)の世界の変化の時間軸(非可逆的)
17
 カネ(金融資本)の移動の変化の時間軸
の3つの時間軸を必要とする。それぞれの国の進化の対応による変化のスピードは、
ヒトの精神構造の変化に要する時間で異なる。日本の意思決定の遅れ、タイミングよ
くリアルオプションを行使できない理由がこれに関係する。この問題は、国の教育政策、ナ
ショナリズムの埋め込み方にも大きく関係する。米国は、大統領選のたびに新しい人
材とビジョンが登場し、変革(Change)を唱える。進化を求めるフロンティア精神のよ
うにも見える。この政治のダイナミズムの背景には、かつて岡義武氏も指摘した、「資
本主義(C)と民主主義(D)とナショナリズム(N)」を一体化した文化的基礎、存在理
念、米国のイデオロギーがあるように思われる。それが米国の国民の精神資産として
機能し、米国では変化をつくるものを評価する。そして進化を見据えて試みる、プロア
クティブ社会である。スタンフォード大学卒などの優秀な若者は、大企業に行くのでな
く自らの能力を基にチャレンジし、イノベーションを起こすことを誇りにするものも多い。
かつて家電から撤退したGE(ゼネラル・エレクトリックス)の企業文化は、変化を前提
にしている。「撤退オプション」の行使は難しい意思決定のひとつであるが、彼らの文化
である。東芝もHD-DVDの撤退を表明した。競争の厳しさを短期間に見る感じであ
る。
国のイノベーション・変革・産業構造の変化などは、ヒトの精神構造、モノ・技術の進
化、カネ資本蓄積の相互作用が関係し、人の人生をかけたコミットメント・チャレンジが重
要である。それに対して温かな精神環境と支援が必要である。世界の中の競争にい
るのである。イノベーションの力として、日本では過去の精神的資産としての人生につ
いての考え方が進化のブレーキとなっている可能性も否定できまい。スタティックな社会
である。それは、優秀な人材の市場は、転職が自由になってきたといっても、「新卒概
念による年次」で大きく規定されていることも一部関係している。
これに対する対応として、社会の精神的遺産を理解の仕方に柔軟性を持つことが
必要で、イノベーションには進化対応能力が必要であり、その基礎は精神構造に関
係している。そして精神資産を柔軟に拡大解釈や再設定などをしていくことが、国際
競争力の基礎となろう。さもなければ、危機を迎えられないと変革をできないリアクティブ
社会を継続していくなかで 大きな混乱とコストもとで日本丸は沈没していくことになろ
う。
国の3つの精神的座標軸:NCD モデル
上で触れた、ナショナリズム(N)と民主主義(D)とキャピタリズム(C)の概念をすえ
た、国家のモデルと競争力の関係をさらに議論してみよう。表2にこの3つの要素の
持つ意味を説明してある。
表2 NCDモデル
18
 N 要素:ナショナリズム N の基礎となる精神構造(文化的、社会的、宗教的、歴
史的価値、政府との関係性・社会的契約の基礎ー社会的精神構造の基礎:コ
ンテクスト依存性と広い意味での教育)
 C 要素:キャピタリズム C のインセンティブ(資本の論理ー自由市場の要求-人間
の冨・権力への欲望・国際性を持つ):進化のドライバー
 D 要素:デモクラシーD の政治プロセス(進化の中での社会的価値観を背景と
した政治プロセスーN と C に依存した人間の選択:「雇用と豊かさ」の確保)
米国はNCD一体型の政治経済構造を持つ。日本のNCD構造については後のベ
ルが、日本と米国の間に欧州は位置づけられよう。
国民の価値判断は、内的規律と内的動機(インピタス)の基礎となる N 要素と、その相
互依存関係にある政治選択に関わる D 要素と国民それぞれの政治的なリスクに依拠
しよう。しかしそこでは、国民もそれぞれの国の政治経済構造と世界の政治経済構造
の進化の動向を見据えて行動する。さらに政府の政治的要素 D のビジョンや教育、リ
ーダーシップによるN要素の誘導やNとDの相互作用も大きく関係する。さらにこの関
係は将来の不確実性(機会とリスク)に関して、資本主義的 C 要素(インセンティブ)との相
互作用 C⇔(N⇔D)に大きな影響を受ける。各国の各時代の社会の精神構造は、これ
らの複雑な相互作用として、盛り上がったり、悲観的になったりする。また政治的プロ
セスの安定性は、この 3 つの関係に依存する。
NCD の構造は国ごとに異なる。ナショナリズムの基礎をつくる精神構造は、コンテ
クスト性が強く、一般には非可逆的である。ナショナリズムは、人の思考や行動に対し
てのプラットフォームとなるだけでなく、効用欲望・インセンティブ体系に対しても規律として内
的かつ外的に人に作用し、キャピタリズムの国ごとのあり方と民主主義のあり方に影
響を与える。その結果、政治経済構造を一定の範囲で支配し、政治選択プロセスに
影響する。すなわち、ナショナリズムの基礎となる精神資産は、政治経済の基礎でも
あり、国民はその選択の主体であるとともに、埋め込まれる客体である。実際、このナ
ショナリズムの基本設定は、時間をかけた歴史的文化的宗教的コンテクスト性と、そ
れを維持しようとする政治のプロセスに依拠しているが、その政治プロセスも実は民
主主義を通してその基本に支配される。2007年の参議院選挙での自民党の敗北も、
結局のところこの基本的精神資産に支配されている国民の選択である、と解釈できよ
う。日本政府が国の支配精神として自ら求めてきたものによって、支配されている。当
然、小泉政権のときに見られたように、国民のもちろん政治主体による国民への戦略
的コミュニケーションによって、各時代の政権の意思により、ある程度その発揚仕方
が異なる。
しかし、インターネットやCNN、BBCなどの世界からの情報を受けて、日本のあり
方と自分のあり方が相対化できるようになっているため、豊かさとともに人々の精神
19
性・価値観は少しずつ変わる。海外からの情報に国民を積極的にさらして、それぞれ
その意味や将来への影響を思考させ、リスク(機会と脅威)を識別させ、有効な選択
肢を選択し、価値創造につなげていくことが重要である。そのためにも、日本語圏の
限界の問題を少しでも克服するように、求める人に年少時に中国語、ロシア語なども
含めて学習できるように、教育のあり方などを緩めていくことが重要である。それは、
個人の競争力の多様化にもなろう。
日本人の情報収集の場合、情報の入り口が日本のメディア会社の選択と編集と解
釈を通してしか得られない場合が多い。そこには、日本的ジャーナリズムの特徴とし
て、編集者の会社としての選択のみならず、編集者、解釈者のメンタリティと能力に関
係した問題も含まれる。そのため、情報の遅れはもちろん、それぞれの人が自らの情
報を咀嚼して主体的にあるいは自立的に行動する側面が弱くなっているかもしれない。
社会の進化は複層的複合的であり、何が重要であるかは個別的であろう。日本の政
策選択やビジネスの意思決定では、専門家が情報への直接的なインターフェイスを
持ち、それをすばやく活用していく能力とインフラを広げることが重要であろう。「多様
な日本の精神性を持った日本資産」となるのである。
8 日本のNCD構造
政治経済システムの基礎となる日本の NCD 構造を考察しよう。すでに触れたように、
日本の思考法や物事の理解の仕方は不変性普遍性を求めて構造を固定する傾向が
あり、変動するものを嫌う。学者の世界でも体系化が好まれた。しかし体系化したとき
にはすでに陳腐化していることも多い。さらに日本人は、固定化志向から変動に対し
て表面上機会を求めることを嫌う。したがって、社会の評価として、変動に機会を見つ
けてリスクテイキング行動を軽蔑する。これがイノベーションができにくいひとつの理由であ
ろう。しかし金融だけでなくても、経営やイノベーションはリスクをとることから始まる。
そこには他の人より先んじた機会の利用があり、技術のイノベーション価値が発生す
る。模倣可能な共通化した技術では、商品はコモディティ化するだけである。
高度な資本蓄積の更なるレバレッジへの要求と技術革新を背景に、グローバリゼー
ションは、抗しがたいエネルギーをもって、さらに進化しようとしている。日本にとって
はこの流れに積極的にかつ有効に関わることが重要である。それゆえ、日本の精神
資産と資本主義的進化のとの非整合性あるいは摩擦性が大きな問題である。N 要素
は幼児期、少年期の教育に関係し、歴史・宗教・文化についての刷り込みがその後の
情報、知識をスクリーニングしたり、思考に結び付けたりするOS的役割を果たす。そ
の意味で日本の政府が教育指導要領などに関与して、多かれ少なかれ「日本人」とし
ての思考やコミュニケーションのOS設定をしている。その N 要素の維持に大きな時間
的コストを支払い、進化に対して過去からのブレーキを大きくしているだけでなく、「その
同質性を強要」している部分がある。これは進化が加速化されていくグローバリゼー
20
ションのなかで大きなリスクであろう。この部分に関して、ゆるい要求をし、ゆるい指導
要領のもとに多様な人材を作りだすことが重要であろう、と考える。これまでの狭い意
味での「日本人」概念に依拠した教育概念では、おそらく資本主義的競争能力を発揮
できないであろう。
その代表が金融であり、少なくとも現在の経営者を基礎とした日本の金融機関の
背後には、全体として言えば、日本の精神的内部相克に依存した国際化できない弱
さを持っている、ようにみえる。「金融商品取引法」に代表されるように、金融庁も求め
られるかのように、内部相克メンタリティを反映した事前規制に力を入れている。ブル
ドックソースのM&A防衛に関する高等裁判所の裁判官のメンタリティなど、過去に大
きく呪縛されたものの見方であるとも感じている。最近、経済金融教育などが少し小
学校や中学校で行われたりするが、基本は日本的精神資産との関係が重要であり、
資産からお金をもうける意味をまともに評価できることが大切である。資本主義では
蓄積した資本を更なる豊かさを求めて、価値創造のために金融資源として有効に活
用されることが前提になる。リスクがある中で、その資源を提供する対価が金融(資
本)収益である。リスクは為替レートだけでなく、そのは背後にある国の間の価値創造
力の変化である。閉塞的な日本経済のなかで日本で蓄積された資本は、その行き場
は国際金融市場である。相対価格変動は、蓄積された資本の価値を変えていくことに
も注意が必要である。ドル紙幣の価値に注意を払う必要がある。英国では金融産業
で復活した経緯がある一方、日本はバブルの崩壊後国際金融市場で活躍する能力
が見えていない。実物投資を媒介にするか金融投資を媒介にするかの違いがあると
しても、金融は資産として収益を上げるものである。蓄積した資本・金融資産は将来
世代のために有効に活用すべきである。
これに対してダイナミックチャレンジ社会(途上国)ともいえるのが中国であろう。中国など
の発展途上国では、その「市場規模と多様な資源」を戦略に、最新の技術を将来の
有効性の視点から競争力のあるリアルオプションを選択することができる。将来から来るも
のの強みであろう。すなわち、資本蓄積が高度でグローバリゼーションが進む時代で
は、資源をもち市場の潜在性が高い国には、直接投資を受け入れる限り、バーゲニン
グポジションとともに成長オプションが与えられ、より有利な形で発展する可能性が与
えられる。急速な中国の効率的キャッチアップはこのことを物語っている。彼らは、いろいろ
条件をつけながらしたたかな戦略をとっている。その戦略による選択として、新幹線
技術や携帯電話技術などがある。技術はいったん大きな形で導入すると、それは固
定化され、非可逆的となる。そして導入時に優れていてもすぐに陳腐化してしまうこと
が多い。日本の携帯電話が、日本でしか利用されないのは、ディファクトスタンダードを狙っ
て実現しなかったためであろうが、中国やインドに導入できなかったことは、人口規模
から行って残念なことである。
日本が同じ立場にあった場合、日本の精神資産あるいは遺産がゆえに、直接投資
21
をプロアクティブには受け入れないであろう。社会の精神的資産や遺産は、長い歴史
の中で形成されているので非可逆的であることはもちろんであるが、人の記憶には短
期的な部分があるのと同様に、この精神資産のなかにも相対的に変化していく。この
精神資産の柔軟性をできる限り確保することが、進化対応能力・国際競争力を確保
できるための戦略的な対応であろう。
9 日米貿易摩擦と米国の精神性
米国にとって、進化・イノベーションを前提とした資本主義の進化は文化・理念であ
り、その文化に根ざした民主主義的政治プロセスは、市場開放を要求して、世界をリ
ードしてきた。米国は、国家的イデオロギーとして、国民と政治主体と経済に対して、N
CD一体型の精神資産を持っているので、グローバリゼーション志向性・指向性をもち、
強力なその促進者である。国の成り立ちから言って、世界で No1 であることが、自ら
の存在確認・ナショナリズムであり、その意味で世界のへジモニーをもとめる精神性
をもっている。
しかしそれは全体としての平均的な見方で、米国の政治をみると、グローバリゼー
ションにかかる NCD 構造は一様でない。大統領の選挙のときに表面化する、保守主義
(共和党、レーガン、ブッシュ)とリビジョニズム(民主党、保護主義、クリントン)の対立
構 造 は 、 米国 の 精 神資 産 の 複層 性 を 示 し てい る 。 実 際 、 選挙 の ス ロ ー ガ ン と し て
Jobs,jobs,jobs!と叫んでクリントンは、90 年イラク戦争に勝利した共和党ブッシュ大統
領を破って、日本に対して強硬な貿易政策を実行した。それはナショナリズムを反映し
た国民の意思を代表する民主主義的政治プロセスであり、そこには「働く場所としての
産業育成・職の確保」など経済的主要政策だけでなく、クリントンやそれを支持する人
たちの中には自らが依拠する「強い米国」理念にかかる精神資産の再構築があった
であろう。
周知のように、81 年ー88年のレーガン政権では、ニクソンショックへの移行をもた
らした米国貿易収支の悪化や石油ショックなどで疲弊した米国経済を立て直す政策
が行われた。肥大化した政府機能を縮小し、財政赤字と貿易赤字を縮小するために、
小さな政府を目指すべく、金利を上昇させ、大規模な資本流入を図った。その結果、ド
ル高となり、国内産業市場のシェアは日本などに奪われ、日米貿易戦争が激化した。
レーガン政権のもとでの日米貿易摩擦に関する協議は、プラザ合意(89)、日米半
導体協定(86)、日米構造協議(SII)(89)に代表される厳しいものであった。プラザ合
意は、円の切り上げ(30%)に合意し、日本経済と政策へ大きな影響を与えた。日本は
内需拡大を約束しながらも守らないままバブルに突入していった。日米半導体協定で
は、日本は「極秘」付帯文書の中で、日本半導体市場での米国シェア目標値20%を
約束している(91 年のブッシュ政権でも継続)。 さらに、87 年に通商法 301 条を適用
し、アンチダンピングで日本に 3 億ドルの罰金を課すなど厳しい政策を採った。さらに、
22
88 年にはその法律を改定し、不公正貿易の制裁措置(スーパー302 条)を強化する一
方、適用範囲の拡大、不公正貿易リストの年次リストを刊行した。そのリストには、日
本、インド、ブラジルが最終的に不公正貿易国に指定された。そこでは EEC の農業政
策には沈黙している。
89 年の日米構造協議(SII)は、貿易と国際収支の調整にとって障害となっているも
のを解決しようとするものである。米国は、国際収支不均衡の原因は、日本の貿易政
策と構造的特徴にあると非難した。レーガン政権の時代の米国経済は、最大債権国
から最大債務国に陥り、輸入品増大、市場シェアの喪失、失業の増加など、経済的
衰退から脱工業化を図るがその懸念が大きかった。
ブッシュ政権での 91 年半導体協定は再交渉し、日本での米国シェア目標値 20%を
維持された。
93年に始まるクリントン政権は、「改革と再生」をスローガンに、管理貿易体制をす
すめた。特に日本を攻撃する。日本の固いドアをこじ開けるため、何度も交渉テーブ
ルをもち、トイザラスなどの進出を助けるために「大店法の廃止」などを要求した。日
本の貿易慣行や 非関税障壁をするどく攻撃した。しかし、8年間のウルグアイ・ラウンド貿
易交渉の総仕上げとして、95年 WTO 創設により、クリントンの政策は中国を貿易相
手国とするジャパンパッシング政策に変わっていった。そこには、日本人のナショナリズム
に懸念を与えたが、97年-98年の金融危機・アジア通貨危機が発生し、日本の勝
負はついた形になってしまった。一方、保護主義的な感情のもとに貿易マルチトラック
政策(単独主義、地域主義、多角主義)をすすめ、94 年には日本など他国に圧力をか
けるためにメキシコ・カナダと NAFTA(北米自由貿易圏)を成立させた。これはWTO
の理念とは整合性をもたないものであるが、結果として多くの国で 2 国間FTAが進ん
だ。
WTO は、世界経済の発展、国際経済の秩序の維持、「法の支配」の確立を理念とし
て、最恵国待遇、内国民待遇を求めるものである。この考えの下に、2001年ドーハ
ラウンドが開始した。交渉の対象項目としては、農業補助金、サービス分野の市場開
放、知的財産権保護などの問題が指定され、新しい多角的貿易のルールを求めるも
のだ。それは、米国の「脱工業化」とサービス化を反映したものでもある。 EC は農業
政策に防衛的であるし、途上国は対外直接投資や知財の問題に懐疑的である。
2001 年に中国が WTO に参加したことは、中国の大国へのポジショニングと米国の戦
略とが一致して、WTO の権威とグローバリゼーションへの更なる大国の支持ができた
形となった。
95年以降の米国は、強いドル政策を行い、世界からのファイナンスをして、対外投資
を増加し、高い収益を上げていった。それは、彼らのリスク・リターンを見極める金融
と事業の価値創造能力でもある。実際、BRICs への直接投資を行う一方、BRICsと産
油国からの資金調達を行い、相互依存関係を通して米国は、95 年から 06 年の間の
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実質成長率平均3%を達成し、BRICs 諸国は雇用の増加、経済成長、富の増加をし
ている。これらの国は、「市場と資源」を共有することで、自らの資源を資産に変換し、
将来の価値創造力を手にしている。ブラジルもインドと並んで、大国への道を開拓し
つつあろう。
米国は、その NCD 一体型の精神構造価値ドライバーをもとに、今後もグローバリゼ
ーションの促進する大国として、他の大国をまとめていくであろう。すでに述べたよう
に、グローバリゼーションでは、大国間の合意された共通の概念と、全体としての共
通の利害と、それぞれの国の政治的安定性が必要である。新しい多極的政治構造で
は、米国のリーダーシップ能力が問われる。大国は、EU(仏、独)、英、中、露のほか、
インド、ブラジルなど新しい大国も無視できなくなり始めている。産油国は、金融資産
大国として別の政治要因であろう。冷戦後の政治構造では、明らかに日米欧の協力
の必要性は低下している。日本の影は薄くなっている。ポスト京都議定書の環境問題
の枠組みつくりに対して、欧州から数値目標の設定を求められているが、米国から離
れて、意思決定ができるか、まさに鼎が問われている。
10 金融産業の活性化問題
グローバリゼーションに関わる問題は、資本移動と金融の役割に触れないわけに
は行かない。金融は、蓄積された資本を世界の中で有効に配分して、経済成長の持
続性を高める機能を担う。金融の機能とは、伝統的な思考法では、資金の融資の概
念が強かった。しかし、最近では金融は、リスクとリターンと時間の属性を持つ金融商
品を通して、各経済主体に対してリスク・リターンポジションを最適化行動を可能にす
ることである、という理解が進んでいる。そのため、家計や企業の活動に関わるリスク
の低減などのニーズがある限り、それらのリスクの一部を外部投資家にわたすため
に、金融商品化していく時代である。新しい商品で各主体に、より精度の高い最適化
を可能にさせるプロセスを不完備制度の完備化プロセスとして理解される。
例えば、サブプライム問題を考えてみよう。大澤(2007)は、この問題の基本的問題
点は、その収奪的・詐欺的金融商品を認める規制にある、という的を得た見解がある。
最初からあまりにも複雑は商品であると同時に証券化を重ねることでさらに複雑にな
り、貧困者にローンの借り換えを重ねさせ、手数料や保証料、金利を収奪する商品であ
る、ということである。証券化それ自体は、基本的には各主体のリスクポートフォリオ
に異なるリスクとその必要量を組み込むことを可能にする重要な手段である。サブプ
ライム商品は、リスクや手数料が複雑すぎて、サブプライム商品を組み入れるプロも
十分な精査も行われないままに、見かけ上の格付や利回り水準の元に大量の商品を
購入した。さらに次の問題を見ることができる。
1)(インセンティブ制御問題)このような商品性を許可する背後に、規制も含めて人々
インセンティブ制御問題があろう。入り口で過大な手数料、保証料を取ることができるだけ、
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大量のサブプライム商品を取るインセンティブをもつ人がいる。担保価値を過剰に設定し、
そこから比例的に保証料を徴収し、リスクを直接保有しないので、十分な審査なくディ
フォルト可能性が高いことを知ってローンを出すことができる。
2)(格付けと証券化に関わる問題)証券化商品については格付けが設定されるが、
格付け機関のインセンティブもローンを審査する人と同じインセンティブを共有してい
ること、かつ複数回の証券化商品について、情報開示が極めて不十分であること。そ
こにはヘッジファンド情報開示問題もある。
3)(プロの能力)プロである投資銀行、機関投資家等がリスクを見極めるのでなく、実
態とは離れた格付け情報のもとで、サラリーマン的運用がなされること。
4)世界の「資産からの収益を求める人たちがインセンティブを共有」しているため、結
果として大きなリスク構造に発展し、実物経済に影響を与えること。そこには、銀行な
どヘッジファンドへの資金融資者のインセンティブもある。
この 4)に関わる「世界における金融投資のインセンティブ構造のあり方」がグロー
バリゼーションでは大きな問題である。金融投資に関わるグローバリゼーションでは、
自由な金融市場と資本移動の自由が求められ、金融産業としてはその戦略的に柔軟
な意思決定を追及するためにグローバルな規制に消極的である。自由な市場とその
結果としての市場の厚みは、資本を導入しやすく、90年以降 BRICsなど途上国は、
大幅な外貨準備を増加させ、米国企業へのファイナンスを行ってきた。また、中国や
サウジなど産油国は政府ファンドを積極運用して、米国の株式や債券を大量に所有
している。日本の大量の外貨準備に関して、その利子だけでも積極運用をすべきとい
う意見に対して、政府の政治家の発言はきわめて否定的なものであった。その発言
は、論理でなく日本的なメンタリティをそのまま表現であろう。それが多くの(年配の)
日本人を支配している精神資産であるから、仕方がないというしかないのか。
インセンティブ共有化問題とヘッジファンド
金融に関わるグローバリゼーション問題で重要な点は、各国の機関投資家あるい
はヘッジファンドは、その「職業精神」として、報酬インセンティブに基づいてリターン・リスク構造に
関してのみ合理的に行動することを求められている点である。その結果,彼らはプロ
として、国の目的や投資の社会的意味などから独立に行動し、世界全体では大きなイ
ンセンティブを共有した主体として、実物経済にも大きな影響を与えるのである。
ヘッジファンドなど LLC(有限責任投資組合的組織)は、その報酬体系のあり方と情報
開示を求められないから、この側面を強くする。彼らは、銀行などからの大規模なレバ
レッジ資金調達のもとに、石油価格など上昇など、インセンティブを共有して暗黙的(談合
的)に一緒にトレンドをつくったりする。年金などの機関投資家や銀行・証券は、このよ
うな個別的なポジションを作りにくいので、ヘッジファンドに資金を提供したり、ヘッジファ
ンド商品を購入している。その結果、世界の年金など機関投資家、資本家の間でも同
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じインセンティブを共有しているのが現実である。銀行を含めて金融機関は運用のレバレッ
ジを与える融資をするだけでなく、その規模も莫大であることにより、ヘッジファンドが多
様なリスクに関わることを可能にしている。これがサブプライム問題の拡大につなが
っていることも否定できない。情報開示をする義務がないことも問題である。
ヘッジファンドへの統制問題が議論されているが、金融産業大国の米国などの反対も
あり、情報開示に対しても規制が進んでいない。このことが下方リスク(危機)に関し
て不安定性をもち、実物サイドに大きな影響を与えるリスクを内包している。グローバ
リゼーションはそのリスクを世界に伝播する。
ヘッジファンドの全体的性質として、N 要素 0、C 要素 1、D 要素 0 の構造を持つ無国籍
なメンタリティの構造にあることが指摘できよう。ヘッジファンドの資金調達は多く機関投
資家・銀行・証券・商社などから得ていて、運用者はそのレバレッジをもとに大規模な資
金を運用する。それは金融資本の出所が日本の年金や銀行であったにしても、彼ら
のモチベーションはその融資からの利子・配当が目的であり、その運用法に関心はなく、
収益だけを意識したものである。ヘッジファンドを見る視点として、次の2つある。
(1)証券投資系のハンズオフ型ヘッジファンドと
(2)実物経済に直接関与するハンズオン型ヘッジファンド
ハンズオン型ヘッジファンド(2)は、事業再生やプライベートエクイティ(未上場企業)、開
発型不動産、M&A、バイアウト、MBO:(サーベラス、スティール・パートナーズ、リップルウッド)などが
代表である.そこでは、経営に直接間接に関与し、将来の IPO や高値売却を狙うもの
である。この場合実物サイドの非可逆性に関わるので短期の資本移動の自由を放棄
しており、コスト削減のリストラ、能力のない経営者を代替したり、新しいビジネスモデ
ルを組み込んで価値創造にダイナミズムを与えるものである。ハンズオン型ファンドの
機能としては、事業再生など価値創造の効率化、資本市場の効率化の機能など、そ
のプロフェッショナリズムに基づいた合理性から運用し、新商品の提供を機関投資家や金
融機関に提供している。
ハンズオフ型ファント(1)゙は、証券投資や商品市況投資を基礎にしている。マクロヘッジファン
ドとしてのソロスのファンドは92年にEMS(欧州通貨システム)に組み込まれていた英ポ
ンドに挑戦して、結果として英国をそのEMSから離脱させた。あるいは、ロングショートな
どリスクを小さくして鞘を抜くもの、商品市況に関わるものなど多様であるが、基本は
リスクを小さくしながら大きなリターンを求めるものである。組織としては、信頼関係を
基礎にクラン的なつながりで、ジェネラルパートナーズのもとにディーラーが統括されて
いる。
しかしハンズオフ型金融証券投資の特徴として、リスクが顕在化したり、あるいは
不安懸念が高まると、投資家は恐怖を共有化して行動を一緒にするため、情報開示
がないことも関係して、憶測が憶測を呼びパニック的な大きな変動をもたらす。この下
方スクは、金融投資の脆弱性としてコントロールしにくく、しかも実物経済に大きな影
26
響を可能性を持つ。その代表が今回のサブプライム問題に関わる行動であり、みな
が売りに出ると売ることができないという流動性リスクも一緒に顕在化するのである。
もちろんサブプライム問題は、上に述べたように、商品性にかかわる問題、意味のな
い担保価値に対して融資をするなど入り口の問題、証券化構造に対して格付評価の
問題等、数多く指摘されている。いずれにしてもパニックを起こすような情報が一挙に
出ないように、情報開示をさせて、日々の調整が必要である。その結果、倫理的にお
かしなものや、社会に必要以上の量のサブライム商品であれば、自然に売れなくなる
ことが重要である。
ハンズオフ型ヘッジファンドでは、資本の無国籍性が強いことにより、サブプライム
問題を避けた資金による石油などへの投資は、1バレル100ドルの価格をつけさせ
るなど、石油価格のさらなる上昇をさせた。それは、実需からみて必ずしも実体のな
い価格をつけている。市場価格に対して公正性の意味を追求する限界を示していよう。
石油価格の上昇は、産油国への資産移転をもたらし、資産価値の相対価格の変動だ
けでなく、国家の富の価値を変えている。それを機会として、産油国は石油資源をア
パレル会社バーニーズなどを購入するなど石油資源をエクイティ化している。これも
将来、グローバリゼーションの政治経済構造を変えていく。さらにサブプライム問題で
資本不足に陥ったシティ・グループは2兆円にも上る資金を産油国政府系ヘッジファンド
から調達した。
機関化した日本の運用組織は、その社会的ビジビリティにより、日本的メンタリティ
を求められているので、その枠組みの中でしか行動できない。そのため、更なる収益
性を求めて、ヘッジファンドへ投資したり、融資したりして、間接的にヘッジファンドの高収益
を狙おうとする。ヘッジファントは、金融会社に運用商品・代替的貸出商品を提供してい
る。
ヘッジファンドの特徴として、神谷秀樹氏ロバーツ・ミタニ LLC は次の点を指摘している。
1)ファンドはエクイティ(資本)をデット(負債)で買う
2)ファンドは LLC で返済責任が自己に及ばないので、大きくレバレッジを効かせた運用が
可能
3)ファンドのはファンドはの株主第一主義で短期間の利益を求める。
4)ハンズオン型ファンドでは、よい会社は利回りが高い会社で、信用力の維持は直接目
的でない 入り口と出口の利ざやを狙う。また売上向上を狙うよりコストカットが中
心である。次のような会社が投資対象。①同族会社や上場子会社で非効率経営し
ている、 ②ガバナンスが機能していない、③世代交代過渡期で、交代については
未計画な会社 ④自助努力による経営改革不能
国家の運用会社もファンドとして規模が拡大している。07 年 10 月の G7 では、政府系投
資ファンド(SWF、外貨準備など)運営の中国やアラブ首長国連邦(UAE)、サウジ、ロシ
アなどを招き、不透明な運用実態に情報公開を求めている。運用総額は最大 2 兆
27
5000 億ドル(約 290 兆円)と推定されている。ノルウェーは情報公開に積極的である。
11 本稿の結論:「賢く強固な小国日本」確立のために何が必要か
国の包括的価値創造政策の基礎
進化は時代の脈絡を変える変革であり、非可逆的である。一つ一つの戦略的意思
決定が将来の「日本人の幸せ・豊かさ」ポジションに影響を与えている。国力は国の
価値創造力であり、その向上のためには将来を見据えたプロアクティブ意思決定が必要
である。その有効な意思決定は知力が必要である。知識こそ価値の発生源である。
過剰に蓄積された先進国の資本は世界の市場と資源・技術と知識を求める。知識
を基礎とした価値創造と企業競争の激化するばかりである。加速化する技術革新、
ICT による時間概念の変革は世界の競争環境や政治的構造を変えていく。それはグ
ローバリゼーションの大きなドライバーである。その過程では、厳しいグロバリゼーションの
複雑複層的に進化していき、それぞれの政治経済構造が大きく進化していく。「冷戦
後の平和」の下で広がる政治経済のホリスティックである。
そのなかで、日本はそれへの戦略的対応能力が必要であることは自明であろう。
その対応能力は日本人の中に組み込まれるのであるから、その有効な組み込みの
ためには、文化や歴史に根ざしたナショナリズム(N)、資本の論理に根ざしたキャピ
タリズム(C)と政治プロセスとして民主主義(D)の関係から、「国民を幸せにする戦
略」として、進化を受容し、多様性を前提としたタブーをつくらない社会をつくる概念基
づくことが重要である。開放された精神の高揚が起こる制度の確立する必要があろう。
J-SOXのような管理法制を求めても不祥事は減少しないし、競争力とはならない。
資源と市場が十分でなく、平和主義に立つ日本では、人的資源が基本である。そ
の意味で人材高度化投資こそ安全保障の基礎である。「高度人材育成」では、彼らの
能力を開花させ、有効活用するという戦略的実践においても、その人材が有効に活
動するためにも日本の精神資産の拡大あるいは新しい精神資産が前提となろう。そ
の基礎として教育問題として多様な日本人を創造していくためのインフラも必要であ
る。そのためには、過去からの歴史的・文化的・社会的価値を新しい見方で将来のビ
ジョンに繋げる必要があろう。政治プロセスの安定性には、基本的にこの将来ビジョ
ンへの共有化が重要である。
国の精神的資産として絶えず進化に対応できる「将来に向けた理念・ビジョン・価
値」を共有できる社会にし、個性をつぶす日本主義から個人の精神性を開放する。国
の価値創造能力の基本は[ヒト]であり、人に投資して、ヒトのイノベーション能力を絶えず
刷新していく政策をとる。それは国の陳腐化リスクに対する対応であり、自分たちの
将来を守ることである。イノベーションは、技術や知識や思考能力だけでなく、それを
創り出す人間のメンタリティに関わった総合的な創作であろう。
価値創造プロセスの理解を共有化することが重要である。そこでは、企業と同じよ
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うに、人々の思考を支配する日本の組織精神資産をポジティブに働くようにする必要
がある。価値創造ERM経営プロセスの知識を共有化することもそのひとつであろう。
硬直化・固定化されがちな官僚組織に柔軟性を組み込み、時代の脈絡を変える進
化に対応する政策立案能力を官僚組織に埋め込むことが重要であろう。そのために、
上級公務員の採用制度の変更や高度知的人材の流動性が必要であろう。官僚組織
に対してもCOSOのERMの枠組みは有効である。そのために、政治が、官僚組織更
新・進化のダイナミズムを保証する柔軟な企業文化を刻む。カナダでは、官僚組織で
は導入しつつある。価値創造プロセスと有形・無形資産の関係を組織全体として学習
するプロセスを組み込む。
野口氏([4])も言うように、日本経済は、資本開国、脱工業化・サービス業への産業
構造の変化を通して、内需拡大と雇用創出が必要である。政府は、過去を守る業態
維持政策でなく、将来から来る不確実性に関係して雇用創出にもっとプロアクティブな
対応と責任を持つべきである。そのためのひとつは、既存の利害を超えて、直接投資
による外資導入をしていくことである。地方の問題は、このような直接投資を受け入れ
て、地方に根付く産業による内需拡大問題でもあり、雇用を生み出して地方の自立を
許す政治制度を作る問題である。さらに、知識を基礎にした資本主義の流れの中で、
価値の発生源としての人的資源を絶えず高度化していく政策が必要である。それが
「脱工業化」とサービス化を促進する基礎でもある。さらに、日本の多国籍企業の成長
は、必ずしも日本の国民を幸せにとはならないことを理解すべきである。産業構造の
変革と労働分配率の向上も必要である。
雇用問題に関係して、若い人たちに職業的人格を与える必要がある。職業的人格
は、この国の精神風土ではきわめて重要な「幸せの要素」である。フリーターなど非正
規社員化の進展(99 派遣法改正)がさらに進んでいるが、国内に「2つのクラスの日
本人」を作ってはいけない。日本国内での雇用創出が急務である。非正規社員の問
題は、雇用の流動性とは異なる問題である。不況期の就職難でフリーターの増加した
問題は、グローバリゼーションと関係しており、国内(未熟練)労働資源の価値を変え
る。社会的な知識基盤の拡大と進化への対応に関しては、社会人を含めた人材育成
が基本となる。社会の進化の中で、人材の劣化・陳腐化を防ぎ、人的資産への戦略
的投資を継続する政策が必要である。国のレベルのイノベーションでは、知価社会を
基礎にした労働市場の活性化問題もある。
金融産業の競争力が資産からの所得を拡大するだけでなく、雇用吸収力も大きい。
金融は装置産業であると同時に労働集約的産業でもある。日本は、再度金融大国へ
挑戦をすることが必要である。それは、日本的な精神資産からの呪縛からの開放とリ
スク・リターンにかかわる明確な金融ビジネスモデルと金融工学など金融技術の能力
の開発が必要である。日本の金融産業のグローバル化と投資銀行能力が求められてい
る。さらに、外資系も含めたハンズオン型ファンド活動や M&A 活動は、「価値を見出せ
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ない、リスクを取れない経営者能力」に対する代替であり、制度化された金融機関の
リスクテイカーの代替であろう。脱工業化などの流れを作る役割も担う可能性もある。
いたずらに日本的メンタリティで見るのでなく、その機能は進化のもとでの効率性の
追求を持つものであることも理解しよう。他方、証券投資ヘッジファンドに関する国際
金融の脆弱性を、その活動を統制するインセンティブ機能が不十分性にあると見て、透明
性が必要である。日本の機関投資家、銀行のリスク評価能力の向上も必要である。
グローバリゼーションへの対応として、政治構造の多極化とBRICs などの新興経
済大国の厳しい競争環境の中で、日本は多くの国との融合関係構築を目指すべきで
あろう。ここでの融合は、技術的融合、経済プロセスの融合などはもちろん、強い信頼
関係に基づく精神の融合もゆっくりと進めるべきであろう。チャンスは韓国との関係で
あろう。日本の芸能人などのアジアでの役割も大きくなり始めている。若い世代が関
係を作っている。
さらに WTO の貿易体制の枠組みを利用しながら、アジアの中での国と国との関係
性資産の構築を確かなものにしていく必要であろう。形式的に EPA(経済連携協定)を
つくるだけでなく、政治経済プラス文化・精神のプロセスとしての交流融合関係性を高
めることである。WTO は米国の産業構造変革への格闘の結果であり、同じ流れに日
本もいるであろう。
国の精神資産と戦略的結語
第一に、日本の精神構造改革のあり方として、幅広い多様な「日本人」を作り出す
精神資産の拡大が必要であろう。国民が国家的価値観として全体的に共有する精神
資産は、民主主義的政治プロセスのもとでは結局のところ、国の支配的な価値基準
の基礎であり、それは逆に政治の支配原理として国民を支配する価値基準の基礎
(プラットフォーム)である。それゆえ、国際社会の進化の中でそれを固定し続けると、誤解
を生むだけでなく、孤立や競争の敗因をもたらすことになろう。ドイツは、戦後に過去
との断絶を完全にしたと見る歴史学者もいる。いずれにしても、思考の OS(オペレー
ティングシステム)としての精神性を幅広いものにするように、意識的に時間をかけて
対応していくことが必要であろう。そこには教育問題が重要となる。その結果、国民の
「政治への需要」のあり方も変わるであろう。
もちろんこの問題は、きわめて文化的・社会的・歴史的・宗教的に関係した複雑なコ
ンテクスト性に関わる問題であり、一朝一夕で進むものではない。しかし、それを意識し
ないと、日本の過去からの精神的コンテクスト性は強力であって、変わる流れが見え
ても引き戻してしまう。例えば、浮動的であったにせよ小泉政権で一部の人たちが発
揚した資本主義的精神が、すべて萎えさせるような雰囲気に引き戻してしまった力は
このコンテクスト性に依拠した日本の精神風土であろう。その結果、この精神性に基
づいた行動を要求するために、多くの規制や判決が進行し、社会の流れにブレーキ
30
をかけてしまった。それは、「日本」という概念を過去に引き戻す行為にも見える。メデ
ィアの責任も大きいであろう。社会主義がなぜうまく行かないのかといえば、社会を既
存・イデオロギーの概念で固めて、進化の可能性の芽を摘むからである。制度や組織
を固定化することはリスクである。柔軟な国家の枠組みが必要である。重要な点は、
将来の価値創造可能性の視点から「日本の幸せ」の概念から議論しないと、国際的
な競争できないであろう。そのためには、国民を支配する日本的な仕切られた精神資
産の呪縛からの開放が重要で、多様な日本人をつくることが必要である。
第2に自立である。グローバリーションは、資源と市場の共有化プロセスである。そこ
には、国家の利害の対立構造があるし、そこでの政治経済構造の多極化は複雑なゲ
ームとなろう。日本は、このゲームに勝ち残る必要がある。そのために必要なことは、
進化を見据えて自分で判断し、意思決定することである。日本は、米国への依存性・
従属性から脱却する勇気・精神性が必要であり、自分の道を生きることである。ホリステ
ィック(複合的かつ融合的) にかつ加速的に進化するグローバリゼーションの大きな潮
目である現在において、「待つ」というオプションはもはやない。自立が必要である。
第3にこの精神的な資産のもとに、具体的な施策としては、人的資源を除いては資
源を持たない日本の選択は、自らの市場の共有化を認めて直接投資を受け入れるこ
と、産業構造を変革し「脱工業化」とサービス業の生産性を高めること、アジア地域で
の戦略的に融合化を図ること、金融を通して蓄積した資本からのキャッシュフローを
高めること、人的投資による高度人材資源の有効化と職の機会を高め、国民に職業
的人格をあたえること、などなどが必要である。
結論としては、何よりもまして、日本人を支配するメンタリティ・精神性の変革・拡大
に関わる基礎が必要である。その精神性は、M&Aやヘッジファンドなど新しい資本主義
と整合的であることも必要である。そしてその精神性は、日本を強調するだけでなく、
世界と融合的な広さを持ち、世界との関係性において信頼を勝ち得るものでなけれ
ばならない。
[1]R ギルピン『グローバル資本主義』東洋経済
[2]J ペイルルヴェット(07)『世界を壊す金融資本主義』NTT 出版
[3]J スティグリッツ、A チャールトン(07)『フェアトレード』日経
[4]野口『資本開国論』ダイヤモンド
[5]高田・柴崎(07)『金融市場の勝者』東洋経済
[6]水野(07)『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るか』日経
[7]イートウェル他『金融グローバル化の危機』岩波
[8]B リン『つながりすぎたグローバル経済』オープンナレッジ
[9]J スティグリッツ『人間が幸福になる経済とはなにか』徳間書店
[10]竹森(07)『1997 年世界を変えた金融危機』朝日新書
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[11]堺屋・刈屋・植草『あるべき金融』東洋経済
[12]刈屋『不動産金融工学とはなにか』
[13]刈屋(2006)「企業の価値創造経営プロセスと無形資産-CERM/ROIAM (独)
経済産業研究所 HP ディスカッションペーパー
[14]刈屋(2007)「J-SOXを考えるーERMの視点から」NBL2 月号
[15]中村繁夫『レアメタルパニック』、『レアメタル資源争奪戦』、JOGMEC の HP
[16]J.バーニー(2004)『企業戦略論(上)』ダイヤモンド社
[17]山折哲雄編著(2008)『日本人の宗教とはなにか』太陽出版
[18]武光満(2007)『天皇の歴史』講談社
[19]大澤和人(2007)『サブプライムの実相』商事法務
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